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息子よ、オチを磨け【連載】松尾英里子のウラオモテ

松尾英里子 松尾英里子


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明るく元気で、願わくばコミカルな子どもに育って欲しい。

もちろん他にも、歯磨きの時に泣かないで欲しいとか(あなたの為なのよ!)「モミモミ」と言いながら、私の二の腕をつねらないで欲しいとか(ぷよぷよで、触り心地がいいことは認める!)、ちゃんと白米を食べて欲しいとか(米よりパンが好き)息子に対する短期的な希望は山ほどあるのだが、基本的には、明るく元気で、できたらコミカルに、ということを望んでいる。

コミカル・・・こっけいなさま。おかしなさま。【広辞苑】

この言葉は時に批判や皮肉を含んで使われることもあるが、ほとんどの場合、根底に好意や愛情をもって使われているように感じる。私は、比較的、好きだ。

ところで、なぜ私がこんなに「コミカル」にこだわっているか。そこには、面白いことを言える人、できる人への憧れがある。はっきり言って、私は面白くない。何か話の流れで冗談を思い付いたとしても、これを言っても全然面白くないのではないか、かえって場がシラけたらどうしよう、誰かを傷つける発言だったらどうしよう、と、まあ、想像しうるあらゆるネガティブな展開を、短時間の内に脳内に繰り広げてしまう。そうしている内に発言のタイミングはあっという間に過ぎ去る。時にはまったく同じ冗談を別の誰かが言って、場が盛り上がったりすることもある。そんな時はひとりヘラヘラ笑いながら、「今のは言うべきだったか」と内心へこんでいたりする。「ポジティブさん」と見せかけて、かなりの「隠れネガティブさん」であると自称している。

そんな「隠れネガティブさん」な私にとって、みんなとの会話の中で悪意のない笑いを生み出せる人は尊敬に値する。お笑い芸人や落語家に漫画家、その他、笑いを生むことを仕事にしている全ての人を心から凄いと思う。そもそも、その仕事に就こうと思い一歩踏み出している時点で、それは大きな勇気だ。ただただ感服する。本来、笑うことは色々な生き物の中で特にニンゲンに許された素晴らしいもので、敢えて意図して笑おうとしなくても、自然発生的に沸いてくるものかもしれない。でも、それに加えさらに誰かの笑顔を引き出せるなんて、やっぱりステキだと思うのだ。そんなことから息子にはコミカルであって欲しいと願うようになった。面白おかしく、周りを盛り上げ、楽しませる人になって欲しい。そうするための術を身につけて欲しいと思う。でもどうしたらそんなふうになれるのだろうか。私は親の教育や周りの環境が影響するのではないかと思っている。

例えば、関西の人。
色々な意見があると思うが、私の中では「面白い人=関西人」が成立している。そう言うと関西出身の友人たちは口々に「それは大いなる間違いだ。単なるレッテルにすぎないし、それに苦しめられる面白くない関西人が大勢いる。」と言う。でも実際、私の友人たちは皆面白い。間がいい。言葉のチョイスがいい。悔しいくらいに、面白い。そんな彼らにどういう育ち方をしてきたのか聞いた。すると「『んで、オチは? 』とすぐ聞かれる」「オチのない話はしない」「学校でも家でも、オチまで考えてから話をする」などという、やたら「オチ」というワードが目立つ答えが多かった。今回話を聞いた友人たちの多くが大阪出身だったので、もしかしたら関西といえども地域差はあるかもしれない。でも、いずれにせよコミカルな子を育てたい私としては非常に興味深い答えだ。

「オチ」を意識し、そこへ向けて会話をスタートし、帰結させる。彼らが幼い頃から会話の構成能力や話術をビシバシ鍛えられてきていたことがうかがえる。いわば、長期にわたるトレーニングみたいなもので、私のようにぬぼーっと特にオチなど考えることもなく生きてきた人間がすぐさま真似できるような簡単なものではない、と改めて感じた。ということは、息子や娘にも常日頃から「オチ」を意識した会話をすれば面白い子どもに成長するということだろうか。友人の家庭に倣い「んで、オチは?」と聞いてみたり、オチがなかったら「オチないんかい!?」と、どってーんと椅子から転げ落ちてみたり、コントさながらの生活をしてみたらいいのだろうか。そうしたら、きっと将来どんな場でも笑いを生み出すコミカルな人に成長・・・んんん~。しないか。

気になることがある。
親の口癖は子どもにうつる。最近やたら息子が「たしかに~」と言うので(しかも全然「たしかに~」じゃないシチュエーションで)不思議だなと思っていたら、どうやら私自身が「たしかに~」とよく言っていた。さらに、里帰り出産をしたのでしばらく地元の群馬にいたのだか、息子はその間にしっかり群馬弁をマスターしていた。そう。口癖も方言も、話し方も態度も、色々なものを子どもは真似ている。

ここで、ぴかーん! と来た。

つまり親である私自身が明るく楽しく(なるべく)コミカルにいたら、もしかしたら子どもも同じ様に、明るく楽しくコミカルに育つかもしれない。「こうなって欲しい」と思うなら、まずは自分が同じ様にするってことだ! 面白くない私にコミカルとは中々のハードルの高さだが、自分が出来ないことを子どもに期待するのはわがままってもんだ。よし、せめて明るく楽しい親であろう。今回はなんだか妙に前向きになった、隠れネガティブな私。今、どこか晴れ晴れとした気分だ。んで、オチは・・・ごめんなさい、ありません!!!

では、また次回!

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