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HBO「チェルノブイリ」は自宅待機中の全人類が見るべき究極傑作である

橋口幸生 橋口幸生


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尊敬する映画評論家の友人が「みんな安易に“必見”とか“年間ベスト”と言い過ぎだ」と批判していた。まったくもってその通りだ。年間数百本の映画を観るプロの言葉が重みが違う。本業のコピーライターの傍らたまに映画の文章を書く……というレベルの僕が、滅多なことで「必見」なんて言葉を使うべきではない。

……しかし、そう書いたそばから本当に申し訳ないのだが、HBO「チェルノブイリ」を「全人類必見」と書く誘惑を抑えきれないでいる。私よりはるかに芸術全般に精通している田中泰延さんも同じことを言っていたので、許していただきたい。

脚本や演技、演出、音楽などすべてが完璧。個人の好き嫌いを超えて、観る者すべてを圧倒する。エミー賞10部門を受賞し、IMDbで過去最高得点を記録したことからもクオリティは保証済みだ。しかし「チェルノブイリ」の凄さは、そういう次元にあるのではない。このドラマを傑作とかおもしろいとか、そういう次元で語ってはいけない。

本作が「全人類必見」であるのは、作り手が明確にそう意識して作り上げた物語だからだ。

驚くべきリアリティで再現された1986年のソ連

「チェルノブイリ」は、1986年4月26日に起きた原発事故を全5回に分けて、圧倒的なリアリズムで描いたドラマだ。考証に費やされた時間は実に2年半。研究書から政府の報告書、ドキュメンタリー映像まで、あらゆる資料に目を通したと、プロデューサー兼脚本家のクレイグ・メイジンは語る。撮影が行われたのはチェルノブイリと同じ旧ソ連圏のリトアニアだ。かつて「チェルノブイリの妹」と呼ばれた同型の原発で、いまは廃炉となったイグナリナ原子力発電所が、CGでチェルノブイリへと変えられている。



出典:IMDb

どれだけ正確に再現されているのか?当時のソ連を知るジャーナリストはこう語る。

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西側のテレビドラマが、当時のソ連での生活をここまで正確に描いたことが信じられない。再現したところで誰も分からないのに……。

細かいミスを探そうとしたけど、全く無かった。道端で話すおばあちゃん、生活用品や台所用品、学校の子ども達が来ているお祝い用の服(事故はお祭りの前日に起きたんだ)、靴、髪型……。住民がゴミ出しに使うバケツまでソ連のものだった。あんなガラクタ、どうやって見つけたんだ?

「あれ、子どもが土曜に学校にいるのはおかしいぞ!」と最初は思った。でも、思い出したよ。ソ連が週休2日制を採用したのは1989年なんだ!

出典:https://twitter.com/SlavaMalamud/status/1132029943297265664

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第1話からして強烈で、主人公である核物理学者ヴァレリー・レガソフが自殺するシーンで幕を開ける。プロデューサー兼脚本家のクレイグ・メイジンは「この男は死ぬし、原子炉は爆発します、ということを最初から分からせたかった」と語っている。これはありきたりな、生易しいドラマではないんだぞという、作り手から観客への宣戦布告のようなオープニングだ。



出典:IMDb

レガソフとともに事故対応にあたるのが、ボリス・シチェルビナ。ソ連閣僚会議の副議長だ。科学者と官僚という水と油の2人が、反発しながらも次第に絆を深めていく様子は、物語の大きな見せ場となっている。恐ろしい事故を描きながら、大きくはバディものなのだ。実際、クスッと笑ってしまう場面もある。絶妙なバランス感覚だ。(もちろん2人とも実在の人物で、レガソフの自殺も史実)



出典:IMDb

チェルノブイリに向かうヘリの中で、レガソフは素人であるボリスに原子力発電の仕組みを説明する。これがそのまま観客への説明にもなっているのが巧い。そして一見、傲慢で石頭に思えたボリスが、レガソフの話を素直に聞き、すぐに理解する。「この男は政府側だけど馬鹿ではないし、根は善良だ」ということが瞬時に観客に伝わる。繰り返しになるが、舌を巻く巧みな演出だ。

