こんにちは、街クリ映画ライターの宮下卓也です。
出典:映画.com
まったく、怖い世の中になりましたね。
とある人物が一夜にして転落していくさまを、世間のひとたちはリアルタイムでウォッチするようになりました。
出典:映画.com
しかも、マスメディアを通じて一度植えつけられたイメージは、そう簡単には覆せないわけで。
出典:excite
さらに、SNSで拡散されたデジタルデータは半永久的に残り続け、何度削除しても新たに拡散する輩が現れる始末。
確かにこの人たちは、いわゆるそれを「ヤッている」人たちです。
いや、わたしもその場にいたわけではないので、本当に「ヤッている」かどうかわからないのですが、メディアの報道を鵜呑みにするなら、この人たちはどうやらそれを否定していない。
もちろん実際に「ヤッている」からといって、昨今の「メディア・リンチ」が許されていいはずはありません。どう考えてもやり過ぎでしょう。
でもまぁ、「ヤッている」わけです。
一番恐ろしいのは、事実無根の情報がメディアで拡散されて、後にそれが真実ではないと分かった場合です。メディアの力は、ひとりの人間の人生をいとも簡単に破壊してしまいます。
その典型が「冤罪事件」。
メディアと冤罪事件に関していうと、日本では1994年におこった「松本サリン事件」の河野義行さんが有名ですよね。
さてさて。
クリント・イーストウッドの最新作「リチャード・ジュエル」は、実際にあった冤罪事件によって汚名を着せられた「元ヒーロー」が国家権力やメディアと戦う物語です。社会派のテーマでありながらエンターテイメントとしても一級の作品に仕上がったのは、まさにイーストウッドの手腕でしょう。
出典:IMDb
今回のコラムは 「妄想ワイドショー」と題して、この痛快娯楽映画を紹介することにいたします。
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司会者: ということは、彼女が妊娠中におこなわれた不倫だったわけですね?
芸能レポーター: そうですねぇ。本人も事務所も認めています。ただ別居はしていますがすぐには離婚せず、今後は話し合いを続けていきたいようです。
司: 彼女のお父さんも気が気じゃないでしょうねぇ。
芸: ただ、彼女のお父さんも不倫の前科がある(笑)ので、文句のいいづらいところでしょう。
司: (苦笑)。はい、ありがとうございました。
続いては、今日からはじまる新コーナー、最新映画を紹介する「シネマでポン!」です。よろしくお願いいたします!
映画ライター: はい! よろしくお願いしまーす。ではさっそく、本日の映画をご紹介いたします。今日ご紹介するのは、御年90歳を迎えたクリント・イーストウッド監督の最新作「リチャード・ジュエル」です。
司: 私、まだ観てないんですけども、イーストウッドの映画は大好きなので楽しみです!
映: この「リチャード・ジュエル」は1996年のアトランタで起こった実際の事件をもとに作られています。1996年といえば、どんな年だったか覚えてらっしゃいますか?
司: ええと、今から24年前ですか。そうですねぇ、私がちょうど社会人になった頃ですかね。
映: ではこちらのフリップをご覧ください。
≪1996年 世界の出来事≫
- アメリカ大統領選でビル・クリントン再選
- ロシアの大統領選でボリス・エリツィン再選
- イギリスのチャールズ皇太子、ダイアナ妃と離婚合意
- アトランタオリンピック開催
- ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄選手がノーヒット・ノーラン達成
- ジョンベネちゃん殺害事件
≪1996年 日本の出来事≫
- 村山富市首相退陣、橋本龍太郎内閣発足
- オウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告の公判開始
- 「進め! 電波少年」で猿岩石が世界をヒッチハイク
- 森且行、SMAP脱退
- 安室奈美恵、華原朋美、globeなど小室サウンド大流行
- 横山やすしさん死去
司: はぁ、いろいろありましたねぇ。
映: 日本の出来事は芸能ネタが多いですけど、これ、わたしがお願いしたフリップとはちょっと違っていて、いかにも日本のワイドショー向けに改変されたというか……。
(番組ディレクター、司会者のイヤーモニターに向かって「余計なことは言わせるな!」と指示の声)
司: (かぶせるように) で、今日お話ししてくださる映画は、この中のどれに関係するんですか?
