想像してください。
落ち込んだ帰り道。
職場で、学校で、イヤなことがあった帰り道。
灰色の気持ちを抱えたまま帰りたくなくて、
飛び込んだ映画館にいるところを。
今回ご紹介する「すくってごらん」は、そんな場面にピッタリです。
モヤモヤした帰り道が、たのしくなる。そんな、ミュージカル映画です。
ミュージカルは苦手ですか? いきなり歌いだすからですか?
その気持ちも分かります。ちょっと恥ずかしいですよね。
「すくってごらん」は、ミュージカル映画が得意じゃない人がいると分かったうえで、「じゃあ、どうやったらたのしんでもらえる?」と考えてつくられていると思います。この作品をきっかけに、ミュージカル映画を見る人が増えればいいなという気持ちで書いていきます。
ネタバレありですから、気になる方は観賞後に読んでください。
読んでからもう一度見ていただくと、より楽しめると思います。
それは、どうぞ。
エリート銀行員が左遷されたのは、金魚すくいの街。
映画は、田園風景からスタートします。スマホ片手にスーツケースを引いて歩くのは、主人公の香芝誠。初対面で「お兄さん」とよびかけ、屈託なく笑う王寺の車に乗せてもらうことになります。すると、カーステレオから流れた音楽に合わせて、香芝が突然歌いだします。
出典:映画.com
この流れでミュージカル映画だと分かるんですが、公式では「ミュージカル」という言葉を使ってないんですよ。
(C)2020映画「すくってごらん」製作委員会 (C)大谷紀子/講談社
ポスターには、「ポップエンターテインメント」とあります。ミュージカルと書くと拒否反応を示す人がいるという判断かもしれません。それは、なんとなく分かります。間口を広げるためにミュージカルという言葉を避けた。「もっと新しいものをつくる!」という気概かもしれないです。
ポスターの中でもうひとつ注目なのが、『この漫画がすごい!2015』ランクインという言葉です。「すくってごらん」には原作があります。2014年から雑誌『BE・LOVE』に連載されていた、大谷紀子さんの同名漫画です。
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ミュージカル映画の原作なんだから、さぞかし歌って踊……らないんですよ、これが。原作は、歌いません。
ミュージカルの仕立ては、完全な脚色なんです。
基本的な設定は同じです。香芝が地方に左遷されてくるところからスタート。映画では具体的な地名は出てこないんですが、原作では奈良県大和郡山市と名言されています。撮影の多くも奈良県橿原市の今井町で行われたみたいですね。
大和郡山は、「金魚すくい」の街です。金魚養殖で約300年の歴史をもつ、全国有数の生産地。金魚のまちをPRするために1995年から毎年「全国金魚すくい選手権大会」が行われています。「3分」というのは、大会の公式ルールです。
2019年の第25回大会での個人最高匹数は76匹。王寺が全盛期なら100匹すくえていたと言いましたが、脚色はあるにせよ突飛な数字じゃないですね。金魚すくいの街、恐るべし。
市のHPにも「金魚でござる!」というページが存在します。なんで、ござる? と思ったんですが、もともと金魚の養殖は武士の副業としてスタートしたようなので、そこからとってるんでしょう。いつの時代も、生きていくのは大変です。
ちなみに、主要キャラクターの苗字は奈良県の市町村名からつけられています。香芝、生駒、王寺、山添、川西、すべて存在します。これはあれですね、『るろうに剣心』パターン。『るろうに剣心』は新潟県の市町村名ですね。
ともあれ、漫画『すくってごらん』は歌いません。その代わり「金魚すくい」に比重がおかれます。大会も描かれます。「空気は読むもんじゃなくて吸うもんだろうが」と言い放つほど人づきあいが苦手な香芝が、金魚すくいを通じて街の人たちと心を通わせながら、変わっていく姿が描かれます。
原作を読んで、よく分かりました。映画「すくってごらん」は、原作漫画のテーマやたのしさを土台にしつつ、ミュージカル要素を付加したつくりになっているんです。これ、なかなかすごいです。安直な実写化じゃないのに、原作のいいところをしっかりすくっているんですよ。
良いミュージカルってなんだろうって、考えてみた。
評を書くにあたって、「良いミュージカル」について考えてました。ポイントを2つあげてみます。
ひとつずつ詳しく書いていきますね。
まずは、とつぜん歌い出す作品世界にすんなり馴染めること。
さらに2つの要素に分解します。
「キャスト」と「演出」です。
「キャスト」は、言うまでもありません。歌った途端に「あれ?」なんて思われたら最後、そこからは怒りのデス・ロードです。「レ・ミゼラブル」のヒュー・ジャックマンやアン・ハサウェイの歌声が微妙だったら、イヤでしょう?
