前作の女性監督、
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サム・テイラー=ジョンソンが原作者と衝突して降板し、代わりにジェームズ・フォーリーが監督を務めたんですが、
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この人、アル・パチーノとジャック・レモンが共演した、舞台劇のようななかなかの佳作「摩天楼を夢みて」(1992年)の監督で、ベテランのはずなんですが、今回も映像美はゴージャスなところあるけれども、
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全体としてはなんでこんなことになっちゃったの? というなにもかもが食い足りない演出を見せてくれます。引き続き「3」も監督なんですよ。心配だなぁ。
で、僕、今回観ている間、笑いをこらえるのに必死で、何度歯を食いしばったかわかりません。さっき「この映画の中で2人は5~6分に1回、いたします」と書きましたが、もうそれが毎回ギャグにしか見えないんですよ。このおかしさはどう書いても表現できません。
え、今? すんの? このタイミングで? ここで? なんで? ばっかりなんですよ。薬局チェーン・マツモトキヨシの創業者、松本清が昭和44年に千葉県の松戸市市長時代に設立した「すぐやる課」もびっくりのすぐやるぶりですよ。
しかも、だいたい人が集まったり、別のことしてるタイミングでさっと別の部屋で始めたりすんですが、終わったあと素早く服を着て元の人たちのところへ戻るのが早い!! そうか、素早く服を着るのは元の場所へ戻ってストーリーを進めるためか!! と一度発見してしまうと、5〜6分ごとにやって来るすぐやる課と服を着るシーンでは笑うしかありません。
しかも、5~6分に1回のテンポを死守するためなのか、クリスチャンはすぐ合体を余儀なくされてるんです。ほとんどのシーンで、クリスチャンはアナと2人きりになると同時にズボンのベルトに手をかける描写があります。わたし計りました。そこから合体まで全部30秒以内です。どこが官能シーンやねん。昆虫か。
さらに、30秒急速充電シーンのたびに元ワン・ダイレクションのゼインとテイラー・スウィフトによる主題歌など、楽曲がガンガン流れます。僕、挿入歌って言葉の意味を、初めて知りました。
また、SMが嫌で出て行ったはずのアナが嬉々としてプレイに応じたり、自分が主導権を握って道具を使うシーンもあります。それも、毎回そうなんですが、拘束具を使う導入部から、かならず最後は優しく拘束具を外してもらってフィニッシュ的な普通の行為に移行するんですよね。だったら最初から拘束するな。
前にも書きましたけど、SMというのは、人間をモノとして扱う、その欲望の純化において、却って日常生活での人間性を取り戻す効果効能もあると思うんです。ですから、拘束したら、拘束したまま/されたまま、自由の利かないモノに対して最後まで欲望を充足する/させる行為が完結しないと、真の人間性は戻ってこないわけですよ。
ですから、どこまでいっても「画面に映る小道具」としてのSM描写は、ファッションでしかありえませんし、これこそ第1作から僕が感じている「お客さんを舐めた行為」だと思うんです。珍しくめっちゃ怒ってるなわし。
アナが金属のボールを入れられるシーンもあります。しかしその意義も効果効能も不明です。金属製のボールを映したかっただけなんですね。ああ、主人公の名前が「アナ・スティール」だから、穴にスチール製のボールを入れるんやな、って複雑なプロセスで自分を納得させました。