レガソフとボリスが協力して事故対応にあたる姿は、科学と政治のあるべき関係のメタファーでもある。物語上、レガソフに代表される科学が善玉であり、ソ連政府に代表される政治が悪玉だ。レガソフがどれだけ事故の深刻さを訴えても政府側の人物たちは耳を貸さない。希望的予測にすがり、責任を押しつけあうだけで、何ら有効な対策を打ち出せない。あまりの無能さに観客のイライラはつのる。

しかし第2話の終盤で、レガソフがまったく無力になる場面が出てくる。原子炉直下の貯水槽に水が溜まってることが発覚するのだ。メルトダウンした核燃料が水にふれると水蒸気爆発が起き、半径30キロ以内は完全に破壊される。爆発した4号炉に加えて、残りの3つの原子炉の放射性物質が大気に放たれる。半径200キロ以内で食料と水が永久に汚染され、ガンや先天性異常が多発し、予測不能なほどの死者が出る。白ロシア(ベラルーシ)とウクライナは100年間人が住めなくなる。ヨーロッパ全土が死の大地になるのだ。

危機を脱する方法はただひとつ。3人の作業員が汚染水の中を進み、手作業で弁をあけて水を抜くしかない。被曝量を考えると、3人は1週間で死ぬことになる。

レガソフは「報酬を出すし、昇進も約束する」と志願者を募るが、当然、誰も手を挙げない。

「死ぬとわかっているのに、何で俺たちがそんなことをしなくちゃいけないんだ?」

声を挙げる作業員たちに対して、レガソフは何ら反論できない。

そこでボリスが口を開く。



出典:IMDb

「やらねばならないから、やるんだ。
 君たちにしか、やれないことなんだ。
 やらなければ、数百万人が死ぬ。

 理由はそれで充分だろう?

 これが私たちという民族だ。
 世のために犠牲になった
 先祖達の血を受け継いでいる。

 どの世代にも苦難がある。
 私は事故を起こした男を憎み、
 その代償を呪う。
 だが、受け入れよう。

 君たちも受け入れて、水に入ってくれ。

 ……やらなければならないことなんだ」

何回見ても涙をこらえきれない名台詞&名シーンであり、ステラン・スカルスガルド一世一代の名演技だ

科学者はロジックやファクトにもとづいて問題を解決する。しかし、それを超えた行動が求められるとき、政治が決断しなくてはいけない。原発事故はもちろん、コロナも気候変動も、本来は科学と政治が力をあわせて乗り越えていくべき問題なのだ。

ボリスの叫びに応えて、アナネンコベズパロフバラノフという3人の男たちが志願する。当然、この3人も実在&実名だ。

本稿を読んでいる方々には、ぜひ、人類の恩人とも言えるこの3人の名前を覚えていただきたい。彼らだけではなく、何の見返りも求めず自己犠牲を払った人々に思いをはせていただきたい。レガソフとボリスを中心としながらも、名もなき人々の英雄的行動を讃えるのが、「チェルノブイリ」の一貫したスタンスだ。

たとえば、事故直後から現場にかけつけた消防士たちがそうだ。原子炉内の破片がそこかしこに転がる中で消火活動をしたことで、恐ろしい放射線障害に襲われることになる。



出典:IMDb

彼らは「原発で火事が起きた」とだけ聞かされて、その危険性については一切知らされていなかった。しかし、すぐに「これは只事ではない」と気づいたはずだ。空気は金属の味がする。黒鉛に触れた手はズタズタになる。顔は赤く腫れあがる。それでも逃げ出さずに「やらなければやらないこと」を続けた。

全裸でトンネルを掘り続けた炭鉱夫たちも、



出典:IMDb

「90秒ルール」で黒鉛の処理をしたリクビダートルたちもそうだ。



出典:IMDb

教科書に載っている偉人ではなく、無名の英雄たちが世界を支えてきたことを「チェルノブイリ」は教えてくれる。

しかし、自己犠牲を讃えても、安易な美化はしない。第3話では放射線被爆をした消防士たちの肉体に何が起きるのかが目を背けたくなるほどのリアリティで描かれる。下記は特殊メイク担当のダニエル・パーカーの発言の引用だ。

