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「キャッツ」CG猫人間の違和感の壁

あづま あづま


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全世界での観客動員数は7300万人を超え、ミュージカルの金字塔とも言われる「キャッツ」が、実写映画化。極めて大きな期待を集めていたものの、国外では酷評が多く、興行収入も伸び悩んでいるようだ。名作にキャストも豪華、CGの技術も極めて高い中で、なぜこのようなことが起きているのだろうか。

僕も映画館に足を運び、「キャッツ」を見た。すると序盤で、恐らく酷評している人たちと同じであろう感覚に襲われた。


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出典:映画.com

「うっ……。」

CGの猫人間を見て、一瞬引いてしまったのだ。見ているうちに慣れてくるのだが、あの最初の強い違和感を、ネガティブに引きずる人がいるのも正直わかる。実際に酷評の多くは、「怖い!」の一言で済ませられるようなもので、CGによる見た目の演出が、多くの人にとって生理的に受け付けられないものだったようだ。内容自体は面白かったのだが。

しかし、不思議である。ミュージカルとはそもそも、非日常を楽しむものではないだろうか。僕らは歌で会話することなどまずないし、ミュージカルに日常感を期待しているわけではないはず。だからこそ、僕はミュージカルとCGの組み合わせは高いポテンシャルがあると踏んでいた。物理的制約を受ける舞台と違って、CGによって非日常な表現の幅が劇的に増えるからだ。だが、今回の表現は受け入れられなかった。

なぜだろう? 「キャッツ」が今回酷評されている理由を突き詰めれば、ミュージカルのCG表現という新しい可能性が見出せるかもしれない。今回は「キャッツ」が乗り越えられなかった2つの壁と、その壁を越えて鑑賞するための「キャッツ」の楽しみ方について考察した。

なぜ、そもそも非日常なミュージカルに今作は違和感を感じるのか?

疑問なのは、この点である。舞台版のキャッツも、キャストは全員猫の格好をしている。当然普通に考えれば違和感があるが、この違和感は「そういうもの」という前提として受け入れられている。舞台版のキャッツに「格好がヘン!」と酷評する人はほとんどいないだろう。この違和感はすでに、「了承済みの違和感」になっていて、観客は引っかかることなくミュージカルの演出に集中することができる。


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出典:Real Sound

一方で、映画版「キャッツ」のCG技術はかなり新しい技術で、「前提」と言えるほど僕らの目は慣れていない。今作では「デジタル・ファー・テクノロジー」と呼ばれる毛をリアルに見せる新しい技術も使っており、より目新しい状態だった。こちらはまだ技術的に「了承されていない違和感」だったため、引っかかりが残ったまま内容に集中できない状況になったのではないだろうか。

つまり、非日常という前提はありつつも、CG技術がミュージカルにおける「暗黙の了解の外」にあったため、違和感が拭えずに酷評に繋がったのではないか。もっと僕らがCGを駆使したミュージカルを見る機会を持ち、目が慣れていたとすれば、「キャッツ」はもっと高い評価を受けていたかもしれない。これがCGミュージカルが超えないといけない1つの壁だが、「キャッツ」にはもう1つ、特有の大きな壁がある。「CG猫人間」の不気味さだ。

なぜ、「CG猫人間」は不気味なのか?

舞台版「キャッツ」でキャストが扮する猫人間に対して、「不気味」という感情を抱く人はいない。なぜなら、舞台ではどれだけ巧みに猫に扮していても、明らかに「人間」だからである。どれだけリアルな衣装だったとしても、僕らはその人たちを素直に「人間」として受け入れられる。舞台の猫人間は、どこまでいっても「人間が扮した猫」にしか見えない。だからこそ、不気味だとは思わない。


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出典:映画.com

一方で、映画版「キャッツ」のCG猫人間は、完全に人間離れしている。こちらは人間が扮した猫ではなく、「猫人間という新種族」に見える。これは論理的な話ではなく、生理的な話だ。頭ではCGだとわかっていても、五感が人間として捉えられないのである。人は本能的に、見たことのない生物を警戒するようにできている。例えば映画「アバター」のナヴィも、最初は不気味だと受け入れられなかった。グレーのエイリアンを初めて見たときも、ほとんどの人は不気味に感じただろう。同じように、今回の「キャッツ」のCG猫人間も見たことのない生物だと感じてしまい、本能が拒絶しているのだ。この「見たことない生物感」が、「キャッツ」の評価を阻む大きな壁となっている。


