「パラサイト!!」
第92回アカデミー賞作品賞プレゼンターのジェーン・フォンダが作品名を読み上げた瞬間、覚えていますか? もう遠い過去のような気がしますね。たった2か月前のことなのに。
ポン・ジュノ監督と映画「パラサイト 半地下の家族」については、もうすでに語り尽くされている気がしますし、街角のクリエイティブでも加藤さんが祝福の花火を打ち上げてくれています。クロスレビュー会も実施されました。
ポン・ジュノ監督とソン・ガンホの20年来のファンとして、ひと言だけ言っていいですか?
歓喜
でした。同時に、大好きなカレが遠くへ行ってしまうような寂しさも味わいました。特にソン・ガンホ。あんなにでかい顔で、全然フォトジェニックじゃないのに、たぶん日本で1番有名な韓国俳優になったんではないでしょうか。2番目はやっぱりヨンさまかな。
(mame調べ)
出典:Amazon 実は観たことがない。
世界的スターになってしまった最愛の元カレ(違う)を笑顔で見送っても、気落ちしないでいるのはもちろん、dearestなカレが別にいるからです。
でも、うちのお母様は名前を忘れたちゃったらしいんですよ。どんな特徴か教えてって聞いてみたらですね。「外国の俳優は名前を覚えるのが大変やけど、彼はいいわー。名前に全部“ン”がついてるの」なんて言っておりました。
かいみん?
それはゆっくりぐっすり眠る「快眠」や!
しゅけんざいみん?
日本国憲法の前文を出してきてどうするの!
みんみん?
それは関西の人しか分からん! もうええわ!
というわけで、最近のdearestなカレ。その名は、ファン・ジョンミン。名前に全部“ン”がついてるので覚えやすい。
出典:KMDb 登場の仕方にチンピラも戸惑う爆笑シーン。
「ファン・ジョンミン主演映画にハズレなし!」と、観客からの信頼も厚い実力派俳優のファン・ジョンミン。中でも2015年に公開された「ベテラン」は、1300万人以上の観客を動員し、歴代5位につけています(ちなみに「パラサイト 半地下の家族」は17位。映画館入場券総合コンピュータ・ネットワーク調べ)。
現在、Amazonプライムはじめ、Hulu、U-NEXTで配信されています。大笑いしながらスカッとするので、いま一番おすすめの映画です。今回のコラムでは、映画「ベテラン」の魅力をお伝えしたいと思います。
「1億俳優」ファン・ジョンミンとは
韓国には「1億俳優」という称号があるそうです。出演作の観客動員数が、累計で1億人を突破した俳優に贈られる名誉なのですが、まだ4人しかいません。
ひとりは、言わずもがな。ソン・ガンホです。
出典:KMDb 水石効果ってホントにありそう。
そして最年少・最小作品数で「1億俳優」に仲間入りしたのがハ・ジョンウ。「神と共に」シリーズ、続いて出演した作品「PMC ザ・バンカー」の大ヒットのおかげ。
出典:映画.com これも最高におもしろかった!