映: あ、ええと、アトランタオリンピックですね。
司: アトランタオリンピックは新人のころレポートしたのでよく覚えていますよ。開会式でパーキンソン病を患うモハメド・アリが聖火台に灯をつけるシーンには感動しました。
出典:日本経済新聞
映: はい、今回の映画でもこのシーンが出てきましたね。わたしがよく覚えているのは、マラソンの有森裕子選手が銅メダルをとって「自分で自分をほめたい」といったんですね。
出典:日刊スポーツ
わたし、あのことばに感動してね、あれから自分で自分をほめるようにしたんですよ、するとね、なんか自己肯定感が……。
(番組ディレクター、司会者のイヤーモニターに「コイツ本人の話はどうでもいいよ!」)
司: (やや強めに) ではこの映画で描かれる事件というのは、アトランタオリンピック中に発生したんですね?
映: はい、オリンピック会場の近くにあるセンテニアル公園では、オリンピックにあわせてコンサートなどのイベントが行われていたんですが、そこでパイプ爆弾による爆弾テロ事件がおきたんです。
司: あぁ、いわゆる「アトランタ爆破事件」ですね。
映: 映画のタイトルにもなっている主人公のリチャード・ジュエルは、この公園で警備員をしていて、不審物を発見後、すぐに通報して観客を避難させ、被害を最小限に食い止めた「ヒーロー」なんです。
司: ほう。
映: ところが、爆弾の第一発見者であるリチャードが、のちに容疑者としてFBIから捜査をうけるはめになる。
司: え! 彼が犯人なんですか?
映: それをいうとネタバレになりますが、この映画はネタバレしてもなんら映画の価値が下がりませんからいいますと、リチャード・ジュエルは無実です。
司: つまり冤罪であると。
映: はい、で、これは実話に基づく映画でして、2003年にエリック・ルドルフという真犯人が逮捕され、終身刑で現在も服役中です。
司: ではこの映画は、無実の罪に問われた主人公が無罪を証明するお話なんですね?
映: 主人公のリチャードと、その母ボビ、リチャードの弁護士ワトソンの三人が、FBIとメディア相手に戦う映画です。
司: 主人公の役者さん、私、知らないんですけど、有名なかたですか?
映: いえ、それほど有名ではないでしょう。こちらがリチャード・ジュエルを演じたポール・ウォルター・ハウザーです。
出典:DEADLINE
司: ほほう。
映: で、リチャード・ジュエルの実物の写真がこちらです。
出典:DECIDER
司: めちゃくちゃ似てるじゃないですか! この役をやるために役者になったような人ですね。
映: 同じことをイーストウッドもいってました。で、この写真をみて、率直にどう思われました?
司: え、えーと、まぁ、ふっくらされてますよね。
映: ええ。映画のなかではもっとはっきりと、「The fat loser living with his mother」(ママと暮らすデブの負け犬)というセリフがでてきます。さらにいうと、「貧しく愚直で社会的に不充足なマザコン」なんです。
司: それ、最近観た映画にも似たような主人公が出てきましたねぇ。彼はガリガリでしたが。
映: あぁ、これですね。
出典:IMDb
司: なんかリチャードって、ステレオタイプの犯罪者像に合致する感じですね。
映: ええ。さらにリチャードは、警察やFBIなどの法執行官(Law enforcement)に憧れながら、それになれなかった挫折者特有の「ヒーロー願望」があったとプロファイリングされます。加えてガンマニアで、逮捕歴があり、2年間税金を払っていない。
司: アウトですね。疑われる要素が多すぎる。
映: 因みに、リチャード・ジュエルを演じたポール・ウォルター・ハウザーは、「アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル」(2017年)というこれまた実話をもとにした映画に出演しています。そこで彼は「ナンシー・ケリガン襲撃事件」に加担する犯罪者で、“自称”テロ犯罪対策のプロという役を演じています。
司: あぁ、フィギュア・スケートのトーニャ・ハーディング選手の関係者が、ライバルのナンシー・ケリガン選手を襲うという事件がありましたね。
映: 「アイ,トーニャ」にポール・ウォルター・ハウザーが出演したときの写真がこちらです。
出典:IMDb
司: はい。
映: で、本物の犯人の写真がこちら。
出典:Elle girl
司: これまたよく似てますね。
