どうも、街クリ映画ライターの金子ゆうきです。
映画評を書くようになって約1年がたったので、あらためて名乗りました。
次回は1年1カ月経過したという理由で名乗ります。
すべては読んでくれる皆さんのおかげです。ありがとうございます。
1年間も映画について書くなんて夢にも思っていませんでした。
夢のなのかも。
夢ならボーっとしている間に原稿が埋まるはず。
………。
………。
……………。
埋まりません。しかたないので書きます。
この1年、映画を見てきて「この人が出演する、撮る作品は必ず見よう」と思えた俳優が2人できました。
ブラッドリー・クーパーとタロン・エガートンです。
ブラッドリー・クーパーは街クリに初めて書いた「アリー/スター誕生」の監督・主演で心を掴まれ、クリント・イーストウッド監督「運び屋」でも見事な助演。空前のヒットを記録する「ジョーカー」では製作にクレジットされています。
俳優として、製作者として彼が関わる作品はリアルタイムで追っていきたいと思っています。
そして、タロン・エガートン。
エルトン・ジョンの音楽伝記映画「ロケットマン」で見事な演技と歌唱を披露してくれましたし、その辺は街クリにも書き倒しました。
1989年生まれの30歳。これから更に活躍すること間違いなしです。「ロケットマン」でアカデミー主演男優賞をとってほしいと願っています。
タロン、いいですよ。顔はもちろんいいんですけど、シュッとしすぎていないところも好感もてます。王子様タイプじゃないですよね。首が太くて少しゴツッとしてて。ラグビーやってそうな感じ。W杯のどこかの国の代表といわれても違和感ありません。
出典:IMDb
「キングスマン」で見事なアクションを披露していましたが「フッド:ザ・ビギニング」では身体能力の高さを活かした、見事な弓の早撃ちを魅せてくれました。その辺は後ほどじっくり。
というわけで、今回見たのは「フッド:ザ・ビギニング」。タロン・エガートン主演なので「見て、書こう!」と決めたわけです。
出典:IMDb
監督はオットー・バサースト。僕の映画評は監督の過去作を掘り下げてあーだこーだ言うのが特徴ですが、今回はそれをやりません。長編映画初監督だからです。過去作がない。
そのかわり、ロビン・フッドの過去の映画について掘り下げてあーだこーだ言います。
未見でネタバレが気になる方はご注意ください。
それでは、どうぞ。
【お断り】
この記事では、「ロケットマン」の時と同様、映画の公式HPに合わせて「タロン・エガートン」表記にしています。そろそろ本来の発音に近い「タロン・エジャトン」にしてあげてもいいと思うんですけどね……。次回作関係者の皆様、どうぞよろしくお願いします!
そもそもロビン・フッドって?
まず、これはお伝えしておきましょう。
息子の頭のリンゴを射抜いたのは、ロビン・フッドではありません! ウィリアム・テルです。
緑の服で妖精と飛びまわるのは、ロビン・フッドではありません! ピーター・パンです。
僕も「緑色で弓がうまい人」くらいにしか思っていなかったので勉強しました。
特に上野美子著『ロビン・フッド物語』(岩波書店)は、ロビン・フッドの成り立ちから児童文学としての世界への広がり、20世紀初頭からの映画の流れが分かりやすくまとまっているので「フッド:ザ・ビギニング」でロビン・フッドに興味を持たれた方にはオススメです。
出典:Amazon.co.jp
ロビン・フッドは、中世イングランドの伝説上の人物。森を拠点に仲間と力をあわせて、民を苦しめる悪代官をやっつけるアウトロー・ヒーローです。
出典:Wikipedia
実在したかは諸説あるので、ふれません。『ロビン・フッド物語』によれば、ロビン・フッドの成り立ちは14世紀終り~15世紀はじめ。吟遊詩人が語るバラッドとして広がりました。バラッドとは口伝えで広がる民謡のようなもので、当時の娯楽として親しまれていました。
その後、何世紀にも渡りロビン・フッドの物語は、文学、演劇、パントマイム、音楽劇と様々に形態を変え、広がっていきます。
弓の名手であること、マリアンとのロマンス、領主・貴族としての出自など、内容や設定は様々に付け加えられ、変化していきます。1599年~1600年に初演されたシェイクスピアの『お気に召すまま』にもロビン・フッドにふれたセリフが登場します。
ロビン・フッド=児童文学というイメージが強いですが、これは1883年に出版されたアメリカ人のハワード・パイル著『ロビン・フッドのゆかいな冒険』の影響。ロビン・フッドにまつわるたくさんの話を集め、子どもむけに編集し、自作の挿絵をそえた作品です。
出典:Wikipedia 『ロビン・フッドのゆかいな冒険』の挿絵。
成り立ちを追って分かったことは、ロビン・フッドの物語は決まったかたちや原作があるわけではないということ。
お約束はあります。たとえば、ロビンの相棒の名前はジョンです。確実です。そう、コーラを飲んだらゲップがでるくらい確実です。
原作のないロビン・フッドの物語。「フッド:ザ・ビギニング」はどのように解釈され、何を目指したのか。過去のロビン・フッド映画も交えつつ冒頭から追っていきましょう。
バラエティ豊かな、歴代ロビン・フッド映画
版画風のイラストをバックにしたモノローグから始まります。
これは、おとぎ話ではない。
領主として不自由なく暮らす青年ロビンと、仲間のために馬を盗もうとする女性マリアンは出会い、恋に落ちます。
マリアンを演じたのは、イヴ・ヒューソン。頭痛のときは、イブクイック。お腹下れば、正露丸。イヴ・ヒューソンのお父さんは、ロックバンド・U2のボーカル、ボノ。
出典:IMDb このシーンなかったですよね……。
2人の甘い時間は長くつづかない。ロビンは第3回十字軍に徴兵され戦地へ送られます。
ここから戦闘シーンになりますが、
出典:IMDb
だんだんと、
出典:IMDb
……これっていつの時代の話?
