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ブレードランナー2049【連載】田中泰延のエンタメ新党

田中泰延 田中泰延


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引用だらけカルト・ムービー志願

まだいろいろあるんですよ。こんな風に散りばめられたポイント、これをみんながつい議論してしまう。ある意味、この映画は期せずしてカルト・ムービーとなった前作とは違って、企図してカルト・ムービー志願なんですね。

 

この映画、長いです。163分。それを長い、眠いと感じるか、素晴らしい密度と感じるかは、結構、「あ、ここの引用だな」「あれへの答えになってるとこだな」というのにかかっています。映画としてそれは良くないという意見もあるでしょうが、これは「続編」なのです。
 

さらにいうと、これは「スターウォーズ」新シリーズも同じなのですが、異常な完成度のファン映画、究極のスピンアウト映画のような感じもします。
 

くどくどくどくど書きましたが、所詮これらは酒の肴です。いったいここまで何千字書いたでしょうか、南禅寺は湯豆腐が有名ですがそんなことはいまどうでもいいように、上で書いたような細かい話はどうでもいいのです。

人間になるということ

Kはステリン博士から記憶についての残酷な秘密と、レプリカントのレジスタンスから、出生についての決定的な真実を告げられます。
 

「皆そう思いたがる」

 

おそろしいセリフじゃないですか?!
 

しかし、この完全なる絶望の果てにKは考えたんだと思うんですよ。人間になるにはどうしたらいいのかと、ピノキオのように。そしてKはジョーになります。
 

どう生きるか? だけが人間を人間たらしめているからです。
 

前作でロイ・バティは雨の中、死ぬ前に人間になりました。人は、死を考えたときこそ、真に生きることができるのではないでしょうか。
 

Reference:YouTube

今作でも、最後の最後だけヴァンゲリス作曲の『tears in rain』が鳴り響きます。
 

ロイ・バティは死ぬ前に「記憶は、雨の中の涙のように消える」と言いました。その言葉も、黒い雨の中に消えていきました。しかし、今作で降るのは雪、白い雪です。
雪は、積もるのです。それは束の間かもしれませんが、それこそが「記憶」なのです。
ラストシーン、ジョーには本物の雪が、博士には作り物の雪が降り積もります。逆になっているのです。

ふたたび進歩する歴史観へ

1982年の時点では、じつは世界はディストピアになるとは思われていませんでした。冷戦の終わり、人類が平和と文化を享受した80年代の入り口に、あえてディストピアなポストモダンである「ブレードランナー」を提示したリドリー・スコットは、時代と逆なことをやったからこそ、人類の心にくさびを打ち込むことができたのです。
 

しかし35年たって2017年、いまはどうでしょう。人類が必然的にそうなったのか、あるいは、まさかのブレードランナー的な世界を意識したからそうなったのか、地球温暖化、大企業支配、原発事故、遺伝子操作、AI、ほんとうにディストピアに近づいてきたことは誰もが感じていることです。その時代だからこそ、逆なことをやる。じつは「ブレードランナー2049」はポストモダンから「モダンへの回帰」なんじゃないでしょうか。

 

行き詰まった人類に対して、無垢な魂であるレプリカントとAIが人間より人間らしく「人間とはどのように考え、行動し、生きて死ぬべきか」を一から考える物語。

 

長く長く話しましたけど、僕は泣きますよ。何度観ても、この映画。
 

いやあ、この映画については考え始めたばかりというか。35年待ちました。4回観ました。・・・何もわかりません。
 

しかし、ヴィルヌーブ監督は考え抜いたんだと思います。前作のすべての疑問にまじめすぎるほどに回答を用意し、正当な続編として、さらにその先へ進もうとした。

 

時代がさらにペシミスティックになり、現実の社会こそがディストピアへ走る今、あらがうように「ほんとうの人間とは」というテーマを前作の写し鏡のように反転させました。

 

これしかなかったんじゃないかな、って思います。

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出典:IMDb

ただ、ほんとに今回、なかなか書けませんでした。僕はいろんな元ネタや答え合わせを調べましたが、それは受け売り、つまりあとからインプットされたものであり、自分の知識ではない。その作業によって、自分が誰だかわからなくなるという、まるで自身の記憶を疑うレプリカントのような心境になってしまい、文章は断片的になり、思考は分裂的になりました。この混沌の中から、魂をもった人間としての指針を見つけていかないと、ちゃんとした評論にはならないでしょう。

 

まだまだ、「ブレードランナー」の世界にどっぷり浸かりすぎているのです。前作を愛しすぎ、またこの続編を愛し始めている僕がいるかぎり、冷静な目が持てません。
 

劇中の言葉を借りるなら、
 

Sometimes in order to love someone, you got to be a stranger.
 

誰かを愛するためには、時には他人にならないといけない。

 

そんな状態なんです。
 

ここから35年考えて必ずまたなにか書くと思ってください。今回はこれで勘弁してください。あと3回は映画館で観ます。こんなことも世の中にあるんですね。自分が一番好きな映画の続編・・・書きにくいわ!
 

【追記】これを書き終えて、あらためて1982年「ブレードランナー」を観ました。今までと違うところで泣いてしまいました。そこに写っていたのは、「ボーイ・ミーツ・ガール」の物語で、アダムとイブのお話だったからです。

映画「ブレードランナー2049」オフィシャルサイト

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