1. おじいさんのナンパについて行っていれば・・・
最寄り駅のバスロータリーで寒空の下、イヤホンをして音楽を聴きながら友達を待っていた時に、おじいさんに話しかけられたことがある。何か困っているのかなぁ。と思い、イヤホンを外して「あ、はい?」と聞き返すと、おじいさんは日没直後の夜空に浮かぶ黄金色の月を指差して言った。
「お嬢ちゃん、今日は月が綺麗だねぇ。でも、君の方が綺麗だけどねぇ」
そして笑顔でこう続ける。
「そうだ! ジュースでも買ってあげよう」
なんだこの元気すぎるおじいさんと、古い小説みたいな口説き文句は。あまりにもくさいセリフでおかしい気がするのだが、実話である。
ちなみにそのジュースだが、せっかくだしそこはお言葉に甘えて奢ってもらおうかとも思ったのだが、友達との待ち合わせ時間になっていたため断ってしまったのだ。
しかし、だ。
もしもあの時、ジュースを奢ってもらっていたら
「ほら、好きなのを選んでいいよ」
駅前の自動販売機までやってきたおじいさんは、嬉しそうに言う。
「えーっと、どれにしよう。迷うなあ」
私は優柔不断で、あったかいカフェオレとコンポタで悩んでしまう。すると、おじいさんは黄金色に輝くカードを財布から取り出して、こう言うのである。
「じゃあ、自動販売機ごと全部買ったらいいじゃないか」
「え、何を言って・・・」
私が半笑いで言いかけた時、黄金色のカードがおじいさんの手から離れてその頭上に浮かび、みるみるうちにサラサラの金髪となって、白髪頭に覆いかぶさる。そしておじいさんは、にょきにょきと背が高くなり、肌はきめ細かい真っ白に。その服は色あせた赤のダウンベストから、黒のロングコートへと変わっていた。
「さ、坂口健太郎!?」
「冗談に決まってるじゃん。自動販売機ごとなんて無理だよ」
おじいさん、もとい坂口健太郎は自動販売機に歩み寄って、カフェオレとコンポタのボタンを押す。
「この2つで迷ってたんでしょ」
そう言って私の頬を2つのあったかい缶で挟み込み、こちらを見つめてくる。
「ありがとうございます・・・」
恥ずかしくなって俯きながら缶を受け取ることしかできない私。そして、顔を上げると彼は、もうそこにいない。
という、夢のような展開が待っていたはずなのである・・・。あの時素直にジュースを奢ってもらえばよかった。