• MV_1120x330
  • MV_1120x330

「私というパズル」悲しみを受け入れた先にある、再生の物語

金子ゆうき 金子ゆうき


LoadingMY CLIP

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

老いることも死ぬことも
人間という儚い生き物の美しさ

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

2021年最初にご紹介するのは、1月7日に配信スタートしたNetflixオリジナル映画「私というパズル」です。


https://m.media-amazon.com/images/M/MV5BYTAyOWFiM2QtMjFjMS00NTNiLWE4YTYtNWUxY2UzY2VlYzBjXkEyXkFqcGdeQXVyODc0OTEyNDU@._V1_FMjpg_UX1000_.jpg
出典:IMDb

配信オンリーのオリジナル作品も、映画の本流のひとつになりつつありますね。コロナ禍で新作映画がたのしめるのはありがたいですが、複雑な気持ちもあります。とはいえ、2021年はこれまで以上に配信映画をご紹介することが増えるかもしれません。

というわけで、さっそく始めましょう。
ネタバレありです。ネタバレが……というタイプの映画ではないですが、どちらかといえば鑑賞後に読んだ方が楽しめると思います。

それでは、どうぞ。

監督は、ハンガリー出身のコルネル・ムンドルッツォ

まずはNetflix公式ページからあらすじと予告編をご覧ください。

苦しい自宅出産の先に待っていたのは、予想もしなかった大きな悲しみ。失意の中、パートナーや家族にも心を閉ざす女性は、やり場のない感情に飲み込まれていく。
Netflix

出典:YouTube

はい、これがほぼすべてです。「私というパズル」は、あっと驚く仕掛けや物語的な謎を追うような作品でありません。つらい出産を経験した女性の深い悲しみと、そこから再生する姿を静かに見せてくれる映画です。

出産直後に赤ちゃんが亡くなるシーンがあるので、見るのがしんどい方もいるはずです。多くの人に見てもらうための映画評ですが、映画を見て思いがけずしんどくなる人を減らすのもまた映画評だと思ったので、先に書いておきます。

「悲しみ」そのものではなく、そこからの再生や希望がメインテーマですから、つらいだけでの映画ではないことは強調しておきます。救われる方もたくさんいるはずです。

主演のヴァネッサ・カーヴィーの美しさを味わうだけなら「ワイルド・スピード/スーパーコンボ」が無難です。


https://eiga.k-img.com/images/movie/90367/photo/76f925e3119d3e62/640.jpg?1562920824
出典:映画.com

何も考えずに「うぉー!」と思っていたら2時間経つという最高の娯楽映画です。そしてヴァネッサ・カーヴィーが美しい。


https://eiga.k-img.com/images/movie/90367/photo/087b99a6cbc5dcd7/640.jpg?1564626965
出典:映画.com

「私というパズル」に話を戻しましょう。

製作はハンガリーとカナダの合作。物語の舞台はボストンですが、主要な撮影はカナダのモントリオールで実施されたようです。製作総指揮にはマーティン・スコセッシの名前が。作品の質の高さのわりに監督の知名度が低いことを危惧して出資したようですね。たくさんの人に見られるように。スコセッシの男気、かっこいいです。

監督は、ハンガリー出身のコルネル・ムンドルッツォ


https://m.media-amazon.com/images/M/MV5BNjlmMDIyNjQtMzU5Ny00NjA5LWI4NjAtMWEwMjRlNjFmOGI1XkEyXkFqcGdeQXVyMjQwMDg0Ng@@._V1_FMjpg_UX1000_.jpg
出典:IMDb

ハンガリーはオーストリアやルーマニアに囲まれた中央ヨーロッパの内陸国ですね。首都はブダペスト。第二次大戦後は共産主義国家でしたが、1989年から共和国制となり、2004年からEUに加入しています。

Netflixでは「アメリカ映画」として紹介されていますが、監督のバックグラウンドや製作体制を考えるとヨーロッパ映画の特徴が色濃いんですよね。

コルネル・ムンドルッツォ監督の過去作、3作見ることができました。まず2004年の短編「Janne da Arc on the Night Bus」「カンヌSHORT5」というカンヌ映画祭で上映された気鋭の短編を集めたオムニバスに収録されています。


https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/31ZND0WDCZL._AC_.jpg
出典:Amazon.co.jp

