あなたは、自分が新型コロナウイルスに感染しているかもしれないと思ったことはありますか?
わたしは、あります。
こんにちは、街クリ映画ライターの宮下卓也です。
今回のご紹介する映画は、2011年に製作されたスティーブン・ソダーバーグ監督の「コンテイジョン」です。この映画は「コロナ禍の世界を予見した作品」として、世界中で再注目を集めました。
なお、このコラムの冒頭では、ある男の個人的な体験談が語られますが、ちゃんと映画の話は出てきますので、ご安心くださいませ。
それでは、「妄想懺悔室」のはじまりです。Here we go!
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(とある教会の「告白部屋(懺悔室)」にて)
司祭: 迷える子羊よ、入りなさい。
私: あ、はい、失礼いたします。
司: 神の声に心を開いてください。
私: えと、あの、こういうところに来るのは初めてでして、勝手がよくわからないんですが……
司: 大丈夫です。神の慈しみに信頼して、あなたの罪を告白してください。
私: あ、はい。 (ゴクリと唾をのむ) あの、わたしは大きな罪を犯してしまいました……
司: どのような罪ですか?
私: はい、あの、わたしはですね、今年の3月半ばから4月ごろ、新型コロナウイルスに感染した疑いがあるにもかかわらず、(ハンカチで汗をふく) 外で何人かの人に会ってしまいました……
司: なんと……
私: ただですね、ちゃんとした専門機関で検査を受けたわけではないので、本当に感染していたかどうかはわからないんです。
司: ではどうしてコロナに感染したと?
私: いままで経験したことのないような強い倦怠感があって、「これはただのインフルエンザや風邪ではないな」という直感がありました。
司: どうして検査を受けなかったのですか?
私: 当時の厚生労働省のガイドラインでは、確か「37.5度以上の発熱が4日以上継続していた場合」に検査を受けるように書かれていたんです。いまは違うようですが。わたしの場合、微熱はあったのですが、37.5度まで熱が上がらなかったし、味覚異常もなかったんです。
司: ああ、検査を受けるべきどうか、ギリギリのラインだったんですね。
私: はい。自分の体調が異常なのはわかったのですが、とにかくその頃は「誰にも会わず家で寝ていること」がベストだと思ったんです。
司: でもその判断は間違ってなかったのではないですか? あの当時は、みんなが病院に押しかけて医療崩壊したり、人が密集して逆に感染を広げることを危惧する声が多かったはずです。
私: は、はい。なので仕事は休んで、家族ともいっさい接触せず、ずっと1人で部屋にこもっていました。その頃はまだ無実でした……
司: あ、話の続きがあるのですね。
私: ええ。家にじっとしていたのですが、禁を破って人に会ってしましました。
(しばし沈黙)
司: 続けてください。
私: はい。それは大変お世話になった方の送別会で。あの、もちろんマスクはつけていましたし、少しだけご挨拶したらさっと帰ろうとそのときは思ってました。ただ、あのわたし、自分でいうのもなんですが、プライベートではかなりの人気者なので、話し始めるとなかなか帰してもらえず……
司: そこまではっきり自分を人気者という人をはじめてみました。
私: で、話していると話題に尽きなくて、喋りに熱が入っていくうちに、だんだんマスクが煩わしくなってきてですね……
司: ……外したんですか、マスクを?
私: いえ、そこの記憶が定かではないんです。マスクはしていたのですが、人間は都合よく記憶を変えてしまうので、もしかしたらと思い……。おぉ、神様! たとえマスクをしていたとしても、コロナの疑いがあるにもかかわらず、30分以上もベラベラと喋ったこと自体が間違いでした……
(2人、しばし沈黙)
私: その後、わたしの体調は回復し、まるで何事もなかったかのように元の生活に戻ったのですが、そこから地獄の苦しみがはじまりました。
司: というと?
私: 「もしかしたら、わたしがあのとき会った人たちに、コロナをうつしたかもしれない」という疑念が頭の中に浮かんできたのです。その疑念はどんどん大きくなり、わたしの心と身体を蝕んでいきました。このことは自分自身のコロナ感染疑惑より、何十倍もわたしを苦しめました。
司: なるほど。
私: 幸い、わたしの周りにコロナに感染した人はいませんでした。いまとなっては、そもそもわたしが本当にコロナに感染していたかどうかもわかりません。
但し、わたしはいままでの人生において、ある意味、最も苦しい経験をしました。
この新型コロナウイルスは、自分にとってどうでもいい人よりも、自分にとって大切な人をより危険な目にあわせるのです。
わたしのとった行為は許されるべきではありません。
司: 告白は以上ですか?
