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(1)「プログレェ……なめんなよっ!」【連載】酒場の名言集

加藤広大 加藤広大


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仕事に疲れていつものお酒、疲れてなくてもいつでもお酒。人生上手くいかなくても、酒があれば大丈夫。ガッパンガッパン呑んで、全部忘れる。嬉しい時も、呑まなきゃ損々。より一層、心を気持ち良くしてくれる。それがお酒、それを出すのが酒場。バーテン、お酒作る人。俺、お酒飲む人。つまみはカキピーで、心はピーハツで。でも、YAZAWAはどうかな。

てなことをブツブツ言いながら恵比寿を練り歩き、いつもの酒場に到着する。

店はいわゆるミュージック・バーというやつで、鉄とコンクリート、時代の付いた木材で造られた店内はカウンターが15席ほど、テーブル席が2つ、レコードが3,000枚くらい、店員は3人。キープボトルを出してもらいオーダーを伝えると、目の前にカリラのソーダ割りが入ったグラスが置かれる。視線をバーテンの奥に向け、バックバーに目をやると、トロワ・リビエールが並んだ棚の壁にホレス・シルヴァーのアルバムが2枚、色違いのジャケットで左上を指差していた。真鍮の灰皿には火を点けたばかりの煙草が1本。

酒と音楽の相性はどの肴よりも勝るもので、これまた時代の付いたタンノイから溢れる名曲の数々は、ブルース、ジャズから古今東西のロックまで、まるで日立のビーバーエアコンのように、店内の隅々まで優しく、少し懐かしくも感じる心地よい音の風を届けてくれる。

優しいヘレン・メリル、優しいジョニ・ミッチェル、ああ、優しいジョン・レノンも聴こえてきたよと思ったら後ろから甲高い声を上げるカップル1組2名様。

「ご退店願えねえかな」と思って猛り狂ったアルパカのように、耳をやや後ろに向かせて会話を拾ってみると、どうやら癪に触る声を所持する男子が連れの女子を口説いているらしい。今流れている曲を得意げに説明している。口説く、いいね。青春だね。羨ましいね。頑張って気を惹こうとしてるんだね。よし、俺もう許したよ。でも、今かかってる曲は君が説明しているオアシスじゃなくてザ・ビートルズだよ。

音楽と共に聴こえてくる他所の話に心の中で突っ込みながら、空になったグラスに氷を入れる。カリラを注いでマドラーを回し、良く冷やす。ウィルキンソンのソーダを注ぎ足していると、ターンテーブル上空に安置されているプロジェクターから、エマーソン・レイク&パーマー「Tarkus(タルカス)」のライブが映し出された。

タルカスをご存知ない方のために説明すると、エマーソン・レイク&パーマーというプログレッシブ・ロックバンドが1971年に発売したセカンドアルバム「Tarkus」の表題曲で、アンギラスっぽい上半身とマーク1戦車のような下半身を持つ想像上の怪物(怪獣)タルカスくんが、火山の中から現れ。この世の全てを破壊し、母なる海に帰って行くという壮大なお話で、設定も壮大なら曲の尺も壮大で、その長さは20分を超える。そしてライブバージョンはもっと長い。

いきなりはじまる雨霰の変拍子「すごい演奏上手い、すごいシンセサイザー」と感心しながらも、唸りを上げて逆巻く波のような展開と、次々とキメッキメのリズムを叩き込んでいく超絶演奏を聴きながら「この曲はいつ終わるのだろうか、もしかしたら閉店まで終わらないのではないだろうか」などと、当時そこまでプログレに興味が無かった俺は、今後の身の振り方を考えながら、ふと何気なく後ろに目をやると、1組2名様のカップルは完全にタルカスくんに精神を破壊され、無言となっていた。合掌。

ところで、俺はトイレが近い。どのくらい近いかと言うと、酒が入ると25分に1度くらいは行きたくなる。当然この曲の途中にも2回ほど壮大にトイレに駆け込んだ。

トイレのドア越しにうっすらと聞こえてくるキース・エマーソンのシンセサイザーが、音がくぐもったため若干しょぼくなり、ふと昔、特撮映画で聴いた効果音を思い出させる。「思えば遠くへ来たもんだ」と少々センチメンタルな気持ちになり、遠い目をしながら棚に飾られたデヴィッド・リンドレーがプリントされたマグナムボトルを眺めていた。

