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【芥川賞】『百年泥』と『おらおらでひとりいぐも』は呼び合っている

岡田麻沙 岡田麻沙


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もう、すっごい気持ちいい。老いの孤独だとか家族との関わり方だとか、死別によって生じる癒えようのない悔恨かいこんだとか、とてもシビアな問題を力強く編み直す意義深い内容の作品なのだが、とにかくまずガツンと来るのは文体、文体、文体。ことばの手触りがあまりにすべすべヌルヌルで、うっとりしているうち、不意に合点してしまう。思考の質を決めるのは思考する言葉の質なのだなあ、と。

ああ、くそっ、周造、いいおどごだったのに
引用:若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』(2018)河出書房、p.86

死者を悼む桃子さんの言葉は、標準語に脱臭されない力強さを持っている。方言であるからこそ、綺麗事に集約されない。

おら・・・もっと自分を信じればよがった。愛に自分を売り渡さねばよがった
おらもっと自我をもっと強く持って
はぁ、自我とは何だ。分がったようで分がんね言葉使んな
引用:若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』(2018)河出書房、p.90

もしもこれが標準語で表記されていたならば、芝居くさくて説得力に欠けるものになっていただろう。自意識とは本来、成型される前の肉によって奏でられる出来事だからだ。内容のヘビーさを余裕で飛び越える音の気持ちよさを、ぜひ堪能してほしい。

 

総評

以上、2017年下半期の芥川賞を受賞した2作を紹介した。両作品に共通しているのは、饒舌さに対する距離の取り方だ。

騒がしい橋の上で無口な「私」が印象的な『百年泥』。『百年泥』で外界を流れた川は、百年越しの泥もろとも、『おらおらでひとりいぐも』の内界に流れ込む。よどみなく続く東北弁がすさまじい桃子さんだが、現実の世界では、ほとんど喋ってはいない。

いずれの作品が持つ「静けさ」も、生きることや死ぬことを「お祭りさわぎ」に回収してしまわない強さがある。大きなため息をついて「死者」も「別れ」も日常に引き摺り下ろし、解体してしまう。ある命は泥の中に還り、またある命は「おら」の言葉に抱きしめられる。

 

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