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「サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス」宇宙の彼方で、太陽神に会える。

橋口幸生 橋口幸生


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土星から降臨した太陽神であり、宇宙音楽王であり、大宇宙議会・銀河間領域の大使サン・ラーは音楽を燃料に大宇宙を旅するなか、地球と異なる理想の惑星を発見した。ただちに地球に帰還、ジャズのソウル・パワーによる同位体瞬間移動で黒人移送計画を立てるが、その技術を盗もうとするアメリカ航空宇宙局の魔の手が迫る。

これが「サン・ラーのスペース・イズ・ザ・プレイス」公式サイトに掲載されたあらすじだ。



出典:eiga.com



出典:eiga.com



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ただごとではない。土星なのに太陽神。ジャズなのにソウル。ちょっと待て、落ち着けと言いたくなる。

まずは基本情報だけを書こう。本作はジャズ・ミュージシャン、サン・ラーが主演と脚本をつとめた映画だ。サン・ラーは本人役として登場。音楽のみならず、彼の思想やファッションなどすべてがブチ込まれた決定版だ。日本ではマニアの間で海外版VHSが流通していたくらいで、これまで観た人は少なかった。本国アメリカでもあまり劇場公開されなかったようで、カルト映画と言っていい。字幕つきで日本公開されたのは快挙だ。

サン・ラーは、ジャズに限らず音楽ファンであれば、名前くらいは聞いたことがある……という温度感の存在だと思う。僕が知ったのは大学生の頃。ブルータル・トゥルースというバンドがサン・ラーの曲をカバーをしたのがきっかけだった。『Sounds of the Animal Kingdom』というアルバムに収録されている『It’s after the end of the world』という曲だ。下の画像からAmazonのサイトに飛ぶと視聴できる。原曲は、「スペース・イズ・ザ・プレイス」のオープニングに使われている。



出典:Amazon

ブルータル・トゥルースは、グラインド・コアと呼ばれる超高速&爆音のパンク・ロックを演奏するバンドだ。ジャズのみならず、ロックや実験音楽の世界にも多大な影響を及ぼしていることが、サン・ラーの特徴だ。

……しかし、その影響力をリスペクトしつつも、僕個人としてサン・ラーの音楽にピンと来たことは一度も無かった。

世界一多作とも言われ、1993年に亡くなるまでに100枚以上のアルバムを残している。代表作を把握するだけでも、ひと苦労だ。実際に聴いてみると、実験音楽風だったかと思えば、オーソドックスなジャズだったりして、とりとめがない。初心者には極めてハードルが高い。

「スペース・イズ・ザ・プレイス」以外のサン・ラーの映像作品としては、『Joyful Noise』というドキュメンタリーが知られている。以前からソフト化されていて、比較的用意に入手できる作品だ。僕も学生のころにVHSビデオで見た。しかし……太陽神には失礼ながら、ただただ眠かったことだけが印象に残っている。



出典:Amazon



出典:vimeo

なぜかビルの屋上で、極彩色の衣装でゆらゆら演奏するサン・ラー達の姿は、失礼ながら若い僕にはマヌケに見えた。合間合間に、サン・ラーがボソボソとしゃべるシーンが挿入される地味な構成もつらい。しかも話してる内容は「あらゆる存在は外宇宙の、未知の領域からやってくる」とか何とか、そんな内容だ。独特の抑揚がある、呪術のような話し方も眠気を誘う。(検索するとすぐに見つかるので、ぜひチェックしてほしい)

おそらく、コアファン以外にとって、サン・ラーの受け止められ方はこのような感じだったと思う。

しかし、「スペース・イズ・ザ・プレイス」を観て、印象が変わった。なぜサン・ラーがなぜこれほどリスペクトされているのか、初めて肌感覚で理解できた。音楽にくわえて、思想、衣装、行動、舞踏、世界観などなど……すべてをひっくるめたのがサン・ラーなのだ。ミュージシャンというより、現象に近い。劇映画の体裁で見て、はじめてそれが理解できた。本作はもともと30分のドキュメンタリーとして企画されていたものの、81分の長編映画として制作された。プロデューサーのジム・ニューマンは「彼の物語や彼の世の中の見方がよりフィクションをフィーチャーしたスクリプトへと我々を誘導したのだ」と語っている。大英断と言っていい。