わからなくなってきます。
現代戦みたいなんです。弓矢がメインですが、全体的なイメージは現代戦争映画。物陰から鏡で後ろを覗くお約束も挟みこまれます。
クリント・イーストウッド監督「アメリカン・スナイパー」の市街戦のようです。
出典:IMDb
これはおとぎ話ではないという宣言通り、「フッド:ザ・ビギニング」はロビン・フッドの現代的な再構築を目指していることが伝わってきます。
過去のロビン・フッド映画は、伝説・おとぎ話としての表現、中世世界の表現を志向してきました。
1922年のサイレント映画「ロビン・フッド」や、1938年の「ロビンフッドの冒険」はハワード・パイルの挿絵の世界を表現したかのような、いかにもおとぎ話といった印象です。勧善懲悪な物語、ダグラス・フェアバンクスとエロール・フリンが演じたロビン・フッドが見せるコミカルな動き、お姫様とのラブロマンスもあって、とてもたのしい娯楽映画です。
1976年の「ロビンとマリアン」は大人のラブストーリー。ショーン・コネリー演じる晩年のロビンとオードリー・ヘプバーン演じるマリアンとの枯れたラブロマンスが主軸で、終盤の決闘シーンは真剣なのに身体がついていかない感じがなんとも可笑しさと哀愁を感じさせます。
IMDb 「ロビンとマリアン」は登場人物、全員中年。
ケビン・コスナーがロビン・フッドを演じた1991年の「ロビン・フッド」では、おとぎ話のイメージから大きく離れます。リチャード1世としてラストに登場するのは「ロビンとマリアン」でロビンを演じたショーン・コネリー。
出典:IMDb ロールプレイングゲームのようなイメージになったケビン・コスナー版
「フッド:ザ・ビギニング」でロビンの相棒、ジョンがアラビア出身の異教徒であるという設定は1991年版から取り入れられていますね。ジェイミー・フォックスがジョンを演じました。1991年版ではモーガン・フリーマン。
戦地で出会い、結果的にイングランドで行動を共にするという流れも一緒。
リドリー・スコット監督が2010年に撮った「ロビン・フッド」は中世リアリティ路線になっていて、序盤の攻城戦の重厚感はすばらしいです。ロビン・フッドを演じたのはラッセル・クロウで、非常に骨太な感じ。
出典:IMDb ラッセル・クロウ版はかなり男っぽいロビン・フッド。
ざざっと書きましたが、「フッド:ザ・ビギニング」は、おとぎ話、中世リアルから離れ現代的なイメージに舵をきったわけです。
現代的なイメージを与えてくれる衣装を手がけたのは「ボヘミアン・ラプソディ」「ロケットマン」でも衣装を手がけたジュリアン・デイ。“モダン・メディーヴァル(現代的中世)”と名付けた独自のスタイルを構築。ロビンの衣装と“頭巾(フード)”はバイクジャケットと、サムライ装束とを合わせたようなものにしたと語っています。
ユ○クロのウルトラ軽いダウンじゃなかったんですね……。
出典:IMDb
衣装や美術にくわえて、特徴的なのが弓アクション。
弓アクションといえば「飛距離」と「正確性」。遠くの的に、正確に当てること。過去のロビン・フッド映画でも共通してきた特徴です。ケビン・コスナー版では首吊りの縄を射抜きましたし、ラッセル・クロウ版は馬で逃げる宿敵を一撃で仕留めました。
「フッド:ザ・ビギニング」では、動きながら早く撃つです。
予告でも使われた、倒れこみながら左右に二射するシーンが分かりやすいですね。右手に何本もの弓をもち、走りながら、飛びながら、落ちながら、矢を放つアクションは、とても斬新。
しかも、タロンはこれをスタントなしでこなしたというから驚きです。
驚異の早撃ちを授けたのは、ラーズ・アンダーソン。彼のYouTubeチャンネルには、神業ともいえる弓の動画が多数あがっていて、タロンとのトレーニング動画も公開されています。
出典:YouTube
ラーズ・アンダーソンの特徴は、撃つときの矢の位置。現代アーチェリーや多くの映画では弦の左側に矢を通しますが、彼は弦の右側に通します。劇中でジョンから新しい弓を受けとった際にロビンは、弓のセットがスムーズになるねと言っていましたが、このことですね。右側にセットしている画像もあります。