私: ……はい。
司: それでは、神の許しを求め、心から悔い改めの祈りを唱えてください。
私: おぉ、神よ! 悪に染まったわたしを救い、罪深きわたしを清めてください。
(男、目をつむり、手を合わせて深く祈る)
(すると、天窓から柔らかい光が差し込み、告白部屋が少し明るくなる)
(天井のほうから、声が聞こえる)
神の声: あの、ちょっといいですか?
私: えっ! (あたりをキョロキョロ見回しながら) 誰ですかあなたは?
神: いやまぁ、その、呼ばれた気がしたんで。
私: なんと! ではあなたは!
神: そんなことはともかく、このコラムは映画コラムなんですよね?
私: ええ。
神: なのに2000字を過ぎても映画の話が出てきませんが。
私: ご安心ください。このくだりはですね、落語でいうところの「まくら」でございまして。
神: 「まくら」にしては、チト長すぎやしませんか?
私: 大丈夫です。わたしが尊敬する落語家、故五代目立川談志は、1時間以上「まくら」を噺して落語の本題がなかなかはじまらないことがありましたし、さだまさしさんのコンサートなんかは歌よりトークのほうが長いとききました。
神: 言っていることがよくわかりませんが。
私: (ややキレぎみに) だからですね、
司: (2人の間に割って入って) 私から提案があるのですが。
私: (少し冷静になって) うかがいましょう。
司: 映画コラムを書かなきゃいけないんですよね? では、コロナ感染疑惑者ならではの映画コラムを書いてみる、というのはどうでしょう?
私: わたしならではの映画コラムですか......。
(少し考えて) ああ、うってつけの映画がありますよ!
(フェードアウト)
(フェードイン)
(数日後、とある教会の「告白部屋」にて)
司: では、罪の告白をしてください。
私: はい、わたしは、先日こちらにうかがって、「コロナ感染疑惑のあったライターならではの映画コラムを書く」というご提案をいただいた者です。
司: ああ、はい、覚えています。
私: ところがですね、罪滅ぼしのために「社会に役立つ映画コラム」を書こうと必死になったのですが、全然書けないんです。
司: あれ? 確かうってつけの映画があると言ってませんでしたか?
私: ええ、まさに神の啓示のように、ある映画のタイトルが浮かびました。
司: なんでしょう?
私: スティーブン・ソダーバーグ監督の「コンテイジョン」(2011年)です。
出典:IMDb
司: 「コンテイジョン」、ですか。
私: “contagion”というのは、「空気感染」を意味する“infection”とは異なり、「接触感染」を意味します。「お互いに触れ合うこと」というラテン語が語源だそうです。
司: なるほど、コロナに関係しそうなタイトルですね。
私: まさにその通りで、2011年に作られたこの作品は「コロナ禍を予言したハリウッド映画」として世界中から注目を集めることになりました。
司: ああ、結構前の映画なんですね。どんな映画ですか?
私: ジャンル的には「スリラー」であり「パニック映画」なんです。香港で発生した「MEV-1」という感染症がパンデミック化して。
司: パンデミック(世界的な感染爆発)という言葉も定着しましたねぇ。
私: ええ。で、この映画は大きく3つの物語が平行に描かれていてですね。
ひとつは「妻と息子を感染症で失った男が、残された娘を感染から守る話」です。
出典:IMDb
もう1つは「CDC(アメリカ疾病予防管理センター)の医者たちが、感染症が発生した現地に行って拡大を防いだり、ワクチン開発に尽力する話」。
出典:IMDb
3つ目は「香港に派遣されて感染源を調査するWHO(世界保健機関)の職員が、ワクチン入手のための人質として現地人に誘拐される話」です。
出典:IMDb
司: 3つの話が平行に。なんだかややこしそうですが。
私: ただ、これはソダーバーグ監督お得意の手法なんです。
アカデミー監督賞を受賞した彼の代表作「トラフィック」(2000年)も、「麻薬取締担当の大統領補佐官と、麻薬に溺れるその娘」の話、「アメリカの麻薬密輸の仲介者と、それを追いかける捜査官」の話、「メキシコの麻薬捜査官」の話、という3つの話が同時並行的に語られます。
司: あぁ、過去の作品でも同じようなことをやってるんですね。
私: この手法は「平行モンタージュ」あるいは「クロス・カッティング」というんですが、観客が混乱しないように、脚本も演出も撮影も編集も工夫されているんです。
司: へぇ。
私: 特に撮影は特徴的で、「トラフィック」なんかは場所によって画面の色調を変えているんです。
司: ん? どういうことですか?