調べてみて驚いたのが、名バイプレイヤーのオ・ダルスも「1億俳優」のひとりだったこと。韓国映画を観たことがある人なら、どこかで顔を見たことがあるかもしれません。ほとんどの場合、コメディ担当の名優です。
出典:KMDb 「仲間なんだから、おならのニオイも一緒じゃないとな」
そして。ソン・ガンホと並ぶ人気で、「1億俳優」の名にふさわしい俳優といえる、My dearファン・ジョンミン。この4人しかいないんです。
出典:KMDb 「罪を犯すなって言っただろ?」
ファン・ジョンミンのデビューは1994年、ミュージカル「地下鉄1号線」。彼はミュージカル俳優出身なんです。子どもの頃から自転車に乗って劇場通いをするくらいの“芝居バカ”で、映画では、日本でも大ヒットした「シュリ」にも出演しています。
ただし、注目されるようになったのはイム・スルレ監督の「ワイキキ・ブラザーズ」から。ドサ回りの旅を続ける若者たちをコミカルに描いた作品です。
出典:KMDb
2015年に日本で公開された「国際市場で逢いましょう」では、父との約束を守るため、家族のために激動の時代を必死に生き抜いた男の生涯を熱演。不器用だけど、正直者な主人公の20代から70代までをひとりで演じ、韓国のアカデミー賞と称される「大鐘賞」の主演男優賞を受賞しています。
出典:映画.com 人間くささが魅力の主人公。
日本では2019年に公開された「工作 黒金星(ブラック・ヴィーナス)と呼ばれた男」も話題になりました。一見すると“人好きのする商売人のおっちゃん”、実は“韓国のスパイ”という役柄。身元がバレそうになったシーンや、最高指導者に面会するシーンの緊迫感は、思い出すだけでドキドキします。
出典:映画.com 笑顔の仮面に本心を隠す主人公。
「ダンシング・クィーン」や「星から来た男」といったコメディにも出演。実に幅広い役柄を演じている俳優といえます。が。忘れてならないのは、やっぱり“ゲス男”役です。
特に、「生き残るための3つの取引」「新しき世界」「アシュラ」の3本は、歴史に残る“ゲス男”ぶり。「傷だらけのふたり」も入れたいけど、4本だとちょっとハンパだからガマンしました。
「1億俳優」と呼ばれるだけある、華麗なる経歴。ですが、本人はいたって謙虚で愛妻家としても知られています。結婚する時、「ベッドシーンがある映画は絶対やらない」と、妻と約束したのだそうですよ。
だから男臭い映画ばっかり出てるのか!!!
なんだか納得してしまうMy dearファン・ジョンミン。そんな彼が主演を務める映画「ベテラン」には、ファン・ジョンミンとオ・ダルス、「1億俳優」がふたりも出演しているんです。おもしろくないわけがないんですよ。
リュ・スンワン映画を支える武術の力
「ベテラン」を監督したのはリュ・スンワン。ファン・ジョンミンとは、「生き残るための3つの取引」以来の映画となります。
リュ・スンワン監督は、2000年に映画「ダイ・バッド 死ぬか、もしくは悪(ワル)になるか」でデビュー。インディペンデント作品ながら高い評価を得て、以降もバイオレンスアクション映画を撮り続けてきました。
ボクシングに生きる男たちを描いた「クライング・フィスト」で、第58回カンヌ国際映画祭の国際批評家連盟賞を受賞しています。
出典:KMDb 右側のリュ・スンボムは、リュ・スンワン監督の実弟。
リュ・スンワン監督作品になくてはならないのが、「拳」です。ノワール劇の陰鬱さを吹き飛ばし、男と男の意地の張り合いを象徴する、拳のぶつかり合い。そんな映画の武術面を支えてきたのが、「ベテラン」でも武術監督を務めるチョン・ドゥホンです。
リュ・スンワンとチョン・ドゥホンのW主演で映画も撮っています。「相棒 シティ・オブ・バイオレンス」は、監督と脚本はリュ・スンワンが、武術演出と製作はチョン・ドゥホンが担当。全編オールノースタントで撮影したそうですが、100人以上はいる敵陣にふたりで乗り込む乱闘シーンは圧巻でした。
出典:KMDb 左がチョン・ドゥホン、右がリュ・スンワン監督
この映画によって、「韓国映画でアクションといえば、チョン・ドゥホン」が定着。チョン・ドゥホン自身が役者として演技することもあれば、別の俳優のスタントマンを務めることもあって、韓流スターのイ・ビョンホンがハリウッド映画「G.I.ジョー」に出演した時には、一緒にハリウッドに渡り、彼のスタントをしています。
出典:IMDb 全身白のスーツが似合うってイ・ビョンホンと石田純一くらいでは。
プロボクサー出身で、テコンドー4段、ハプキドー5段など、柔道や格闘技も合わせると20段くらいになるんじゃないでしょうか。ソウルアクションスクールの創設者で、多くのスタントマンを養成しています。
道で会っても目を合わせてはいけない人物のような気がしますが、リュ・スンワン監督とはこれまで何度もタッグを組んでいます。でも、血みどろのガチアクションから一転、「ベテラン」ではエンタメに振り切ったアクションをみせているのです。
なぜに方針転換?
もしかして血のりを買い占められて在庫切れだった!?
