やり投げとはいえば陸上競技のことだが、娘に向かって“やり投げみたい”という発言はなかなか聞かない。やり投げ選手のような姿勢であるということなのか。あんたバリバリ仕留めてるわねっていうことなのか?
その一言をぐるぐると頭に巡らせながら渋谷へと向かい、先輩と打ち合わせをして、帰り際に(わたしにしてはだいぶ)深刻な面持ちで先輩に聞いてみた。
「あの、どうしても聞きたいことがあって」
「どうした?」
「娘に向かって“あなた、やり投げみたい”って言うシチュエーションって、どういう背景が想像できると思います?」
すると先輩は少し笑ったのち、さも、当たり前のように「“軌道”のことじゃない?」と言う。
「多分まっすぐ進んで、何を突き刺すようなその軌道のことを話題にしてたんじゃないかな」と手で“やり”の軌道を描いてみせる。まるで「そういう例えってよくあるじゃん?」と言わんばかりに言ってのける先輩。先輩は、やり投げのなんなんですか……?
多分、違う。だってピンとこない。彼女たちはそんな風に軌道について話しているとは思えない、そうあれはまるで何かに例え……そこでハッと気づいた。わたしとしたことが、なんと愚かだったんだろう。
“やり投げ”とはあのオリンピック競技のやり投げのことではない。
きっと、あだ名なのだ。
ここまでくればもうあの親娘の事情が想像できた。なんだ、簡単なことだったのだ。
彼女たちの事情はきっとこうだーー。