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「ジョーカー」は舞う、狂気と喜劇の手の中で

ハマダヒデユキ ハマダヒデユキ


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問題作、という言葉がここまで似合う映画がかつてあっただろうか。

2019年10月4日。有楽町の映画館近くのパスタ屋で、一緒に鑑賞した同じ街クリ映画ライター・みる兄さんと先ほどまでの衝撃を話しつつ、そんな感想を抱きました。


出典:映画.com

ジョーカー」。その名前で呼ばれる悪役といえば、「バットマン」の宿敵を世界中の映画マニアなら連想することでしょう。本作も「DCコミックのキャラクターに基づく」と宣言し、あの悪のカリスマの誕生秘話を描くというのが作品の触れ込みでした。「バットマン」(’89)でジャック・ニコルソンが演じた、狂気の道化師の前日譚が観られるのか。または「ダークナイト」(’08)でヒース・レジャーの演じた、冷酷な悪魔の過去が暴かれるのか。しかし、その期待はいい意味で裏切られます。本作で描かれたのは僕らのよく知るジョーカーではなかったのです。

このピエロは誰だ? この「ジョーカー」は誰なんだ? 僕たちは一体何に震えているんだ?

この記事では本作の主人公である「ジョーカー」の正体を、4つの方向性から考察したいと思います。(ネタバレを大いに含んでいます。作品鑑賞前の方はご注意を!)

♠︎ジョーカーは、サイコパスかもしれない。


出典:映画.com

ピエロ派遣プロダクションに所属する、アーサー・フレック(ホアキン・フェニックス)。彼は心身ともに病んだ母親と同居し、また自身も「脳の損傷から、緊張すると笑いの発作が出る」病を患っている男性です。精神薬を飲みつつ極貧な生活を送りながらも、コメディアンとして大成する夢を追うその人生はある日一変します。

同僚から護身用にと手渡された拳銃を訪問先の小児科で落とし、仕事を解雇されてしまうのです。そしてその夜、道化師の扮装のまま地下鉄に乗った彼は、女性客と自分をからかうビジネスマン3人を過剰防衛で射殺してしまい、警察に追われる身となってしまいます。


出典:映画.com

しかし彼の行動は、富裕層に不満を持つ多くの低所得層から「ピエロ姿のビジランテ(私刑人)」と称賛を受けることに。警察に追われながらも隣人のシングルマザー(ザジー・ビーツ)と恋人になったりと高揚感に包まれる日々を送るようになります。そんな中、母親がかつて関係を持っていたというトーマス・ウェイン(ブレット・カレン)に接触し、自らの出生の秘密を知ることになるのでした。



出典:映画.com

あまりに残酷すぎる現実に怒り狂ったアーサーは、その手を再び血に染めることに。そのまま自らにピエロのメイクを施した彼は、長年憧れてきたマレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ)が司会を務めるバラエティ番組に出演すべくテレビ局へ向かいます。道中の街は富裕層を責めるデモで溢れ、まさに一触即発の状態。そしてマレーと対面した白塗りのアーサーは「僕のことはジョーカー(冗談屋)と紹介してくれ」と不気味に微笑むのでした……。

本作でまず驚いたのは、ジョーカーが従来の作品で描かれてきたような「サイコパス」ではないこと。


出典:Amazon.co.jp

例えば同じようにジョーカーの原点が描かれた『バットマン:キリングジョーク 完全版』(アラン・ムーア著・小学館集英社プロダクション)では、バットマンの親友である市警本部長ゴードンを拉致。彼の娘を拷問する映像を目の前で流し、ゴードンが発狂していく様子を楽しむ姿はまさに悪魔と言えるでしょう。

またブライアン・アザレロが執筆した『ジョーカー 新装版』(小学館集英社プロダクション)でも、目を覆いたくなる凶行を次々と実行。このように従来のジョーカーは「セブン」(’95)のジョン・ドウや「羊たちの沈黙」(’91)のハンニバル・レクターといった、他作品のサイコパスと遜色しない凶悪さが目立っています。


