経営者の孤独
会社を手放したときの話についてお聞かせください。我々の仲間で、インテリジェンスを立ち上げた高橋広敏さん(現・テンプホールディングス副社長 COO)は、東証に上場後、社会のいろんな変化の中で解雇、リストラの責任も負いました。その後、彼が僕に語った言葉に「いまでも毎晩、辞めてもらわざるをえなかった人とその家族が、自分の死後、地獄で鬼になって俺を責める、という夢を見るんだ」と。
経営者の孤独ってのは、それはよくわかる。そこは逃げられないよね。それは 高橋さんだってよくわかっていると思う。とにかくリストラはつらい。
講演でも、その
事業というものは、時代や需要からの要請に応じて、供給や作業量を調整していかなくてはならないものなので、景気がいい時もあれば、悪い時もある。んで、ライブドアショックのような、いわゆる「天災」のようなことも、零細企業にだって災禍がふってくる。
なるほど。
もう、そうなっちゃうと、責め苦を受け入れざるを得なくなる。僕はリョーマを興したあとの、ダイヤルキューネットワークのときに、いちど事業の突然死を経験していたので、その後興した日広では、二度とやるまい、と、いつも景気の
事業の突然死、原因には政府の急な介入というものもありますよね。
でも、2006年を乗り切った会社が大多数だったから、それは経営者としての僕の力量不足、としかいえないわな。景気の趨勢にあわせた雇用の整理は理に適っている。実に合理なんだわな。でも、情緒の部分というか、人間として、それはしんどい。できる限り、そこのハードランディングはさけたい。それはみんなそうで。そう意味で経営者はみな神様というか、大きな意思に試されてると思うんよ。
熊さんは、ダイヤルキューネットワークが破綻する前後に知り合ったんだけど、僕らが東京ではじめたダイヤルQ2の会社って、当時のダイヤルQ2の大騒ぎの渦の中心にあった会社で、とにかく面白そうなムードというか匂いを世の中に振りまいてたんだと思うんだよね。僕らはリョーマの経験で、匂いを放ったことでその濃度を強めてくれる人がさらに集まれば、その薫りに気づいた人々が更に集まってくるってことを体で知っていたんだと思うんだよね。熊さんとはそんな流れで知り合って、その後、僕が日広を創めた当初からのお得意の一社になってくださってました。
熊谷さんとわたしは、88年に出会っています。そのころは神楽坂で、ディスコなどいろんな事業をされている地主の御曹司で、やたらにかっこいい人でした。いまもかっこいいですけどね。
異常に身を投じる
いよいよ本題なのですが、86年、加藤さんは真田さん、西山さんとの出会いがあり、異常な人たちに混じって活動を始めました。僕もそうです。30年前に結成されたリョーマとSYN。ちょっと前に書かれたものですが、この方のブログに詳しいですよね。
今から約25年前、
大阪にはリョーマがあり、東京にはSYNがあった
出典:大柴貴紀さん(インターネット界隈の事を調べるお)
出身者がほとんどオーナー社長か上場会社役員になりました。唯一傍観者の道を選んだ私を除いてですが。
本書では、異常な集団に入っていき、そのまま朱に交わってしまえ、って煽ってるわけだけど。
すると、まるでカルト宗教みたいに、常識が上書きされて「普通」になってしまうんだ、という話からこの講演は始まりますね。
勝手に名刺つくって、交通費は自腹とか、時給は基本なしでって、がんがん働き始めるんだよねえ。で、「けどなんか違うなこれ、と思って、ちょっと参加したけど、すぐにそれぞれの普通の世界に戻っていった人」もいるわけで。
「けどなんか違うな」、これ、僕ですね。僕も異常に身を投じて、全力でやってみたんですよね。高橋広敏(インテリジェンス創業者、現・テンプホールディングス副社長 COO)、玉置真理(ザッパラス代表取締役会長兼社長)、川田尚吾(DeNA共同創業者、現・エンジェル投資家)に前後左右を囲まれて。
いまでもみんな仲いいんだけど、そのときはもう、起業への熱狂は深まりすぎてて。みんな本気で「ここにいる全員がそれぞれ東証一部に上場する」って言うてましたからね。本当にそうなりましたけど(笑)。僕は、そんなわけねえだろう、もうついて行けないなと。
どう考えても そっちが普通だしねぇ。それにまわりが止めるよね。どうもおかしいからって。ここで著者として祈るような気持ちになるのは、「頼むから、妙な集団には入らないでね」と。新宿の駅前でアフリカへの寄付を募っている集団とか(笑)。
わはははは。
そこは自己責任でお願いしたい。
おなじ異常な集団に身を投じるならそっちにはいくなと。
自分を高める集いと、自分を貶める集いがあるわけですな。で、それを見分けるひとつの方法として、後半に書いたのが、「成長の尻馬」にのってほしいんや、ということです。