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まず顔が赤くなり、肌に斑点が現る。唇や目など全身が腫れ上がる。これを僕はステージ1と呼んでいる。

次は潜伏期だ。肌の赤みは残るものの全身の腫れがひき、気分も良くなる。回復したように見える。

しかし次のステージ2では全てが変わる。全身が極度に腫れ上がり、激痛が走る。すべての細胞が凄まじいスピードで崩壊をはじめる。粘膜は剥がれ落ち、唾腺は無くなる。想像もつかない恐ろしさだ。

最終ステージではすべての皮膚が失われる。全身の血管が裂け、あらゆるところから血がにじみ出す。皮膚が壊死しているから、すべて見えるんだ。メイクではこの通りの状態を作り出したよ。

リサーチに3ヶ月を費やした。写真を探したが、良いものが見つからない。残っている多くはソ連のプロパガンダ写真で、正確とは言えないからだ。正確な写真の多くはセピア色でぼやけていて、状態が悪かった。

仕方がないから資料を読み漁ったよ。実際の化学的なプロセスを学んだ。高線量の放射線にさらされた時、人体に何が起きるのかを。そこからメイクの準備をはじめた。

メイクはタトゥーの会社に依頼した。血管や傷のタトゥーを役者の体に転写するんだ。ふだんは長い時間をかけて手作業で塗るけど、タトゥーのおかげで数分で済んだ。その上から、半透明のシリコンをかぶせる。普通はシリコンをかぶせて、その上から色を塗る。今回は逆の手順をふんだことになるね。

出典:Deadline

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事実と創作の絶妙なバランス

ここまで「チェルノブイリ」のリアルさについて書いてきたが、当然、すべてが真実というわけではない。5時間のドラマにまとめるために、創作された部分も多い。

最大のウソは、登場人物が流暢なイギリス英語を話すことだろう(笑)。ロシアなまりの英語を話すことも考えたようだが、結局、役者の英語を活かしたらしい。なまじ絵としては当時のソ連が見事に再現されているだけに最初は違和感があったが、すぐに慣れた。この英語が「リアルではあるけどフィクションですよ」という観客への注意書きとして機能し、作品を誠実なものにしていると思う。

第2話では、消火用のホウ酸を撒こうとしたヘリコプターが原子炉の真上に入った途端、墜落する。衝撃的なシーンだが、事実ではない。実際にヘリコプターが墜落したのは、事故から約半年後の10月2日。石棺の建設中にプロペラとクレーンのケーブルが接触したことが原因だった。


出典:IMDb

ドラマでも、よく見るとクレーンとプロペラが接触しているのが分かる。しかし前後の文脈から、観客のほとんどは放射線の影響で墜落したと思うだろう。賛否が分かれる描写だ。

ほとんどの登場人物が実在するが、ウラナ・ホミュックは創作されたキャラクターだ。劇中で説明される通り、レガソフと行動をともにした多くの科学者をモデルにしている。



出典:IMDb

レガソフを演じたジャレッド・ハリスはホミュックを「レガソフの良心」と表現している。レガソフやボリスは、物語の上では善玉ではあるものの、保身や責任逃れもするし、理想と現実の間で葛藤する。しかし、ホミュックには一切の妥協がない。どこまでも真実を追求する。

ソ連という男社会のしがらみにとらわれないホミュックは、現代社会での女性の可能性を象徴しているようにも思える。

しかし、ホミュックを女性にした理由は、実際に当時のソ連で女性の科学者が活躍していたからなのだという。プロデューサー兼脚本家のクレイグ・メイジンはこう語る。

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ソ連は男女平等社会とは言い難かったが、科学と薬学は例外でした。80年代、ソ連で働いていた女性科学者の数は、アメリカよりずっと多かったんです。第2次世界大戦で男が大勢死んだのが原因でしょうね。レガソフは女性科学者達と働いていたんです。名前は残されていなくても。

出典:vulture

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実際、エンドロールで紹介される科学者たちの写真の中には、女性の姿が見える。