私: 「ワシントンD.C.は“青”」、「メキシコは“黄”」、「カリフォルニアは光を”白”く飛ばす」という風に、場所によって画面の色調をフィルタリングしてるんです。そうすると、観客は無意識的に「いま語られている場所はどこか」を理解できるようになるんです。
出典:IMDb
出典:IMDb
出典:IMDb
「コンテイジョン」も似たような手法がとられています。
司: なるほど、映像に凝る監督なんですね。
私: ですね。「トラフィック」も「コンテイジョン」も撮影監督はピーター・アンドリュースですが、これはソダーバーグ自身の別名であるのは有名な話です。
司: なんでわざわざ別名にするんですか?
私: ハリウッドは組合の力が強くて、カメラマンの組合に入っていないソダーバーグは、撮影監督として映画にクレジットできないという決まりがあるんです、
って、こんな話を懺悔室でしてていいんですか?
司: まぁ、いいじゃないですか(微笑)。最近、教会に来る人も減ってヒマなんです。
私: あ、そうですか。わたしも家族以外の人と外で話すのは久しぶりです。やっぱり、人と直接会って話すのは楽しいですね!
司: で、「コンテイジョン」は、登場人物たちが未知の感染症とたたかう話なんですね。
私: そうなんですが、普通のハリウッド映画と違ってやっかいなのは、「敵が目に見えない」ところですね。
司: 確かに。やっつける対象がはっきりしない。
私: あの、「キン肉マン」という漫画がありますが。
司: は? 話がとびますね。
私: キン肉マンは、おでこのあたりに「肉」という字が描かれてますよね。
出典:Twitter
司: あぁ、はいはい。
私: わたし、自分がコロナ感染疑惑になったとき、「コロナに感染したら、おでこに「コ」っていう文字が浮かび上がったらわかりやすくていいのに」と思いました。
司: それはそれで大問題を巻き起こしそうですが、あなたがいいたいのは「感染症は目に見えないのがやっかいだ」ということですね。
私: ええ。でも「目に見えない敵(この映画ではウイルス)をどう描くか」は、映画的には面白いテーマなんです。
司: というと?
私: ホラーやスリラーにおける「忍び寄る謎の恐怖」をどう演出するかで、その監督のセンスがわかるんです。
司: ほほう。
私: たとえば、ウイルスが目に見えないからといって、CGであえてウイルスに色付けして、スローモーションでウイルスにズームアップしていって、人間の口や鼻に入っていくさまを描くようなNHK的映像を映画でやったら最悪です。
司: 手厳しいですね。
私: 「見えないもの(あるいは見せられないもの)をあえて見せる」のではなく、「見えないものを見えないまま」にどう描くかが、映画の醍醐味なんです。
司: 力が入りましたね。
私: たとえば男女のエロスを描くのに、女の人の×××に男の×××が×××するのを即物的に描いても、エロくもなんともないわけでしょう?
司: ここは教会です。言葉を慎むように。
私: 失礼しました。アーメン。
司: アーメン。
私: では「コンテイジョン」がウイルスの恐怖をどう描いたかをお話ししましょう。
司: お願いします。
私: まず映画の冒頭ですが、黒画面を背景に、乾いた咳の音が聞こえます。
司: つまり「コホコホ」という咳の音だけが聞こえると。
私: 映像がなく音声のみを聴かせることで、「この映画では咳が重要である」と観客に無意識的に暗示するところからはじまるんです。
司: あぁ、感染症は咳で伝染していくから。
私: こういう導入を2011年の時点で演出しているところにソダーバーグの才能を感じます。
司: いまだったら、電車の中とか人混みで咳をするとやたら目立つので、咳には注意が向きますよね
私: 逆にいうと、われわれはいま咳に敏感に反応するから、この冒頭のシーンが印象的なのかもしれませんね。
司: 現実の変化によって、映画の見方が変わっているんですね。
私: 大事なポイントです。映画を観ることによって、現実の見方が変わることもあります。
映画の中盤で、感染症の情報を得た医者役のエリオット・グールドがカフェでお茶をしていると、カフェの客が手づかみで食べ物を子供の口に直接入れていたりして、あまりの無防備さに呆然とするシーンがあるのですが、
出典:IMDb
「情報を持つ者」と「持たざる者」の間で世界の見え方は一変します。
司: なるほど。
私: で、話を戻すと、咳の音バックの黒画面からフェードインして、グウィネス・パルトロウ扮するベスが映ります。
出典:IMDb
司: 咳をしていたのはこの人ですか。映画のヒロイン?