映: さらにスパイク・リー監督の「ブラック・クランズマン」(2018年)では、黒人やユダヤ人を差別する秘密結社KKK(ク―・クラックス・クラン)の一味を演じています。
司: うーん、これもヒドイ役ですね。
映: 要するに、ポール・ウォルター・ハウザーという人は、いままでホワイト・トラッシュ(白人の低所得者層の蔑称)の小悪党ばかり演じてきたんです。
司: そもそも彼にはFBIやメディアに疑われる要素があるんですね。
映: 「アイ,トーニャ」では、マーゴット・ロビー扮するトーニャ・ハーディングに「みんなにバカにされてるホラ吹きでデブの童貞」と言われます。
司: もう最低ですね。
映: そして、リチャードの母、ボビ・ジュエルに扮するのはこの人です。
出典:映画.com
司: はいはいはい、この人は知ってます。「ミザリー」(1990年)でオスカーを獲ったキャシー・ベイツ。
出典:IMDb
映: 「ミザリー」ではベストセラー作家を軟禁して、無理やり自分の思い通りの小説を書かせる狂信的なストーカー役でした。
司: うーん、お母さん役の女優は、若いころストーカー役で有名になったと。
映: さらにリチャードを支える弁護士ワトソンを演じるのは、名優サム・ロックウェルです。
出典:映画.com
司: 「スリー・ビルボード」(2017年)で人種差別的な悪徳警官をやった人ですね。
出典:IMDb
映: まぁ最後は改心する役ですけどね。いまノりにノってるサム・ロックウェルですが、この人も「グリーンマイル」(1999年)、「チャーリーズ・エンジェル」(2000年)あたりで有名になったころから、犯罪者役が多いですよね。
司: 「バイス」(2018年)では……。
映: ジョージ・W・ブッシュ。やはり犯罪者役ですね(笑)。
司: ちょっと待ってください。ではこの「リチャード・ジュエル」では、「元ストーカーを母に持ち、元悪徳警官の弁護士に弁護を依頼する、KKK所属の誇大妄想的な小悪党」がキャスティングされていたんですね。
映: そうなんですよ。だからこの映画を観る前は、「このキャストでこの内容の映画は成立するのかな?」と思ってたんですよ。
司: ええ。
映: ところがどっこい、三人ともまさに名演でした。
司: あ、そうなんですね。
映: はい。まず、ポール・ウォルター・ハウザーですが、過去に演じてきたキャラクターを逆手にとって、「いかに見かけや偏見で人を判断するのが愚かなことか」ということを観客に痛感させる見事なパフォーマンスでした。正義感が強すぎて融通が利かず、社会にうまく溶けこめないんですが、シンプルに「法や秩序を重んじ、市民を守りたい」という善良な市民を好演しています。
司: あぁ、いままでの俳優としてのセルフイメージを覆したんですね。
映: ある種のイノセンスを演じることで、観客の共感を得たという意味では、「ジョーカー」(2019年)のホアキン・フェニックスに通じるものがありました。映画を観ているうちに、観客のだれもが不器用なリチャード・ジュエルを応援したくなります。
司: いや、なんかこの映画観たくなってきました!
映: そして、母親役のキャシー・ベイツ!! もうね、これは観たら泣きます。
司: あのおっかなそうなオバサンがですか?
映: 別人です。彼女が息子の無実をメディアに訴える記者会見で、涙ながらにスピーチするシーンがわかりやすい名シーンですが、FBIが捜査のために家財道具をごっそり押収するシーンで、目を見開いて口をあんぐりあけ、セリフなくただオロオロするだけの演技なんかが実にイイんですよ。
司: へえぇ。
映: 「あなたを守りたいけど、どうすればよいかわからないの」といって泣きながら息子を抱きしめるシーンは、子供を持つ親なら胸アツ必至ですね。
司: 2020年のアカデミー助演女優賞にノミネートされていますが。
映: まぁ「マリッジ・ストーリー」のローラ・ダーンもいいんですが、この映画のキャシー・ベイツはマイベストですね。
司: サム・ロックウェルはいかがでしたか?
映: いわゆる「クセのある名優」って、ムダに爪あとを残そうとしたり、ワル目立ちしたがるじゃないですか? でも賢明なサム・ロックウェルは「引くところは引く」芝居ができる人なんですね。主役の母と息子を陰でしっかり支える役どころを、控えめに演じることで逆に好印象を残すことに成功しました。
司: ポール扮するリチャードと、サム扮するワトソンのコンビはどうでしたか?