出典:IMDb

全エピソードの中でもっとも事実からかけ離れているのが第5話だ。最終回であるこのエピソードは、これまでとは一転して、事故の真相を暴く裁判劇となっている。被告は事故当日に原子炉を運転していた副技師長のディアトロフ、所長のブリュハーノフ、技師長のフォーミン。彼らを証人として追い詰めるのがレガソフとボリス、ホミュックだ。


出典:IMDb


出典:IMDb


出典:IMDb

しかし、主人公3人は実際には裁判の場にはいなかった。模型やパネルを使った分かりやすいRBMK炉の解説も、レガソフの感動的な自己犠牲も、すべて創作だ。(あまりにドラマチックなので、ほとんどの人は気づくと思うが)

もっとも創作度の高い最終回で明らかにされるシリーズのテーマが「ウソの代償」であることが、逆説的でおもしろい。職員をスケープゴートにしたい政府の意に反し、レガソフは事故の原因はRBMK炉の構造にあり、政府の責任であることを明らかにする。そして、ソ連政府をこう批判する。

「秘密とウソばかり。
 それが私たちの姿だ。

 ウソをつくたびに真実へのツケがたまる。
 ツケは必ず払わされる。

 RBMK炉の爆発を招いた本当の原因。
 それは、ウソだ」

「政治は真実をウソで語り、芸術はウソで真実を語る」とは、まさにこのことだ。

なぜ僕が事実と創作の違いを指摘できるのかと言うと、別に熱心に調べたからでも何でも無い。プロデューサー兼脚本家のクレイグ・メイジンが自らPodcastで公開しているからだ。(https://podcasts.apple.com/us/podcast/the-chernobyl-podcast/id1459712981)

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シリーズのテーマは真実の重要性だ。だからこそ、どうやってフィクションとしてのリアリティを描いたのか、すべて公開しなくてはいけなかった。真実を変えた部分には説明責任がある。また、ウソとしか思えない真実も数多く登場するからね。

出典:indiewire

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感動の最終回がかかえる問題点

最終回については「海の淵」というブログで重要な批判がなされている。(海外の関連書籍やIAEAの報告書まで参照して書かれた読み応え充分の記事で、一読をオススメする)(https://uminofuchi.com/chernobyl2/)。

簡単にまとめると「事故の原因は運転員(特に副技師長のディアトロフ)にあるという、既に否定された説を真実として描いている」というのが、その内容だ。

事故直後の1986年には、運転員の規約違反が事故の原因とする報告書がまとめられている。しかし、これはソ連が提出した資料に基づいて検証されており、運転員をスケープゴートとする思惑が働いた可能性が高い

その後、再調査が進み、1992年には最終的な報告書がまとめられている。そこでの結論は「事故の原因は制御棒の欠陥。運転員の規律違反は無かったか、あったとしても事故への影響は無かった」というものだった。

ドラマでは、レガソフがディアトロフらの規律違反と制御棒の欠陥を告発する形で、両方の説が採用されていることが分かる。結果として、ディアトロフが過度に悪人として描かれていることは否めない。


出典:IMDb

実際のディアトロフは、事故当日も若い運転員を逃がすなどの対応をしていたらしい。事故後は、自分と部下たちの冤罪と名誉回復を訴え続け、1995年に亡くなっている。


出典:YouTube

ディアトロフ悪人説は、レガソフが善人に描かれ過ぎているという見方にもつながる。レガソフはソ連の原子力研究の中心だったクルチャトフ原子力研究所の副所長だ。45歳でソ連科学アカデミーの最年少会員にもなっている。エリート中のエリートであり、はっきりと体制側の人物だ。(これは一応、劇中でもふれられているが)海外の批判的な評には「レガソフと消防士などの一般人の生活レベルが同じなのは明らかに不自然だ」という指摘もある。

「真実への希望を失ってしまったら、代わりに“物語”で満足するしかない」

第1話でのレガソフの言葉だ。

ディアトロフは原発の危険性を知らされないまま、事故の責任を押し付けられた。そして事故後は、自分と死んだ部下たちの名誉回復のためにソ連政府に立ち向かった。そんな「物語」を見出すことだって可能だ。むしろその方が「真実」に近いのかもしれない。