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「すくってごらん」はどうでしょう。主要キャストに「歌える」人をそろえています。
主人公の香芝は、尾上松也さん。今作が、映画初主演。恥を承知でいうと、歌っているところはおろか、演技しているのを見たのも初めてでした。演技はもちろん、歌える人なんだって分かりました。
出典:映画.com尾上さんは、 「無」の表情も、とっても良い!
そして、生駒吉乃を演じたのは、百田夏菜子さん。ご存知、ももいろクローバーZのリーダー。歌はもちろん、劇中のピアノも吹き替えなし。音源も彼女が弾いたものが使われています。イチからピアノに挑戦したというじゃないですか。ももクロがそうなんでしょうけど、この人の「全力」は見る人の心に響く響く。
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メインの2人について色々あるんですけど、つまるところ「華」なんですよ。2人の「華」が映画全体をひっぱっている感じがしました。尾上さんはどんなに変な顔してたって、根っこには品がある。百田さんの浴衣姿は、おはぎ何個でも食べられます。浴衣好きなだけだろ! と思ったあなた、その通りです。
しかし、「華」ってなんでしょうね。2人を見て考えたんですけど、「見られることを自覚して積み重ねるもの」じゃないかなと。尾上さんは、歌舞伎の舞台。百田さんはももクロでのステージ。見る人にポジティブな何かを与えようとすることで纏っていくのが「華」ではないでしょうか。そんなことを思いました。
まあ、つまり、この2人はいいぞってことです。
その他、王寺役の柿澤勇人さんは、劇団四季出身。明日香を演じた石田ニコルさんは、ミュージカルに多数出演。銀行の先輩・川西役の矢崎広さんもミュージカルでデビューした人です。
出典:映画.com 個人的には川西が好き。
歌声に良い意味での驚きはあっても、違和感はありませんでした。
次は「演出」。
ミュージカルは、いきなり歌いだすものです。大げさじゃなく、気持ちの高ぶりで歌いたくなることってあるじゃないですか。だから、その延長の映像表現というだけで、不自然でもないんですよね。
でも、うまくやらないと、ノれなくなる。これまたデス・ロード行き。
特にオープニングの数曲は超重要。過去の名作と言われるミュージカル映画も気を使っているはず。たとえば、「ラ・ラ・ランド」。その冒頭は、高速道路を封鎖して撮影されたワンカット風の『Another Day of Sun』。あれはもう、暴力です。巨大なエンタメ棒で問答無用に殴ってきます。意識は朦朧、目の前はお花畑で、映画の世界にどっぷり浸かってしまいます。
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かと思えば、主人公2人が踊るシーンでは、わざわざ靴をタップシューズに履き替えるところを見せて「これから、踊りますよ」と示してくるんです。
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世界に入りこんでもらう工夫は大切です。「すくってごらん」は、どうでしょう。
1曲目は、車で香芝と王寺が歌う『左遷銀行員』。カーステレオをつけると曲がスタートします。
ステレオから流れる曲に合わせて歌う流れをつけてるんですね。だから、曲の序盤は音も抑え気味。そして、王寺が歌うころから音量と音圧がグッと上ります。スイッチを合図にして、徐々に盛り上がるので自然と作品世界に浸れるようになっています。
続いては、吉乃の出会いを描く『誘い』。妖艶で幻想的な演出が印象的です。ここにもスタートの合図が。金魚が書かれたマンホールを踏む音です。香芝が「金魚の街」に足を踏みいれたことも示しますが、ファンタジーがはじまる合図になっていました。
序盤は特に、作品世界にうまく入れるように映像・音でうまく演出されていました。香芝が部屋で孤独に歌うシーンは、風鈴の音が合図でしょうね。
導入がうまくいけば、あとは大丈夫。いきなりバンドが出てきても、電話ボックスが出てきても問題なし。1分20秒の休憩が入るところもテンションの高いミュージカル映画にとっては、効果的な箸休め。休憩シーン、すごく好きなんですけど、その話はまた後で。
