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「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」かつて、神話になった少年たちへ

ハマダヒデユキ ハマダヒデユキ


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シン・エヴァンゲリオンを、見届けてほしい。


出典:映画.com

ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズの完結編、もうご覧になったでしょうか?

まず、僕は泣きました。

こんな泣ける映画があるのか。こんな震える映画があるのか。こんな凄い映画があるのか。こんな見事な結末があるのか。

まだ観てない、そんなあなたに言いたい。今すぐその眼で観てほしい。そしてあなたの想いを語ってほしい。

終劇

……え、ここで筆を置いてはいけませんか?

いや、まだ観てないなら、今すぐブラウザバックして映画観てきてください。あらゆる情報が解禁された今もなおネタバレを見ていないあなたは、いろんな想いで身構えているかもしれません。が。

安心してください。

どんな映画か・どんな結末かはここまでは言えませんが、僕は見終えた後、客席で拍手しました。この「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」は、そんな素晴らしい傑作です。

さあ、もう一度言います、まだ観てない人は劇場へ。

ここから先はネタバレ全開の長文ですよ。

準備はできましたか? できましたね? それでは、よろしくお願いします。

さあ、まごころの先へ。

 

 

シン・エヴァとは、明瞭。そして王道。

まずシンエヴァの凄いところはズバリ。わかりやすい事。

もう何回も見たくせに未だに信じられません。もう一度言います。あのエヴァがわかりやすいのです。

ストーリーが謎、世界観・用語が謎、誰が敵なのか味方なのか、そもそも何が起きているかが謎。もはや「エヴァは難解」は国民の一般常識になっていました。


出典:Amazon.co.jp

先ほども書いた1997年公開の「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」(以下、旧劇場版)はまさにその象徴です。

この作品を一言で表現するのはとても難しいのですが、「TVシリーズで味方だったはずの組織『ゼーレ』が主人公たちに襲いかかって世界滅亡が目の前。なのに、登場人物の思考・視線・行動が全てバラバラ!」という地獄すぎる状況でした。


出典:IMDb


出典:IMDb

しかもその合間合間に難解用語、過激表現が乱発。

「今何が起きているの? この人たちは何を叫んでるの? というかどうしたらこれ終わりなの?」を初見の観客がほぼ把握できないまま、映画は幕を閉じてしまいます。

しかし本作では、それがとてもわかりやすい。

ストーリー展開が理解できる。伝えたいメッセージが伝わる。

「え、今の用語一体何?!」という従来の難解さも所々にはあるのですが、それでもわかりやすい。この最終章が初見でほぼ理解できる事実は25年間、エヴァンゲリオンに付き合ってきた方にはとても衝撃的なことだったと思います。

まずそのわかりやすくなった理由が、ノイズが除去されていること。


出典:映画.com


出典:Amazon.co.jp

前々作である「エヴァンゲリオン新劇場版:破」(`09)でTVシリーズの敵・使徒の主なメンバーが概ね退場しており、前作の「エヴァンゲリオン新劇場版:Q」(`12)以降では物語の主軸から離れています。

さらにQの時点で、旧劇場版の強敵・ゼーレも退場。

これにより敵対する存在が、ゼーレにとどめを刺した父・ゲンドウのみとなります。そのゲンドウに挑む前に本作では主人公・碇シンジ君に休暇を与えています。


出典:IMDb

TVシリーズ初回から急に初号機に乗せられて、「なんでこんな目にあうんですか!」と14歳としてごく当たり前の気持ちを吐いても「出撃しろ」と却下させられてきたあのシンジ君にです。彼にゆっくり自分と向き合う時間を、上映時間2時間35分のうち60分も与えている。こんな展開は、今までのエヴァにはありえないことでした。

おかげで旧劇場版ではいくらエヴァに乗れと言われても「もうやだ。死にたい……」を連呼していたあのシンジ君が自身の整理整頓ができた状態で後半は展開。こうした段階を踏んだ運びにより「やっぱり乗りたくない……」というノイズが出ずに最終決戦が始まります。これによりシンジ君・ヴィレが同じ方向を見て話が進むため、観客にとても観やすくわかりやすいのです。