主人公の女性を手持ちカメラで追いながら進むコンテンポラリー・オペラなんですが、正直あまりついていけず……。舞台やオペラを見慣れた方ならたのしめるかもしれません。

続いては、長編作「ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲(ラプソディ)」(2015)。第67回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門グランプリを獲得し、監督が世界的に注目されるようになった作品です。


https://eiga.k-img.com/images/movie/81821/poster2.jpg?1435890052
出典:映画.com

舞台は、雑種犬に税金がかかるという設定のブダペスト。大人の勝手な事情で離れ離れになった少女と犬を中心に「人」と「犬」「人」と「人」「人」と「神」の関係を問いかけるような作品です。

圧巻なのはオープニングと終盤に登場する、無人の街を数百匹の犬が駆けぬけるシーン。訓練された犬たちを使った撮影はリアルな悪夢のような趣で息をのみます。演技とはいえ、犬に対して厳しい描写もあり、犬好きな人ほど注意が必要ですが、それでも一見の価値ありです。


https://eiga.k-img.com/images/movie/81821/gallery/sub02_large.jpg?1444099845
出典:映画.com

3作目は2018年の「ジュピターズ・ムーン」。人生に敗れた男と、空中浮遊という異能の力を得てしまった難民の少年が繰り広げるSFドラマです。SFの中に難民やテロといった現代的なテーマが内包されています。


https://eiga.k-img.com/images/movie/87932/photo/27b38e4699516f93.jpg?1511312156
出典:映画.com

ほぼCGなしで撮影したという空中浮遊のシーンはどれも良いんですが、部屋が360度回転する中盤のシーンが特にすばらしいです。「インセプション」の無重力アクションシーンを彷彿とさせ、少年以外は重力の影響を受けながら転がる奇想的なおもしろさがありました。「2001年宇宙の旅」から続く回転セットの系譜を感じさせます。


https://eiga.k-img.com/images/movie/87932/photo/466b953078ecfbc2/640.jpg?1511312008
出典:映画.com

3作すべてで、手持ちカメラを多用した長回しが随所に見られました。そして「ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲(ラプソディ)」「ジュピターズ・ムーン」には見せ場となる驚きの映像が。「私というパズル」も「長回し」「映像的な驚き」というコルネル・ムンドルッツォ監督作品の特徴がみられました。

その象徴が、冒頭約22分間のワンカットによる出産シーン。「私というパズル」の白眉です。冒頭から順を追って紹介していきましょう。

22分のワンカットで描く、息を呑む出産シーン

映画は、橋の建築現場からスタートします。ショーン(シャイア・ラブーフ)が荒っぽく指示を出したのちに向かうのはカーディーラー。妻・マーサ(ヴァネッサ・カービー)母・エリザベス(エレン・バースティン)が買ってくれた新車の納車のためです。


https://m.media-amazon.com/images/M/MV5BMWEzYjdkYmItNmFkNy00YzQ4LWIwYTctMDkzYzJkOTM2YjY1XkEyXkFqcGdeQXVyOTc5MDI5NjE@._V1_FMjpg_UX1000_.jpg
出典:IMDb

短い場面ですが、とてもよくできています。

ショーンのキャラクターはもちろん、マーサ側の家族が裕福で、ショーンのことはあまり好ましく思っていないらしいことまでスムーズに分かるんですよね。車の対比も、視覚的に分かりやすい。ムンドルッツォ監督やるな! と思わせてくれます。

それから、本題の出産シーンがスタート。陣痛がはじまり不安そうなマーサをショーンは精一杯のジョークで落ちつかせようとします。

予定していた助産師に連絡するも、別のお産に立ち会っているため、イヴ(モリー・パーカー)が担当することに。イヴが来るあたりから「もしかして、ワンカットでいくのか……?」と分かってきます。見ているこちらも、どんどん前のめりになっていきます。


https://m.media-amazon.com/images/M/MV5BY2EyNzM3ZWMtODMwZS00YThiLWI4MDQtNGEzYzgzZTM0ZjZiXkEyXkFqcGdeQXVyOTc5MDI5NjE@._V1_FMjpg_UX1000_.jpg
出典:IMDb

