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「1917 命をかけた伝令」最後の主役は、胸をたたく確かな鼓動

ハマダヒデユキ ハマダヒデユキ


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1917には、3人目の主役がいる。



出典:iMDb

「まだ3月なのに、いきなり今年のNo.1が決まったかもしれない」

それが「1917 命をかけた伝令」を観た第一印象でした。第92回アカデミー賞で10部門でノミネートし、撮影賞、録音賞、視覚効果賞を受賞した話題の戦争映画です。


出典:iMDb

舞台は1917年4月6日、第一次世界大戦末期。ドイツ軍と睨みあう最前線にて、イギリス・フランス連合軍第8連隊所属のウィリアム・スコフィールド(ジョージ・マッケイ)トム・ブレイク(ディーン=チャールズ・チャップマン)にあるメッセージを届ける任務が与えられます。無事に伝えられなければ1600人の友軍が、ドイツ軍によって全滅してしまう重大な任務です。

しかしミッションの達成には、死の罠が仕掛けられた無人地帯・ドイツに占領した街をわずか1日で突破しなければいけません。こうして2人だけのあまりに危険で、果てしない旅が幕を開けたのでした。

主役は1人の兵士と、それを追うカメラと


出典:iMDb

西部戦線異状なし」(`30)「プライベート・ライアン」(`98)を思わせる戦場の最前線を描いた本作の主人公は、スコフィールド上等兵。死が飛び交う最前線を走りぬける姿を「パレードへようこそ」(`14)「マローボーン家の掟」(`17)などに出演しているジョージ・マッケイが熱演。「ゲーム・オブ・スローンズ」(`14~16)に出演したディーン・チャールズ・チャップマンが演じるブレイク上等兵とともに、過酷な旅に出ます。


出典:iMDb

そしてもう1人の主役は、本作の最大のウリである「ワンシーン・ワンカット映像」。画面が切り替わらず、スコフィールドを常に追いかけ続ける緊張感ある長回しの映像を実現するべく、サム・メンデス監督はカメラの動き・セットの状況まで脚本に細かく書き込んだそうです。ワンカットになるよう曇りの日が続くかどうかの情報を季刊誌「ファーマーズ・アルマナック」やweather.comから入手し、スコフィールドとブレイクが歩む距離の細部まで徹底的に計算。

「大変だったのはすべてだ」とサム・メンデス監督が語るSFアクションゲームを連想させるこの演出を、ゲームクリエイター・小島秀夫氏(代表作「メタルギア・ソリッド」シリーズ)も以下のように分析・絶賛しています。

この映画が新鮮で、かつ上手いと思ったのは「伝令」の話にしたことです。主人公は常に戦闘の最中にいるわけではないので、決して派手な出来事が続くわけではない。けれど、移動し続けているので、それをワンカメで追いかけるとシチュエーションは変化し、画面は停滞しない。観客が退屈することはないわけです。
「戦う」兵士じゃなくて「運ぶ」伝令だから成立する映画。ある意味、僕のゲームにも近いですけど(笑)
出典:『キネマ旬報 2月下旬号』より

「本作は、映画の歴史を語るわけでも、何かメッセージを伝えたいというわけでもない。」と語るサム・メンデス監督。同時に「使える映画の技術はすべてつぎ込んだよ。映画は体験だ。観客には頭を空っぽにして観て、感じて欲しい」とも述べており、観る人によって独自の解釈ができるのもその魅力です。

物語の中を走り抜ける1人の兵士と、それを追うカメラ。「圧倒的な没入感」がウリである本作はこの二者に注目しがちですが、実はあと1人注目すべき主役がいると個人的には解釈しています。それはズバリ、邦題の中に。

「1917 命をかけた伝令」

この「命をかけた」という言葉。普通に考えれば「賭けた」ですが、別の漢字を当てはめることはできないでしょうか?

「欠けた」描けた「駆けた」架けた

僕はこれらの言葉がかかった「命」こそ3人目の主役だと思っています。そう、「1917」最後の主役は「命」なのです。

戦争映画ゆえ「命」がテーマなのですが「主役」と考えた場合、この作品の味わいは一段と変わってきます。

わずか1日に込められた、果てしない「命」の旅

戦場の中で「欠けた」命


出典:iMDb

まずは「死」の描写から。スコフィールドとブレイクの旅は、味方側の塹壕を乗り越える場面からスタートします。塹壕とは、敵の銃砲撃から身を守るために陣地の周りに掘る溝のことを指します。そこから足を踏み込んだ向こうには「張り巡らされた鉄線」「蝿がたかる馬の死骸」そして「泥にまみれた兵士の亡骸」が無数に転がった「地獄」と呼べる光景。さらにその先には、味方側よりも圧倒的に完成されたドイツ側の塹壕が待っているのです。

