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【初詣、何を祈る?】今さら人に聞けない初詣の「参拝の仕方」と「マナー」

ユーコ・ノラ ユーコ・ノラ


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もういくつか寝ると、また1年歳を重ねてしまいますね(できればもう年は取りたくないものです、時間よ止まれ)。どんなイベントよりも、大晦日から元旦にかけて1年分のテンションのピークがやってくる、どうもユーコです。

今年1年あなたにとってどんな年でしたか? そして来年はどんな年にしたいですか?

新年を新たな気持ちで迎えるための区切りとして、お正月は「初詣」へ出向く人も多いですよね。私もまた、初詣に行かないと気持ちよく新年を迎えられない人間のひとりです。

さてさて、ご存じの方がほとんどだとは思いますが、「お正月」は「神道の儀式」のひとつです。お正月行事のお年玉や門松、おせち料理なども全てそうです。七五三や七夕なんかもそうですね。あまりにも生活に根付ているため、「宗教」というよりはむしろ「習慣」として理解するほうがしっくりくるかもしれませんが。

・・・初詣の話に戻しますが、初詣は「新年の抱負をお願いをしに行くこと」と思っている方がほとんどだと思いますがその起源には諸説あり、大きくは以下2つが初詣の起源だとされているようです。

  • 「恵方参り」・・・おせち料理をいただいたあとに、その年神様のいる方角にある神社または寺院にお参りをし、その年の豊作を祈るという説
  • 「年籠もり」・・・神道の儀式。その土地の氏神様を祀った神社に、氏である家の主人が家族の幸せやその年の豊作を願って籠もるという説

出典:初詣の知識

今回は、毎年なんとなーく参拝へ行っていたという方に、ちょっとした「予備知識」のおすそわけと、私が考える「日本人の宗教観」についてです。

私利私欲にまみれた願い事をしちゃダメ

私みたいな人間は「金をくれ!」というフレーズが大体デフォルトですが、こんな私利私欲にまみれた願い事はもっての他です。恥知らずと呼ばれても返す言葉もございません。神の前で堂々と<「b>今年こそは宝くじが当たりますように! てか当ててよ神様!」なんて懇願しても「そのようなサービスは承っておりません」と突っぱねられるのがオチです。「願い」というよりは「新年の抱負・誓い」を立てるイメージで良いかと思います。

前述のとおり、わずか5円玉1枚で利己的な願いばかりを祈っていた私は、神様的にはすでにアウト・オブ・眼中でしょう。

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おみくじは何度でも引いちゃえ

とはいえ原則は1回です。例え悪い結果を引いたとしてもそれを素直に受け止めるに越したことはありませんが、「今年も凶だったのぉぉぉ!(号泣)」とウジウジ肩を落とすくらいなら、あきれるほどおみくじを引き続けてみましょう。おみくじ引きに回数制限はありませんので。数打ちゃあたります。

たまには質より量を重視してもいいじゃない。(※注)お金はきちんと払いましょう。

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寄り道NG

一説によると、せっかくの初詣、「福をこぼさないようにまっすぐに帰宅せよ」という言い伝えがあります。真意のほどは定かではありませんが、福をまるっといただきたい方は寄り道はしないことをオススメします。

初詣は神社だけではなく、もちろんお寺でもOK

作法こそ変わるものの、初詣は何も神社のみに限定されているわけではありません。こういうところは寛容で本当に助かりますね。明治時代初期に神仏分離(神様と仏様の区別をはっきり分ける)が行われる前の神道と仏教などが一体化した神仏習合(神様と仏様が混在して曖昧)が一般的だった風習が、現在に定着したと言われています。

喪中の初詣は「お寺」へGO

神社とお寺では「死」への考え方が根本的に違います。神社へ行くことが好ましくない理由をざっくり説明すると、神社では「死」=「ケガレ」であるという考えのもとにあるため、神社へ行くことは好ましくないとされています。しかし「絶対にダメ」というわけではなく神社によっても考え方が異なるので、ここでは念のために「△」としておきます。お寺はOKです。

・・・とまあ、こんなにだらだらと書きましたが、個人的には正直「まあ、なんかめんどくさいからそこそこ適当でいいんじゃね?」という気持ちです(オイ)。欲にまみれた願いだろうが、帰り道に思わずキャバクラへ寄り道してしまおうが、一応お参りには行ったのだから、もうそれでいいじゃない、という感じ。

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で、結局「神道」ってなに?

宗教ですね、はい。宗教とカテゴライズされているようです。キリスト教、イスラム教、仏教を「普遍宗教」、神道のように特定の土地で自然発生的に生まれたものを「民族宗教」といいます。つまり、神道はそれですね。だからなおのこと宗教とは捉えづらいのかもしれません。

私の彼(ヨーロピアン)を連れて初詣に行く時は、彼は頑なに境内へ行こうとはしません。私の参拝が終わるのを遠目から眺めるというプレイを楽しんでいるようです。理由を聞いたところ「私は外国人なので、日本人に混じってお参りするのは不思議(変)な感じがする」という類いのことを言っていました(ちなみに彼は無宗教です)。私もこの「初詣」を含む、いわゆる神道行事のことを「宗教」として意識したことがなかったため、彼がなぜここまで頑なに拒むのか理由が分かりませんでしたが、これらすべてを「宗教行事のひとつ」として捉えるのであれば、彼が抱えていた「信仰心も無い(しかも外国人である)自分が神仏へ参拝することへの違和感」というのも少し分かる気がします。

ここで面白いのは彼が「自分は外国人だから」と言った点で、「神道じゃないから」とは言わなかったことです。つまり、自然発生的に生まれたこの神道が想像以上に私たち日本人の生活と、密度濃く関わり合っている証拠なのではないでしょうか。

宗教だろうが習慣だろうが、神道だろうが仏教だろうが、正直どっちでもいい by日本人

大半の日本人はこのようなの考えのような気がします。無理矢理カテゴライズするわけでもなく、抗うわけでも無い。ただただ「受け入れる」。そんな姿勢が日本人の宗教観を形作っているような気がします。大体の人が、人生で少なくとも神道(年間行事)・仏教(葬式)・キリスト教(結婚式)の3つを経験するという時点で、もうすでにメチャクチャですからね。そんな感じで、ゆる〜く紡がれていく宗教(習慣)、私なんかはそれすらも「クールだな」と思っちゃうわけです。

一発目からまとまりの無い感じになってしまいましたが、2016年、初詣に行かれる際はぜひ神様に負担のない程度の願い事を引っさげて、ご自身の宗教観について今一度考えてみる機会にしてみてください。

参考:初詣の知識

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