映: ファーストシーンでは、ワトソンが勤める職場で備品係をしていたリチャードが、ワトソンの好物「スニッカーズ」をワトソンのための“備品”として補充してあげることで友情がはじまる、というふうに描かれます。
司: 「スニッカーズ」ってチョコレートのあれですか?
出典:Amazon
映: はい。あれウマいですよね。わたし、チョコレートが大好物なんですが、明治やロッテのチョコなんかよりはるかに「スニッカーズ」がウマいです。
(番組ディレクター、司会者のイヤーモニターに「スポンサー的にNGだろその発言は、馬鹿野郎!」)
司: ええと、要するにふたりの友情のはじまりを、映画的にうまく描いているということですね。
映: ワトソンは法執行官に憧れるリチャードにこういいます。「小さな権力でも人は怪物になりえる。そんなゲス野郎にはなるな」(“A little power can turn a person into a monster, Richard. Don’t let that happen to you.”)
司: そこにイーストウッドの想いも込められているんですね。
映: でしょうね。イーストウッドは徹底した個人主義者ですから、権力を盾に個人に介入してくる人間が大嫌いなんですね。
司: ともかく、主役三人の名演がこの映画の見どころなんですね。他にはなにかありますか?
映: そうですね、改めてこの映画を観て感じたのは、日米の司法制度の違いでしょうか?
司: というと?
映: 例えば、アメリカには「ミランダ警告」というのがあって、被疑者を拘束する前には、その被疑者に対して「あなたには黙秘権があり、弁護士が立ち会う権利がある」といった告知をする義務があるんですね。
司: ああ、アメリカの刑事物のドラマで観たことがあります。
映: 犯人逮捕に躍起になっているFBIが、リチャードにトリックをしかけてこの「ミランダ警告」を放棄させようとするシーンがあるんですが、法執行官の勉強をしているリチャードはこの扱いに不審をいだき、その場で弁護士のワトソンに電話をかけることを要求するんですね。
司: たしかに日本では、拘束されて取り調べを受けている最中に弁護士に電話をかけるなんて、ちょっと考えられないですね。
映: アメリカでは、被疑者の人権が強く守られています。日本の司法制度はまだまだそのあたりに問題があって、おそらくカルロス・ゴーンもそういうことを主張したいんじゃないかと思いますね。
司: あぁ、先日の記者会見ですね。
映: ええ。ただ、元々イーストウッドには、この「ミランダ警告」に批判的な印象があったんです。
司: というと?
映: イーストウッドのアメリカでの出世作「ダーティ・ハリー」(1971年 ドン・シーゲル監督)です。
出典:IMDb
司: 年配のかたにとっては、いまだに「イーストウッド=ダーティハリー」というイメージがありますね。
映: イーストウッド扮するハリー・キャラハンは、殺人の被疑者に対して「ミランダ警告」を宣言せずに逮捕し、違法逮捕として被疑者は釈放され、でも結局その被疑者はまた人殺しをするんです。
司: あぁ、「ミランダ警告」が裏目に出るんですね。
映: ええ。ハリー・キャラハンはこう吐き捨てます、「被疑者の人権を守るのはいいが、じゃあ被害者の人権はどうなるんだ?」
司: なるほど。
映: つまり、「ダーティハリー」と「リチャード・ジュエル」は逆の主張をしてるんですね。実は、イーストウッドはこういうことをよくやります。
司: 主張をコロコロ変えるということですか?
映: そういう意味ではなくて、「世の中の出来事を一面的に見るのではなく、別の視点から見たらまったく異なる様相が浮かんでくる」ということを絶えず問うてくる作家なんですね。
司: イーストウッドの作家性についてのお話ですね。
映: はい、で、作家性についてもう少し触れておくと、イーストウッドが描く「ヒーロー」像というのは、映画の製作年代によって変わっていきます。
司: もう少し説明していただけますか?