出典:Amazon.co.jp

脳科学者である中野信子氏によれば、犯罪者に限らずサイコパスの脳を持つ人間は100人に1人はいるとのこと。「共感性が低い」のが一般的に知られた特徴ですが、他にも幾つかその性質を彼女の著書から紹介したいと思います。

・外見や語りが過剰に魅力的で、ナルシスティックである。
・恐怖や不安、緊張を感じにくく、大舞台でも堂々として見える。
・多くの人が倫理的な理由でためらいを感じたり危険に思ってやらなかったりすることも平然と行うため、挑戦的で勇気があるように見える。
・お世辞がうまい人ころがしで、有力者を味方につけていたり、崇拝者のような取り巻きがいたりする。
・常習的にウソをつき、話を盛る。自分をよく見せようと、主張をコロコロと変える。
・傲慢で尊大であり、批判されても折れない、懲りない。
・人当たりはよいが、他者に対する共感性そのものが低い。
『サイコパス』(中野信子著・文春新書)より

いずれも歴代のジョーカーが持つ特徴で、アーサーも「外見や語りが過剰」「倫理的にためらうはずの行為に走る」といった箇所が共通しています。その一方で「緊張に弱く大舞台で失敗する」「お世辞が下手」といった相反する特徴も目立っています。

また、性格もどちらかといえば温厚で、母親やバスに乗る子供に対する姿には共感性があるようにも思えます。個人間での殺人は行えど「バットマン」や「ダークナイト」で展開された大規模な犯罪は、本作では見ることはできませんでした。また、彼の場合、心身に疾患を抱えた弱者としても描かれているため「従来のジョーカーと同じサイコパスと呼ぶに値するのだろうか?」とも思ってしまいました。

♣︎ジョーカーは、ヒーローかもしれない。

さて、本作はアメコミの映画であることを忘れるほど、リアルな社会情勢を描いています。例えばアーサーと母親の生活は日本で広がる貧富の差を、貧民層によるデモは香港で起きた民主化のデモといった現実の問題を容易に想起させます。

本作に大きな影響を与えた、ロバート・デ・ニーロ主演「タクシードライバー」(’76)も反社会的な男が多くの人々から英雄として祭り上げられる物語。

出典:iMDb

現実で苦しむ人の目からすれば、ウェインやマレーら富裕層を憎む人々を率い立ち上がる本作のジョーカーは、従来とは反対の「ヒーロー」とも解釈できます。

しかしアメコミ翻訳家の秋友克也氏によれば

アーサーはそんな活動をも冷めた目で眺める。彼を殺人に追い込んだビジネスマン層は富裕層だが、最初に不幸の端緒となったストリートギャング達は低所得層だ。彼にとってはどちらであれ、最底辺の自分を食い物にするという意味では敵なのだ。
公式パンフレットより

とのこと。実際に映画冒頭の暴行や、職場内のいやがらせをしてきた低所得層のためにアーサーが立ち上がったわけではなく、デモ参加者が彼の行動を勝手に解釈し騒いでいただけなのです。


出典:映画.com

「この人生以上に高価な死を望む」という物騒なネタを日記帳に書くほど、心が病んでいるアーサー。笑いが止まらなくなる病気や出生の秘密・そして唯一心を許した恋人の正体がわかり、彼の抱く孤独は一段と増します。社会から目的・行動をある程度理解され、また、少数ではありますが、友人にも恵まれたバットマンは「ヒーロー」と呼べるかもしれませんが、一切の理解者がおらず、本人が意図しないまま祭りあげられた本作のジョーカーをそう呼ぶことは難しいと感じました。

♦︎ジョーカーは、ホアキン・フェニックスかもしれない。

「サイコパス」でも「ヒーロー」でもない。ではこのジョーカーは誰なのかを考える中で、役者である「ホアキン・フェニックス」本人ではないかという解釈が出てきました。

(ホアキンの魅力は)怖いもの知らずで大胆不敵なところだ。そういう役者じゃないとジョーカーは演じられない。それは、これまで演じてきた役者たちが証明している。ホアキンは私のファースト・チョイスだったし実際、本当にすごかった。私のリクエストに応えてやせてくれたし、全てのシーンを全力投球で演じてくれた。それにあの“笑い”! 私に“笑い”のオーディションをやってくれと迫っただけはある、すさまじい“笑い”を見せてくれた。
『DVD&動画配信でーた』より、トッド・フィリップス監督インタビュー