出典:IMDb

世界を滅ぼそうとする父に、息子と仲間達が立ち向かう……このような王道展開が、繰り広げられる「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」。

さらに驚くべきことに、本作でダースベイダーたるゲンドウがその内面を徹底的に語ります。なぜ今までシンジに対し冷酷な行動を取っていたのか・自身の行動原理はなんなのかを幼少期の頃からの趣味・嗜好・苦悩にいたるまで惜しむことなくスクリーンで赤裸々に語っているのです。今までの無口は何処へやら、

「いや、そこまで明かさんでいい!」

というレベルまで腹の内をさらけ出しています。


出典:IMDb

過去作でも「息子・碇シンジの父親に対する負の感情」「父・碇ゲンドウが冷酷そうに見えて実は繊細な内面の持ち主」という描写はちょくちょくありましたが、お互いにほぼコミュニケーションを取らない冷戦をひたすら繰り返すばかり。

それが25年ぶりにきちんと殴り合い、そして心から語り合う。長年のファンにとっては見ていて、とても気持ちいいのです(ゲンドウはしゃいでいる?そんな楽しさまで、この親子喧嘩からは伝わってきます。)他にもガンガン謎が明かされ、何も語ることを残そうとしない。「シン・エヴァ」はそんな明瞭かつ王道な、今までにない完成された映画なのです。

シン・エヴァとは、交錯。そして抱擁。

庵野監督はこの最終章をわかりやすい王道ストーリーにした理由を、「謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきてる」と2021年3月放送のNHKプロフェッショナル仕事の流儀で語っています。

時代の変化もあるのでしょうが、あの難解なエヴァがここまでわかりやすくなった理由は本当にそれだけでしょうか? 庵野監督の内面とその変化を改めて紐解くことで、もう1つの理由が見えてきました。

まず、庵野監督がものづくりに強いこだわりがある事は、学生時代の映像作品からよく知られています。

その腕を見込まれてスタジオ・ジブリで「風の谷のナウシカ」(`84)の巨神兵を担当。その当時の様子を1996年の雑誌から見ることができます。


出典:Amazon.co.jp

巨神兵や戦車とか爆発等は僕が全部描いて、キャラだけはラフで丸チョン。それを宮さんが第ニ原画で描くという。ド生意気ですよね(笑)。あと、エフェクトの大半は直すのが面倒だったらしくて、メクラ判だったんですよ。「失敗したらお前のせいだ」と(笑)。それでもニカットほど修正させれたんです。僕、動画チェックの段階でそれ見つけて「ああダサくなってる!」。で、勝手に動画から自分で描き直していたりしました。ド素人のくせに超ナマイキでしたね(笑)。最初の頃は宮さんの前では上がってたくせに、途中からタメ口きいてたりしましたからね。そんなバカで生意気なところが良かったんでしょうね。逆に親しくしてもらいました。
出典:「クイックジャパンvol.10」庵野秀明インタビューより抜粋

その後ガイナックスを結成し、常識を覆す作画の傑作を次々と送り出した……というのはファンの方ならばご存知の通りかと思います。

そんな中で、とても興味深い実写作品があります。「式日」(`00)です。

「100人に1人わかってもらえたらそれでいい」

庵野監督自身がそう評価するほど難解表現の多いこの映画ですが、この作品ほど監督の心情を深く知れる映画はないと個人的には思っています。


出典:Amazon.co.jp

精神を病んだ女性と庵野監督をモデルとした「カントク」という男性による奇妙な共同生活を描いた作品で、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」でも登場する監督の故郷・山口県宇部市が舞台となっています。

原作となった藤谷文子氏の抱えていた家族問題を題材にしているとされていますが、主役であるこの女性に庵野監督の内面を知るヒントが隠れています。毎日のように「明日は私の誕生日なの」という奇妙な発言をし、ニコニコしていたかと思えば電話にかかってくる実母の罵りに激昂。そんな女性の姿は、`97年にインターネットによるバッシングで精神面が不安定だった庵野監督自身ととても似ているのです。