私: と一瞬思いますが、違うんですね。画面には赤字で”Day 2”(2日目)というテロップが入ります。
司: ”Day 1”(1日目)ではないんですね。
私: その辺はオチに関係するので、説明は割愛します。
司: ネタバレはしない、と。
私: ええ。でグウィネス扮するベスが、シカゴの空港で電話をしてるんです。香港の出張帰りに、まっすぐミネアポリスの家には帰らず、シカゴに寄ってるんです。
司: なんでまた?
私: 不倫です。
司: あれま。
私: で、ネタを割ってしまうと、このグウィネス扮するベスが起点となって、全世界に感染症が広がっていく話なんです。
司: ネタバレしないといった直後にネタバレしてますが。
私: (軽く無視して) ベスに接触した人はどんどん謎のウイルスにおかされていきます。シカゴの不倫相手も、感染して死にます。
ここでこの映画の重要なテーマが示されていますね。
司: (気を取り直して) なんでしょう?
私: パンデミック中は不倫禁止。
司: 平常時も禁止です。
私: 失礼しました。アーメン。
司: アーメン。
私: で、この映画ではベスが香港でウイルスで感染し、そこから全世界に広がります。
司: ああ、アジア発であるところもコロナと被りますね。
私: ええ。次のシーンでは、香港、ロンドン、東京で感染者と思われる人たちがバタバタと倒れていくシーンが平行モンタージュで描かれます。
司: うわぁ。
私: 香港の若い男性、ロンドンの若い女性、東京の中年サラリーマン、彼らがどんどん具合が悪くなるさまを描くんですが、この約2分半のシーン、セリフが一切ないんです。
司: サイレント。
私: 先ほど「黒画面に咳の音」という「音声のみ」で表現する手法をお話ししましたが、今度は逆にセリフに頼らず「映像のみ」で感染症の恐怖を描いていきます。
司: さっき、下手なCGなど使わずに恐怖を描くといっていたのはこのことですね。
私: ソダーバーグは自らカメラを回しますから、監督自身の視線がそのまま映像化されます。よくソダーバーグの映画は「ドキュメンタリータッチ」といわれますが、ある意味当たり前なんですね、だって自分の視線がダイレクトに映像表現されるのだから。
司: ああ、そうか。
私: ウイルスは接触感染で伝播しますが、それがどのように広がるのかは、「監督=カメラ」の視線が何にフォーカスされているかでわかります。クレジットカード、電車の手すり、仕事の書類、ドアノブ、エレベーターのボタン、そして親と子のハグ。
司: ああ。
私: クリフ・マルティネスによる不気味な電子音のBGMはあるにせよ、約2分30秒の間、一切の説明的なセリフもなく、単に「視線」を演出するだけで感染症の恐怖は映画的に描けるのです。
司: なるほど。
私: グウィネス・パルトロウ扮するベスは家に帰って、マット・デイモン扮する夫のミッチと息子に再会します。
司: 夫がマット・デイモンでも不倫をするんですね。
私: 嫁が佐々木希でも不倫する人はするんです。
司: 神は許しませんよ。
私: で、画面に赤字で”Day 4”(4日目)というテロップが表示されたと思ったら、ベスは泡を吹いてぶっ倒れて、病院に担ぎ込まれてすぐに死んでしまいます。
出典:IMDb
司: ええ! 主人公の奥さんなのにもう死んでしまうんですか!