実は、リュ・スンワン監督はジャッキー・チェンの大ファンなのだそうです。「ベテラン」は実際に起きた事件をベースにしていますが、参考にしたのはジャッキー・チェンの「ポリス・ストーリー/香港国際警察」だと、監督がインタビューで語っています。
出典:IMDb
「本当に好きなスタイルの映画を作ろう」
そうリュ監督にアドバイスしたのが、ファン・ジョンミン。「よっしゃー! やったるでー」と言ったかどうかは分かりませんが、その気になった監督。困ったのは、武術監督であるチョン・ドゥホンです。
「ジャッキー・チェン式のアクションは私の頭の中にないので、コメディのアクションはできない」
ガッビョーーン!!!
出典:KMDb 左がチョン・ドゥホン、右がリュ・スンワン監督。最高!
たしかに、これまでのリュ監督&チョン武術監督コンビの作品は、重いんです。アクションがガチの殴り合いだから。でも「ベテラン」は、財閥のボンボン野郎を、しがない刑事がボコボコにするストーリーです。この「重さ」をどうするか。
そこでファン・ジョンミン演じるドチョル刑事を、天性の明るさを持つ、ひょうきんなキャラクターに設定したのだと思います。彼の天真爛漫さを利用して、危機感や緊張感よりも、スピードとテクニックを目立たせるアクションへ。
3人の信頼関係によって誕生した、社会派アクションドラマなのに、心から楽しめるエンタメ映画。それが「ベテラン」なのです。
おしりペンペンされたことがない悲劇
なぜ、映画「ベテラン」は、韓国で熱狂的に迎えられたのでしょうか。
よく言われるように、韓国経済は財閥資本が支えています。ですが、彼らの横暴によって泣きを見る中小企業や個人は少なくないんですよね。象徴的なのがナッツを巡るリターンな事件。また、とある事件で逮捕された人物の娘は「優遇されないのがムカつくなら、親に力がなかったことを恨め。あっかんべー」と言ったとかで、火に油を注いでいました。
「ベテラン」も、ある財閥企業の親族が、系列企業のトラック運転手を金属バットで暴行したという事件をベースにしています。
熱血武闘派ベテラン刑事ドチョルを演じるのが、ファン・ジョンミン。
出典:KMDb
そして。財閥企業の御曹司で、どうしようもないクソなボンボン野郎・テオは、ユ・アインが演じています。ドラマなどで血の気は多いけど純真な役を演じていたユ・アインにとっては、これが初の悪役。「国家が破産する日」でも、危機に投資するやんちゃ男を演じていました。
出典:KMDb 「俺にそんなことしたら、後で困るんじゃね?」
ドラマの打ち上げパーティに招かれたドチョル刑事は、派手に遊ぶテオと知り合います。そのパーティの様子。白いワンピースの女性が誰か分かりますかね?
出典:映画.com お坊ちゃまパワー全開のシーン。
「パラサイト 半地下の家族」で半地下家族の長女を演じていたパク・ソダムです。この後、テオの気まぐれの犠牲になって、クリームまみれになります。志村けんのバラエティでよく見たアレですね。テレビなら笑えるけど、現実だとドン引きです。
出典:KMDb 家庭教師の設定を歌で覚えるシーン。
テオの会社の下請け企業が、トラック運転手を一方的に解雇。それを不満に思ったひとりの男がテオを訪ねたことから事件が起きます。管轄外なのに、捜査に首をつっこんで上司と対立するドチョル刑事。
絶対、あいつ怪しい!
その一念でテオを追う熱血武闘派ベテラン刑事ドチョルの前に立ちはだかるのが、映画の中の、もうひとりの“ベテラン”、ユ・ヘジン演じるチェ常務です。“常務”なんて名ばかり。実際にはテオのお目付役で、運転手で、尻ぬぐいの“ベテラン”なのです。
出典:KMDb 「心配するな。俺がちゃんとやっとくから」
「優遇されないのがムカつくなら、親に力がなかったことを恨め」
そんな言葉が通用してしまうくらい、韓国社会は親の経済力と権力が、子どもの世界も決めてしまいます。財閥一家のボンボンであるテオの世界も同じ。どれだけ“オイタ”をしちゃっても、父とチェ常務が解決してくれます。
きっと、子どもの頃から一度も「おしりペンペン」されたことがないのでしょう。
それって幸運なことなのかもしれません。でも、チェ常務という人物はコトを悲劇にする天才なんです。
出典:KMDb それ以上の悪巧みはやめとけーなシーン。
「ゼークトの組織論」という言葉をご存じでしょうか? ゼークトというドイツの軍人が言ったジョークのように言われていますが、元ネタは、クルト・ゲプハルト・アドルフ・フィリップ・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルト男爵だそうです。長いですねー。池に落ちたところを助けようと、名前を呼んでるうちにヤバい状況になっちゃいそう。
出典:Amazon この表紙、大好き!
