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「パラサイト 半地下の家族」ポン・ジュノ、お前がナンバーワンだ

加藤広大 加藤広大


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パルムドール楽勝、アカデミー賞6部門ノミネート、評判もブッチギリだというのに

「パラサイト 半地下の家族」はパルムドールを満場一致で獲り、米国アカデミー賞にも作品賞や監督賞など6部門でノミネートされている。米専門家の予想では作品賞、監督賞、脚本賞が3位につけており、オッズはまずまずといったところだろう。無論、国際映画賞ではガチガチの鉄板で、堂々の1位予想だ。

が、しかーし、日本での公開はやや遅れたものの、フタを開けりゃ海外で賞とりまくり、前評判もガッツリ高い状態で、年末からの先行上映は大成功、観た者はほとんど「ヤッベェ映画ですよ」とベッタベタに激賞、大注目の1本として新年早々公開されたというアドバンテージがあったとしても、公開初週の週末興行収入ランキングは、1位「アナと雪の女王2」、2位「カイジ ファイナルゲーム」、3位が「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」、4位「フォードvsフェラーリ」、そしてようやく5位「パラサイト 半地下の家族」である。

別に誰がどんな映画をいつ観ようが人の勝手だし、賞レースや興行収入だけで映画の価値が計られるわけではない。だーけーどーもー、これだけの前評判をもってしても韓国産映画は受け入れられないのかと涙を流す……ほどではないが、名匠ポン・ジュノの最高傑作と評しても吝かではない本作をもってしても初動はこんなモンかと、頭の中には「やっぱりな」と同時に「マジですか」という思いが同居している。

まず、本作に関して一番言いたいことを書くが、もし「観ようかな」と思っていてまだ観ていない方がいらっしゃったら、絶対に映画館に観に行って欲しい。「韓国映画って観たことないから、勘所がわかるか不安」という方も、絶対に観て欲しい。

そして、鑑賞済みで、韓国映画初体験(あるいは何作かは知っている)の方が、程度の差はあれ「面白かった」と感想を抱いたとしたら、ぜひ他の韓国映画も観て欲しい。今から言いたいことのなかでも最も書きたいことを気持ち的には124ptくらいのフォントサイズで書くが「誤解なきよう。韓国映画においては本作が突出しているわけではなく、同レベルの作品がたくさんあるんすよ。あなた、今からそれ初めて観れるの超うらやましいっす」である。

もう、ほんとうに面白いんだから。と、ウニを食ったことがない人にウニの美味さを説いたところで暖簾に腕押しである。これまで飲み屋で臨席した人間に何度もハイレベルな韓国映画を推薦し「マジで? それ面白そうじゃん絶対観るわ」とか言ってる奴の8割は3年後も観ていないといった放置プレイを多々経験してきた身からすれば当然の成り行きだし、もう半ば諦めているのだがそれでも、「正直、本作がタコ壺を割る最後のチャンスではないのか」と、そんな切迫を感じるくらいには、傑作ですマジで。

以下「パラサイト 半地下の家族」の何が凄まじかったのかを書いていくが、ネタバレするし結末にも触れる


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出典:IMDb

本作のネタバレに関しては、ポン・ジュノより徹底した箝口令が敷かれている。パンフレットには「ポン・ジュノ監督からのお願い」として、「どうか、ネタバレをしないでください。みなさんのご協力に感謝します」と言いつつも、返す刀でいけしゃあしゃあと、本作とまったく関係ない「シックス・センス」のネタバレをブチ込むアクロバティックをみせている。

だからと言って「ポン・ジュノが世界三大ネタバレダメ。ゼッタイ作品で盛大にカマしたんだから俺もして良い」ことにはならない。しかし、鑑賞した方ならば本作が誰かと感想を話し合いたい、いや、話し合わなければ収まりがつかない映画であることは解ってもらえると思う。