イギリス・フランス軍にとって塹壕はただの防御用の深い溝ですが、ドイツ軍にとっては占領後に新しい国境となる予定の場所。ゆえに設備の完成度が大きく違うのですが、常にそこから敵の命を狙い撃つ場所という点は共通しています。


出典:iMDb

「僕の撃ったドイツ兵はとても良さそうな男だった。……気の毒だったが、ぼくがやられるか、彼がやられるかどちらかだったのだ。」
出典:『知のビジュアル百科16 写真が語る第一次世界大戦(あすなろ書房)』より、英軍兵士ジャック・スウィーニーの言葉から抜粋

実際の戦場で、そんな葛藤があったという塹壕を本作の美術チームはゼロから制作しています。


出典:iMDb

次に登場する景色は、棄てられた砲弾の山々。当時、重砲火による間接射撃でドイツは連合国軍よりもはるかに進んでおり、開戦した時点で強力な150mmと210mm榴弾砲をすでに運用していたそうです。「ミーネンヴェルファー」「ディッケ・ベルタ」などの巨大榴弾砲で、塹壕内の敵兵を蹂躙……。そんな生々しい傷跡が、この光景なのです。

6500万人(諸説あり)が死傷した人類最初の総力戦「第一次世界大戦」。命の映っていない背景にも入念に力を入れ、多くの「命の欠けた」描写が本作には多数隠れているのです。

地獄の中で、美しく「描けた」命


出典:映画.com

一方で「美しい生も多数描写されています。その1つが、2人がつかの間に足を運ぶ家に咲いていた「チェリー」の花。

日本人にとってなじみ深い桜の木は、実は二人の故郷・イギリスでも愛される花であり、開花時期は1か月にもおよぶそうです。イギリスに咲く桜は複数種あり、ジュースやジンの材料になる「ブラックソーン」、デザートやジャムの材料になる「サクランボ」の木、そして日英の友好の証として19世紀後期に送られた「ソメイヨシノ」……懐かしい望郷のそんな花が、つかの間の癒しを2人に与えてくれます。同時にブレイクにとっては、永遠の眠りへの前触れでもあるのです。


出典:iMDb

その後、ドイツ占領下の街でスコフィールドが出会う「若い女と赤ん坊」。家を持たない2人とスコフィールドが出会うこのシーンは、新約聖書の「ルカによる福音書」にある羊飼いたちがイエス・キリストと母親のマリアと出会う光景を連想させる描写です。

今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるだろう。これがあなたがたへのしるしである。
出典:『聖書 新共同訳』(日本聖書協会)より

天使のお告げを聞き、マリアたちを探し当てて歓喜をあげる羊飼いたち。同じようにスコフィールドにとっても、2人との交流は大きな希望として描かれています。しかしそんな2人に背を向け、彼は戦地へと舞い戻る道を選んでしまうのでした。


出典:iMDb

再び戻った地獄の戦地から、川へと飛び込んだスコフィールド。激しい流れを超えて死体のひしめく岸に流れ着いた姿から、旧約聖書「創世記」にあるノアの箱舟を思いうかべる事は出来ないでしょうか?

地上で動いていた肉なるものはすべて、鳥も家畜も家畜も獣も地に群がり這うものも人も、ことごとく息絶えた。乾いた地のすべてのもののうち、その鼻にいのちの息と霊のあるものはことごとく死んだ。地の面にいた生き物はすべて、人をはじめ、家畜、這うもの、空の鳥に至るまでぬぐい去られた。彼らは大地からぬぐい去られ、ノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った。水は百五十日の間、地上で勢いを失わなかった。
出典:『聖書 新共同訳』(日本聖書協会)より

このように神話を彷彿させる「命の美しさと儚さ」が、本作では随所に挿入されています。戦争のつきものである「死、恐怖」とは真逆である「生」のイメージ。緊張感のある映像だけでなく美しい描写が入る意味は、最後まで観ることでより理解できるようになります。

ただひたすら、伝えるために「駆けた」命

川から這い上がり、ボロボロのスコフィールドがたどり着いた「クロワジルの森」。ここで彼は、望郷への想いを綴った歌を耳にします。本作の音楽表現を手掛けたトーマス・ニューマンは、以下のように語っています。