映: まずは「神話的なヒーロー」、強い無敵のヒーローですね。「荒野の用心棒」三部作や「ダーティハリー」シリーズによってスターになったイーストウッドは、暴力を肯定するマッチョなタカ派のイメージが強かったんです。
司: 共和党の支持者ですしね。
映: ええ。ところがその「神話的なヒーロー」のイメージを、「許されざる者」(1992年)に代表されるような「過去の暴力行為を後悔し、ぶざまに落ちぶれた、薄汚れた孤独な老人」という「アンチ・ヒーロー」をみずから演じることで壊していくんですね。
出典:IMDb
司: つまりその辺が、イーストウッドのバランス感覚であると。
映: かつてアメリカの有名なコラムニストであるポーリン・ケイルに「ファシスト」呼ばわりされたイーストウッドですが、イラク戦争時に「ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場」(1986年)でグレナダ侵攻を茶化した映画を作ることによって、暗に当時のブッシュ政権を批判していますし、「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」(共に2006年)で太平洋戦争を日米双方から描くことで戦争を相対化している。
司: 単純な「ファシスト」ではないと。確かに「アメリカン・スナイパー」(2014年)なんて好戦映画か反戦映画かすらわからない映画でしたし。
映: で、話を「リチャード・ジュエル」に戻すと、イーストウッドはみずからのキャリアのなかで「神話的ヒーロー」から「アンチヒーロー」を経て、最終的には普通の人を「ヒーロー」として描くようになるんですね。
司: なるほど、だから近年の作品は実話をベースにした映画がほとんどなんですね。
映: そして「悲劇のヒーローに対するオマージュ」という視点も、チャーリー・パーカーを描いた「バード」(1988年)から一貫している。
司: そういえば、ヒーローが一転、被疑者になるという意味では、故障があった旅客機を機長が見事に操縦して乗客の命を救ったにもかかわらず、あとになって捜査をうけるという「ハドソン川の奇跡」(2016年)に、この映画は似てますよね。
出典:IMDb
映: まさに! ただ、冤罪というテーマは、イーストウッドが自身の制作プロダクション「マルパソ」での最初の企画「奴らを高く吊るせ!」(1968年)からすでにあるんですよね。
出典:IMDb
司: え、そんなに前からですか!
映: ええ。イーストウッドは政治思想的にも、自らのキャラ設定にも、作る映画のジャンルや描く出来事にも、時代状況を踏まえて融通無碍に変化してきた人ですが、反面、一貫したテーマは変わらないんですよね。例えばFBI嫌いとか(笑)。
司: 「リチャード・ジュエル」もFBIの捜査ミスの話ですもんね(笑)。そういえば、ディカプリオがFBI長官をやる映画を観たことがあります。
映: 「J・エドガー」(2011年)ですね。
出典:IMDb
FBI初代長官ジョン・エドガー・フーヴァーの伝記ですが、実質的にはFBIの問題を告発する内容でしたもんね。先ほども申しあげたように、徹底した個人主義者であるイーストウッドは、国家による個人への介入をなによりも嫌うので、フーヴァーのような人物が作った組織であるFBIに批判的なのは当然でしょう。
司: そしていつの時代も、その時代に対する警鐘を忘れない人なんですね、イーストウッドは。
映: 冤罪の問題は、SNSが発達した今こそ描くべき問題ととらえていたのでしょう。しかもそういった社会的な問題作を、過不足ない巧みな脚本や、フィルム・ノワールを思わせる陰影をつけつつ自然光もうまく生かした見事な照明、適材適所のキャスティングによって、一級の娯楽作品に仕立てるところにイーストウッドの凄みがあるんだろうなと、思います。
司: あえて聞きますが、この作品には欠点はないんですか?
映: あります。既にアメリカでは炎上案件なんですが、アトランタ・ジャーナルの実在の女性新聞記者であるキャシー・スクラッグスについてです。
司: 炎上案件なんですか?(笑)
映: そもそもリチャード・ジュエルがメディアに取りざたされるようになったのは、キャシーがアトランタ・ジャーナル紙に、FBIがジュエルを第一容疑者として捜査中であることをすっぱ抜いたことによるんですね。
司: いわゆるスクープですね。
映: ただ、映画ではこの情報を得るために、キャシーがFBI捜査官に自らの肉体を提供したように描かれているんです。
司: あぁ、ちょっと紋切り型な設定ですね、悪女的な。
映: 実際はどうであったかの真相は不明なのですが、キャシー・スクラッグスはすでに亡くなっているので、「死人に口なし」をいいことにキャシーを冒瀆するような事実無根の内容をでっちあげたとして、アトランタ・ジャーナルがこの映画を訴えたんですよ。
司: でも元はといえば、リチャード・ジュエルを無実の罪であるにもかかわらずスクープしたのはアトランタ・ジャーナル紙だったんですよね。
映: ええ、だから「お前たちにそれを告発する資格はあるのか?」という、「どっちもどっちだろ案件」なんですよ。ただし、冤罪事件を描く映画でありながら、真実がはっきりしないことで個人の名誉を貶める可能性がある描き方をしているのは、明らかに問題だと思います。
司: たしかにそれはちょっと残念な感じがしますね。
映: 一番かわいそうなのは、キャシーを熱演したオリビア・ワイルドですね。彼女の代表作になるはずだったのに、水をさされた感じです。
出典:IMDb
司: まぁ、いずれにせよ、われわれメディアに身を置く人間としては、他人事ではない話ですよね。
映: でもその軽い喋り方が、すでに他人事っぽいですけどね。(苦笑)
司: (ややイラっとして) 私もジャーナリストの端くれですから、メディアが持つ社会的な責任は絶えず意識して仕事をしているつもりですが。
映: ジャーナリスト?! それ、本気でいってます? (薄ら笑い)
司: (かなりイラっとして) は?
