外国語を話せる=「翻訳・通訳もできる」とは限らない
「パパッと翻訳してよ」なんて一言も、彼女たちを「イラ」っとさせてしまう原因になり得ますのでぜひともご注意ください。一概に“翻訳”といっても、その物事のバックグラウンドを把握する必要がありますし、そのまま直訳でOK! なんてわけにはいかないのが常なのです。
何を隠そうつい先日、仕事つながりのヨーロピアンとのひとコマ。英語で書かれた結構なボリュームの企画書を、それこそ「ちょちょいと日本語に翻訳してよヘイベイビー」というノリで、1,000円札をペラリと渡され発狂しかけたというおぞましい出来事がありました。
企画書とはつまり対企業に向けた文章を紡がねばいけないわけです。日本語⇒英語じゃなかっただけまだマシかもしれませんが、それでも英語の表現をどのように日本語の表現へ言い換えるか。日本語のボキャブラリーや感覚、その他諸々必要になるわけです。時間と脳みその消費がハンパないのに1,000円はまずありえません(1,000円でも対価を支払う姿勢を見せたことは評価すべき、なんて全く思えません。ごめんなさい)。
さらに「4時間もあればできるでしょ? 簡単だよね!?」と言われた時は震える拳を天に高く突き上げ、「ヤーヤーヤー」とチャゲアスるしかありませんでした。
言語以上に大切なものがある
『日本語でコミュニケーションが取れる』というだけで、新規の電話でのアポ取りやプレゼンを全て日本語でやらざるを得ない状況に追い込まれた、5ヵ国語を操る外国の知り合いもいました。目も当てられないほど緊張してしまっている姿を、ただ見つめることしかできませんでした。やったこともない、そして業務外のことを“ちょっと話せる”というだけでやらされていたわけですから。
つまり『コミュニケーションが取れる』ことが、まんま『ビジネスシーンでもイケる』わけではないのです。そこには言語だけの問題ではなく、やはりスキルやセンス、経験といったものも大きく関係してきます。これらのことは、たとえ母国語だったとしても難しいことには変わりないのです。
分かり易く制作の現場で例えるなら、「イラレが使えるんならフラッシュも簡単にイケるっしょ。同じアドビなんだから」と言われるようなものです。「java分かるんならjavascriptもイケるっしょ」なんて、ああ口が裂けても言えません。恐ろしいことこの上ないですね。