*
エリコは新潟生まれ。新潟育ち。通学路で通る商店街のおばちゃんはだいたい友達だったにちがいない。きっと愛のあふれる、あたたかい家庭で育ったはずだ。
そこそこ頭が良くて、そこそこヒエラルキーも高かったエリコは、そこそこギャルっぽくなって、そこそこ友達もいる高校時代を過ごして、東京の私立大学へと進学した(多分学部は経営学部)。
そこそこ東京に馴染んで、そこそこイケてる友達もできて、そこそこ一人暮らしに馴染んだころ彼氏もできて、こそこそいちゃついたりしたはずだ。特に何もなく、何も起こらず暮らしてきた。強いていえば、男性アイドルにハマって散財したことが彼女の人生の中で最も奇抜な出来事だったと言っても過言ではない。
だが、とある合コンに参加した時だった。
一番暗い雰囲気(でも一番イケメン)の男の子にズバッと言われたのだ。
「ねえ、エリコちゃんさあ、さっきから頻繁に“わかる”っていってるけど、どんな風に”わかる”の?」
エリコにとってこの一言は衝撃だった。これまで特に友達から嫌われるようなこともなかったが、そういえば自分の意見もあまりなかったのかもしれない。不思議なことに今まではそんなことにも気づかなかった。
「え、どんな風にって?」
もごもご誤魔化しながら、今までのことが一気に蘇っていた。別に嫌われたくないとか思っているわけでもない、同調したいわけでもない。ただ、なんともなしに口癖になってしまったのが「わかる」だったな、と。
「あの教授いじわるじゃない?」
「わかる」
「今日は早めに帰りたいよね〜」
「わかる」
「このラーメンかわいくない?」
「・・・・・・わかる」
反射のように答えてしまう。でもあとになって思うのだ。え、あのラーメンってかわいかった?
なんでその時言えないんだろう。ちょっとくらい「え、そう?」とか言えばいいだけなのになぜか反射のように答えてしまう。「山」と言われたら「川」をこたえてしまうように、「ギンギラギンに」と言われたら「さりげなく」とこたえてしまうように、みんなの問いとエリコの「わかる」はいつのまにかセットになってしまっていた。
合コンからの帰り道、自分が今まで”個性がない人間だった”ということを反省しながら帰り、家に帰ってからは 「意見 ない コンプレックス」で検索もした。だが、出てくるのは「自分の意見がないというのは、人の意見を尊重できるということですよ!」みたいな記事ばかり。げんなりする。そうじゃない。もうちょっと自分の意見を言えるようになりたい。徐々にでも、いいから。
あのカフェでの一言を言われたのは、その1ヶ月後のことだった。
「エリコって大豆に似てるよね!」
「わかる」
そのときエリコの心にはもやが広がっただけで、そのもやが何を表しているのか輪郭がはっきりしてきたのはその後のことだった。
友人と別れて東横線に乗って、赤いシートを眺めて、スマホでツイッターをチェックして、駅で足りないお金をチャージして、スーパーに立ち寄って50円引きの「ほうれん草の白和え」を手に取った時にようやく思ったのだ。
「だい・・・ず?」
え? 待って、あたし大豆に似てるっけ? 大豆に似てるってなに? あれ? もしかしてあれって悪口だった? あんまりポジティブな意味じゃないよね? 大豆って、どういう意味? もしかして「おかめ納豆」みたいな感じ?
似て・・・・・・ないよね? うそ、ちょっと気になってきちゃった。でも彼氏に「大豆に似てるって言われた」っていう話することもできなくない? もしそれで彼氏に「あ〜言われてみれば大豆に似てるかもぉ?」て言われたらいやだし、もし思ってなかったとしてもこれをきっかけに「大豆」を見るたびにあたしを思い出すようになっても困るし・・・・・・。