なので、今からは飲み屋で話す映画の話題のごとく、本作について書いていきたい。なぜなら、筆者も皆さんと同じく「もう、話したくて話したくてたまらない」からだ。なので未見の方は鑑賞してから読んでもらえたら嬉しい。以下、ネタバレアリです。

半地下住居のリアリティ、豪邸も難なくアップデート


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出典:IMDb

本作はポン・ジュノとソン・ガンホの監督・主演コンビのインタビューにより、多くの情報を引き出すことができる。たとえば、本作の構想から制作までのいきさつや、キャスティングの経緯、キム一家が住む半地下住居やパク一家が住む豪邸が、なんとセットである点などだ。豪邸なんて「建てました」とか言っちゃって、あなた、セットってレベルじゃないですよ。

で、セットなのだが、半地下住居・豪邸どちらの作りも恐ろしく素晴らしい。半地下住居の壁の色や、とくにタイルの剥がれ具合は、同じくポン・ジュノ監督作品であり、当然の如く傑作「母なる証明」とまったく同じと言っていいほどで「ポン・ジュノ、タイル汚すの好きすぎかよ」と思わず笑ってしまった。とにかく、凄まじいリアリティをもっている。要は「汚し」の技術が圧倒的にハイレベルで、これほど「神は細部に宿る」という言葉が相応しい仕事もないだろう。

ときに、半地下住居はもともと住まいだったわけではなく、1960年代に北朝鮮の爆撃対策として設置が義務付けられた防空壕である。これが1970年代半ばに入り、ソウルの人口増加に対応するために居住用として使われはじめた経緯をもつ。つまり、築50〜60年以上の中古物件ということなのだが、本作で制作されたセットもまた、50年以上人が住み続けたかのようなリアルさをもってスクリーンを占領する。

2015年に実施された韓国統計庁の調査によれば、半地下住居では約82万人が暮らしているそうだ。これは世田谷区と練馬区の中間くらいの人口で、相当数の韓国貧困層が「あの窓」から「あの風景」を見ていることとなる。住居のなかは空気がこもりがちで湿度が高く、結露やカビが絶えない。だからこそ、彼らは地下の住人特有の「臭い」を纏っている。

いっぽう、本作の貧困サイドであるキム一家と対象的なのが、金持ちサイド、パク一家の文字通りの豪邸である。さる高名な建築家が設計した設定で、半地下住居とはそれこそ正反対に空間が贅沢に使われており、置いてある車からテーブルやスピーカーのセンスの良さ、冷蔵庫の中身に至るまで完璧なクオリティで、完全なる富裕層宅の再現であろう。

本作のパク家は、かつてパク・チャヌクが「オールド・ボーイ」で表現し、多くの韓国映画やドラマが影響を受けまくった「タワマン最上階にある、めっちゃモダン(床なんてモンドリアン)な豪邸」のイメージを、難なくアップデートさせることに成功している。このアップデート感はとにかく凄まじく、韓国富裕層が金大中政権によりおこなわれた経済政策以降、更に富を増やした事実、日本よりも遥かに進んでしまった貧困層・富裕層の二極化をエグいまでに描く。そして、ポン・ジュノは決して関わることのない貧困層と富裕層を、家庭教師の4文字であっさりと繋げてみせる。

「パラサイト 半地下の家族」に悪魔は居ないが、同時に天使も存在しない


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出典:IMDb

ポン・ジュノはインタビューにて「『パラサイト』にはわかりやすい悪魔や悪人は登場しません」と語っている。これはその通りで、物語において「いいもん」として扱われがちな貧乏人サイドも「良くも悪くもない、そして、どちらに転ぶかはわからない」人々として描かれている。また金持ちサイドも、ありがちな「鼻持ちならない金持ち」ではなく、余裕とちょっとした(金以外の)悩みを抱えた家族だ。映画はキム・パク両家の視点で進行していくが、金の多寡に関わらず平等に同じ人間として扱っている。もうひとつの第三勢力も同様で、各々異なった事情がある。