出典:iMDb

これがトッド・フィリップス監督が絶賛している怪優、ホアキン本来の顔。監督からオーダーされた“痩せたおおかみ”というイメージに近づくべく、23kgも体重を落とし階段を上れない時期もあったというほどストイックに役作りに挑んだそうです。

1974年、プエルトリコで生まれた彼の幼少期は波乱万丈でした。両親が当時、カルト論争を引き起こした宗教団体に所属していたのです。4歳の時に団体を離脱した一家はアメリカへ移住しますが、収入源を失って5人兄弟を育てる日々はかなり貧しかったそうです。



出典:映画.com

その後、兄や姉、妹が芸能界デビューをし、ホアキン家は俳優一家に転身します。彼自身も1986年に「スペースキャンプ」で映画初出演を果たし、「誘う女」(’95)や「Uターン」(’97)などを経て、2000年の「グラディエーター」で皇帝コモドゥス役で主演のラッセル・クロウを食う勢いの演技を披露。この作品でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされています。


出典:映画.com

ところが2008年に俳優業の引退を突然宣言。ラッパーとしてデビューを果たそうとし、世間を驚かせます。そんな様子が描かれたのが映画「容疑者、ホアキン・フェニックス」(’10)でした。

実はそれ以前にもホアキンには俳優をやめていた時期がありました。実の兄が麻薬中毒で亡くなった際、マスコミの過剰な取材に嫌気がさしてこの仕事から遠ざかったそうです。2度の不安定だった時代のその心境は、推測することしかできませんが「本作のアーサーに近い精神状態だった」のではないでしょうか。


出典:映画.com

その後、復帰作である「ザ・マスター」(’12)では戦争後遺症に苦しむ退役軍人役で出演。新興宗教を題材としたこの作品で、ヴェネツィア国際映画祭の最優秀男優賞など多数の賞を受賞します。


出典:映画.com

そして「her/世界でひとつの彼女」(’13)では人工知能に恋をする中年男性役を熱演。他人とのリアルな関係に苦労する、純粋すぎる人物像は「ジョーカー」のアーサーととても似ています。貧しい幼少期と不安定な青年期を経験したホアキンこそが本作のジョーカーの正体である……と結論づけてしまいそうですが、インタビューで彼はこのように答えています。

僕はアーサーの憂鬱や不満を理解していますが、彼の戦い方は受け入れられません。彼の痛みは理解するけれど、やり方は決して正当化できない。僕達には人間として尊ぶべき道徳があって、世界が自分によくしてくれないから戦争をしかけるなんてとんでもない考えです。
公式パンフレットより

この言葉を読んだ時、「ホアキン=ジョーカー」説は間違っているなと感じました。犯罪に走ったアーサーと同一視することは、素晴らしい演技を見せてくれたホアキンに失礼であると。

❤︎ジョーカーは「天気の子」或いは「ボヘミアン・ラプソティ」かもしれない。

ジョーカーの正体を考察する中、ふと思い出したのが最近鑑賞した2つの映画でした。両作品の主人公が非常にジョーカーに似ていると。


出典:映画.com

まず1つ目は、僕も記事を担当した「天気の子」。

「銃片手に社会のルールに背き、世界のあり方を決定的に変えてしまう弱者の物語」という展開は、この「ジョーカー」ととてもよく似ています。

一方で「天気の子」の主人公には、孤独を理解してくれる仲間がいて、そして彼の愛が“嘘”ではないという大きな違いがあります。決して孤独ではなかった「天気の子」の主人公は、最後まで愛されなかった「ジョーカー」アーサーの別の可能性であれど、やはり似て非なる存在と言えるでしょう。


