さて、国会で話題の森友学園様には、独特の教育方針で安保法制大好きなお子様を養成していただければ面白いなーゲラゲラゲラと、性格の悪い傍観者を決め込んでいる僕が、なぜこのような青臭い正義についての話をしているのか。無職生活でおかしくなったのではない。罪罰アンバランスでおかしくなったのだ。僕も自分のしくじりに見合わない断罪と謝罪を求められたのである。
先日、ウォシュレットトイレを使用した際、便座の電源をオフにするのを怠って外出してしまったのだ。皿洗いのパート仕事に従事して帰宅後にホカホカになった便座を発見した妻からこっぴどく叱られたのだ。「電気代が無駄ではないか」「環境に対する意識が低い」「ぬくぬくの便座のような生温かい環境にいるから正社員になれないのではないか。冷たい便座に打ち克つ精神を身につけなさい」という非人間的な断罪に続いて、謝罪として寿司・焼き肉をご馳走することを求められたのだ。
《無職は冷たい便座に座っていればよい》
なんと無慈悲な。このようなアンバランスな罪と罰を許してはいけない。しかし、僕は反撃しない。ここで妻に、「チミは便秘後の爆発時にトイレットペーパーを使いすぎだよ。もし使うなら吸水性に優れた高価なダブルタイプではなく、古紙と交換で入手した粗悪ペーパーを使ってくれたまえ」と断罪謝罪要求してしまったら、僕にあの少年を叩いた大勢を批判する権利はなくなってしまう。罪と罰のアンバランスを正す前に、僕は憎しみの連鎖を止めたいのだ。
止めたいけれども、止める前にこの連載のタイトルを「神様がボクを無職にした」などという非人道的なものにして、正社員に向け日々努力している僕の気持ちを蔑ろにした『街角のクリエイティブ』編集部には謝罪を要求したい。世の中を良くするよりも先ずは個人的怨恨。戦争やネット炎上がなくならない理由は案外このあたりにあるのかもしれない。