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「アス」は、たった今こうしてネットを見ている、私達の物語である。

橋口幸生 橋口幸生


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「まず人間を、我々と奴ら(Us and them)に分けた。あとは簡単だった」

かつてナチス高官だった人物が、なぜあれほど残酷なことができたのか尋ねられ、こう答えたというエピソードがあります。

映画「アス」は、この「我々と奴ら」の問題を扱った傑作でした。



出典:IMDb

日本語でも英語でも、たった2文字。短いタイトルとは裏腹に、過去の映画や音楽、宗教からの引用、政治的メッセージなど、膨大な情報量がこめられた映画です。

ある家族が、自分たちと全く同じ姿をした別の家族と出会い、対決する。言ってしまえばそれだけの話です。正直、最初にあらすじを聞いたときは「おもしろそうだけど、2時間持つの?」と思いました。しかし、このシンプルなアイデアが最終的には黙示録的な壮大なストーリーへと発展するのだから、たいしたものです。

監督はジョーダン・ピール。コメディアンとしてキャリアをスタートし、俳優・脚本家としても活動する多才な人物です。監督デビューとなった前作「ゲット・アウト」(2017)が、いきなり大ヒット。批評面でも高く評価され、アカデミー脚本賞を獲得しました。



出典:IMDb

「ゲット・アウト」も「アス」同様に、「ある黒人男性が、大勢の白人たちの中で過ごし、ひどい目に遭う」という、シンプルなアイデアをもとにした作品でした。実際、ストーリーもコンパクトで、ほとんどの出来事が主人公の恋人の実家で起こります。



出典:IMDb

対して「アス」は、世界観がぐっとスケールアップ。作品のテーマも「黒人差別」からよりユニバーサルなものになっており、順当に進化した2作目と言えます。

「アス」が扱うのは、日本人にとっても身近な問題である「格差」です。

ジョーダン・ピール監督は、自分の子ども時代の思い出が、本作の発想となったことを明かしています。監督は黒人の父と白人の母の間に生まれ、ニューヨークで育ちました。家庭は裕福で、ハワード大学という名門の私立大学を卒業したエリートです(「ブラックパンサー」に主演したチャドウィック・ボーズマンも同じ大学出身)。

ニューヨークは寒いのでホームレスは地下鉄のトンネルや下水に住みつき、そこには子どもや家族もいると言われています。彼らの存在は地下鉄が作られた1904年当時から知られていたそうです。

しかし、1990年にNYタイムスが「トンネルの中では、モール・ピープル(モグラ人間)が生活のために戦っている」という記事を掲載するまで、地下に暮らす人々が広く注目されることはありませんでした。この記事は今でもNYタイムスの公式サイトで閲覧可能です(すぐに記事が消える日本の新聞社も見習ってほしいですね・・・)。下記、一部を要約したうえで引用します。

地下で暮らす人々の数は100人ほどで、自分たちをモール・ピープルと呼んでいる。15年間もトンネルにいると言うある住民は、ベッドや明かり、ストーブが備わった小屋に住んでいる。ペットすら飼っている。

モール・ピープルの多くは中年男性で、白人も黒人もヒスパニックもいる。ほとんどが独身だが、彼女がいる男性もいるし、食事を分け合うなど近所付き合いもある。住民の一部は、トンネルから学校や職場に通う。教会や友人を通して政府の支援金を受け取る住民もいる。しかし、大半はくず鉄や空き缶、古雑誌の回収で生計を立てている。公衆シャワーやコインランドリーを利用し、スーパーで買い物をすることもある。夫が働き、妻が掃除や洗濯をする、伝統的な生活スタイルを守っている夫婦もいる。夕方になれば川沿いを散歩するし、電車の枕木を使って運動をすることもある。

ある住民は、こうコメントした。

水道と電気以外、何でもあるよ。不良に乱暴されたり、放火されたりすることがあるから、注意している。でも、ほとんどの時間は平和だ。お金が貯まれば、ここを出たい。でもオレはホームレスじゃない。ダンボールの家や公園のベンチで寝るのがホームレスだ。オレは違う。ここの居心地は、悪くないよ」
(出展:NYTimes 1990.6.13)

ちょっと絶句してしまう、日本人にとっては想像し難い状況ですよね・・・。地下鉄が作られてから記事が掲載されるまでの86年間、この事態が注目されていなかったことにも驚かされます。まさに打ち捨てられた人々です。

記事が出た3年後の1993年にジェニファー・トスが「The Mole People」という本を出版します。そこで書かれた「ニューヨーク地下には数千人のモール・ピープルが暮らし、独自のコミュニティを形成し、子どもも産んでいる。一部の特権階級は水や電気も使える」といった記述は、全米に衝撃を与えました。



