常識的に考えれば、大切な書籍に落書きメモを挟むとはとんでもない小悪党だが、僕はなんだかとても嬉しかったのを今でも覚えている。「僕と同じ世界にいる人間がすぐ近くにいる」という連帯感が、友達を見送りながら親を待っている何とも寂しい時間を送る低学年の子供にとってどれだけ励みになっただろうか。
図書館スタッフとの何気ないやり取りも含めて、こういうアナログな付き合いみたいなものは無くしてもらいたくはない。もし、今、僕が小学低学年で『月世界旅行』を電子書籍でダウンロードをして読んでいたら、あの暖かな連帯感は得られただろうか。答えはノンである。
あれから30年。短くはない時間が流れ流れて、今、僕は無職の身である。最近は妻との業務連絡どころか、日常会話の大部分まで紙メモで済ませることが多くなり、ハロワで失業認定を受けるときも形ばかりの会話はあるものの、基本的には申請書。履歴書や職務経歴書も紙。採用通知も紙。離婚届も紙。
社会的なつながりは紙、紙、紙、全部ペーパーになってしまっている。
あのとき、あれだけ暖かく感じられた紙の付き合いが、これほど冷たく、事務的なものになってしまうなんて・・・。そんな絶望が、僕を紙媒体抹殺主義者に変えたのである。そして今夜も、「月世界旅行の大砲ロケットで家族もハロワもない月世界に飛んでいきたい」と缶ビールを飲みながら月に吠えるのだ。
【過去5回の「神様がボクを無職にした」はこちら】
・東アジアの片隅で哀を叫んだ無職
・ソンタクとかいいから仕事をくれ
・全部、ノストラダムスのせい
・妻に言われた一言で愛は死んだ
・無職は冷たい玉座に座る