当たり前ですが、長回しはカットが切られる一点に向かって進行します。そこには大抵「重大な何か」が待っているわけで、ワンカットならではの、不穏な緊張がつづきます。

Little White Liesというメディアの記事によれば、2日間で合計6テイク撮影され、2日目に撮られたものが使われたようです。出産経験のないヴァネッサ・カーヴィーが、あれだけリアルな出産シーンを2日間もつづけたというのは本当に驚きです。

僕の経験をいうと、3人の子どものうち、2人には立ち合いました。3人目も立ち合いたかったんですが、超スピード出産だったので間に合わなかったんですよね。

誰に言うでもないですが、立ち合いはしたほうが良いです。命が生まれる瞬間の壮絶さと尊さ。そして何より、男のできることのなさと無力さを知るべきです。ショーンみたいに、しょうもないジョークで激怒されたこともありましたよ。

それはさておき、ヴァネッサ・カーヴィー迫真の演技でした。ゲップやうんちが出そうというところとか、声にならない声が漏れるところとか。


https://m.media-amazon.com/images/M/MV5BNzBhNTM0YzEtMTFkYy00NzU5LWJlYjQtMDFhNjNhOWU1YzBiXkEyXkFqcGdeQXVyOTc5MDI5NjE@._V1_FMjpg_UX1000_.jpg
出典:IMDb

彼女は、この演技で第77回ヴェネツィア国際映画祭の女優賞を獲得しましたが、納得です。後に控えるアカデミー賞も大注目だと思いますよ。

力を合わせて出産を乗りこえようとする3人。生まれた赤ちゃんの泣き声を聴いて、3人はもちろん、それを見つめる側の僕らからも思わず安堵の息が漏れます。後ろを向いたイヴを追いかけて2人からカメラが離れると、泣き声に異変が。ここが、衝撃的でした。桃色だった赤ちゃんが、暗い紫色になっているんですから。もちろん人工的な赤ちゃんですが、CGではありません

ショーンが救急車を迎えいれるために外に駆け出したところでようやくカットがきれます。そして、原題「Pieces of a Woman」が映し出されます。ここまでは、長い長いアバンタイトルだったわけです。

出産の前後で、マーサの世界は決定的に変わってしまいます。

脚本を手がけたカタ・ヴェーベルは、ムンドルッツォ監督と「ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲(ラプソディ)」「ジュピターズ・ムーン」でもコンビをくみ、プライベートでもパートナーという関係。出産直後に子どもが亡くなってしまうという物語は、カタ・ヴェーベルの実体験が元になっているといいます。

ひとりの女性の実体験をもとにした出産を、出産経験のない女性がありありと演じてみせた。

見事というしかありません。

共感を拒絶する、内面をみせない心理描写

つらい出産を経験したマーサ。

ちなみに「死産」という言葉をつかったレビューが見受けられますが、厚生労働省のWebサイトには「死産」の説明として『子宮外で生存できる時期に達した胎児が、死んで娩出された場合のことを指しています。』とあります。

マーサの場合、出産直後はたしかに生きていましたから、日本での定義に当てはめれば死産ではないでしょう。生後7日未満の新生児なので、早期新生児の死亡ということになります。日本における早期新生児死亡数は、2018年のデータで年間614人。出生数が918,400人ですから、おそよ0.7%。100人に1人未満ですが、生まれてすぐに赤ちゃんが死んでしまった女性は少なくないわけです。

話をもどします。

深い悲しみの中にいるはずのマーサ。しかし、彼女が何を考えているか、正直よく分かりません。

表情に出ないし、泣いたり誰かに助けを求めたりもない。意図的だと思うんですが、分かりやすい感情表現をしないんです。


https://m.media-amazon.com/images/M/MV5BNmFiNjEzMGUtZTE5OS00Mjg5LTgzZjEtZGNmYjgwODIyMGNiXkEyXkFqcGdeQXVyOTc5MDI5NjE@._V1_FMjpg_UX1000_.jpg
出典:IMDb