私: 映画開始後9分10秒地点で死が通知されます。普通のハリウッド映画なら死なないんです。たとえば同じように感染症を描いた映画「アウトブレイク」(1995年)では、主人公ダスティン・ホフマンの元妻レネ・ルッソも感染症におかされますが、死ぬ直前でワクチンが投与されてハッピーエンドです。
出典:IMDb
司: 普通はそうですよね。
私: ただまぁ、「スター女優をいきなり殺してショックを与える」というスリラーの手法には元ネタがあって。
司: あるんだ。
私: ええ、ヒッチコックの「サイコ」(1960年)です。当時のスター女優ジャネット・リーが、いきなりシャワールームで刺殺されるんですね。
出典:IMDb
司: あ、その写真、どっかで見たことあります。
私: だから別に目新しいやり口ではないんですが、実はこの映画、CDCの職員として感染抑止に奔走する医者を演じるケイト・ウィンスレットも、いとも簡単に死ぬんです。
出典:IMDb
司: 「タイタニック」(1997年)の人ですね。
私: この映画にはオスカー女優が3人も出ていますが、2人はあっさり死んで、1人(マリオン・コティアール)は失踪して終わります。
実はですね、スティーブン・ソダーバーグには「スターを雑に扱う問題」というのがありまして。
司: なんですか、その「スターを雑に扱う問題」というのは。
私: 例えば、「さらば、ベルリン」(2006年)では、「スパイダーマン」シリーズですでにスターだったトビー・マグワイアにチンケな小悪党をやらせてあっさり殺してますし、
出典:IMDb
「エージェント・マロリー」(2012年)では、ジーナ・カラーノ(この人は女優ではなく本職は格闘家)扮する女スパイが、チャニング・テイタム、マイケル・ファスベンダー、ユアン・マクレガー、アントニオ・バンデラスといったスター俳優を、ただひたすらボコボコにする映画でした。
出典:IMDb
司: へぇ、じゃあ元々そういう人なんですね。
私: 極めつけは、彼の最新作「ザ・ランドロマット パナマ文書流出」(2019年)です。主役のメリル・ストリープがマンションを購入するシーンに出てくる不動産屋の女を、あのシャロン・ストーンが演じているんです。
出典:IMDb
で、実は彼女、事件の鍵を握る悪女か何かと思って観ていたら、マンションの説明をするワンシーンにだけ出てきて、それっきりなんです。
司: シャロン・ストーンといえば……
私: ええ、あのシャロン・ストーンです。
出典:IMDb
学生時代、どれだけお世話になったことか。
司: 言葉を慎みなさい。
私: 失礼しました。アーメン。
司: アーメン。
私: 学生時代といえば、「コンテイジョン」では、マット・デイモンの娘には彼氏がいて、こっそり彼氏が彼女の家にやってくるシーンがあるのですが、感染のリスクがあるのでマット・デイモンに銃を突き付けられて、「帰れ!」なんていわれるんです。
司: それは切ない。
私: このシーンを観て「ああ、いまも世界中の若いカップルたちが、コロナのせいでいろんなことを我慢してるんだな、かわいそうに」と思ったんですが、きくところによると、いまでも結構やることはやっているようで。
司: ああ、外出禁止なので、結局、家でこそこそと。
私: あら、お詳しい。
司: (咳払い)
私: とにかく、わたしがいいたいことは、「シャロン・ストーンよ、仕事は選べ」。
司: そこかよ!
私: で、なんの話でしたっけ?
