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「イエスタデイ」今、世界はリリー・ジェームズを中心に回っている

加藤広大 加藤広大


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「自分の才能を誰もわかってくれない」と孤独に活動するのと、「自分に才能がないのはわかっているが、なぜか共感して応援してくれる友人・知人がいる」のでは、どちらが不幸だろうか? 筆者の見立てではどちらも地獄である。

「イエスタデイ」は、どちらかというと後者の話で、主人公の売れないシンガーソングライター、ジャック(ヒメーシュ・パテル)は、自身の才能のなさ、芽の出なさに見切りをつけ、音楽活動を停止しようとしている。

そんな彼を献身的に支えるのが、幼馴染でマネージャーのエリー(リリー・ジェームズ)だ。彼女はジャックのソングライティングの才能と楽曲、そして彼自身を心の底から愛していて、フェスへの出演を取り付けた際には子供のように喜び、いたずらっぽくジャックに報告する。

しかし、出場したフェスは誰も気付かないような小さいテントで、居合わせた客は曲なぞ聞いていない。ステージを降りたジャックは、とうとう音楽に見切りをつけ、シンガーソングライターからの引退を宣言する。

エリーは彼を止めようとするが、ジャックは聞く耳をもたない。彼女が運転する車を降りるとき、いつもの挨拶なのだろう、頬と頬を合わせる。別れ際、エリーは悲しそうな目でジャックに言う。

「グッドナイト・ロックスター」

その顔つきは、リリー・ジェームズ史上に残る演技と言ってもいい。筆者はこの瞬間より、「こんなに良い女を悲しませたので死後裁きに遭うのは当然として半径1m以内の人間の気持ちすら察せられないクソシンガーソングライターが今からあらん限りの酷い目に遭いますように」と読点も打たずに一呼吸でスクリーンに向かって念を送り続けていたら、その直後にバスに轢かれたので溜飲を下げた。

バスに轢かれたクソシンガーソングライター


KSSW
出典:Rotten Tomatoes

さっそく、世の中の男が理想とする女性の極点とも言える、明朗快活で、聡明で、何があろうと自分のことを大好きでいてくれて、信じてくれて、決して裏切らず、私服とパジャマがダサくて、髪型もバタ臭くて、それでも隠しきれない溢れるキュートさをふりまき、圧倒的母性を発散するエリーを蔑ろにした罰が下ったクソシンガーソングライター(長いので以下、KSSWと略す)だったのだが、運命の神様は悪戯好きである。

なんと、音楽を諦めようとしていた彼にとんでもないギフトを与えてしまうのだ。バスに轢かれる少し前、世界は同時に12秒間の停電に見舞われた。そのブレイクの影響で、世の中から「ザ・ビートルズ(以下ビートルズと記す)」が完全に消失した。歴史からも、人の記憶からも、映像も、レコードも、Google検索の結果も、何もかもである。

だが、KSSWだけは(厳密には、確認されているだけであと2人いるが)ビートルズを忘れていなかった。

停電後、退院祝いの小さなパーティーが開かれた。新しいギターをもらったKSSWが「このギターに相応しい曲を弾こう」つって、『イエスタデイ』を弾き語ると、エリーを含む友人たちは「なんで今までこんな名曲隠してたのよ」と大感動。彼は一瞬ドッキリを疑うが、家に帰りネット検索をしてビートルズが出てこないことや、家からレコードが消えていたことから事態を理解する。ビートルズのついでに「オアシス」も消えていたが、今は「ファッキン兄弟がいなくなっちまったぜ!」とか言ってる場合じゃない。あの偉大なバンドを、誰一人として覚えていないのだ。「世の中でビートルズを覚えているのは俺だけだ」。さて、ファッキンKSSWはどうするか。

そこで彼がとった行動は、ビートルズの楽曲を自身の曲として発表することだった。

と、これがあらすじなのだが、お察しの通り

設定がスッカスカである。だが、これは作品の傷にはならない。本作は割と巧妙に「突っ込んだら負け」的センスが散りばめられていて、リラックスして観ればかなり楽しく完走できる。何より、リリー・ジェームズの魅力だけで2時間もたせるし1900円の価値はある。何の問題があろうか。

だが、やっぱり気になることは気になる。以下に筆者が鑑賞前に抱いていた懸念を列挙する。

【1】そもそもバンドなんだからKSSWじゃ無理でしょ。たとえポールの曲が多めだったとしても

【2】レコードやCDなどのブツも消えるのか

【3】メンバーも消えるのか

【4】ビートルズにインスパイアされて制作された曲はどうなるのか。もし残るとすれば、インスパイア元の記憶は消えるのか、改ざんされるのか

【5】ビートルズが消える瞬間までは、忘れられたとしてもビートルズが存在していた世界として続いていくのか

【6】ビートルズの楽曲がすべて記憶から消えるとすれば、たとえば、とくにポールのベースアプローチがバンドに及ぼした影響が無かったことにされた場合、影響下にあるその他バンドの楽曲が相当数消えてしまうのではないか

【7】「ずうとるび」はどうすんのか

以下100項目くらいあるが割愛する。で、【1】については改めて感じたが、ビートルズの楽曲が強すぎるので、難なくもっていく。あと、KSSWは歌が結構巧いので、若干感動すらする。我々が『レット・イット・ビー』や『ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード』のイントロやメロディを知っているのもあるが、やはり時代の風雪に耐えて生き残っているポップスの強度は凄まじい。

【2】については上述したとおり、あらゆるソフトが消えている。【4】〜【7】については、上手く隠している、というか劇中で触れずに済むように作られているので、ツッコミを封殺する。

