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(2)「アゼルバイジャンから来ましたっ!」【連載】酒場の名言集

加藤広大 加藤広大


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飲み屋には2種類のおっさんが存在する。出禁になっている面倒くさいおっさんと、出禁になっていない面倒くさいおっさんである。平素、出禁となっているおっさんは飲み屋の暖簾をくぐることは出来ないのだが、満月の夜や冷たい風が吹く日、しとしとと雨が降ってちょっぴり人恋しい夜には、自分が出禁であるのを忘れてしまったおっさんが、ひょっこりと顔を出すことがある。

そもそも、おっさんはなぜ出禁になるのか? というおっさん出禁問題については、ツケを払わなかったり、突如気が狂ったかと思うほどの奇声をあげたり、他の知らない客に絡んだりして、店員や他の常連から「あ、めんどくさいおっさんだなあ」と思われ、そのめんどくさいおっさんポイントのようなものが蓄積すると、見兼ねた店の責任者より「もう来ないでくださいまし」と額に「出禁」と書かれた護符を貼られ、ある人はしょんぼりしながら帰り、またある人は、
「こんな店二度と来てやるか!」
と吐き捨てて退店するのだが、後者は大体翌日また来る。

このような迷惑行為は白昼堂々、素面でこれをやったらどれもお巡りさんに逮捕され兼ねない行為であり、出禁ぐらいで済ませてくれる飲み屋というのは無粋な、無礼な人に対しても随分と寛容な場所なのである。だから私たちはその慈悲に対して「こんな僕でも受け入れてくれてありがとうございます」と日々感謝をしながら謙虚な姿勢で滂沱滝流るるごとく涙を流し、戸川純を聴きながら背を丸めて飲酒しなければならないのだ。そして神々しくも忌々しい朝日に目を潰されながら、ある人は仕事に行き、ある人は寝床に帰り、行き場の無い人は千鳥足でまだ飲める店を探す。
 
さて、大学が無いのに学芸大学という街に、偏差値はどうあれ頭の悪そうな酔っ払いが集まるバーがある。正しくは、みんな酔っ払っているがために頭が悪くなっているバーがある。

今にも倒れそうな一軒屋を改装したそのバーは、女の尻を描いて35年という墨象画家が運営している。開け放たれたままのドアを入ると、左側に風呂場を改装した開店以来1組も利用したことがない、生々しい亀の剥製が置かれた風呂桶を改造したテーブルと、黄金色に輝くスケベ椅子を配したカップル席があり、それを尻目に急な階段を昇るとメイン飲酒会場に到着する。壁一面に1畳強ほどのキャンバスに墨で描かれた、力強い筆致の女性の尻絵がぐるりと配置され、ハッテン場で有名な海岸で拾ってきた綺麗な貝が敷き詰められたカウンターには背の無い椅子が5脚、後ろを見るとソファーベッドが3脚あり、その間に置かれた古いトランクがテーブル代わりになっている。床の間には68本のトリスの瓶を粉々にした破片で創ったオブジェが一体、女豹のようなポーズをとりながら、ひときわ存在感を放って鎮座ましましている。ちなみに3階には「尻の間」というものがある。

カウンターの中に座る店主は、長身でダボや鯉口を着用し、墨汁やペンキの飛沫がいっぱいに付着したカーゴパンツに地下足袋というのが一張羅。一見強面だが、博識で話も面白く、客の誰よりも大酒飲みで、そして時々寝ている。そういえば俺が初めて会った時も寝ていた。無理やり起こして飲ませてもらい
「俺は吉祥寺でトム・ウェイツの生演奏を見たことがある」
と言い張っていたのが面白くて翌日も飲みに行った。それ以来通いつめて、飲みに連れて行ってもらったり、金が無い時は内緒で安く飲ませてもらっていた。俺にとって兄貴分だったり、親父代わりのような人である。

で、店主もこんな感じなので、やっぱり客層もアクの強い酔っ払いが集まる。近所のサウナに住んでいるテレビのプロデューサー、一発ギャグが寒いコピーライター、悲しいことがあると道路標識を曲げる筋肉自慢、プロの無職、オネエ言葉のコンビニエンスストア経営者、仕事は機密事項だと言い張る自称公務員、変態美容師、自分の服がヤバいスタイリスト、真面目な画家、作品の無い作家、サックス吹き、幕末志士の末裔から自称スパイ、ヴァンパイアのようなお姉さんからワケありの人妻、そして時折迷い込んでくる一見さん……。様々な人生と色んな理由が、カウンターを囲んで、切れそうな電球のようにパチパチッと、それぞれの色で輝いていた。