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出典:映画.com

逆に、もしキャストが全員完全な猫だったら、あまり問題はなかったと思う。だいぶ人間っぽくても、いけたと思う。しかし、それでは表現の幅は増えない。「猫人間」という現実では実現不可能な種族の表現に挑戦することに意味がある。そうしたミュージカルの表現に一石を投じた「キャッツ」の存在意義は、とても大きいと考える。ただ、今回の公開期間内にこの壁を越えるのは、難しいだろう……。

映画「キャッツ」の楽しみ方は?

随分ひどい評価を受けている映画「キャッツ」だが、元が総動員7300万人越えの名ミュージカルであり、内容そのものは感動的で面白い。ただ、CG猫人間に慣れないと違和感が先行して楽しむことができない。そこで、実際に映画を見た僕から映画版「キャッツ」の楽しみ方を2つの視点から提示したい。

1. CG猫人間は「新しい表現技法の試金石」として鑑賞する

CG猫人間に対して、本能的な違和感を覚えてしまうことは仕方がない。しかし、その違和感を「気持ち悪い!」というネガティブな感想に繋げてしまうのはもったいない。違和感はあくまで感覚にすぎないので、「その感覚をどういう感想に解釈するか?」は自分で決められる。ミュージカルのCG表現、そして猫人間という新しい種族の表現は、ミュージカルの幅を広げる可能性のあるチャレンジだ。そういう新しいチャレンジの一発目に、自分は立ち会えるのだと考えれば、違和感を受け入れやすくなる。この違和感の壁さえ越えれば、ミュージカルの金字塔を最先端の技術で見られるのだ。そういう前提で見ることができれば、違和感に捉われずに中身を純粋に楽しめるかもしれない。

2. ストーリーよりも「歌」と「ダンス」を感じる

そもそもミュージカルは好き嫌いが分かれる。嫌いだという人の多くは、「よくわからない」という理由が多い。僕も実はミュージカル初心者で、その気持ちもわかる。一般的な映画は「ストーリー」を語るものだから、それと比較すればミュージカルはストーリー性には欠ける。台詞回しがすべて「歌」だから、自由に話せる一般的な映画と比べると、ミュージカルにおけるストーリー伝達は制限が強い。映画とはいっても、ミュージカルはストーリーが中心ではない。

ミュージカルは「歌」と「ダンス」で表現されている。どちらの表現も、論理よりも五感で伝わるところが大きい。もともと「言葉」にし尽くせない想いを表現したものが歌やダンスといったアートなので、五感にまっすぐ伝えようとしている側面が強い。だからこそ、「意味がわからない!」と頭で悩まず、歌を聴き、ダンスを見てほしい。今作の劇中歌であるMemoryやBeautiful Ghostsなどの美しい名曲、コミカルな歌に合わせた派手なダンスなどの優れた表現によって、何も考えなくて感動できるようになっている。歌とダンスに視点を合わせて鑑賞することで、それぞれの完成度の高さを純粋に味わうことができるだろう。

終わりに

CGによる生理的な強い違和感、ミュージカルという表現の特殊さも相まって、否定的な意見が多い今作。世間が感じる受け入れがたさは個人的にも理解できるが、それだけで今作を避けてしまうのはもったいない。CGによる人間を越えた表現への挑戦、歌とダンスの完成度など、違和感の壁さえ乗り越えれば見所は山盛りだ。これからCGによる猫人間のような特殊な表現は受け入れられていくのか、拒まれていくのかわからないが、少なくとも「キャッツ」はその一歩目となった。違和感すらも楽しむことができるなら、新しいCG時代の挑戦を目の当たりにできるだろう。できることなら、CGの違和感を前提に入れた上で、この新しいミュージカルを楽しんでもらえればと思う。「キャッツ」のミュージカルとしての完成度の高さは、歴史が証明しているのだから。


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