司: 「スターを雑に扱う問題」です。
私: あ、それそれ。この「コンテイジョン」にしても、ジュード・ロウは詐欺師みたいなフリーライター役ですしね。
司: それでもこの監督の映画に出たいんですかね。
私: でしょうねぇ。「オーシャンズ11」(2001年)シリーズをはじめ、オールスターキャストの映画をたくさん撮ってますから。
司: さすがに「オーシャンズ11」は私も知ってます。
私: ジョージ・クルーニー、ブラッド・ピット、アンディ・ガルシア、ジュリア・ロバーツ、そしてソダーバーグの映画には8本も出ているマット・デイモン。
司: 常連俳優なんですね。
私: わたし、マット・デイモンって、「冴えないディカプリオ」だとずっと思っていたのですが、彼が出演したソダーバーグの映画を見直して考えを改めました。
司: ほう。
私: 「コンテイジョン」ではいきなり奥さんを亡くすんですが、医者から妻の死を告げられるシーンのマット・デイモンは、実にいい。
医者から「お亡くなりになりました」といわれても、事態を飲み込めずに、「ああ、わかりました。で、妻と話せますか?」なんて“素”の顔でいうんです。
出典:IMDb
司: うん、それが自然ですよね。いきなり泣き崩れるとか、むしろありえない。
私: 「インフォーマント!」(2009年)は、大手企業で内部告発をするサラリーマンが主人公のブラックコメディーですが、マット・デイモンは体重を10㎏も増やして、卒なくコミカルな演技をこなしていました。
出典:IMDb
司: へぇ、コメディもやるんですね。
私: 「恋するリベラーチェ」(2913年)では、実在するピアニストのリベラーチェをマイケル・ダグラスが演じていて、マット・デイモンはゲイの恋人役なんです。で、マイケル・ダグラスとマット・デイモンがひたすらイチャつくという、「いったい誰が観たいんだ、これ」という恐るべき映画でした。
出典:IMDb
司: で、面白かったんですか?
私: 「ミュージシャンとゲイの映画」という意味では、わたしは「ボヘミアン・ラプソティ」(2018年)より、「恋するリベラーチェ」を推します。
司: へぇ!
私: マット・デイモンはソダーバーグの映画にいろいろ出ていますが、はっきりいってソダーバーグの映画では、「オーシャンズ」シリーズが一番つまらないです。
司: え! 爆弾発言が続きますね。
私: ソダーバーグって、評価がしづらいんです。こんなに語りにくい監督はいません。
司: というと?
私: デビュー作「セックスと嘘とビデオテープ」(1989年)で、28歳にしてカンヌ国際映画祭でグランプリ(パルムドール)を撮るんですが。
司: うーん、教会で語るには微妙な映画っぽいですね。
私: これ、学生のころ「アンディ・マクダウェルのエロシーン」を期待して観にいったら、そういうシーンが全くなくて、ガッカリした記憶があるんです。
出典:IMDb
司: 慎みなさい。
私: 失礼しました。アーメン。
司: アーメン。
私: でも、いま観返すと、ソダーバーグの変態性がよく出ていて、面白いんですね。
司: ほめてますか、それ?
私: ほめてます。で、カンヌで賞を取って、ジム・ジャームッシュのようなインディーズ系のアート監督になるのかなと思いきや、普通にハリウッド映画を何本か撮るようになるんですが、興行的に大失敗するんです。
司: あ、そうなんですね。
私: このころの彼は完全にハリウッドを干されるんですが、私見では、この時のハリウッドに対する恨みをソダーバーグは今でも忘れていないと思います。このあたりを論じると長くなるので割愛しますが、「スターを雑に扱う問題」にも関係するはずです。
司: でも、その後、大成功するんですよね?
私: ええ、ジョージ・クルーニーと組んで「アウト・オブ・サイト」(1998年)を撮ることを足掛かりに、ハリウッドメジャーの職人監督として見事に復活します。ジャンル的にも、アクション、フィルムノワール、SF、社会派ドラマ、コメディ、ミステリーと、どんなジャンルでも90分から2時間程度にまとめることができるんです。
司: 芸術家タイプではないんですね。
私: 器用貧乏なんです。もちろん彼なりの作風というか特徴はあるんですが、一貫したスタイルが感じられない。だから映画マニアからの評価も高くない。たとえば、ソダーバーグは1963年生まれですが、同世代のクエンティン・タランティーノ(1963年生まれ)や、デヴィッド・フィンチャー(1962年生まれ)、あるいは少し下の世代であるクリストファー・ノーラン(1970年生まれ)、ウェス・アンダーソン(1969年生まれ)に比べると、「映画作家」としては格下に見られていると思います。
司: へぇ。
私: じゃあ、「職人監督」に徹するかといえばそうでもなく、妙な反骨精神があって、キューバの革命家であるチェ・ゲバラを描いた「チェ」(2008年)は、前編後編あわせて265分もあるような商業ベースを無視した作品ですし、
出典:IMDb
映画監督を引退してテレビドラマを撮ったと思えば、数年後に映画に復帰したり、全編iPhoneで映画を撮ったり。最近の作品はNetflixでの配信です。
司: あぁ、実験精神もあるし、メディアにもこだわらない。
私: ドキュメンタリー映画「サイド・バイ・サイド」(2012年)でも本人が語っていましたが、ソダーバーグにとっては、映画/テレビ/配信や、アナログ/デジタルといった区分は別に気にならないんでしょう。そういう意味では、いまの映画界の風潮を批判し、「古き良きハリウッド」を愛したまま映画監督を引退するタランティーノとは対照的ですね。
司: なるほど、芸術家で職人でもなく、語りづらい人であることはなんとなくわかりました。
私: ありがとうございます。でも語りづらいけれども、もっと評価されるべき監督だということも伝えておきたいです。
司: わかりました。で、そろそろまとめに入りたいのですが、そもそもあなたは何を懺悔しにきたのですか?