出典:IMDb

また彼女の精神が不安定な時は「赤い傘」「赤く染まった水たまり」など赤色の物体が映像に登場し、安定している時は「爽やかな青空」が映像で目立っています。これはエヴァに登場する「赤い海」「本来の青い海」と対峙しており、この2色は監督の精神状態を描写しているとも推測できます。 

「『エヴァ』のキャラは全部自分自身だ。ドラマというよりドキュメンタリーに近い」

前述のクイックジャパンで、そう語っていた庵野監督。これが「式日」でも当てはまるなら2人の会話は「庵野監督の中にある、分身同士の対話。つまり男女ともに監督自身である」であると解釈できます。

 

もう1つ庵野監督の内面を知るヒントとして、「式日」では他作品より目立っている重要な物体があります。それが「線路のレール」です。


出典:IMDb

「監督線路好き?なんで?」「機械的建造物の感じというか。それとあとレールって決まってんじゃん。上に乗ってれば自分で選ばなくていいじゃん。その感じが楽でいいのかも。君は?」「好き。だってこの2本て絶対交わることないのよね。だけど二つで一つなの。だから好き」
出典:映画「式日」劇中より抜粋

「子供の頃から引っ越すたびに、家のそばに線路があった。必ず電車が家の近くを走る環境だった」と語るほど線路に深い思い入れがあり、鉄道雑誌に寄稿してたこともある庵野監督。それほど心惹かれる線路こそ、庵野監督自身の内面を表現するものではないでしょうか?

例えば式日の場合、2つで1つの線路の片方が庵野監督役の「ものづくりの情熱」を表すならば、もう片方のレール……それは監督の持つ「情緒不安定さ」「繊細さ」とも考えられます。

エヴァンゲリオンでもシンジ君が電車に乗車している描写は何度も登場していますが、この「式日」でも

日々の退屈が逃れる手段として、電車は最適だった。映画のように流れる風景、規則正しい効果音、広がる彼女への妄想。しばらく飽きることはないが、この怠惰な彼女と過ごすぬるま湯のような日常もささやかな笑顔も今の私には心地よかった。
出典:映画「式日」劇中より抜粋

と表現。


出典:Amazon.co.jp

さらにエヴァ直後の1998年に撮影した「ラブ&ポップ」でも

決められた時間を守り、決められた場所を結ぶ乗り物。連れて行かれる感覚。毎日が昨日の繰り返し。明日が今日と違うとは考えられない。物凄い不幸も物凄い幸せもまだ知らない。そう大人になってからできる事をするほど、私達は呑気に生きてはいない。
出典:映画「ラブ&ポップ」劇中より抜粋

と線路の存在を表現しています。

この2作品の線路の描写をまとめてみると、

「監督の中で並列している、相反する2つの価値観」

「どうあがいても、同じことを繰り返してしまう自分への虚しさ」

昨年発表になった「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」のポスターでも線路のレールは強調され、「他の線路=結末へ切り替えようとしていることへの示唆では?」などの考察がされてきましたが、このレールそのものが庵野監督の精神構造の象徴なのだと思います。


出典:映画.com

エヴァ終了後から「新劇場版」シリーズ始動の`07年までの間、庵野監督は「脱エヴァ」に悩んでいた庵野監督。

アニメから離れ、実写作品を作っても、どこかエヴァに似てしまう。エヴァを超えることができない。もっといいものを作りたい、けれどそれと並ぶ脆弱な自分を乗り越えられない。庵野監督にとってこの終わりの見えない「交わらないレールの往復」はとても苦しい行為だったのではないでしょうか。


出典:映画.com

こうして再度エヴァと向き合う決意をした庵野監督。2007年に公開した「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」では以下の文章を発表しています。

映像制作者として、改めて気分を一新した現代版のヱヴァンゲリヲン世界を構築する。
このために古巣のガイナックスではなく自身で製作会社と制作スタジオを立ち上げ、初心からの再出発としました。
過去にとらわれず、現状に甘えず、進歩ある未来を目指すためです。
幸いにも旧作からのスタッフ、新たに参入してくれるスタッフと素晴らしい面々が集結しつつあります。
旧作以上の作品を作っている実感がわいてきます。
出典:「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・序」パンフレットより