出典:映画.com

もう一作は昨年大ヒットした「ボヘミアン・ラプソディ」。
世界的バンドのボーカルという表の顔と、愛に飢えた孤独な男という裏の顔が交互に描かれた作品です。「ジョーカー」と「アーサー」を行き来する姿、そして最後に伝説となるクライマックスの展開はとても似通っています。
ですがフレディ・マーキュリーの歌は世界に希望を与え、ジョーカーの凶行は世界を混沌に陥れるという決定的な違いがあります。もしアーサーに1人でも理解者がいたら、少しでも絶望がなかったらという別の可能性でしかないのでしょう。
ではこの「ジョーカー」の正体は一体誰なのか。ラストシーンで、その謎はさらに加速することになります。

JOKER ジョーカーは、ジョーカーである。

本作の最後に描かれた場所は、アーカム州立病院。その一室でアーサーはなぜか精神科医(?)の女性と対面し、楽しげに笑い声をあげています。そこで女性が「なぜ笑っているの?」という奇妙な質問をアーサーに投げかけているのです。もし彼女がアーサーの主治医なら彼の「緊張すると笑いが止まらなくなる」病気を知っているはずであり、こんな発言をするわけがないのです。「面白いジョークが浮かんだんだ。でもどうせ理解できないさ」と肩をすくめたアーサーが部屋を出たその足跡は、真っ赤に染まっていたのでした……。

このシーンについて現在ネット上では様々な説が飛び交っており、「実はこの映画は、入院中のアーサーが考えていた虚構……ジョークだったのだ」といった衝撃的なものもあります。

さらにより踏み込んだのが「従来とは別人だと思っていたこのジョーカーの正体は、よく知られているバットマンのライバル本人だったのでは?」という説。入院中のジョーカーが「どうだい? 俺の過去を知ってかわいそうに思っただろ? まあ全部嘘だけどな」と観客を嘲笑っていたのだというのです。


出典:映画.com

この手口はまさに「ダークナイト」(’08)でヒース・レジャーが演じたジョーカーそのもの。他者への共感性がない一方で、彼は人間の感情を誰よりも理解しその隙を徹底的に利用してきます。もし本作でアーサーに少しでも感情移入してしまったのなら、それはジョーカーによるイメージ操作に嵌ってしまったことになります。

また本作ではウェイン夫妻がデモ参加者に殺されるシーンが挿入されていますが、この場面は「バットマン」(’89)でも登場し、こちらではジャック・ニコルソン演じるジョーカー本人が引き金を引いています。

どうだい、実はバットの親を殺したのは俺じゃなかったんだ。まあそれも嘘だけどな」。


出典:iMDb

2時間もの間、観客を震わせてきた狂気の物語が、実はただのタチの悪い嘘かもしれないという可能性。いずれその真相をフィリップス監督は明かすそうですが、もし全てが嘘でも「奴はそういう男だ」と人々が思ってしまうのがジョーカーの恐ろしいところです。その名の通り、一切の事が冗談でしたで済まされてしまう。こんな危険なキャラクターが他にいるでしょうか?

最後にトランプで使用されているジョーカーについて、興味深いコラムを見かけたので紹介したいと思います。

そのルーツは中世ヨーロッパの宮廷道化師とされる。悪ふざけと愉快な言動で王族や貴族を楽しませる彼らは王に何を言っても許される“愚者の自由”を獲得。王の側も自身の鷹揚さを示すために、彼らを簡単に処罰はしなかった。トランプでキングよりジョーカーが強いのはそのため(異説あり)。道化師は悪魔や神と取引した者とされ、トランプの絵柄やピエロの絵柄が恐ろしさを漂わせるのは、それが理由らしい。
『DVD&動画配信データ』より

人々が恐怖するサイコパス、現実社会に立ち向かう英雄、演者本人、他の映画の主人公が持つ別の可能性、悪意に満ちた只の嘘。ありとあらゆる姿に自在に変わり、そしてそのどれでもない最強のカード。この重苦しい問題作「ジョーカー」は、観客1人1人の手の中でひたすら踊り続けるのです。


出典:映画.com

「まあ、それも嘘だけどな。どうせ誰も理解できないさ」


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