「大丈夫だよ。わたし、全然辛くないから」。
必死に説得しようとした。それは彼を、というよりも自分を、とも言えるかもしれない。辛くない。辛くないよね。ここまでがんばってきたんだから、まだ大丈夫よね。わたしの努力無駄じゃなかったよね。愛を信じてたんだよね。カッちゃんも本当はわたしが好きだよね。だからお願い。願いを込めて「辛くないから大丈夫」を繰り返すが、彼は「そういうことじゃねーだろ」と言う。
ミワコは悟っている。ついに、おしまいだ。ここで捨てられる。
未来が急に真っ暗になった気がした。ありとあらゆる幸せが断たれた気がした。
・・・でも、この別れこそが彼女の幸せへの一歩であることをミワコはまだ知らない。目に浮かべた涙。その涙の海に出発の船を浮かべ、彼女はさよならの旅へ出発する。その先にある、幸せという大陸に上陸するために。船は海なしには進まない。彼女はいま、出港の準備をしているのだ。十分に泣いて、泣いて、泣いて泣いた先に、ようやく船は走り出すだろう。その日を、船は今か今かと待っているのだ。さあ、強がらないでミワコ、思い切り泣いていいのよ・・・それがあなたの幸せという大陸への第一歩なのだから・・・。
*
・・・って。
あぶない。失恋に感情移入しすぎて、ポエミーになってしまった。なんだよ、涙の船ってあぶない。ポエムすぎて暑苦しいの刑に処されるところだった。
まあでも、きっとこういう事情にちがいない。・・・と、心のなかで盛大にポエミーになったというのに、驚くことに私が用事を終えて1時間ちょっとして戻ってくると、彼女たちは先ほどと全く同じ場所で抱き合っていた。ゆらゆらと揺れて、カッちゃんはミワコの首筋にキスまでしていた。
この空白の1時間(しかも同じ場所にいるには長すぎる)の間に何が起こったのか全くわからない。そもそも、そういえばあいつはカッちゃんでもミワコでもないんだった。目を覚ますのは恋人たちではなく、わたしのほうかもしれない。
【過去の「さえりの”きっと彼らはこんな事情”」はこちら】
・旦那のことが好きすぎる
・大豆に似ているエリコ
・予約しなかったマリオ
・沈黙の彼女が考えていること
・”やり投げ”みたいだよ