そこから「破」「Q」と新作エヴァを次々と発表するものの、`12年に再びメンタルを病んでしまい休養を余儀なくされます。

何が原因かは公式の発表はありませんが、代わりに以下のような動画を発表しています。

そこで完結編である「シン・エヴァ」を作る前に師匠である宮崎駿監督の要望で「風立ちぬ」(`13)をアフレコ。その後着手したのが、あの日本映画史に残る傑作「シン・ゴジラ」(`16)でした。


出典:映画.com


出典:映画.com

「シン・ゴジラ」で庵野監督は今までと線路の使い方を大きく変更します。そう、対ゴジラへの攻撃兵器として登場させているのです。

この作品の記録的な成功により「エヴァの庵野秀明」という呪縛が解けたのではないかと言われています。精神的シンボルだった「レール」の斬新な活用が評価されたことも、今までにない自信の獲得につながったのではないでしょうか。


出典:IMDb

そんな転機を経たからこそ「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」の制作に取り掛かることができたのです。

さて、前述した通り、庵野監督にとって2つに分かれた「線路のレール」とは

「自身の中で並列している、相反する2つの価値観」

だと僕は考えており、シンエヴァの場合、「迷いを振り払った碇シンジ」と「碇ゲンドウ」の親子が該当すると分析しています。


出典:IMDb

理不尽な環境下で前に進もうと希望を必死に探す息子と、絶望した内面をさらけ出せない父。25年間交わらなかった2本のレールが交差したことが、今回の「シン・エヴァ」と今までのエヴァと大きな違いだと思います。

そうして迎えた最終局面を超えて全てが真っ白になった世界で、碇シンジを迎えに来た新劇場版シリーズのみのキャラクター「真希波・マリ・イラストリアス」。

彼女は監督のパートナーである安野モヨコ氏がモデルなのではないか? と多くの考察サイトでは囁かれています。


出典:IMDb

真相はわかりませんが、このキャラクターはアヤナミ・レイに対しては「Q」でオリジナルの存在を伝え自我が芽生えるきっかけをつくり、式波・アスカ・ラングレーの最後までともに戦う相棒としても活躍しています。

もし彼女たちも庵野監督の分身なら、それぞれ内在する「無垢さ」、「成長過程で生まれた承認欲求・孤独」を表現したキャラクターだと幼少期のエピソードから推測できます。

家族とはめったに海へ行かないんです。母親の皮膚が弱かったのと、親父に足がないんで。人前で裸になるから辛かったんでしょうね。何度か潮干狩りに行った記憶しかないっス。

(兄弟についての質問に対して)
妹が一人。でも年が七つも離れてるんで、あんまりピンと来ないです。全然、他人みたいなもんです。実家で会う以外、お互いに連絡とらないですから。まあ希薄な兄弟関係ですね。電話番号も知らないですから。家族のことは、あまり考えたことないです。
出典:「クイック・ジャパンvol.10」庵野秀明インタビューより抜粋

自身の想いを伝えられず消えたレイ、最後の最後まで孤独に戦い、救われなかったアスカ。旧シリーズから傷つき続けていた彼女たちにとっても、このマリというキャラクターは救いの手を差し伸べているのです。


出典:IMDb


出典:IMDb

「みんながいなくなっても私はいなくならない」

NHKプロフェッショナルでも、庵野監督への想いをそう語ったモヨコ氏とエヴァの各キャラを助けるマリの姿は、確かに重なります。監督もそんなパートナーへの想いを書籍「監督不行届」で以下のように語っていました。

嫁さんは巷ではすごく気丈な女性というイメージが大きいと思いますが、本当のウチの嫁さんは、ものすごく繊細で脆く弱い女性なんですよ。つらい過去の呪縛と常に向き合わないといけないし、家族を養わなきゃいけない現実から逃げ出す事も出来なかった。ゆえに「強さ」という鎧を心の表層にまとわなければならなかったのです。心の中心では、孤独感や疎外感と戦いながら、毎日ギリギリのところで精神のバランスを取ってると感じます。だからこそ、自分の持てる仕事以外の時間は全て嫁さんに費やしたい。そのために結婚もしたし、全力で守りたいですね、この先もずっとです。
出典:安野モヨコ著「監督不行届」巻末インタビューより