英雄でも、ヴィランでもなく、人々の物語

プロデューサー兼脚本家のクレイグ・メイジンは、膨大な参考資料の中から『チェルノブイリの祈り』を特別な1冊として挙げている。3年間以上の時間かけて、300人以上の事故の当事者を取材したドキュメントだ。



出典:Amazon

著者はスベトラーナ・アレクシエービッチ。Amazonの著者略歴には「1948年ウクライナ生まれ。国立ベラルーシ大学卒業後、ジャーナリストの道を歩む。民の視点に立って、戦争の英雄神話をうちこわし、国家の圧迫に抗い続けながら執筆活動を続ける」とある。

本を開くと、冒頭からドラマでも重要な登場人物だったリュドミラが登場することに驚かされる。


出典:IMDb

事故が起きた夜、その後の混乱、夫を襲う恐ろしい放射線障害とその死、そして現在に至るまで。すべての詳細を、驚くべき記憶力で証言している。事故の貴重な記録であり、叙事詩であり、夫へのラブレターでもある。芸術家でも詩人でもない、ソ連の名もなき女性の言葉とはにわかに信じがたい。

雑誌「THE NEW YORKER」のライター、マーシャ・ゲッセンはこう書いている。

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リュドミラのモノローグは、これまでの私の読書体験の中でも、もっとも記憶に残るもののひとつだ。以前、インタビューした時、作者はこう話していた。“リュドミラは実際に、この通りに話していました。まるでシェイクスピアのようでした”

出典:THE NEW YORKER

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被爆して空から落ちる鳥。3日間の疎開と聞かされていたが、2度と故郷に戻れなかったプリピャチ市民たち。科学者の言葉に一切耳を貸さない中央委員会。

この本の証言の多くがドラマで再現されている。事実上の原作本と言っていい。ファンは必読だ。

現代人ではなく、当時のソ連の人々の視点から事故を描くドラマの手法も、『チェルノブイリの祈り』から着想を得ているのだろう。

ドラマの序盤から中盤にかけては、キャラクターに寄った絵が多く、事故の全貌がわかるシーンはほぼ無い。ニュース映像を見ている僕たち観客と違って、当時のチェルノブイリの人々は、何が起きたのか理解していないのだ。だから爆発はリュドミラがアパートの窓から見た風景と衝撃でしか表現されない。爆発後も、破壊された薄暗い施設内で右往左往する所員たちしか映されない。キャラクターが体験したことだけを映像化しているのだ。


出典:IMDb


出典:IMDb


出典:IMDb

こうした「キャラクター視点演出」の中でも白眉なのが第2話だ。チェルノブイリからの報告書からを読み上げるレガソフ。パラパラとページをめくるものの、突然手が突然止まり、顔から血の気がひく。セリフは一切無い。これだけで「チェルノブイリで大変なことが起きた」ことが観客に伝わるのだ。(凡百のドラマだったら「大変だ! チェルノブイリ原発が爆発したぞ!」とセリフで言わせるだろう)


出典:IMDb


出典:IMDb

初めてロングショットで事故の全貌を見せるのが、裁判で真実が明らかになる最終回、という構成も実に理にかなっている。第1回では不明瞭だった原発所員たちの行動も、分かりやすく描かれる。

暴走する核燃料、吹き飛ぶ原子炉の蓋、天を貫く青白い光線。爆発する原子炉という、誰も見たことがない光景が、完璧に映像化されている。


出典:IMDb


出典:IMDb


出典:IMDb

その様子は恐ろしいと同時に、美しい。『チェルノブイリの祈り』でもこんな証言が出てくる。

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こんなきれいなものは映画でも見たことがありません。

私たちは知らなかったのです。こんなに美しいものが、死をもたらすかもしれないなんて。
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みたいものを、つくればいい