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導入の丁寧さや休憩シーン、90分という尺を考えても、ミュージカルに馴染みのない人はもちろん、「映画館での鑑賞経験が浅い人」も射程に捉えているんじゃないかと思うんですよね。2時間見ているのがつらい人が増えていると聞きますし。映画の鑑賞体験、映画館もすくいたい。そんな気概すら感じます。
「キャスト」「演出」、すべてをコントロールしたのは真壁幸紀監督。
監督を紹介してから、楽曲の話に入ります。しばし、お付き合いを。
「すくってごらん」は、真壁監督の現時点の最高作だと思う。
真壁幸紀監督は、制作プロダクションROBOTに所属。
注目されるきっかけになったのは、2012年に開催されたルイ・ヴィトン主催の映画コンテストJourneys Awards。ショートフィルム「THE SUN AND THE MOON」でグランプリを獲得。「THE SUN AND THE MOON」はWebで見られます。
長編映画デビュー作は、2015年の「ボクは坊さん。」。四国八十八箇所の24番札所・栄福寺(愛媛県今治市)の住職がお坊さんの日々を綴った同名エッセイが原作の映画です。
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初めて見たんですけど、めちゃくちゃ地元で撮影されていて驚きました。本屋さんに病院のベンチなど、「あそこだ!」と分かるところばかりで、楽しかったです。あと、伊予弁の山本美月さんが、めちゃくちゃかわいい。その点だけでも、必見です。
長編作品としては、ジャニーズのグループ「A.B.C-Z」の塚田僚一さんが主演した「ラスト・ホールド!」(2018)を経て、「すくってごらん」が3作目となります。
それ以外にも、ショート・フィルムやドラマも多数手がけられています。
2017年の「HOME AWAY FROM HOME」には、「すくってごらん」でも使われた全天球カメラの映像がありました。香芝が外回りで奔走するシーンの、あれです。笑福亭鶴光さんが養魚場のおじさんとしてちらっと出てましたね。
見られる範囲で見ましたが、「すくってごらん」が真壁監督現時点での最高作だと思います。これからも最高作を更新して欲しいです。ミュージカル映画もまた作って欲しい。
さて、予告通り楽曲の話に入リます。
キャッチーで、物語に寄り添う楽曲。
おさらいです。良いミュージカル映画のポイント、2つ。
「すくってごらん」の音楽は、すべてオリジナル曲。ヒットソング満載! みたいなことはやってない。
音楽を手掛けたのは、鈴木大輔さん。1998年にRubiiというバンドのキーボーディストとしてデビュー。1999年に脱退後、2002年にday after tomorrowのメンバーとなり、作曲も多数担当されます。その後、2008年にはgirl next doorに参加。ほぼ全曲の作曲を手掛けられます。
day after tomorrow、girl next doorでは紅白歌合戦にも出場。つまり、1990年代後半から2000年代のJ-POPのど真ん中にいた人なんですよ。だからなのか、「すくってごらん」の楽曲は耳に馴染むんですよ。J-POPにどっぷり浸かってこなくても、テレビで、ラジオで、TSUTAYAで耳にしてきたような親近感を感じます。
特に『この世界をうまく泳ぐなら』のメロディは、仕事や家事をしながら口ずさんでいます。
単純に楽曲の質が高いことはもちろん、物語との相乗効果も抜群なんですよ。
たとえば、冒頭の『左遷銀行員』。香芝と王寺がそれぞれの視点で、向かう街について歌い、歌詞が2人の生き方や価値観に繋がっています。その後、同じメロディが別の場所でも使われます。休憩中の川西が歌う『ブレない男』です。
川西は、2人とはまた別の視点で街への想いを歌います。「メロディ=街」は同じでも、人によって見え方が違うことが分かります。『左遷銀行員』のメロディは、男たちの人生のテーマソングとして機能しているんですよ。香芝、王寺、そして川西と3人のスタンスがあるから作品世界が立体的になったと思います。
休憩にもってきているのも良いんです。川西を劇中のエピソードにすると、全体のテンポが落ちるかもしれない。ユーモアを交えながら、深みも加えている。あの休憩パートすごいんですよ。がんばれ、川西! マイクを渡した後輩が帰っても! コンタクトが乾いても!
