新しい画を得て、新しく泣いた
©かっぴー・nifuni/集英社
左ききのエレン 1 (ジャンプコミックス)
漫画:nifuni 原作:かっぴー
その「エレン」が、新たに私たちに問いを突きつけてくる。
『左ききのエレン』1巻発売記念PV
Reference:YouTube
nifuniさんという漫画家を得て連載が開始され、今日2017年12月4日、ついに単行本第1巻が発売になったのだ。
©かっぴー・nifuni/集英社
不朽の名台詞が、新たな角度で心を刺してくる。
ただ、かっぴーはインタビューで「二人での制作は確かにかけ算の側面もあると感じます。しかし、引き算の側面もあると感じます」と語っている。そこで時系列を入れ替えているところもある。新しいエピソードもある。削ったセリフもある。そこは脚本家「かっぴー」の仕事が丁寧にされた上での作画が行われているので、このジャンプ『エレン』は、ケイクス『エレン』とまた違った楽しみがあるのだ。
また、かっぴーは「“場所”というものが物凄く大きな鍵になっていると気付きました。画力が追いつかずに場所の描写を疎かにしてしまった事を悔やんでます。場所が描写できれば、もっと高度な伏線が張れた」とも答えている。この描写の違いを見てみよう。
この点に関しては、物語が進むにつれて、nifuniさんの画を得たことで、あらたな感動が加わることになるだろう。その名に無限の可能性“infinity”を感じるnifuniさんに、私は大きな期待を寄せている。
才能は人間を食い尽くす
©かっぴー・nifuni/集英社
糸井重里という人がいる。作中にも名前が出て来る。その糸井重里が、誰かに対して「天才」とか「才能」とかいう言葉を使ったのをあまり聞いたことがない。ただ、「そうだなあ、僕も含めて僕が知ってる人の中で、横尾忠則という人は、1000年後もいる人だから」と言っているのを聞いたことがある。
残酷だが、美しい言葉だと思った。
人はしばしば「才能が欲しかった」「天才に生まれたかった」と口走る。だが、才能とは、その人を楽しく愉快に過ごさせてくれるものではない。才能は、その人間の時間と生命を食い尽くすものだ。私も何人かの天才を見てきた。彼ら彼女らは、その人生の時間全てを「しなければいけないこと」に捧げていた。あるいはその中の幾人かは、この世を去るのが早すぎた。
私は、私たちは、天才に生まれなかったからこそ、憧れと不満を抱いたままであっても、平穏に生きられているのかもしれない。では、そうではない人間がどう歩くか。『左ききのエレン』は我々の夢をぶち壊し、憧れを蹴散らし、現実をじわりじわりと伝える。しかし、夢こそ、呪いだ。『左ききのエレン』は、その呪いを解いて、自分に出会うための勇気を与えてくれる物語かもしれない。
糸井重里は、ある夜、かっぴーを真ん中に座らせて記念写真を撮った。「若い人、真ん中に来なきゃ」という言葉と共に。
1000年先にはいないかもしれない私も、私たちも、いまこの場所を歩いている。見るべきものを見て、そして「その先があるんだよ。」と感じるために。
nifuniさんの描く『エレン』で初めてこの物語に触れる人は、この先、胸をえぐられ、心を刺される覚悟を決めてほしい。だが、それぞれが、その先にあるものにたどりついてほしいのだ。