新しいものを作り前進したい希望、でも傷つきたくない絶望。愛情を知らない無垢、高いプライドゆえの孤独。内在しながらもバラバラだった感情ひとつひとつを、同じように悩む1人の女性が共感し受け止めてくれた。


出典:IMDb

弱さも含め「ここにいていい」と認められた事により、庵野監督は自身の2つの線を交え、この映画を完成させることができたのだと思います。

シン・エヴァとは、感謝。そして、旅立ち。

何より庵野監督の大きな変化を感じたのが、この「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」が命への感謝から始まったことでした。

本作でアバンタイトルが終わり、シンジ君が訪れた場所。それは近未来的な建造物が並ぶ第三新東京市ではなく、ニアサードインパクトから生き残った人々が集まる昭和を彷彿とさせる「第三村」でした。

そこで、シンジ君はかつての友人・鈴原トウジと再会します。この光景を見た時、ある映像が脳裏に浮かびました。小学2年生だったある夕方、TVのチャンネルを回していると映っていた第拾八話「命の選択」を。暴走した初号機によりトウジの乗る参号機を握り潰す映像が、僕とエヴァの最初の邂逅でした。


出典:IMDb

あの理不尽な目にあったシンジ君の友人が大人になり、命を救う医者となり、好きな女性と結婚し1児の父親になっている。思わず泣きそうになったこの光景は、かつての庵野監督では見た事がない演出でした。そう、

「命を蹂躙していた」エヴァが、「命を尊ぶ」エヴァになっていたのです。

他にもこの第三村の描写は、命への賛歌に溢れています。赤ん坊が泣き、食糧を分け合い、命の芽となる田植えをし、そして次の世代と邂逅する。制作途中で脚本を全面的に書き換えたというこのAパートには、隅々に監督の生きることへの感謝が見えました。


出典:朝日新聞デジタル

「自分の命よりも作品が大事」

そんな価値観で、映画を作ってきたという庵野監督。自身のレールから外れようと新劇場版を作り始めても再び心が傷ついてしまった。それでも支えてくれた妻、スタッフ、そして待ち続けてくれたファンに感謝できるようになった。かつては捨てかけた自分の命のありがたさを抱きしめるようになった。

この力強い「肯定感」は旧劇場版や2008年に完結予定だった初期のスケジュールからは絶対に生まれず、再度の挫折と「シン・ゴジラ」の成功を経た今だからこそ、完成したものだと個人的には考えています。「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」があそこまでわかりやすくなったのは、生きていることへの素晴らしさ・周りの人への感謝を監督が深く実感したのが何よりもの理由ではないでしょうか。

 

無論、この記事に書いてあることは、様々な媒体の断片から読み解いた考察でしかありません。ですが、

「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン。」


出典:映画.com

このポジティブなキャッチコピーが印象的な、庵野監督の次の作品「シン・ウルトラマン」。そして、


出典:映画.com

2023年公開の「シン・仮面ライダー」。この2つの作品にも監督がこれまで勝ち得た、大きな学びが込められている。今からそんな期待をせずにはいられないのです。

 

こうして「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」が公開になった今、日本中のファンが思い思いに最後のエヴァを語っています。この25年間で知り合った仲間……今はもうない新宿ミラノ座の大スクリーンで第2作「破」を見に行った思い入れ深い友人たちも、それぞれの場所でこの完結編を観たと聞いています。

他の映画にはない独特な熱気こそエヴァであり、そしてこの光景は……これから少しずつ過去のものになっていきます。


出典:IMDb

1995年10月4日18時30分より放送開始し、

25年間も走り続けてきた「エヴァンゲリオン」。

 

忘れられない、けれど懐かしいものへとこの作品が変わってゆく。

寂しくもありますが、それでいい。

長い時間、本気で夢中になれた事。多くの少年たちが、神話になれた事。

新しい世代に、その喜びを存分に語れる権利がこれからの僕たちにはあるのです。

今度こそ、終劇


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[イラスト]清澤春香

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