出典:IMDb トレーニングシーン。弓が右側にセットされています。
出典:IMDb 冒頭の戦闘シーンでも、ジョンは右側に弓をセット。
みなさんも、弓の連射を求められる場面では右側を通すようにしてください。
「イラク戦争など現代とのリンク」
「現代的な衣装や美術」
「スピーディでスタイリッシュな弓アクション」
「フッド:ザ・ビギニング」はロビン・フッドを現代に通じるヒーローとして描くわけですが、それはなぜなのか?
ロビン・フッドをアメコミ映画的ヒーローとして再構築したかったんだと思います。
特にMARVELコミック原作の一連の映画群、マーベル・シネマティック・ユニバース(以下、MCUと表記)で描かれるヒーロー像を目指したんでしょう。
出典:IMDb MCUの弓ヒーローといえば、ホークアイ。弦の右側に弓を通していますね!
MCU的なアメコミ映画の特徴はたくさんありますが、今回は2つ挙げます。その視点も含めてロビン・フッドのアメコミ映画化が成功したのかを考えていきます。
■ヒーローは、何をもってヒーローなのか?
■魅力的な敵(ヴィラン)の存在
ヒーローは、何をもってヒーローなのか?
MCUでくり返し語られるのは、ヒーローとは、目の前のひとりを助けるために自分を犠牲にできる人ということです。
「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」において、ドクター・ストレンジはアイアンマンを助けるために、超重要アイテムである「タイムストーン」を敵に渡してしまいます。(未来が見えるドクター・ストレンジはそれが勝利に繋がると分かっていた節もありますが、そうでなくても渡したはず)
「スパイダーマン:ホームカミング」では、スパイダーマンであるピーター・パーカーは背筋も凍るような脅迫を受けた後でも、意を決して最後の戦いに向かいます。アイアンマンからもらった強力なスーツではなく、自分で作ったダサいスーツを着て。
出典:IMDb ヒーローは困っている人を見捨てない。
ヒーローをヒーローとするのは、超人的な能力やハイテク武器ではなく「目の前のひとりを助ける」という意志なんですね。
「フッド:ザ・ビギニング」でロビンは、戦場で連れ去られた仲間を助けるために敵の罠につっこみます。上官に逆らってまで、敵の息子の処刑を止めようとします。領主という恵まれた環境で育ったにも関わらず、誰かを助けるという意志をロビンは持っていました。
出典:IMDb
だからジョンは、ロビンを選んだんです。
ジョンがロビンに伝える「人が無力なのは、自分が無力だと思うからだ」というセリフは「フッド:ザ・ビギニング」でもっとも素晴らしい言葉だと思います。何をなせるか、何をなすべきか。決めるのは、自分の「心」なんですよね。
超絶パワハラブラック上司・ノッティンガム州長官
MCU的アメコミ映画の特徴のもうひとつ、魅力的な敵(ヴィラン)。
「アベンジャーズ」シリーズにおけるサノス、「スパイダーマン:ホームカミング」におけるバルチャー。挙げればキリがないほど魅力的なヴィランが登場し、ヒーローの魅力も引き立ててくれます。
「フッド:ザ・ビギニング」のヴィランはノッティンガム州長官。
演じるは、ベン・メンデルソーン。『春の歌』を作ったのは、メンデルスゾーン。エンドウ豆から優性の法則を導いたのは、メンデル。
出典:IMDb 彼は、メンデルソーン。
MCUの「キャプテン・マーベル」ではスクラル人の将軍・タロスを演じています。
出典:IMDb 彼も、メンデルソーン。
ノッティンガム州長官、民衆や部下はとことん見下し、枢機卿にはヘコヘコします。超絶パワハラブラック上司。これがまたよかったですね。
暴言がすごかったので必死にメモしました。細かい間違いはご容赦ください。
クソ平民の街を焼き払って、尿瓶から小銭まですべて奪ってやる!
