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「The Call」映画でも現実でも、電話に出るとろくなことにならない

加藤広大 加藤広大


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電話に出るとろくなことがない。電話に出なくてもろくなことがない。

映画やドラマにおいて受話器のベル、今であればスマホの着信音が鳴った場合、応答してもろくなことがないし、応答しなくてもろくなことがない。特に後者は顕著で、ろくなことがないどころか、電話に出れば長々と何シーズンもやらずとも、一話目にして話が終了する場合もある。どこの24時間とは言わないが。

これは今や、実生活でも同じだ。よくよく考えれば、友人知人とはLINEやメッセンジャーでやり取りするし、仕事はChatWorkやSlackなどを使い、打ち合わせはzoomやら何やらで行う。電話をすることは、以前に比べてすっかり少なくなってしまった。そんなご時勢で、ある日いきなり電話が鳴った場合は大体ろくでもないことになる。

実は本コラムを書こうとした矢先にも一件かかってきた。080からはじまる登録していない番号だったので「誰だろう、昔の友だちかしら。だが登録していないのだから、そこまで大した知り合いではないだろう。だとしたら友人、とまではいかず、高校や専門学校の同級生だとか、知人以上友人未満の人間だろう。あ、もしかしたら久しぶりーとか言われて、最近どう? みたいな感じで宗教勧誘の導入、もしくはなんとか村のオペラみたいな、ブラウザっぽい名前の映画、なんだっけあれ、誘われたらどうしよう」など1分ほど考えていても着信音が鳴り止まなかったので、出た。

するとどうなったか。開口一番「あのぉ、昨年の12月にお電話した斎藤と申しますけれども、覚えていらっしゃいますか?」と言われたので、「あ、もしかしたら仕事の人かも知れん」と思い、とっさに「ああ、覚えてますよ!」と声のトーンを挙げて応答すると、斎藤は返す刀で「ありがとうございます! 加藤さんはまだ世田谷にお住まいですか?」と突然の在籍確認がはじまったので「あ、ええ、住んでます、けど」と応えるが速いか「ありがとうございます! 保険の資産運用の件につきまして」と畳み掛けてきたため「ああちょっと電波がとおくなってきーまーーしーーーたーーーーぁぁーーーー」とスマホを遠ざけながら電話を切った。

ほら見たことか。やっぱり電話に出るとろくなことがない。話を戻す。とにかく、電話は古今東西、あらゆる映像作品に登場する。その着信音は、パニックものであれば危機感をより高め、ホラーであればベルの音そのものが恐怖感を煽る。スマホの着信音も同じく、今ではプリセットの音源を使う人が多いものだから、映画内でiPhoneが「パコペパコペポペペパコレン(耳コピ適当)」と鳴らされると、正直「俺のスマホが鳴っているのではないか」と演出以上にビビる、といった経験をした方も少なくないだろう。

今回取り上げる「The Call」もまた、今では懐かしきコードレス電話が登場し、物語上大きな役割を果たす。

多くの人が想起するだろう。「シグナル」との共時性を


the call01
出典:IMDb

本作「The Call」は、基本的にネタバレが許されない構成になっている。なのだが、一応簡単な筋は記述しておく。舞台は2019年の韓国。ソヨン(パク・シネ)は、自身がかつて暮らしていた家に久しぶりに訪れる。その道すがらスマホを失くしてしまったため、コードレス電話を探し出してきて使おうとする。するといきなり電話がかかってくる。よしゃあいいのに電話に出ると、相手は20年前に同じ住所(家)に住んでいたヨンソク(チョン・ジョンソ)という女性であった。

彼女たちは20年の時を越えて交流を重ね、ついには過去を(ヨンソクの視点から言えば未来を)変えてしまう。その結果、転がり落ちる雪玉のように、もうネタバレできないので適当に書くが、とにかく、どえらいことになっていく。

本作の原作は「The Caller(邦題:恐怖ノ黒電話)」であるが、韓国ドラマファンの方であれば、「シグナル」を真っ先に想起するだろう。「シグナル」では、現代に生きるプロファイラーと、過去に生きていた刑事とが無線機で繋がる。プロファイラーは、未解決の事件に関して刑事に情報を伝え、解決していく。「シグナル」はボードに書かれた現在の状況が、過去改変されることでスゥーっと消えるような描写があったが、本作も同じく、メモの文字が変わったり、傷跡が消えたり、あるいは新たに生じたりする。

つまり、「The Call」「シグナル」ともに過去改変をし、未来へ影響を与えてはいけない、という禁忌をド直球でやっている。だが、2021年の今、禁忌は禁忌でなくなっているのかもしれない。と書いたが、そもそも「バック・トゥ・ザ・フューチャー」だってあるし、「ターミネーター2」だってそうだ。アニメでも「シュタインズ・ゲート」などでいくらでもやっている。なので「斬新」というよりは皆、過去改変に慣れてきているので「ああ、こういう感じね」と安心して観ていられるようになった、と言えるかもしれない。

ただ、本作の白眉は、タブーを破ってしまった人間の末路にある。ソヨンはヨンソクの手助けにより過去を改変し、「こうありたかった」未来を手に入れる。しかし、自分のみが幸せになるのは決して許されない。過去と未来が交差する十字路で悪魔と契約するならば、引き換えに魂を差し出さなくてはならない。つまり、とてつもない対価が必要となる。「The Call」は、不幸な過去を都合よく改変してハッピーエンド、とはならない。タブーを破ってしまった者にはツケが回ってくる。まるで毒のある童話のように、過去を変える危険性を教えてくれる。