チェルノブイリを題材に「チェルノブイリ」という物語をつむいだのは、クレイグ・メイジン。プロデューサーと脚本家を兼任する、シリーズの中心人物だ。



出典:IMDb

1990年代にディズニーのマーケティング担当としてキャリアとスタート。その後は「ハングオーバー」の2作目&3作目や、「最’狂’絶叫計画」といったシリーズものコメディ映画の脚本家として知られてきた。こうして振り返ると、「チェルノブイリ」につがなる要素がほぼないことに驚かされる。

クレイグ・メイジンのキャリアは、「ハングオーバー」シリーズでクレイグと仕事をした後「ジョーカー」を撮ったトッド・フィリップスを彷彿とさせる。ちなみに「チェルノブイリ」と「ジョーカー」両作品とも、音楽はヒドゥル・グドナドッティルが手がけている。また「チェルノブイリ」で原子炉屋上の黒鉛を処理するロボットの名前は「ジョーカー」だ。

コメディからの転向について、クレイグ自身はこう語っている。

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よく聞かれるんですけど、自分の中では一貫しているんですよ。コメディは難しい。観客から「笑い」という肉体的反応を引き出さなければいけない。そんなジャンルは他に無いですよね。ドラマであれば最後に一回、観客を泣かせればいいだけです。3分に1回、泣かせる必要はないですよね。でもコメディでは3分に1回、笑わせなければいけない。本当に過酷です。ロジックや知性が求められます。私が知るもっとも賢い人の一部は、コメディの脚本家です。ルールを破ることと、キャラクターへの理解。両方が必要なんです。

コメディが書ければ、シリアスなドラマは簡単に書ける。ずっと、そう思っていました。たとえば「マッドメン」のマシュー・ウイナーもコメディ出身ですよね。私は長いことコメディをやってきました。誇りに思っているし、後悔はありません。でも「チェルノブイリ」のほうが、ずっと本来の私に近いんですよ。年を取って、つらい経験も色々しましたしね。正直、「チェルノブイリ」は私にとってもっとも簡単に書くことができた脚本なんです。

出典:collider,vulture

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チェルノブイリを題材に選んだ理由については、こう語っている。

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チェルノブイリに興味を持ったのは5~6年前です。タイタニックがなぜ沈んだのかは誰でも知ってる。でも、チェルノブイリがなぜ爆発したのかは誰も知らない。おかしいですよね? 自分の世界への理解に、ぽっかり穴が空いていると感じました。それで本を読み始めたんです。その時点では、とくに目的もなく、ただの好奇心ですね。そうしたらハマってしまいました。実際に脚本を書き始めたのは2016年です。

時を同じくして、テレビにの世界に変化が起きました。(※筆者注 長編ドラマのことを指している)より良いストーリーが語れるようになったんですよ。幸せな偶然でしたね。

出典:collider, deadline,vice

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「チェルノブイリ」の出発点はマーケティングではなく、クレイグ・メイジン個人の好奇心だったというのが面白い。実際、調査で「チェルノブイリのドラマを課金して見たいと思いますか?」と聞かれてイエスと回答する人はあまりいないだろう。しかし、田中泰延さんの言う「読みたいことを、書けばいい」をそのまま実践したことが大成功につながったのだ。

クレイグ・メイジンは職人肌の脚本家として活動しきてた。他人の脚本を書き換えることもあれば、逆に自分の脚本が他人に書き換えられることもあったと言う。作品に名前がクレジットされないことも多いらしい。彼にとって「チェルノブイリ」は初めてのパーソナルな作品だったのだ。

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ハリウッドでは、書きたい脚本を書けることは滅多にないんです。ほとんどの場合は、誰かに書けと言われたものを書きます。とくにシリーズものは大変です。ビジネスの事情がアーティストの意図より優先される。生活もあるし、パートナーや子どもたちを支えないといけないから、やりますけどね。つらいですよ。たまに書きたいテーマを見つけても、ああしろ、こうしろと口出しされます。

しかし、今回は一切、口出しされなかった。「締切を守れ」「予算に収めろ」「タレントのご機嫌を取れ」なんてことは一切、言われなかったんです。HBOが言うのは「最高のものをつくろう」という、ただそれだけです。何の制約もありません。僕は書くことに集中できた。素晴らしかったですよ。こんな経験は長い間したことが無かった。