私: あ! そうでしたね。
ええと、何を懺悔したかったかというと。わたしは「コンテイジョン」のコラムを書くことで「コロナ感染拡大の抑止に貢献し、少しでも社会のお役に立とう」と思っていたのですが、そういうコラムがどうしても書けないと、それを懺悔したくて。
司: ほう。
私: 実は「映画「コンテイジョン」から学ぼう」的なWeb記事やYouTube動画は、すでにたくさんありまして。
司: そうなんですね。
私: しかも、この映画に出演したスターたち自身が、COVID-19(アメリカではコロナのことをこう呼ぶ)予防を呼びかける動画まで配信されているんです。
なので今更わたしがいうことは特になくて。
司: ああ。
私: で、このコラムを書くためにソダーバーグの映画を20本以上観返したんですが、そうするとだんだんコロナのことなんかどうでもよくなって、映画を観るのがどんどん楽しくなって、「ソダーバーグって、実は面白いんじゃね?」ということしか思いつかなくなってしまったんです……。当初の目的だった「社会に役立つ」ことはできなくて、かろうじてできそうなのは「自分なりに調べて感じたことを書く」ぐらいで……
司: わかりました。では、神の許しを求め、心から悔い改めの祈りを唱えてください。
(男、目をつむり、手を合わせて深く祈る)
(すると、天窓から柔らかい光が差し込み、告白部屋が少し明るくなる)
(天井のほうから、声が聞こえる)
神の声: 呼んだ?
私: おお、あなたは!
神: どうやらあなたは映画がお好きなようですが、「サリヴァンの旅」という映画をご存じかな?
私: はい。1941年に製作された、プレストン・スタージェス監督の傑作コメディです。
出典:IMDb
神: この映画の主人公は、コメディ映画を作って成功した映画監督です。でも彼は、貧しい人たちの生活を描いた「社会派」の映画を撮って問題提起することが監督としてあるべき姿なのだと思っています。ところが実際に貧しい人たちをリサーチすると、彼らこそが辛い現実を少しでも忘れさせくれるコメディ映画を必要としていることがわかる、というお話でした。
私: はい、それは存じてますが、ちょっと論点がみえません。
神: ひと口に「社会に役立つ」といっても、いろんな方法があります。今のように社会生活が制限されているときには、家にいて自分の好きなことに没頭し自分を癒すことだって、じゅうぶん社会の役に立っています。
私: なるほど。
神: 映画に限らず、なんでもいいので自分の好きなことを調べて発信し、ひとりでもいいからそれに共感してくれる人がいて、その人の心を豊かにすることができれば、それだってある意味、社会貢献ですよ。
私: つまりあなたは、無理に世の中にあわせようとはせず、自分ができることをやれと。
神: では、がんばってください。
(「告白部屋」の明るさが元にもどる)
私: ああ、ありがとうございます! (ちょっとむせ返りながら) ああ、なんかやる気が出てきた! ゴホッ、よし、がんばって書くぞ!
司: よかったですね。
私: はい! 来てよかった! ゲフォッ。なんか興奮してむせ返っちゃった、ハハハ。ゴホッ、ゴホッ。
司: 大丈夫ですか?
私: はい、ゴホッ、大丈夫です。ゴホッ、ゴホッ。
司: では、コラムを楽しみにしています。アーメン。
私: アーメン。ゴホッ、ゴホッ。
(フェードアウト)
(黒画面を背景に、乾いた咳の音が続く)
(フェードイン)
(教会から出ていく男のロングショット)
(画面には赤字で”Day 1”(1日目)というテロップ)
(エンドロール)
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[イラスト]清澤春香