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「アイリッシュマン」は世界の曖昧さを知る、大人のための傑作

平野陽子 平野陽子


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大人になるまで、私はマーティン・スコセッシ監督作品が、得意ではなかった。
暴力で解決を図ってしまう粗野な人間に、慣れていなかったからだ。

だが、年齢を重ね、壮絶な経験をしないと学べないことは多い。
私たちの生きる世界が、「白と黒」「善と悪」で区別しきれない曖昧さを持つことも、その一つだ。

粗野で暴力的な人間も、好きでそうなったわけではない。
彼らを怖がる人間も、“排除”や“拒絶”という「静かな暴力」を振るうことだってある。

「アイリッシュマン」は「裏社会」を舞台に、
その普遍的な難しさを、最高の俳優と美しい映像で3時間半に凝縮した作品だ。


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出典:IMDb

混沌としたグレーな世界が舞台

原作は、2004年にチャールズ・ブラントが発表したノンフィクション作品『I Heard You Paint Houses』だ。直訳すると「あなたは“ペンキ塗り”をしていると聞いたのですが」になるが、“ペンキ塗り”とはターゲットの血で家の壁を染める「殺し」の隠語であり、つまり殺しの依頼の言葉だ。


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出典:Amazon

“アイリッシュマン”とは、伝説的なマフィアのボス、ラッセル・ブファリーノ(ジョー・ペシ)に長年仕えたアイルランド系アメリカ人のフランク・シーラン(ロバート・デ・ニーロ)のこと。この映画は、年老いたフランクの独白と回想により進んでいく。


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出典:IMDb

第二次世界大戦でイタリアでの過酷な従軍から戻ったアイルランド系アメリカ人のフランクは、トラックの運転手になったことをきっかけに、ラッセル・ブファリーノと出会う。運転手兼殺し屋の仕事を請け負ううちに、全米トラック運転手組合「チームスターズ」のトップである、ジミー・ホッファ(アル・パチーノ)のボディ・ガードとして、家族ぐるみで付き合うようになる。特に、娘のペギー・シーランは、ラッセルには緊張するものの、気さくなジミーにはとてもよく懐いていた。


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出典:IMDb

ちなみに、ミュージシャンのエド・シーランは、このフランク・シーランが遠縁の可能性が高いと語ったことがあるそうだ。

劇中でマフィアのトニー・プロ役を務めるスティーヴン・グレアムは、英BBCのインタビューで、以前エドが「フランク・シーランは自分の遠い叔父にあたる」と言っていたことを明らかにした。
出典:フロントロウ


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出典:フロントロウ

※似ている……のか?

家系学者達が出動し、1845年までさかのぼって調べる事態になったが、これもまた真相はグレーなままだ。

話を元に戻すと、この作品の題材は、1975年のジミー・ホッファ失踪事件だ。彼は、過酷な環境に置かれた配送職の労働組合を組織し、実力行使での抗議の上、経営者を交渉のテーブルにつかせ、労働契約を結び、労働環境を改善する功績を足掛かりに台頭した人物だ。現代で会社勤めをする我々もまた、彼の恩恵を受けているともいえる。
当然、政府や経営者に目を付けられ身に危険が及ぶことから、マフィアとの関係が深まっていく。


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出典:IMDb

類まれなる交渉力やカリスマ性を持ち、1950年代に全米トラック運転手組合「チームスターズ」の委員長を務めた彼は、世間の注目を浴びていた。他方、マフィアとの関係の深さ、組織内の派閥争い、ケネディ家との確執など、様々な顔を持つ人でもある。

そのような大物が、1975年の夏、突如失踪し、1982年に死亡宣告をされたこの事件は当時、全米で大きな話題となり、今でも謎めいた未解決事件となっている。

なお、1999年から「チームスターズ」の委員長を務めるジェームス・フィリップ・ホッファは、彼の息子である。

見ている人は、必ずしも「裏社会=悪」「リベラルな政治家=善」などの単純な物差しでは片づけられない、本来、世の中がはらんでいる複雑さを、作品だけではなく題材でも突き付けられる。

3人の男の中で、誰が最も不器用か?