出典:vulture

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メイジンの脚本に命を吹き込んだのは監督はヨハン・レンク。今回、スウェーデン出身であることが大いに役立ったと語る。

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僕が生まれ育った1970年代のスウェーデンは、80年代のソ連と似たようなものでした。政府は社会民主主義で、テレビは国営チャンネルが2つしかない。スーパーでは2種類のシリアルしか売っていないし、ソーセージは1種類だけ。どういう映像を撮ればいいのか、すぐに理解できたんです。

出典:collider

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出典:IMDb

「ブレイキング・バッド」などドラマの経験もあるものの、ヨハン・レンクはミュージック・ビデオやコマーシャルの世界をメインに活動してきた監督だ。代表作はデイビッド・ボウイの「ブラックスター」や、NIKEの「Chasing Marion」など。後者はカンヌ・ライオンズを受賞しているので、広告業界には見た人も多いだろう。CM監督としては1日35万クローナ(約380万円!!)のギャラを取る巨匠だ。

しかし、映画とは比べ物にならないレベルで、色々な人が色々なことを言ってくるのが広告の世界だ。これまでのキャリアについてヨハン・レンクはこう語る。

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正直に言って、僕は馬鹿げた仕事をしてきました。ただただ、暇つぶしのための映像を撮ってきたんです。それが突然、僕のキャリアで初めて、仕事に大義がうまれたんです。物語に目的がある。事故にかかわった人々を讃える。この仕事は僕にとって誇りです。

テレビの世界にいることを、本当に、本当に、幸せ感じています。興行収入のことを気にしなくていい。お金になるからと言って、ありきたりなアイデアを押し付けてくる人がいないんです。

出典:collider

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僕と同じ広告業界の人間にとって、身につまされる言葉が続く。クリエイターに限らず、これまでのビジネスでは事情をうまくあしらうことのできる人が「優秀」とされてきた。しかし本当は、才能ある人は実力を発揮できる環境を整えるほうが大切なのだ。特殊メイク担当のダニエル・パーカーも「人を雇うときは、雇った目的の仕事をさせろ」と発言している。

調査に調査を重ねる。事情を汲み取るだけ汲み取る。こんな仕事の仕方は、ソ連同様、時代遅れになっている。みたいものを、つくればいい。そう「チェルノブイリ」は教えてくれる。

熱くなれば氷は溶ける

長々と書いてきたが、そろそろ締めくくろう。本稿冒頭に「チェルノブイリは明確に全人類に見せるために作られたドラマ」と書いた。プロデューサー兼脚本家のクレイグ・メイジンはこう語っている。

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僕たちは、ソ連と自分たちとは違うと言われて育ちました。彼らの社会は、僕たちとは正反対だと。僕たちが彼らのように振る舞うことは決して無いと。でも、見てください。いま僕たちは受け入れがたい真実を否定しています。ソ連は原子炉をコントロールできませんでした。気候変動も同じです。熱くなれば氷は溶ける。これが真実なんです。

出典:vice

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そう、「チェルノブイリ」は1986年のソ連の物語ではない。いま、2020年を生きる、私たちの物語なのだ。

皮肉にもコロナ禍によって、そのメッセージの普遍性はより強いものになった。

マスクをするべきなのか?
効果はないのか?

検査は増やすべきなのか?
増やすと医療崩壊するのか?

感染は拡大しているのか?
諸外国より死者数が少ないから問題ないのか?

何が真実で、何がウソなのか?

「チェルノブイリ」最終回は、
レガソフのこんな言葉で幕を閉じる。

「科学者は純粋だ。
 真実を愚直に探しもとめる。

 しかし、ほとんどの人は真実など望んでいない。

 でも、いつだって真実はそこにある。
 たとえ私たちが見ようとしなくても。

 真実は人間の事情や政府、
 思想、宗教など歯牙にもかけない。
 ただ横たわり、発見の時を待っている。
 そう、チェルノブイリは教えてくれた。

 かつて真実の代償を恐れた私だが、
 いま、あなたに問いたい。

 ウソの代償とは?」


出典:IMDb


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[イラスト]清澤春香

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