しかし、いくら個性的だと言っても、人が集まるところにはルールが存在する。人様に迷惑をかけないという単純な規則が守れない無粋なお方は、このような癖のある客の間でも嫌厭されるものなのである。

この店にも、そんなルールが守れない森山さん(もう面倒くさいから本名でいいや)という自称映画助監督が居た。小太りでひよこの毛みたいに柔らかそうな白髪をたたえたそのおっさんは、来るたびに隣の客に大声で絡み、女性と見ると、なぜかそのひよこ頭をぐりぐりと相手の胸元に押し付けるのが趣味だった。そしてだんだんメガネがずれていく。俺もよく
「にいちゃん! イカしたシャッポ被ってんじゃねえかよ、お前みたいな若い奴には分かんねえだろうけど映画っていうのはなあ」
と絡まれたものである。そして映画の話といえば大体「ゴッドファーザー」と「地獄の黙示録」の話を延々とするのだが、どうも過度の飲酒により記憶が破壊されているらしく、ストーリーが間違っていることが多かった。特にゴッドファーザーは、パート1から3の話が全てごちゃ混ぜになり、ある意味壮大な別のマフィア映画になっていた。

来るたびに大声で知らない客に絡み、ツケをしだすも一向に支払う様子を見せない森山さんに、カウンターのこちら側も向こう側も、最初はしょうがねえ酔っ払いだなあと付き合っていたのだが、やっぱりこりゃ付き合いきれねぇなっつうことになり、かくして森山さんには出禁勧告が出されることとなる。

しかし、出禁にされたと言っても過度の飲酒により記憶が破壊されている森山さんは、出禁という単語がすっかりと忘却されているのか、時折階段脇からぬっとひよこ頭を突き出し、店に現れた。その度に店主が
「ごめん! 森山さんだめなんだ」
というと、何も言わずにゆっくりゆっくり、突き出した頭を引っ込め、階段を降りて帰っていくのであった。

そんなことを数度繰り返すうち、やっとのことで脳のどこかに「出禁」という聖痕が刻まれ、自分が出禁であると理解したのか、しばらく見なくなったある日のことである。小雨が降りしきる寒い夜、俺は非常に頭の悪い話をしながらカウンターで飲んでいた。匂いを嗅ぐだけで頭痛がしそうな濃いウーロンハイを飲み過ぎた結果、利尿作用が加速されたので、便所に行こうと急な階段を降り、良い気分で口笛を吹きながら用を足し「そういえば今なんの話してたんだっけな」と考えながら外に出ると、なぜか頭から血を流した森山さんが真顔で階段に座っていた。

俺は「うわあ、でたあ」と思い
「あのー、森山さん大丈夫っすか?」
と声を掛けたのだが、だいぶ泥酔していらっしゃるらしく、いつもの調子で
「ダイジョウブッ! ダイジョウブッ!」
とかなんとか、出来の悪い妖怪のように言っていたので、とりあえず報告しようと2階へ上がり
「あの、森山さん下で血ぃ流して座ってるんですけど」
「なにそれ怖い」
「一応救急車とか呼んであげた方がいいんじゃないですか」
などと話していると、階下からゆっくりと、階段がギィ……ギィ……。ときしむ音が聞こえた。「ヒィィィ」と戦慄する一同。「ああ、このまま森山さんが出禁の復讐だとか言って、大殺戮が始まったら困るなあ、この異常に濃いウーロンハイが人生最期の酒なのはちょっといやだなあ」と考えていると、森山さんはついに2階に辿り着き、半身を階段脇からぬっと出し、流血するひよこ頭を気にもせず一拍置いたあと大声で

「アゼルバイジャンから来ましたっ!」

と叫び、場は完全に沈黙。わずかな間のあと、真顔に戻るとゆっくりゆっくり顔を引っ込め、階段を降りて行った。恐怖に怯えていた酔客一同も、身の危険は無いと分かると徐々に冷静さを取り戻し
「あれは一体なんだったんだろう」
「ロシアの辺りだよね、アゼルバイジャン」
「そういえば半袖だったよねこんな寒いのに」
などと今起きた事態について会議が開かれたのだが、結局なぜ流血していたのか、なぜアゼルバイジャンなのかという答えは出ず、再び飲み屋特有のどうしようもない話を繰り広げ、店主が寝落ちしたところで、各々これくらい飲んだろうという金額をカウンターに置き、その日はお開きとなった。

店の外に出て、まだ冷たい小雨が振り続ける帰り道、大通りを抜ける途中ふと脇道に目をやると、背中を丸めてとぼとぼと歩く森山さんらしき黒い影が揺れていた。

その後、森山さんの姿を見た者はいない。

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