トイレから帰還し、椅子に座ると煙草に火を点け「まあ、この曲がいかに長かろうと、DVDは約2時間、遅くともあと1時間後には終わるはずだ。でも、もし豪華10枚組ボックスセット初回限定生産版だったらどうしよう」と再び今後の身の振り方を震えながら考えていたが、この辺りで耳慣れしてきたのか、段々カッコよく感じて来てしまった。聴いたことのない、聴きたくない曲が聴ける。そしてそれを好きになることがある。知識が増える。嬉しくなるし、楽しくなる。だから俺は音楽を流す酒場に通うのだ。金の続く限りは。

そうこうしていると、ひとしきり破壊を終えたタルカスくんが母なる海へと帰るかのごとく、風呂敷を広げに広げた演奏は見事に終幕に向かって収束し、映像は残響を微かに残しながら終了した。そして、音楽をセレクトしている店員が次の曲をかけるためにレコードに針を落とし、しばしの余韻が流れたその瞬間のことである。突然、横に座って居た知らないおっさんが顔をぐるっと俺に向けて

「プログレェ……なめんなよっ!」

と吐き捨てたのである。

今まで聴いていた壮大な音楽と、突如自分へと向けられた若干関西弁の入ったおっさんの口調のミスマッチに、俺は思わず笑ってしまい「へ! そんなことないっすぅ!」と、目の前にあるウィルキンソンくらい気の抜けた返事をしてしまった。

いつもなら「今宵もまたおっさんに絡まれるのか、俺も年長者になったらバーに居る若者に、今までおっさんに絡まれて嫌だったことを全てやってやる。わはは」とか思いながら仕方なく絡まれるのだが、声の掛け方があまりに面白く、絶妙なタイミングだったのと、不思議と面倒臭くなさそうな感じであったので、ここはひとつおっさんと楽しく喋ってみようと思い立ち、まずは

「プログレってしっかり聴いたことないんですけど、このバンドはどういうバンドなんですか?」

と聞いてみたところ、思いもよらずとんでもなく豊富な知識で返されたため、おっさんの長くも濃いプログレレクチャーが終わる頃には授業内容をほぼ忘れてしまい、『世の中にはエマーソン・レイク&パーマーと、エマーソン・レイク・アンド・パウエルというバンドがある』ということしか記憶に止めることができなかった。その後、俺も割と酒が入り、先ほどの「プログレェ……なめんなよっ!」とは一体全体何だったのかと問いただそうとしたあたりで、おっさんは唐突に腕時計に目をやり

「おっ! ほな、お先に!」

と、手早く会計を済ました後、俺に手を差し出し、大きな手で固い握手を交わし、颯爽と店を出て行ってしまった。ちなみに、後日再び出くわした時には、顔は認識されていたものの

「お前の好きな音楽……言うてみぃ!」

と質問されて

「ジョニー・キャッシュとトム・ウェイツ、あとクラッシュです」

と返すと

「バラッバラやな……」

と言われるやりとりを3回ほど繰り返すという、酔っ払いならではの様式美を披露していただいた後、やっと個人として認識されたのか、今となってはとても良くしていただいている。こうして、酒場の知り合いは増えていく。

さて、今日もたくさん呑んだなあ、明日は多分二日酔いだから、明後日から頑張るかあ、でも明日酒呑む予定があったなあ……富士そば行こうかなあ……と心中で会議をしながら会計をして店員に一礼、ドアに向かいながらふと後ろのテーブルに目をやると、カップルは跡形も無く消え去っていた。

俺がおっさんと話している間「もっと静かなところ行こうぜ、そしておれのiPod聴こうぜ」とか言って自宅に誘い込むかラブホテルにでもしけ込んだのだろう。うらやまし。とブツブツ言いながら千鳥足で帰った。富士そばに行く途中、ふと見上げた月は涙で滲み、足元を見れば路面が酔っていた。

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