この映画には実在した様々なマフィアの大物が登場するが、ジミー・ホッファ(アル・パチーノ)、ラッセル・ブファリーノ(ジョー・ペシ)、フランク・シーラン(ロバート・デ・ニーロ)の3名を中心に話が進んでいく。

一つのミスが命取りになる、危うい世界を生きる3人は、それぞれ不器用だ。

華やかな魅力を放つ不器用な男ジミー・ホッファ

ジミーは、タフで辣腕を振るう人物にも関わらず、明るく華やかな魅力と説得力に満ちている。その一方で、フランクを初めて自分の部屋に泊めた日に、寝室のドアを少しだけ開けておいたり、自分に風向きが向かない変化に器用に向き合えなかったりと、臆病さも併せ持つことがうかがえる。


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出典:IMDb

アル・パチーノの華やかで人を惹きつける雰囲気も、演説シーンなどでは際立ち、素晴らしくマッチしている。

冷静なのに寂しさに不器用な男ラッセル・ブファリーノ

ラッセルは、裏社会で起きる様々な出来事に常に冷静に対処する。最も上手くやっていたように見える彼もまた、大切な仲間であるフランクや家族を失う寂しさを、何よりも恐れている。もしかしたら、彼の唯一の弱点はフランクだったかもしれないと感じさせられる。


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出典:IMDb

ジョー・ペシの静かな演技が、置かれた状況の深刻さとそれに伴う登場人物達の感情の揺れを、画面からひしひしと感じさせてくれる。

自分の感情に不器用な男フランク・シーラン

3人の中で、唯一の「元平凡な一般人」であるフランクは、人生そのものが板挟みだ。“アイリッシュマン”と呼ばれつつも、イタリア系マフィアに仕え、組織とジミーの溝が深くなる中でも、彼は間に入る立場を続ける。家族を守るために必死に生き、何とか守り抜いた家族とは、ジミーの失踪事件を機に疎遠になる。妻の葬儀で、娘は目を合わせてもくれない。


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出典:IMDb

ロバート・デ・ニーロが見せる、ごく普通の人らしい、優しく曖昧な表情や反応は、とても殺し屋には見えない。そのせいで、翻弄されながらも、最後まで生きた男の苦しみがにじみ出る。

3人の誰が最も不器用か? 誰に思いを寄せて見るか? は見る人の置かれた状況によってもきっと変わるだろう。
どの人物も生きるために暴力を振るいながらも「大切なものがあっけなく壊れること」への恐れや寂しさを抱え、必死に何かを守っている。

そのような人達の行動だけではなく、内面を良く見つめたからこそ描ける、秀逸な人物設定だ。

「映画の転換点」の一つになった「傑作」

この「アイリッシュマン」は米国での配信開始後5日間の視聴者数が1320万人を超え、第25回放送映画批評家賞で最多となる14部門のノミネート、アメリカ映画協会の2019年映画トップ10に入るなど、とても高評価の作品だが、かなりの紆余曲折を経て生まれている。

『アイリッシュマン』はNetflixが制作を可能にするまで、何年も進捗困難な状況に追い込まれていた。つまり、予算の高騰が原因でスポンサーの1社が手を引き、パラマウントは映画の制作を中断した。それをネットフリックスが1億500万ドル(約114億円)で引き受けたのだ。
出典:WIRED

この作品は、「傑作」であることに間違いはない。
アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロ、ジョー・ペシをはじめとした、素晴らしい俳優の演技だけではなく、彼らが時代を行き来するために高度なCG加工での年齢表現を行い、時代考証を忠実に再現したセットや、伝記作品に強いスティーブン・ザイリアンの脚本、元ザ・バンドのロビー・ロバートソンによる音楽など、こだわり抜いて作られている。

マーティン・スコセッシ監督は映画館での上映を願ったが、製作費の高騰からNetflix配信での製作を選ぶ。さらに、Netflixと大手映画館チェーンとの話し合い決裂などの影響により、上映される映画館もかなり限られることとなった。
図らずも、アカデミー賞を受賞したアルフォンソ・キュアロン監督の「ROMA/ローマ」同様、じっくり味わうことのできる上質な作品がNetflixから生まれる「映画の転換点」の流れの一つになった「傑作」といえる。

スコセッシは「オーディオヴィジュアル・エンターテインメント」と、芸術様式としての「映画」を明確に線引きしている。そして「アイリッシュマン」には、「スパイダーマン」の最新作より多くの感情や精神の吐露が盛り込まれている。
出典:WIRED

マーティン・スコセッシ監督が「ジョーカー」の監督をなぜ断ったか? マーベル作品を批判したのはなぜか? という謎は、本人の言葉よりも、きっとこの作品をしっかり味わう方が合点がいく。

この3時間半もの長編作品には、美しい構図の中に、緊張感やリズム感、複雑な感情のやり取りが迫ってくる。
冒頭「大人になるまで得意ではなかった」私でも、近年見た作品の中で、最も「映画」だと感じ、何度も見たくなる上質な体験だった。

幸いにも、日本でもいくつかの映画館で上映されている。
ぜひ、配信だけではなく、大画面でも堪能して欲しい最高の映画としておすすめしたい。


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[イラスト]清澤春香

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