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午前2時のプールサイド【連載】ひろのぶ雑記

田中泰延 田中泰延


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無職だからもはや私には関係ないのだが、世間ではまもなくゴールデンウィークである。
 

ゴールデンウィークは、1951年、現在のゴールデンウィークにあたる期間に上映された映画『自由学校』が正月やお盆興行よりヒットしたのを期に、多くの人に映画を見てもらおうと、当時、大映専務であった松山英夫氏による造語で和製英語。
引用:Lookvise,Inc.『語源由来辞典』

だそうで、ゴールデンつまり黄金というのはどうも我々の利益というより、映画会社のカネのことであった。
 

映画「自由学校」は、1950年に新聞連載された獅子文六の小説が原作で、なんと松竹(監督:渋谷実)、大映(監督:吉村公三郎)が競作し、しかも同じ週に封切られたというちょっと考えられない事態になっている。映画会社どっちも儲かったんだからそりゃゴールデンだ。
 

松竹のほうの映画では、劇中で佐田啓二が発する「とんでも」と英語の「happen」がくっついた「とんでもはっぷん」が流行語になって、65年後のいまでもこの言葉を使う人がいる。ちなみに佐田啓二は中井貴一のお父さんである。
 

原作の獅子文六は1949年の小説『てんやわんや』が有名で、私も読んだことがある。驚いたことに「たまごの親じゃ、ピーヨコちゃんじゃ。ぴっぴっピーヨコちゃんじゃ、アヒルじゃがぁがぁ」の漫才コンビ、獅子てんや・瀬戸わんやはこの小説から名前を取ったものである。
 

とまぁ、無職になったら「ゴールデンウィーク」という言葉だけでこのようにどうでもいいことを調べて書く時間があるのである。ひまか。で、毎週水曜に公開するこの「ひろのぶ雑記」、来週は5月3日の憲法記念日だけど掲載あるんですか? と『街角のクリエイティブ』の西島編集長に確かめたところ即座に返信が来た。
 

01
 

むしょくなのにブラック。
 

染まりやすい私であった。
 

やっぱり、働くのである。働き続けてきた私は、ここ何回か1989年から1992年まで4年間、運送会社でトラックの運転手をしていた話を書いたが、さらに遡って、その前の1年間も働いていたという話をしよう。

 

1988年の春、私は早稲田大学に入学するために上京した。そのとき住む家もなかった話は書いたのだが、ともかく働かなくては部屋も借りられない。そんな時、大学の同級生で大分から出てきていた男に声をかけられたのだ。名を高橋広敏という。
 

高橋はえらく二枚目で、雑誌のモデルでもやってるやつかと思ったのだが、おれたちと一緒に働こうぜ、と声をかけて来た。私は曖昧な返事をしたのだが、一週間後にノコノコ渋谷・南平台にある彼らの「事務所」なるものに出向いた。
 

そこは今では考えられないが、ある企業が「学生だけに仕事を任せた事業部」だった。
 

高橋に案内されて事務所に入ると、知らない女が「田中泰延」とすでに印刷してある名刺を100枚渡してきた。その女は東京大学法学部の一年生で玉置真理といった。なんなのだこいつは。馴れ馴れしい。けど、けっこう美人だ。なんかわからないけど受け取っておこう。さらに別の男がそこはお前のデスクだと私を座らせた。その男は川田尚吾と名乗った。
 

名刺も勝手だし、机も勝手だが、とにかく私はその「事務所」に取り込まれ、働くことになったのだ。思い出してもいまだに狂っている。その事業部はある広告代理店が「学生だけで儲け話をみつけて利益を上げる」という、やはり今から考えると狂った方針で運営されていた。1988年、それがバブルという時代だった。

 

そこからの一年は、狂乱の日々だった。毎日、ありとあらゆる知恵を絞って儲け話につなげていく。18歳や19歳の若者たちが、大企業と渡りをつけて、予算を取ってくる。事務所に5日間泊まり込んだこともあった。
 

高橋や玉置、川田たちはいつも「資本主義とはなにか」ということを話していた。いま生きている、この世の中の仕組みはどうなっているのか? を常に考えていたと思う。
 

しかしまだ我々は18や19の若者だ。8月の終わり、現実とお金との戦いに疲れた夜。エアコンも効かないような暑い夜だった。玉置真理は突然、「頭を冷やそう」と言った。
 

どこへ? いいところを知っている、と川田がタクシーに飛び乗る。
 

それは、ある高校だった。私たちはスーツのままフェンスを越えて忍び込み、真っ暗なプールに、次々と飛び込んだ。
 

声を出して笑わないようにプールから上がると、私たちはずぶぬれのまま深夜2時のプールサイドに寝転がって東京の空を見上げた。その瞬間、どこまでも資本主義の中で戦う、彼らがそう決意する顔をしたのを私は確かに見た。
 

必ず東証一部に上場する企業をつくる、という彼らの気迫にはついていけず、半年後、私はそこからドロップアウトしていくことになり、トラックの運転手になったのだ。

 

時は流れ、その後、川田尚吾はDeNAという会社を、玉置真理はザッパラスという会社を、高橋広敏はインテリジェンスという会社をそれぞれ創業する。
 

そのあたりのことは、この対談記事と、中で紹介されている書籍に詳しく載っている。
 
『若者よ、アジアのウミガメとなれ 講演録』刊行記念【エア対談】加藤順彦×田中泰延

 
だが、その時の仲間とはその後も交友関係は続き、まもなく6月2日には、我々が出会って30周年のパーティがあるんだよなあ。上場企業の社長や役員たちと、ついに無職の私。なんだか、とんでもはっぷんだ。まぁそのへんもまた書きます。
 

みなさんよいゴールデンウィークを。おれは働きますけど。
 

【過去5回の「ひろのぶ雑記」はこちら】
エンパイアステートビルで会いましょう
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