【3】についてはネタバレになるので触れないが、かなり衝撃的な事実が明かされる。詳述はしないけれども「人の人生を奪う」点において悪辣であるとすら感じた。

なので、斜に構えて設定の甘さにツッコむのは悪手である


KSSW2
出典:Rotten Tomatoes

本作は「そういうふうに」作られている。「だってぇ、ビートルズはバンドじゃん? っていうか、そもそもビートルズが忘れ去られたら、影響下にあるバンドとかどうすんのよ?」なんて粗探ししようと身構えていた筆者を含めたモテない奴等に勝機はない。勝者は「素直に楽しんだ者」だ。

上述した設定のアレコレに関して補足していく。繰り返しになるが、要はツッコミ入れたら負け案件であり、そもそもKSSWが次々リリースするビートルズの楽曲と、フックアップしてくれるエド・シーラン以外のミュージシャンはほぼ登場しないので、ツッコミに対して相当な防御線が張られている。

冒頭以降の話の筋も単純で、これまたツッコんだら負け感が迸る。ビートルズの楽曲を歌うことにしたKSSWだが、いくら名曲といえども演奏者や時代が違えばなかなか受け入れられることはない。しかし、KSSWの楽曲を耳にしたエド・シーランのフックアップにより前座に抜擢され、全人類は改めて「初めて」ビートルズの楽曲を耳にすることとなる。そこからは速い。あらゆるSNSで拡散され「ヤバいミュージシャンがいる」と大人気になる。

しかし、盗作によって神格化されたKSSWに「ビートルズのことを記憶している」人間が忍び寄る。果たしてKSSWはミュージシャンとしてどう行動するのか、記憶が消えていない人々は彼に対してどのようなアクションを起こすのかが、ひとつのサスペンスとなっている。

で、監督はダニー・ボイルである

良いにせよ悪いにせよ、ダニー・ボイルが自身の作品をただで終わらせるわけがない。しかし本作は、ダニー・ボイル節は若干抑えられている。そしてツッコミを封殺するとともに、斜に構えていた人でも「意外と面白いじゃん」と温かい気持ちにさせる力をもっている。

おそらく、その力の出どころはダニー・ボイルではなく、脚本・原案・製作を手掛けるリチャード・カーティスの手によるものだろう。

リチャードは脚本家として「ノッティングヒルの恋人」や「ブリジット・ジョーンズの日記」を手掛けているが、本作に一番近い作品としては「パイレーツ・ロック」が挙げられる。

「パイレーツ・ロック」は1960年代の英国で北海からロック・ミュージックを流し、ファッキン政府とガチガチにやりあった海賊ラジオ局を描いた素晴らしい映画なので、ぜひ本作とニコイチでご覧になって欲しい。映画史上稀に見る「とてつもなくええ乳」も出る。

ええ乳が出るといえば、同じくビートルズを題材とした「バック・ビート」もまた、かなりクオリティの高い乳が出る。アストリッド・キルヒヘルを演じるシェリル・リーの可愛さもさることながら、初期ビートルズ(スチュアート・サトクリフ入り)の再現も趣深いので、どこかで同時上映されるといいんじゃないだろうか。

三本立ての話はさておき、ダニー・ボイルの、ともすれば時代遅れだが尖った作家性と、リチャード・カーティスの「優しさ」みたいなものが、本作はガッツリとシェイクハンドして七難隠している。その点で「イエスタデイ」は、決して美男・美女ではないけれども、憎みきれないチャーミングさをもった作品だと言えるだろう。

今、世界はリリー・ジェームズを中心に回っている


LJ
出典:IMDb

そして、七難をさらに隠すのがリリー・ジェームズの存在であることは書くまでもない。と書きつつ書くが、「高慢と偏見とゾンビ」で、美しいカンフー姉妹の長女としてゾンビをバッタバッタとなぎ倒し、「ベイビー・ドライバー」で向こう20年は出てこないだろうと思わせるほど可愛いウェイトレスを演じ、本作では「ちょっとダサいけど、むちゃくちゃ愛嬌のある英国サブカル田舎娘(しかも職業は教師)」という、もうちょっと脚本がアレだったら、下手すればある意味で女優生命を失いかねないような役を見事にこなした。

これは単なる事実だが、今、世界はリリー・ジェームズを中心に回っている。ちなみに、キーラ・ナイトレイを中心に回ってもいるが、2人が居る場所が中心点なので何の問題もない。むしろ何か問題があるのか。

事実は事実としてさておき、本作でリリー・ジェームズに与えられた役柄は、このご時世に「よくぞ、こんな男しか得しねぇ設定にしたな」と観ているこっちが心配になってしまうほどで、筆者は本作のレビューや感想の類を一切読んでいないが(嘘、Twitterのタイムラインで流れてくるのは目にしました)、女性の視点から観たらキレてしまう方もいるのではないだろうか。それくらい、本作の彼女は「男が理想とする女性像」となっている。

その点から思い返してみると、ダニー・ボイルの女性の扱い方は大概「あんな女いいな、デキたらいいな」というスタイルだったような気がする。「ダニー・ボイルなんて1990年代中頃〜後期くらいにいっぱいあったオシャレ系映画撮ったオールドスクールでしょ? そんなもんだよ」なんて時代遅れと斬って捨てることもできるが、今の時代にこんなにスキだらけの映画が出たことには、ちょっと価値があるんじゃないか、とも感じてしまう不思議な魅力が「イエスタデイ」には、そしてダニー・ボイルにはある。でも、本当にそれでいいのか?


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[イラスト]ダニエル

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