それでも、彼女の心は伝わってきます。彼女自身ではなく、天気や風景で語らせているから。物語は9月にスタートし、秋から冬へと向かいます。空気は鋭く、頬を切るような冷たさになり、雨は雪に変わる。河の水には氷が浮かぶようになっていく。

マーサの心は、冷たく閉ざされていきます。櫛を通していないであろう髪の毛や、ところどころ剥がれたマニキュアなど、心のありようが外見に反映されていることからも、切実さが伝わります。夫婦の居場所である家が徐々に汚くなり、植物が枯れていくことも2人の間に埋めがたい溝ができていることを表しているかのようです。

くわえて、ハワード・ショアが手がけた劇伴音楽。抑えめな室内楽でありがながら、マーサの気持ちにさりげなく寄り添うようです。


https://m.media-amazon.com/images/I/819ylgfDmOL._SS500_.jpg
出典:Amazon.co.jp

湿っぽくならず、それでいて感情が伝わってくるドライなところ、僕はとても好きですね。

マーサは「共感」を拒んでいるかのよう。「私の悲しみは私のもの」「他人には踏みこめない領域があるんだ」といっているようで。

共感ということばで「あなたのこと、分かっている」という態度をとりながら、その実、自分の感情を押し付けてくる人って多いじゃないですか。マーサがスーパーで遭遇したおばさんみたいな人。ああいうのは、最悪です。「時間が解決してくれる」というセリフがありましたが、「自分の感情は自分のもの。受けいれて消化できるまで時間をかける」のは大切だと思うんですよね。


https://m.media-amazon.com/images/M/MV5BMTM3MDRhOTQtNTkwZC00MWNhLWE2MzktOTE4MGQxOGZkM2Q4XkEyXkFqcGdeQXVyNDY1NTM3ODk@._V1_FMjpg_UX1000_.jpg
出典:IMDb

写真家の荒木経惟さんが、奥様を亡くされたあとに「俺はいま、せっかくいい感じで悲しんでんだから、励まさないでくれ。もうしばらく、このままで行きたいから」と語ったという話を思い出しました。

悲しみは、自分自身で受けいれ尽くさないと、うまく先に進めないんじゃないかと。

だから、ショーンともうまくいかなかった。いろいろアレなところはありましたが、ショーンは彼なりに悲しんでいた。「悲しみ」はいっしょ。ただ、2人でいると悲しみが共振して増幅してしまった。それが2人の関係を壊してしまったんだと思います。ショーンが語った、タコマナローズ橋のように。

劇中で建設中だった橋は、マーサの心が冷えていくのと反比例するように着実に伸び、最後には繋がります。季節のうつり変わりと橋の完成に呼応するように、マーサの心にも暖かさと平穏が訪れるようになりました。

一連の、感情と季節・風景のうつり変わりを考えてみると、「外世界がマーサの心を表現する」というより、「マーサの心のありようが、外世界を変えた」という見方もできると思うんです。

絵画において、心のありようを作品の見た目に反映させる技法は「表現主義」と呼ばれます。1900年代前半にドイツを中心に興ったムーブメントで、1893年のムンクの『叫び』は表現主義の源流ともいえる作品で、作者の不安が外世界に作用して強烈な歪みとして描かれています。


https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f4/The_Scream.jpg/800px-The_Scream.jpg
出典:Wikipedia

表現主義は映画にも影響をあたえます。1921年のドイツ映画「カリガリ博士」が代表的な作品です。


https://m.media-amazon.com/images/M/MV5BMTkzNTA3NDYzMV5BMl5BanBnXkFtZTgwMjg5MTY3MTE@._V1_FMjpg_UX1000_.jpg
出典:IMDb 表現主義の影響をうけた歪んだセットが「カリガリ博士」の大きな特徴。