「ゼークトの組織論」とは、おおよそこんな話です。
有能な怠け者:前線指揮官向き
有能な働き者:参謀向き
無能な怠け者:総司令官または下級兵士
無能な働き者:処刑するしかない
いきなり処刑って!?
ですが、映画の中のチェ常務を見ていると、「熱意ビンビンの無能な働き者」がいかに事態をややこしくしていくのかが、よく分かります。テオの後始末のため、警察にやってきたチェ常務にドチョル刑事がたずねます。
「不思議でならないんだよ。“すいませんでしたー”って言えばいいだけなのに、なぜこんなにコトを大きくするんだ?」
おしりペンペンされたことがないということは、自分の非を認めて責任を取ったことがないわけです。お坊ちゃまがみんなそうだとは思いませんが、「よくないことをしました。ごめんなさい」が言えないがために重ねられるウソ、欺瞞、ごまかし。
おしりペンペンされたことがないお坊ちゃまと、無能な働き者の組み合わせは、史上最悪なのではないか。うっ。これって、いまの政治やん。
出典:IMDb
「ベテラン」の武術監督チョン・ドゥホンは、映画のアクションについてこんな風に語っています。
「ベテラン」は、現実的なアクションで非現実的な夢をかなえる映画だ。軽いジャブのように繰り出されるパンチが、観客の心を打つ。主人公が強さを見せつけて悪党を徹底的に懲らしめるのではなく、粘り強さを応援したくなるアクションにしたいと考えた。
出典:ハンギョレ新聞
おしりペンペンされたことがない悲劇。コメディのアクションは無理というピンチ。映画の展開ひとつでブラックリスト入りするかもしれない危機感。さまざまな困難は、リュ・スンワン監督とチョン・ドゥホン武術監督、ファン・ジョンミンによって、一大喜劇となりました。
最高にスペクタルな展開は、何度観ても、My dearファン・ジョンミンすごい! リュ・スンワン監督&チョン・ドゥホン武術監督コンビ、サイコー! そんな気持ちにしてくれます。
不要不急じゃないものこそ人類の宝
豆好き・チョコ好き・あんこ好きとして、コラムでは毎回「映画の友」をご紹介しています。
今回は、江戸時代に江戸でうまれた和菓子、柏餅にしました。柏は新芽が出た後に古い葉が落ちるため、子孫繁栄の意味もある縁起の良い木なんだそう。
いまはどこの街も「外出自粛を要請」って、この日本語ってどうなの? とツッコミを入れたくなるんですけど。休業しているお店も多いし、映画館も、美術館も、本屋も、ライブハウスも閉まっています。また、大切な人を見送ることにもなりました。
なぜこんなことに。いつまでこの状態に。
不安や不満はいっぱいありますが、それで現実が変わることはないんですよね。
「ベテラン」はブロンディの軽快なディスコナンバー「Heart Of Glass」から始まります。リュ監督がどうしても入れたいと希望したそうですが、このオープニングだけで、いままでのリュ・スンワン映画と違うと感じました。
わたしたちの生活も、古い葉が落ちて新芽が生きるように、これまでの「当たり前」がどんどん変わっていくのでしょう。みんなと自由に会えて、映画を観て、おしゃべりできるようになるまで。その時まで、文化の灯りを消したくない。不要不急じゃないものこそ、人類が生み出した最高の宝だと、わたしは思います。
映画のラストに映し出される監督からのメッセージは、いまにピッタリなものでした。
「がんばって!」
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[イラスト]清澤春香