左ききのエレン
思えばその頃、2016年の春は私にとって、出会うべき人に出会い、勤めていた会社の仕事とは別のことを始めるべくして始める運命としか言いようがない時期だった。
ちょうど同じ頃に並行して起こっていたことはこちらに記してある。
『ボクたちはみんな大人になれなかった』刊行記念【連載】田中泰延のエンタメ新党 特別編
かっぴーと初めて会った日とたった数日を隔てて、燃え殻という男とも、初めて会っていたのだ。
燃え殻が「ケイクス」という媒体で『ボクたちはみんな大人になれなかった』の連載を始めたころに、かっぴーの連載もまた「ケイクス」で始まった。それが『左ききのエレン』だった。彼が「眠らずに必死で描いている」というのはこれだった。
出典:「『オレは、オレの事ばっかりだ』左ききのエレン 第1話」より
ギャグ漫画ではなかった。彼が広告代理店にいた頃の体験をもとに描かれ・・・いや、そんな甘いものではなかった。
毎週更新される連載から、まったく目が離せない。今回、あらためて1話から通して読んでみた。時系列の組み替え構成、キャラクターのはっきりした造形、かっぴーの脚本力の凄まじさに驚く。それは、美大生だった彼、会社員だった彼のリアルな人間観察に基づいた「お仕事漫画」をひとつの軸にしている。
「そういう事じゃねぇーんだよ!!」
「オレは・・・オレの事ばっかりだ・・・」
「気づいてて 父さんは 逃げも戦いも しなかった」
「お前は“オレ”の事でずいぶんと忙しそうだな」
「私は そいつらと会ってない時にそいつらのことを考える」
「サラリーマン やれよ」
働くこと、生きることに関して、恐ろしい箴言だらけの物語だ。そして、その画は相変わらず上手くはない、上手くはないが徐々に異常なほどの熱量が込められ始め、「この絵でなければ語れない」という地点まで到達することになった。
だが、この作品は、そこからはるかに巨大なテーマへ離陸していた。
「才能」についてだ。
「天才になれなかった全ての人へ」
「天才になれなかった全ての人へ」。これがこの漫画全体を貫くことばになっている。
ドラマは、主人公、光一とエレンの対比を通じて冷徹な事実を浮かび上がらせ、スタンダールやバルザックもかくやと思わせるほど描きわけられた多彩な登場人物を配し、おそるべき無情さをはらんで一方通行で流れる川である「時間」を行きつ戻りつして語られる。
「ドラマチックに生きられるほど主人公じゃないんだって私達は」
「夢みてるヤツが10万人 残るヤツが10人 “万が一”これが現実なんだよ・・・」
「何かにならなきゃ・・・退屈で・・・退屈で・・・生きていけねぇよ・・・」
「夢にも賞味期限をつけてよ・・・じゃないと・・・ずっとこわいんだ」
「何者か」になれない自分。この物語の残酷さは、私たちのどこかを一度殺してしまう。しかし、死んだからこそ、私たちは自分の人生を歩むために蘇ることができるのだ。