テーマソングとして機能する『この世界をうまく泳ぐなら』のメロディも、アレンジを変えながら物語に寄り添います。
最初は、吉乃による歌のないピアノ演奏『小赤』。次は、吉乃がピアノに合わせてハミングします。タイトルは『月夜』。ハミングなので、言葉にはなっていない。
出典:IMDb
徐々に彼女が変化しているのが分かります。そして、『この世界をうまく泳ぐなら』。香芝がアカペラで歌いだし、それに合わせて王寺が、続いて吉乃がピアノでセッション。最後は、王寺と吉乃が2人で歌いだします。
人前で音を出すことを拒絶していた吉乃が、香芝と王寺に促されて心の壁を破りました。
ちなみに、この曲で初めて3人が同じ空間で歌うわけですが、その前の曲『ささやき』では別々の場所にいながらハモる演出になっています。パンフレットで真壁監督が「映画でこそ成り立つもの」とコメントしていたとおり、交差する寸前の微妙な心情がうまく表現されていました。
さらにちなみに『ささやき』では、街灯が印象的に使われていました。ここ、マーティン・スコセッシ監督のミュージカル映画「ニューヨーク・ニューヨーク」から影響をうけたそうです。真壁監督が、脚本を手がけた土城温美さんとのインスタライブで名言されていました。
出典:IMdb
「ニューヨーク・ニューヨーク」は、1977年公開。ロバート・デニーロ演じるサックス奏者と、ライザ・ミネリが演じた歌手のラブストーリー。「ラ・ラ・ランド」にも強い影響を与えています。見返しましたが、たしかに街灯に照らされるデニーロが印象的でした。あと、電話ボックスの映るショットもあって、電話ボックスが幻想的に使われた『鼓動の理由』の参考にもなったのかもしれません。
出典:IMDb
出典:映画.com
『この世界をうまく泳ぐなら』のメロディーは、エンドロールの『赤い幻夜』へ流れ着きます。生駒吉乃名義なので、吉乃が歌っています。
ひとりで弾いていたメロディに歌詞がつき、伴奏がつき、楽団になった。狭い水槽で泳いでいた小赤が、広い水槽で伸び伸びと仲間と泳げるようになったんですよね。
出典:映画.com
生駒吉乃の心と曲が、寄り添いながら変化していくんですよ。よくできていますよねぇ。
ミュージカル映画に限らないですが、「良い」と感じることには理由があるし、作り手の意図と願いがこめられてるんです。単に映画を見るのとは違う喜びに出会うことができます。
金魚すくいも恋も人生も。やぶれてからが面白い。
香芝の吉乃への恋は成就しませんでした。東京に一緒に行こうと迫るシーン。断られると「ここは笑って手をとるところでしょう!」と香芝は詰めよります。吉乃の「はあ?」という顔が、なんともいえずおもしろいです。
でも、ハリウッドのミュージカル映画には香芝の言う通りになるものがあるんです。1950年代の映画では定番ともいえる。例えば、1951年の「巴里のアメリカ人」。ラストの大スペクタルシーンは、何度も見ても圧巻です。でも、それと同じくらいラストでヒロインが唐突に主人公の愛を受け入れるので、「なんで?」って感じてしまうんですよ。
出典:IMDb ミュージカルに興味をもったら、「巴里のアメリカ人」はぜひ見て欲しいです。
「ニューヨーク・ニューヨーク」も、ラストこそ違いますが、主人公のメチャクチャなプロポーズをヒロインが受け入れるシーンがあります。
歌って踊って、ハッピーな結末! は、ミュージカル映画の定番でもあるわけです。だから香芝は「(ミュージカル映画なんだから)ここは笑って手をとるところでしょう!」と言った。でも、人生はミュージカルのようにうまくはいかないんですよね。
「すくってごらん」は、それでもいいし、だからこそおもしろいと示してくれているようです。
破れたポイでも金魚がすくえるように。恋が破れても、想いを伝えたことで、相手が新しい一歩を踏みだすように。理想の人生から敗れても、今いる場所で懸命にジタバタすれば新しい道が拓けるように。
人と人とが、偶然に交差し、一緒に音を奏でることで変化が生まれる。すこしだけでも、ポジティブになる。その差は紙一重かもしれまん。それでもいいじゃないですか。素敵じゃないですか。
出典:映画.com
「すくってごらん」は、すぐれたミュージカルであり、自分らしく心のままにいることを肯定してくれる映画なんだと思います。
ままならない日々に疲れたら、ふらっと映画館に入ってすくわれては、どうでしょうか。
最後に。東京に戻った香芝ですが、また見知らぬ土地にスーツケースでたたずむ姿を見たいなと思います。左遷された土地で、毎回恋をして毎回歌い、毎回やぶれるけど、東京に戻る。ミュージカル映画のシリーズものになったりしないかなあ。
オープニングの画と、最初の一言はイメージできてるんです。
「……またやってしまった」
出典:映画.com
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[イラスト]清澤春香