物語は、サン・ラーと監視者(Overseer)と呼ばれる人物の対決を軸として進む。



出典:imdb



出典:eiga.com



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サン・ラーは黒人たちを異星の理想郷に転送するために地球に来た、宇宙からの使者だ。サン・ラーに限らず、黒人ミュージシャンは宇宙やSF的なモチーフを好む。アース・ウインド&ファイヤー、Pファンク、最近ではジャネール・モネイなどなど。



出典:Amazon



出典:Amazon



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こうした表現は「アフロ・フューチャリズム」と呼ばれる。「西洋的な宇宙観のもと、アフリカ主義とSFやファンターを組み合わせた美学と定義される概念であり、哲学でもあり、アティテュードである」という、公式パンフ掲載の丸屋九兵衛氏の説明が分かりやすい。

アメリカ社会で差別されている黒人たちが「ここではないどこか」として宇宙に想いを馳せていると思うと、非常にせつない。どれだけ滑稽に見えても、そこにある想いは切実で真剣なのだ。だから多くの人の心をとらえるのだろう。

一方、本作のヴィラン・監視者は、高級なスーツに身を包み、女を暴力で支配し売春させる男として描かれる。これは「ピンプ」と呼ばれる黒人のステロタイプだ。アフロフューチャリズム同様、ピンプもヒップホップなどの黒人音楽で頻繁に登場する。黒人差別社会の中で役割を見つけ、物質的には成功している。自らを精神的な存在=Spiritual Beingと定義するサン・ラーにとって宿敵なのは、言うまでもない。監視者という名前には、かつてアメリカに存在した黒人奴隷を監視する役職からとられている。

サン・ラーと監視者が戦う物語には、アメリカ社会を批判的にとらえる狙いがあるのが分かる。

……しかし、だからといって骨物な社会派な作品というわけでもないのが、サン・ラーのサン・ラーたる所以だ。

本作は公開当時流行していた、ブラックスプロテーション映画(黒人向けの娯楽映画)のフォーマットに沿ってつくられている。アクションあり、コメディあり、お色気(ポロリ)ありの、気楽に観れるエンターテイメントなのだ。声高に黒人差別を批判することはなく、どこかオフビートで、のんびりした雰囲気が漂う。宇宙雇用期間でのトボけたやり取りには、サン・ラーの非凡なユーモアのセンスを見て取れる。僕がかつて抱いたマヌケという印象も、けっして間違っていない。



出典:eiga.com



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黒人の救済者という観点だけで評価するのは間違いだし、珍妙な衣装に身を包んだ奇人として嘲笑するのも違う。その両方であり、すべてを包括するのがサン・ラーなのだ。「土星人なのに太陽神」というのは、決して矛盾していない。彼が信奉する古代エジプト神話では、土星は黒い太陽とされ、崇拝の対象だったといわれている。

公開から50年近い時がたった今、時代がサン・ラーに追いついた感もある。「ブラックパンサー」が公開されたのは2018年。カラフルに彩られたアフリカのハイテク国家ワカンダの物語に、全世界が熱狂した。その後、「エンドゲーム」(2019)でブラックパンサーは宇宙空間に進出。アベンジャーズとともにサノスを倒し、全人類を救った。

そう、サン・ラーによる同位体瞬間移動とトランス分子化による黒人救済計画は、着実に進んでいるのだ。

世の中に生きづらさを感じている。「ここではないどこか」への憧れがある。そんなあなたは、サン・ラーの世界に飛び込むべきだ。はぐれもの、一匹狼、変わりもの、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、学会の異端児、すべて救われる。

可能性は試され、失敗した。
いま、不可能を試す時が来た。
ーサン・ラー


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[イラスト]清澤春香

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