監督が語るとおり、本作には確かに明確な悪人や悪魔は登場しないが、同様に天使も存在しない。ここが凄い。本案件の天使とは、ヒロインなどとは異なる。たとえば「ベイビー・ドライバー」におけるベイビー(アンセル・エルゴート)の育ての親である耳の聞こえない黒人男性、あれが天使である。天使は主人公を善き方向に導いたり、気の利いたアドバイスをしたりする映画におけるイノセントな存在だが、本作では徹底して人間しか登場しない。現実世界に「生きているのでは」と思わせるような人々が登場し、画面の中で動く。ソン・ガンホをはじめとした役者たちのスキルはもちろんだが、やはりポン・ジュノの脚本と、演出と、ディテールを詰めていく力は高く、見つめる視線は恐ろしいほど冷徹である。

天使というガイド不在のなかで、登場人物たちは各々が生々しく行動する。格差を明確に描きながらも、人物の行為や思考の善悪を曖昧に描くことで、予測できることもできないことも含めて「誰もが、何かしらの行動をしうる」空気を作り上げ、展開を読めなくさせる手腕は、いつものポン・ジュノといえばそうなのだが、それにしたって凄まじい。

寄生と共生、人間の業


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出典:IMDb

本作の原題は「パラサイト」だが、字義通りパク家とキム家の間では、まさに「パラサイト」な関係が繰り広げられる。

パク家に次々と入り込み、ついに家族全員が「寄生」することに成功したキム家だが、監督も語っている通りパク家も労働力の搾取という点でキム家に寄生している。この時点で便宜的にパク家を宿主とするならば、宿主と寄生側の関係は上手くいっている。キム家はド貧困であるものの、ギテク(ソン・ガンホ)の群馬県在住某豆腐店の倅にも匹敵しそうなドライビングスキルや、受験に失敗し続けることで場数を踏んだギウ(チェ・ウシク)の受験ノウハウ、咥えタバコでフォトショップを駆使し文書を偽造するデザインセンスにプラスしてハッタリも上等なギジョン(パク・ソダム)、ジャージャーラーメンを爆速で拵える調理スキルをもった母チュンスク(チャン・ヘジン)と、全員が割と良質な人材である。

パク家の面々はそれなりにキム家(家族だとは知らないが)を信頼している。騙しているとすれば悪かもしれないし、運転手や家政婦の追い出しなどは、ややもすれば犯罪である。それをしないと物語が進まないので脇に置いておくとして、キム家は一応「しっかりと」仕事をし、金銭の対価はじゅうぶんに支払っているといえるだろう。この生活がずっと続けば、もしかしたらキム家も「普通」くらいの家に引っ越し、各々の人生をやり直せたかもしれない。ポン・ジュノも言っているが、格差ある者達が良好な関係を保ち続けるためには「共生」するべきである。

共生の絶対条件として、寄生している側は宿主のように振る舞ってはならない。本作はキム家が下層階級であることを束の間忘れ、自分は宿主であると錯覚してしまう(夢見てしまう)ことから関係がほころびはじめる。自分たちよりも「地下」に住んでいた第三勢力が発覚した際、共に寄生側として連帯し、共生する道もあった筈だ。しかし、自分の身体(厳密には宿主=富裕層に)に再び寄生しようとした夫婦を、宿主の視点を借りて切り捨てようとしてしまう。

ときに、元家政婦であるムングァン(イ・ジョンウン)もまた、かつては宿主のようにふるまっていた。パク家の誰よりも豪邸を知りつくしていた彼女は、自覚的かはさておき自分こそがこの家を支配している存在であると思いこんでいたはずだ。なんなら、パク家が寄生側だと考えていたといっても言い過ぎではないかもしれない。彼女は家に新たな人物が出入りを始めたとき、彼らに同じ匂いを感じたことだろう。そして、寄生する者同士の争いはやがて宿主を食い殺す。宿主を失ってしまった寄生側は、再び他の宿主を探すか、死を待つしかない。