韓国映画は大人になったのか、豊かなのか、それとも


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出典:IMDb

と、本作は過去改変物ホラー・サスペンスとしては普通に面白いし、脚本もよく練られている。だが、Netflix独自のコードがあるのかどうかは知らないが、「痛さ」があまり感じられない。韓国映画は基本的に「痛いシーンはとにかく痛そう」がデフォルトで、「悪魔を見た」のアキレス腱切断から、どんな作品でもいいがマ・ドンソクの大砲のようなビンタまで、ヴァイオレンスシーンに痛さと重さがあった。

しかしながら、暴力シーンが比較的多い本作においては、鈍器に消化器、刃物に鎌と、アントン・シガーも驚くほどのナイスチョイスを見せているものの、若干痛さが足りないように思える。ただ、これは筆者が濃い味の作品ばかり観ているので、薄味だと勘違いしている可能性も十分にある。また悪く言えば嘘っぽいし、何ならNetflixっぽいとも言える。念のために書くが、本作のクオリティが低いわけではない。むしろ高い。

もう一つ、気になるポイントとしては、彼女を治そうと除霊を試みる母や、座敷牢的な家の使い方はまだ良いとして、ヨンソクの病名が「双極性障害」と思いっきり出てしまっている点が挙げられる。個人的には配慮をしろなどとは言わないが、「これって、今いいんですか?」と余計なお世話ながら心配になってしまった。韓国映画は寛容なのか、豊かなのか、それとも鈍感なのか、あるいは、気付かないふりをしているだけなのか、誰かに指摘されるまで「突っ込まれなきゃOKでしょ」とノーガード戦法をとっているのか、激しい躁状態のヨンソクを安全圏で観ながら、つい考えてしまった。ただ、チョン・ジョンソの演技スキルはマジで凄まじく、「哭声/コクソン」でいきなり豹変するヒョジン(キム・ファニ)くらい恐ろしいので、それだけでも観る価値はある。

と、何点か気になるポイントはあるのだが、そう感じる原因はおそらく、脚本でも、演技でも、劇伴でもないし、ここまで記述したことでもない。無論斎藤のせいでもない。

本作を「もやもや」させるのは描写でも配慮でもない、おそらく


The Call03
出典:IMDb

タイトルでNetflixのロゴが出る。その一点である。「映画はどこから始まるのか」に関しては、様々な意見があるだろう。スクリーン左右の幕が「ウィーン」という音とともに広がりはじめたとき、と考える人もいるだろうし、NO MORE 映画泥棒が流れたとき、と捉えている方もいるかもしれない。あるいは、TOHOシネマズのヘビーユーザーであれば山崎紘菜が口を開いた瞬間、既に映画は上映されていると言う人だっているかもしれない。

ポップコーンの歌とともに開始される山崎紘菜劇場。その実力の査定についての話はさておき、「制作会社のロゴが出た時が始まり」と感じている人はかなり多いだろう。スター・ウォーズシリーズは完全に本編と一体化しているので別格として、岩に荒波が打ちつけるなか、東映ロゴが出たときや、最近ならばA24のロゴが映し出されたとき、「ああ、映画がはじまったな(はじまるな)」とワクワクする。無論、本編が開始されてからが映画だという人も多いだろう。だが、その人達も、映画を鑑賞する以上、映画会社のロゴは必ず目撃することとなる。

それが「ドドンッ(耳コピ適当)」の音とともにNの文字が表記されたらどうなるか、その後一応制作会社などのロゴは入るが、最後に再び「Netflix presents」と出て、さらに「ネットフリックスプレゼンツ」と字幕表記される。「大事なことなので2回言いました」とは、今やネットの古語みたいなものだが、字幕表記するほど重要なことなのか。どんなに高く見積もっても斎藤の電話よりやや上、くらいの重要度ではないか。ここで、我々は映画館で映画を観ているのではなく、各々の視聴環境でNetflixのコンテンツを観ているのだと再確認させられる。それはいつ何時、スマホ1台あればどこでも鑑賞可能で、途中退場、倍速何でもありで、再見も余裕だ。面白くなければ途中で観るのを辞めてしまえるし、何なら最後のシーンだけ確認して「観た」ことにしてしまえる。もう、心構えが違う。背筋が伸びようはずもない。この拘束力の無さは、映画に対する視力を低下させているように思えてならない。

どこからか「DVDとかBlu-rayだってそうじゃあないですか」という声が聞こえるが、これらには基本的に1作品しか入っていない。再生機にディスクをセットし、再生するという運動もある。筆者の考えでは、Netflixはもとより、あらゆるサブスクリプションサービスは強大なライブラリをもつ試聴機である。もちろん、あんたが時代についていけてないだけ、考え方がアップデートできていないだけといった指摘は全面的に正しい。

これはNetflixが悪いわけではない。どう考えても視力の悪い俺が悪い。何なら斎藤が全部悪い。だが、折しもコロナで家に居る時間が増えた。結果、映画のサブスクリプションサービスの契約者も増加した。当たり前だが、映画館と家での映画体験は大きく異なる。どちらが良いとかアホなことを言ってるんじゃない。映画のあり方が変容するのと同時に、鑑賞者である我々も新しい映画鑑賞の様式を獲得しなければいけない。獲得できなかった先に何があるのか、考えるだけで「The Call」よりもよほどホラーである。その世界が未来で現実になってしまったとしても、過去に電話は通じないのだから。


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[イラスト]清澤春香

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