タマを砂漠に落としてきたのか? 奴らの血で街を染め、血の中でネズミを泳がせ、犬にのませろ!
お前を小便の中で泳がせ、女(マリアン)をアラビアに渡し何人も子どもを産ませてやる!
もう、清々しいほどにクズ。最高です。
ヴィランが悪として魅力的であればあるほどロビンがヒーローとして際立つので、州長官のキャラクターはめちゃくちゃ良かったと思います。
結局、ロビン・フッドのアメコミ映画化は成功したのか?
「現代的なビジュアル・アクション」「ヒーローとは?」「魅力的なヴィラン」の点から、「フッド:ザ・ビギニング」がロビン・フッドのアメコミ映画化を志向したことを示してきました。
では、それは結局、成功したのか?
「フッド:ザ・ビギニング」は魅力的なヒーロー映画となったのか?
うまくいったところもあったけど、そうじゃないところの方が多い。
これが、僕の結論です。
「最近のアメコミ映画っぽいよね」の域から出ていません。
ロビンがヒーローとしての意志をもつ、その背景や根っこを知りたかったです。親の影響なのか? 幼少期の体験なのか? 戦争体験だったのか? はじめから持ってましたと見えてしまったのが残念です。
ヴィランについても、州長官はキャラクターとして抜群に魅力的です。メンデルソーンの演技もすばらしい。倒されたときの爽快感もある。
……ただ、そこどまりなんです。
現代アメコミ映画のヴィランがすばらしいのは「現代の問題」を含みながらヒーローを苦しめるところだと思うんですよ。
「アベンジャーズ」のサノスであれば、増えつづける人口と資源の問題。全体を救うために半数の犠牲を強いるというのは、正義と捉えることだってできる。それが「目の前のひとりを救おうとする」ヒーローと対比されるから、見ている僕らは揺さぶられます。
「スパイダーマン:ホームカミング」のバルチャーは、アベンジャーズの戦いの裏で事業が立ち行かなくなり、兵器製造と密売を行うようになりました。行動は悪ですが、家族を守るためでもある。バルチャーは正義の犠牲者ともいえます。その複雑さがスパイダーマンの苦悩を際立たせ、それでも立ち向かう姿を輝かせます。
出典:IMDb 「スパイダーマン:ホームカミング」でバルチャーを演じたマイケル・キートンは抜群に良かったです。
「フッド:ザ・ビギニング」にはそれがないんです。ただただ権力と金に溺れ、国を裏で操るために民から集めた金をアラビアにおくる悪人というだけです。ロビンの、観客の価値感や想いを揺さぶることはありません。
悪いやつが正義のヒーローに倒されるだけです。
ビジュアルや戦闘描写は現代的なのに、やっていることがおとぎ話なんです。
このちぐはぐさが、最大の欠点だと思います。
日本より1年先に公開されたアメリカでは、あまり評価が芳しくありません。レビューサイトには酷評が目立ちます。見た目とやりたいことに内容がついてこなかったのが原因のひとつでしょう。
散々書いて、最後けなすんかい! となりましたが、トータル僕は好きです。
オープニングの古風な版画がラストではアニメのように動き出す演出は「スパイダーマン:ホームカミング」にも通じるたのしさがありました。ロビンとジョンのバディ・師弟感は、スパイダーマンとアイアンマンの関係にも通じていて、それもよかった。
タイトルやラストからも分かるとおり、シリーズ化する気満々。続編がどうなるかは評価と興行収入次第だと思いますが、個人的には期待したい。
出典:IMDb このコンビが1作で終わるのはもったいない。
何より「フッド:ザ・ビギニング」を入り口にロビン・フッドの成り立ちを知り、初めてサイレント映画を見ることもできました。様々なロビン・フッドにふれ、オードリー・ヘプバーンを見ることもできました。ひとつの作品が入り口となって過去に触れ、より豊かな映画体験になる。
1本の映画がおもしろいとか、つまらないということを超えた喜びです。
15世紀から脈々とつづく物語だからこそだと思うし、それだけでもロビン・フッド映画が現代に作られる意義があると思います。
今回ご紹介したロビン・フッドの映画やアメコミ映画でひとつでも気になるものがあれば、ぜひ見てみてください。きっと、あたらしい発見が待っているはずです。
最後に。
この記事が続編製作の役に立つかは分かりませんが、劇中のセリフを借りれば「人が無力なのは、自分が無力だと思うからだ」です。
無力ではないと信じて、大きな声で言います。
面白かったから、続編作ってください!!
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[イラスト]ダニエル