直接的な解説を避け、おぼろげでニュートラルな推進力を持つ音楽を作ることが課題となった。そのためには、緻密な複雑さよりも『直感』が勝ると考えた。本作の音楽はキャラクターの感情についてヒントを与えるだけで、風景に完全に溶け込ませている。キャラクターの心情を反映したり、ドラマ展開に直接語りかけたり、結論へと導いたりするような音楽はほとんどない。
出典:公式パンフレットより

もう動けない、もう何もできない。絶望的な状態で聞こえてきた安らぎの歌。直後にゴールが目の前だと知ったスコフィールドは、最後の力を振り絞って走り出すのでした。



出典:iMDb



出典:iMDb

スコフィールドが駆け抜けた戦場のロケ地には、イギリスの様々な場所が選ばれています。

最初の塹壕と無人地帯には、ハートフォードシャー州ボヴィンドン。ドイツ軍の狙撃兵と死闘を繰り広げた街には、スコットランド・グラスゴー、ガバンにある歴史遺産の乾ドック。そしてクライマックスの森から白色の石灰地帯の場所に選ばれたのは、ウィルトシャー州ソールズベリー平原。つなげてみるとまるで四季が流れているような色とりどりの幻想的な光景を見ていると、描かれたのがたった1日なのか疑いそうになります。

「「1917」は1年を凝縮した1日」。そのまま解釈するならばそんな結論なのですが、僕はこれまでの描写からもっと深く解釈できると思っています。わずか1日で様々な生と死と出会い走り抜けたスコフィールドは、一生分の成長を成し遂げた。「「1917」は人の一生を凝縮した一日」そう思えてならないのです。

旅の果てで、命を「架けた」伝令

一生を凝縮したと思う最大の根拠になるのが、ラストシーン。「伝令を伝えた後、ブレイクの兄から食事を取るよう言われたスコフィールドが、食堂に行かずフラフラと木の麓に背中を預けて目を閉じる」場面でこの映画は幕を閉じます。冒頭と同じ構成であるこのシーンについて、サム・メンデス監督は以下のように答えています。

2人の兵士が木の横でまどろんでいる穏やかなオープニングが、同じような静かな状態で、最後は1人の兵士のシーンとなる。そして、その兵士にとって、すべての状況が変わったことが伝わってくる。この構造は意図したもの。私は映画を撮る場合、つねに全体の構造を重視する。作品にとって正しいように、そして私自身を満足させるために、こうした構造を考えるんだ。
出典:公式パンフレットより

聖書だけでなく「北欧神話の世界樹(ユグドラシル)」「メソポタミアの生命の木」「仏教の沙羅樹」など様々な神話で、木は命の象徴として描かれています。
旧約聖書では「命の木の実を食べることは、永遠に生きる者になる」ことだとされていますが、スコフィールドが実を食べずそばで眠りにつくことを選びます。「木の実を食べない=永遠になれない」「オープニングと同じように眠る=生まれてから死ぬまで」つまりこのラストシーンは「1人の儚い命の一生」を描いていると、解釈できないでしょうか。

終わりなき人生といえば「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」(`94)、繰り返される人生といえば「バタフライ・エフェクト」(`04)、別の選択肢を選んだ人生といえば「天使のくれた時間」(`00)……人の一生の可能性を描いた名作を挙げると、きりがありません。一方でこの「1917」が描いたのは、まだ若い兵士の、たった1日の出来事。しかしその凝縮された命の描写は、数々の名作の描く長き一生にも引けをとらないものと思えるのです。

改めて言うまでもなく、本作最大の主役は「ジョージ・マッケイ演じるスコフィールド上等兵」と「ワンカット・ワンシーン映像」です。一方で彼らの側にいた、無数の「命」たち。「欠けた命」「描けた命」「駆けた命」……そんな隠れた3人目の主役に注目して鑑賞すると、圧倒的没入感あるこの映画は戦争の悲惨さだけでなく「生きる喜びを描いた、賛歌の物語」へと変わってくるのです。


出典:iMDb

「正直、最後まで心臓に悪い映画でした。でもそれが良かったです」

最初に鑑賞した際、同行していた知人の感想を聞き、さらなる事実にも気がつきました。

このワンカットの映像の中で動き続けていた命、それは観客席にいる僕たちの心臓も含まれていたのではないか。「ワンカット・ワンシーン」の映像がずっと続いた119分間、この心臓はずっとドキドキしていた。そしてあの戦場を生き残ることができた。「明日へと命の橋が架かった」ことを、胸の鼓動が教えてくれていた。

生きている。今この瞬間明日へ向かって、僕たちは生きている。

迫力ある本作を観るたびに、命の素晴らしさと生きる喜びが何度でも味わえる。そんな希望を感じた、冬の終わりでした。

 


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[イラスト]ダニエル

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