• MV_1120x330
  • MV_1120x330

幸せな最期ってなんだろう【連載】松尾英里子のウラオモテ

松尾英里子 松尾英里子


LoadingMY CLIP

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

祖母が亡くなり1人になった祖父は、体の芯を失ったようになった。祖母に負けず劣らずの働き者で、せっかちな祖父だったが、もはや別人のようだった。もともと細身だったが、さらに痩せた。不安ばかりを口にする姿は、友達が多くて、歌が大好きで、いつも陽気だった祖父らしくなかった。

祖母と長年暮らした家にいると、祖母はもういないのだ、と感じて辛いという。そこで祖父と、母と、ケア施設を見にいった。

建物は新しく、掃除も行き届き、素晴らしく綺麗で快適。食事も美味しい。同じように高齢の入居者がいて、交流を持つこともできる。緊急時の対応も十分。日当たりのいい部屋。バリアフリー。美しい絵画。体操プログラム。優秀なスタッフの方々。

チェックシート上、申し分ない素晴らしい環境だった。

ただ祖父は見学しながら、誰に言うでもなく、寂しいや、寂しいや、と繰り返した。慣れた家にいるのも寂しい。でも、施設で暮らすのも寂しい。その姿を見ながら、幸せな最期とは何だろうと思わずにいられなかった。

母に「もしお父さんが死んだらどうしたい?」と聞いてみた。「う~ん。どこか施設にでも入れてちょうだい」と言う。

果たして、それが本心だろうか。一人で暮らすのは不安。でも遠く離れて暮らす子どもたちにはそれぞれの生活があり、それを邪魔したくはない。子どもの手助けはしたくても、逆は気が引ける。だから、施設へ入りたい。そんな消極的選択のチャートが、ぱっと見えた。私も、同じようなことを考えそうだ。今日よりもっと幸せに、今より少しだけ良く、と人生を生き続けていって、最期はそう選ばざるを得ないのか。胸がきゅっとなった。

街角のクリエイティブ ロゴ


  • このエントリーをはてなブックマークに追加

TOP