一通り準備を終えたのか、鬼たちは全員立ち上がり、一斉に「おはよごっざまーす」と言いながら一礼した。再び座ると、いかにもリーダー格の、カーディガンを首に巻いて、虎柄の短パン、革靴で鬼の中ではイケてる感じの鬼が仕切りはじめた。
「ええー、では、月末に使用するセミナーチラシの進捗状況なんだけど、お前どんな具合?」
とR110,G255,B255くらいの非常に腹が立つ水色をした鬼を指差して聞いた。
「取り急ぎ3案、出してみました」
糞水色鬼は自慢気に言うと、クリアファイルから紙束を取り出し、隣の鬼に手渡し、それはじゅんぐりに1部ずつ回された。鬼たちは何も言わず、配られた紙に目を落としていた。
少しの間沈黙が続き、リーダーがそれを破った。
「なんか、イメージと違うかな」
「もっとこう、ラグジュアリーになんない?」
そう続けていると、他の鬼も
「確かにそうっすね」
「やっぱ今っぽい感じのほうがいいっすよね」
などとご意見を述べだした。
「それでしたらC案をベースにここをこうして・・・」
珍奇な水色をした鬼は、MacBook Airの画面をリーダーに向ける。リーダーは腕を頭の後ろで組みながら後ろに90度反り返り、やる気のない声で言った。
「もっと、シンプルで、目立つやつ、ないかな」
R110,G255,B255くらいの鬼は、みるみるうちにR205,G28,B90あたりへと変色し、「ぼんっ」という音を立てて爆散した。
飛び散った鬼の心配をするわけでもなく、他の鬼たちは相談をはじめた。
「あーあ、デザイナー飛んじゃったよ」
「どうする? 外注?」
「こんなデザインじゃなあ・・・」
リーダーの鬼は持っていた紙を放り投げた。その紙は、雨上がりの夜空をひらひら舞って、おじいさんの足元へと着地した。
その紙を拾って、創英角ポップ体が踊る「鬼の不動産セミナー『今日からできる相続税対策』」と字詰もろくにできていないタイトルを見た瞬間、おじいさんの心の中で、何かが灯った。
「修正したい。今まで修正は大嫌いだったが、これほどまでに酷い初案を見たのははじめてだ。デザインに対する冒涜だ。今、目の前のクライアントが困っている、わしはデザインを修正したい。Win-Winじゃないか」
そう思っておじいさんは鬼の前に飛び出そうと、一歩前へ進んだ。が、寸前で思いとどまった。「でも、どう考えても地雷案件だよね。何度修正依頼が来るか分からない。ここはまず見積もりを制作して備考欄に修正回数、対応への注意書きを書いてから営業をかけたほうがいいんじゃないか。でも、それでも・・・」おじいさんは葛藤した。
おじいさんは醜いものが許せなかった。それは彼のコンプレックス、こぶにも由来している。醜い顔だと虐げられてきたぶん、美しさには人一倍敏感であった。短納期、低予算の割に合わない仕事でもしっかりこなし、納期に遅れたこともない。ギャラの振り込みが遅延しても、笑顔で対応してきた。それもこれも、デザインが好きだからである。そして今、おじいさんの醜いものに対する怒り、哀しみ、そして慈しみの感情は頂点に達していた。
「外注っつっても予算ないでしょ。お前さ、エクセルでちゃちゃっと作っちゃってよ」
リーダーの無茶な指示が聞こえてから、ほんの数秒後には「地雷案件でも仕方ない。鬼に殺されてもいい。このまま酷いデザインのフライヤーが世にでるくらいなら、もう、出張校正しかない」と熱いフィーリングを原動力に、おじいさんは鬼たちの前に躍り出ていた。
機先を制された鬼たちは、おじいさんの登場に一瞬怯むも、すぐに全員立ち上がり
「なんだコイツは!」
「アスクルか!」
「たまに明後日くるじゃねえか!」
と凄んでみせた。おじいさんは死を覚悟してその場に座り込み、バッグからMacBook Proを取り出し、電源を点け、PhotoshopとIllustratorを起動し、210✕297mmの新規ドキュメントを作成し、ガイドを引き、おもむろに作業をはじめた。
おじいさんが長年培った作業速度にはすさまじいものがあり、キーボードショートカットを駆使してどんどんデザインを組み上げていく洗練されたしなやかな動きは、まるで踊っているかのようであった。
この夜、おじいさんの頭は冴えに冴えていた。CMYKを直打ち指定、オブジェクトを1mm、1pxもずらさず目分量で作成する傍ら、右隣の鬼にGraphicとバンフー、プリントパックの見本紙を渡したかと思えば、同時に4日納期で各社に見積もりを取りながら、左隣の鬼に配送先をメールで送れと名刺を渡すなど、マルチタスクを神速でこなしていた。
あまりの速さ、そして動きの優雅さに、最初はいきり立っていた鬼たちも「なんだなんだ」とおじいさんの周りに集まり、腕組みをしながら作業を見守っていた。