もし、ほんの少しでも共生できていたら、仮面を被っているとは言えども、両家(+夫婦)の不思議で良好な関係は続いていたのかもしれない。だが、寄生側はパク家の家長であるドンイク(イ・ソンギュン)が度々言及する「一線を越えて」しまったお陰で地下に転がり落ちてしまう。人間の業と切って捨ててしまえばそれまでだが、ここに本作の本質的な恐ろしさや、落語にも通ずる粋とおかしみがある。

臭いは一線を越え、「恨」が表出する。デカルコマニーとマーブリング


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出典:IMDb

上述した「一線を越える」という言葉は大きな意味をもつ。本作ではパク家を騙して家族を送り込んだり、家主が居ない隙にリビングで酒盛りを開始したりと、ちょっとした一線を踏み越え続けるが宿主を食い殺すには至らない。しかし、最後に起きる事件では決定的な一線を越えてしまう。

悲劇の原因は言葉でも身体でもない。臭いである。耳で聞き取れない、目に見えない、そして映像では伝えることのできない臭いが漂い境界を越え、越境されたドンイクの仕草を見たギテクは「無計画」に一線を越える。あくまでひとつの解釈だが、ギテクはドンイクが鼻を背ける仕草を見て、自分が下層階級であることを強く再確認し、そして、自分たちよりも地下で寄生し続けていた男に連帯を感じてしまったのではないか。もちろん、彼が意識しているかどうかはわからない。感情も言葉では説明できないだろう。だが確かに、そこには朝鮮民族が抱える「恨」が渦巻く。

「パラサイト 半地下の家族」は確かに格差や二極化する世界を描いている。だが決して単純にセパレートされてはいない。ここからはさらに個人的な解釈になるが本作は「格差あるものや善悪が混じり合う」ように感じた。

ポン・ジュノは本作を「パラサイト」とする前に「デカルコマニー」という題を考えていたそうだ。デカルコマニーは紙の間に絵の具を挟み、偶発的な模様を生じさせる絵画手法だが、筆者の考えでは本作はデカルコマニーよりマーブリングと表現したほうがしっくり来る。

マーブリングはゴム樹脂の水溶液に、描画材を落とし込むことで水面上に模様や図柄を生じさせ、紙などに写し取る手法で、描画材を落とすと水面にゆっくりと色が広がり、他の色に近づいていく。その過程は、まるでパク家にキム一家が寄生し侵食していくかのようだが、結局のところすべての現象は水面上で起こっていて、決して水面下では混ざることがない。

ポン・ジュノの映画では、だいたい「水」が登場する。「殺人の追憶」では雨だし「母なる証明」では、小便やペットボトルから流れ出た水、頭部から流れる血もまた水のようなものだ。「グエムル-漢江の怪物」なんて目の前が川である。とくに「母なる証明」では、地面や床を這うように、じわじわと画面を、そしてモノとモノの境界線を侵食していくのが特徴的だ。この水の力を借りて表現していた動きを、なんと本作では人間を使って行っている。とんでもない。この点では「ほえる犬は噛まない」の時からやっていたとも言えるが(つまり、やっぱりいつものポン・ジュノだけども)、集大成的に見事なアップデートを果たしている。

もちろん、本作でも象徴的な激しい雨が降るし、終盤では洪水が重要な意味を持つ。ほかにも川の中に沈められた水石のイメージなどが挿入されるが、単純に水だけではない。貧困層と富裕層という明確な格差の境界が、両家が交わることにより表面上ではあれども、「母なる証明」のようにゆっくりと侵食され、マーブリングのごとく混じり合っていく。

そこには明確な正解などないし、善悪もない。悪魔も天使も存在しない空間には、ゆっくりとお互いの領域を侵食しようとしながらも、決して本質的には交わらない色が水面を漂っているだけである。恐ろしい映画を観た。ポン・ジュノよ、アカデミー会員がどんな裁定をくだそうとお前がナンバーワンだ。


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[イラスト]清澤春香

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