(番組ディレクター、司会者のイヤーモニターに向かって「おいおいおい、君たち、なにやってんの?」)
映: リチャード・ジュエルは法執行官に憧れているので、FBIの不当な取り調べにも積極的に協力し、弁護士ワトソンに文句をいわれても、FBIの捜査官に敬意を払い続けます。
司: ……。
映: しかし、ラスト近くの取り調べのシーンで、FBIに幻滅したジュエルはこういいます。「私がやったという証拠はどこにあるんだ?」と。すべて憶測ではないかと。
司: ……。
映: イーストウッドも指摘している通り、インターネットが発達した現代社会では、真偽がはっきりしない情報が一夜にして世界中を駆け巡ります。そしていちど社会に貼られたレッテルは、そう簡単には剥がせない。いまだにアメリカでは、リチャード・ジュエルが爆弾魔だと思っている人が大勢いるそうです。
司: ……。
映: 特にSNSの世界では、一個人がメディアになりえます。だれかを陥れることも簡単にできるし、被害者と加害者も容易に入れ替わりえます。(だんだん熱くなって)いま、公共の電波を使って伝えるべきことは、こういった状況にひとびとが冷静に対処できるよう、情報の出どころやその信憑性を提示し、誤った情報に振り回されないようにすることではないですか? でもあなたたちがいまやっていることは、下世話な世間に迎合して、いや、むしろ助長させるようなことばかりですよね?
(番組ディレクター、司会者のイヤーモニターに向かって「もういいよ! そんな話もう止めさせろ!」)
司: ……。
映: あなたはジャーナリストの端くれといいましたが、このワイドショーはジャーナリズムですか? 芸能人の不倫話に尾ひれをつけて報道することにどんな価値があります? スポンサーやディレクターのいいなりになって、あなたの主張はどこにあるんですか?
(番組ディレクター、司会者のイヤーモニターに向かって「てめぇ、なにやってんだよ!」)
(司会者、イヤーモニターを外す)
(番組ディレクター、「ああああ! イヤモニ外しやがった!」)
映: マスメディアの人間、いや、すべての人間がメディアになりえる現代社会では、「リチャード・ジュエル」はだれにとっても他人事ではないのです。そして、あなたのように軽薄に「他人事ではない」と口にして思考停止している人間に、「リチャード・ジュエル」を語る資格はありません。
(番組ディレクター、「もういい! CMいけCM!」)
(突然、CM流れる)
(CM終わる。スタジオには司会者と映画ライターは不在。番組アシスタントのミディアム・ショット)
番組アシスタント: (ややうろたえながら) はい、そろそろお別れのお時間です。さて、明日の特集は、昨年末に人気お笑い芸人と離婚した、元モデルのその後について追跡取材をいたします。ではまた明日のこの時間にお会いしましょう、さようなら!
(フェードアウト)
(黒画面にBGMが流れ、以下のテロップが表示される)
ワイドショーの司会者は番組を降板し、アメリカの大学院でジャーナリズムの勉強をするため渡米。Web上に隔月で時事問題のレポートを寄稿中。
メディアへの出演がなくなった映画ライターは、脚本家に転向。イーストウッドに映画化を依頼すべく脚本を執筆中。内容は、日本の自動車メーカーのCEOだった外国人が逮捕され、日本の司法と戦い、最終的に国外に脱出する話である。主演の候補者にも出演交渉中。
出典:IMDb
(エンドロール)
※本コラムはフィクションです。実在の人物や団体などと関係ありません。
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[イラスト]ダニエル