そもそもどうして日米合作なのか
ある日、種田は蝉の抜け殻の場所がわかる<千里眼>を手に入れますよね。あれはどういった意味があるのでしょうか。
多かれ少なかれ、人って計画を立てると思うんです。3年先まで計算している人も、明後日くらいまで見えてればそれでいいやって人も、それぞれの未来に向かっている。で、そういった物がある日突然奪われたら、平凡な未来ですら手に入らないと言われたら・・・そこには物語があるんじゃないかというのが始まりです。
そうなんですね。
主人公は無精子症を宣告されるんですけど、じゃあ思い描いていた未来が見えなくなる代わりに、この人物に【遠くが見える千里眼】をプレゼントしてみよう。立ち止まりたいであろう時に、進むしかない状況に置いてみようと。ほとんどパンフのまんま言いました。
最初抜け殻は脱皮の象徴なのかなぁと思って観ていたのですが、最後にああこれは<忘れてしまったあの頃の声>なのではないかと。
それは意識してなかったけど、素敵ですね。
心を閉ざしているように見える甥っ子の亮太は、大人たちに誕生日パーティーを開いてもらっても、誰のプレゼントや計らいにも心が響かない。誰も亮太の声など聞いていなかったわけです。しかし唯一種田にだけ心を許し、一緒に蝉の抜け殻を集め始めます。日焼けしながら一日中。
そうですね。
種田は子供が作れないが、子供だった頃の自分の声を聞くことができるようになったのではないかと。それが亮太と重なった。そしてあの時置き忘れられた蝉の抜け殻を二人で探しにいく。次の脱皮のために。日焼けして剥がれる皮膚がまさに脱皮を視覚的に表していて見事だなぁと思いました。
そこを分かってもらえると嬉しいです。皮膚が剥がれるカットがイメージしていたより引き目で、伝わるかどうか心配なんですよね、ラストカットなのに・・・。
そもそも日焼けで顔が真っ赤になる時点でなんとなくわかりました。本作では誕生日パーティシーンがありますが、渋谷さんの作品って、パーティシーンが割と出てくる気がします。アメリカにいた頃の影響とかあるのでしょうか。アメリカの人って何かとホームパーティをしている印象があるので。
色んな人を一気に同じ場所に集める言い訳としてお祝い事をよく使います。登場人物の服装も変えられるし、なにかと便利ですから。
今作の1番の特徴は日米合作という制作スタイルだと思うのですが、そもそもなぜこのようなスタイルになったのですか?
「自転車」がきっかけです。アメリカ側が日本で映画をとりたいというので、脚本をかけるバイリンガルの日本人を探していたらしく紹介してもらったんです。「自転車」でうまくいったからそれが続いたってことだと思います。
監督がアメリカ人というのは、考えるだけで大変そうですね。現場をケチャップまみれにして帰りそうだし。
そんなことはないけれど、脚本も日本語・英語両バージョンとも書いていて、変更があるたびに両方書き直さなきゃならないのは大変でした。
でも外国人が撮った特別な日本というか、独特な空気感が作品には現れていて、オリジナリティを感じました。
僕らが普通であると思うようなことも、あちらでは特別なものとして映ったりするでしょうしね。
聞くところによると安井順平さん演じる正樹の役柄を理解してもらえなくて大変だったとか。
この正樹は働かないし、ギャンブル好きだしダメ男の典型。でも奥さんと子供を大事にしていて憎めない。この「憎めない」がアメリカ側に伝わらない。だから色んな映像や資料を送って説明しました。今、安井さんはテレビドラマとかにもバンバン出ていますが、当時はそこまで映像資料がなく、大泉洋さんの映像とかをリファレンスで送ったりして説明したのが懐かしいです。
安井さんのシーンは、いわゆる自主映画にはない安定感が生まれて作品の色が深まりますよね。テーマは重いですが、胃もたれしないのは安井さんのコミカルな演技のおかげかもしれません。