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ほとんど知られていないアートの見方【連載】広告代理店の現役アートディレクターが語る

中村征士 中村征士


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鑑賞会でみた作品を例にみてみましょう

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ab/Vincent_Willem_van_Gogh_118.jpg
出典:Wikipedia

映し出された一足の靴の絵をじーっとみて、まずは何を感じるか、ぱっと見の感想など、みんなで挙手してから言い合って、作品に入りこむ入り口をつくります。このときはまず感じることが大切です。

その講座では、「汚い」「ボロい」「靴ひもの先が変にカールしている」「明るい部屋の中ではないか」という第一印象や感想から始まりましたが、しばらくするとある人が発見しました。

「これは両方左の靴なのではないか?」

確かに、よく見ればそう見える気がします。それに続いて他の人が、「これは全く別の靴で、ひょっとしたら絵を描いている人は揃いの靴が買えないほどの相当な貧乏な生活をしているのではないか?」「左の靴が右の靴を支えているようにも見える」「この靴はそれぞれ、作者と誰かの暗喩なのではないか?」「右側の靴のつま先に文字のようなものが描かれている」など、観れば観るほど発見があるのです。もちろん正解なんてものはありません。

美術にさほど詳しくない人でも、このように観察して発見して想像力を広げられるのです。アートってよく分からない、とかそんなことはないはずなんです。誰でも何かを発見できます。作品を鏡にして自分をみているともいえます。

また、発言したことで『他の人のひらめきを呼ぶ』『さらに想像がふくらむ』『発言する』、それがとても新しい体験に思えました。まさにアートを介したコミュニケーションです。小学校から高校までの美術の授業ではこんな感覚になったことがありません。

この「観る」を体得することは、他の教科にも応用できるでしょう。国語では文章の中からの発見を、理科の観察にも力を発揮しそうです。

鑑賞会に参加し実際にやってみて、 美術の教育の「観る」という行為を新しく定義することができる可能性を強く感じました。講座に参加するまでの僕は、美術館でなんとなく絵や彫刻を眺めて、きれいだなとか変だな、などとぼんやり思っているだけでした。デザインの仕事をしているような僕ですら、観ることに無頓着だったのです。

これからは美術の教育のやり方を少しずつ変えていって、子どものころから「観る」という能力を鍛えることで、社会にもっとアートが広がって豊かな生活が送れるようになっていって欲しいと思います。

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