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僕が無職なのは遺伝子のせい【連載】神様がボクを無職にした

フミコフミオ フミコフミオ


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奇跡は起こらないから奇跡なのかもしれない。それでも奇跡を信じていなければ生きていけないのは、人間が弱すぎるあまり、奇跡にすがっていないと生きていけないからなのだろうか。そのクエスチョンへの答えを、僕はまだ見つけられていない。

歌舞伎役者の市川海老蔵さんの奥様、小林麻央さんが亡くなったという一報に触れたとき、僕の胸に去来したのは、奇跡が起こる確率の低さを呪う気持ち、「嗚呼、ダメだったんだ・・・」という残念な気持ち、そして「やっぱり・・・」という彼女のブログを読んでいた人なら誰もが感じたであろう不吉な予感が思いのほか早い時期に当たってしまったという、ある種の申し訳なさだった。

同時に僕は、自分の家族のことを思い出していた。ウチの父も亡くなる前2年間あまりを、会社を辞めて自宅で家族と過ごしていたからだ。海老蔵さんと真央さんのように闘病をしていたわけではなかったけれども、最後の数年間を家族と過ごしていたという共通の事実は、ウチの家族のあの季節を思い出させるのに十分条件をみたしていた。

父は、ひとことでいえば「仕事人間」だった。会社に勤めているあいだ、平日に父の姿を見ることはまずなかった。父は僕が目覚める前に出勤して、僕が床についた後に帰宅するような生活をしていたからだ。30年以上昔の昭和の日本社会には、現代の若者からみれば信じがたいだろうけれど、週休二日制度というものはなかった(あったかもしれないが、一般的ではなかったと思う)。なので、僕が父の顔を見ることが出来たのは週に一回、日曜日だけだった。

だから僕は、小さい頃、日曜日が好きだった。アカデミックなことを父から学ぶことはなかったけれど、音楽や絵や雑学については本当にたくさんのことを教わった。僕のしょうもない人格の大部分はその一日だけの日曜に形成されたといっていい。

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