「私というパズル」は、極端ではないですが「マーサの心のありように呼応するように外世界の風景がうつり変わる」という点で、表現主義の影響も感じられます。

ムンドルッツォ監督は、過去のインタビューで、ドイツの映画監督ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーから影響を受けたと語っています。ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーが表現主義の影響下にいるかはわかりませんが、ハンガリーで育ち、映画づくりを学んだムンドルッツォ監督にはヨーロッパ的な映像表現手法に馴染みがあるんでしょう。

マーサの心を、風景やカメラワーク、音楽に託して表現してきた「私というパズル」で、もうひとつ印象的なのが「林檎」です。林檎は何を象徴し、伝えようとしたのでしょうか。

老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさ

赤ちゃんを亡くしたあと、マーサは「林檎」を事あるごとに気にします。スーパーで買った林檎の種を、発芽させようとしますし、タイトル後のシーンで着ている赤いコートも、林檎を想起させるようです。

クライマックスの裁判シーンで、赤ちゃんから林檎の香りがしたことを思い出し、マーサにとって林檎は育ってくれるはずだった子どもを投影していたことが分かりました。

直接的には「林檎=死んでしまった赤ちゃん」ですが、もっと象徴的な意味もあると思うんです。林檎といえば、旧約聖書『創世記』における、禁断の果実。蛇にそそのかされたイヴがアダムと共に口にしてしまい、それが原因でエデンの園を追放されてしまう。


https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/53/Hugo_van_der_Goes_009.jpg/800px-Hugo_van_der_Goes_009.jpg
出典:Wikipedia 『人間の堕落』(フーゴー・ファン・デル・グース画)

人間には「死」が運命づけられ、イヴ(=女性)には出産の苦しみを、アダム(=男性)には労働の苦役が課せられるになった。禁断の果実が林檎かどうかはおいておくとして、劇中で林檎が「禁断の果実」的なものとして描かれているのは間違いないはずです。

林檎は、人間が今のようになった原因であり「人間らしさの象徴」なんだと思います。

人間らしさとは、何か。「老いと、死」です。

老いも死も、「生」があるから、訪れるものです。

マーサとショーンの赤ちゃんは、たしかに「生きていた」んです。マーサの腕の中で温かく鼓動を刻んでいたんです。それを思いだし、そしてショーンが残したフィルムに残された出産直後の姿を見てマーサの心は変わりました。

奇しくも、子どもを取りあげ、裁判にかけられてしまった助産師もイヴです。イヴは「死」をもたらしたけれど、それ以上にかけがえのない「生」も実感させてくれた。

マーサはイヴを許し、「死」を受けいれることで、「生」を心から祝福することができるようになったんだと思います。

老いることも死ぬことも
人間という儚い生き物の美しさ

『劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編』の、煉獄杏寿郎のセリフです。

人は、遅かれ早かれ、必ず死ぬ。だからこそ、今を生きる人との関係を大切にしなくてはならない。「その時」が訪れてから後悔するのは、遅すぎるから。

ウイルスが人と人の距離を離し、突然の死が起こることもたくさん見せつけられている2021年のはじまりに、「死」をとおして「生」の喜びを感じさせてくれる「私というパズル」に出会えてよかったと思います。

悲しみを乗り越えるということ、大切な人との関係を後悔しないようにすること。マーサというひとりの女性の姿からぜひ感じとってください。


https://m.media-amazon.com/images/M/MV5BNWUwZDYyYjQtMDk0Zi00Y2ViLTg0MDEtNGIyYzI3MzFjMmExXkEyXkFqcGdeQXVyMjM0Mzk3NjM@._V1_FMjpg_UX1000_.jpg
出典:IMDb

きっと、心に残る何かが見つかるはずですから


このコラムについてみんなで語り合えるオンラインコミュニティ「街クリ映画部」会員募集中です。また、コラムの新着情報をオリジナルの編集後記とともにLINE@で無料配信中です。こちらから「友だち追加」をお願い致します。

[イラスト]清澤春香

街角のクリエイティブ ロゴ


  • このエントリーをはてなブックマークに追加

TOP