出典:amazon

しかし、NYタイムズの記事と照らし合わせると分かる通り、トスの本の信憑性にはかなりの疑問が残ります。当時から多くの批判があり、リアルなドキュメンタリーではなく都市伝説と思ったほうがよさそうです。

しかし、アメリカ人にとってのNYの地下トンネルで暮らす人々=モール・ピープルのイメージが、この本で決定づけられてしまいました。

・・・いつのまにか本題をハズレて、NYの地下トンネルの話に多大な文字数を費やしてしました。話を「アス」に戻します。

「The Mole People」出版当時、ジョーダン・ピール監督は14歳。まだ子どもです。実際にNYの地下鉄でモール・ピープルを見た時の恐怖は、かなりのものがあったはずです。映画評論家の町山智浩さんは、次のように解説しています。

「その頃ジョーダン・ピールは地下鉄で学校に通っていたんです。そうすると彼らに会うわけですよ。自分と同じくらいの年齢の食えない子に。自分はたまたま運がよかった。いいところに生まれた子はいい大学に行って、そのままいい会社に就職するけど、貧しい家に産まれた子はどんなに才能があってもそれなりの人生しか歩めない。「王子と乞食」というマーク・トウェインの有名な話があって、それは見た目の同じ子が一方は金持ちに生まれて、もう一方は貧しい家に生まれて、それが入れ替わるという話なんですけど、ジョーダン・ピールは本作で「王子と乞食」をやろうとしているんですよ」。
(「ガジェット通信」より引用)

以下より、多少のネタバレが入ります。

映画後半で、自分の家族そっくりの4人組は、地下世界に暮らす「テザード」という集団の一部だったことが分かります。トスが「The Mole People」でつくりあげたイメージが、テザードの直接の元ネタであることは間違いないでしょう。



出典:IMDb

テザードの設定に対して「あまりにも荒唐無稽だ」という批判があります。僕を含めて、日本人がこう感じるのは、無理もないことでしょう。しかし、アメリカ人にとっては話が違います。アメリカの「格差」を象徴するファンタジーとしてのモール・ピープルと、世界中に存在するドッペルゲンガー伝説を組み合わせた物語が「アス」なのです。

「テザード」たちは地上に侵攻し、1986年に実際に行われた慈善イベント「ハンズ・アクロス・アメリカ」を再現しようとします。



出典:Wikipedia

「ハンズ・アクロス・アメリカ」は1986年、アメリカの西海岸カリフォルニアから反対側の東海岸ニューヨークまでの約6,600キロを600万人以上の人々が15分間、手と手をつなぐという慈善イベントのこと。

主催者はあの「ウィ・アー・ザ・ワールド」をレコーディングした団体「USAフォー・アフリカ」。アメリカ国内のホームレスや貧困層の救済のため、国民の連帯と寄付を求めた。なんとイベントの参加者にはオノ・ヨーコ、ライザ・ミネリ、そして当時の大統領ロナルド・レーガンや、後の大統領ビル・クリントンもいた。当時7歳だったピール監督は「怖かった。なぜだかわからないけど」と語り、そのシルエットは、本作で恐怖の存在が突如目の前に現れる際にも演出として使用されている。

だが、この慈善イベントは大成功とはいかなかった。主催者は1億ドルの寄付を期待していたが、集まったのは半分にも満たない3400万ドル。そのうち1500万ドルは経費として消えてしまった。
(「CinemaCafe」より引用)

1986年はNYタイムズの記事が出る4年前、まだモール・ピープルの存在が広く知られていない頃です。地下で暮らす人々の存在を無視しつつ、牧歌的なチャリティイベントを開催し、しかも失敗する。これほどの偽善はないでしょう。

テザードたちが「ハンズ・アクロス・アメリカ」を再現するのは皮肉であり、自分たちを打ち捨てた地上世界への復讐なのです。

そして、1986年の「ハンズ・アクロス・アメリカ」が失敗に終わったことこそ、「アス」のテーマを象徴しています。

人は弱者を助けない。

それどころか、弱者の側に回らないためには、何だってする。

これが「アス」のテーマであり、ジョーダン・ピール監督が伝えたかったことだと思います。監督はこう語っています。

「人間が想像できる範囲で、一番恐ろしい設定は“現実”ですよ」
(出典「THE RIVER」より引用)

「アス」は一見、荒唐無稽でありながら、人間にとって一番恐ろしい現実を突きつける物語なのです。

主人公たちは、恵まれた生活を奪いに来たテザードたちを迎え撃ち、容赦なく殺します。自分自身や子どもたちと、全く同じ顔をしているのに……

現在「アス」は、日本ではアメリカ市場ほどのヒット作になっていません。しかし、公開3日間で動員数・興行収入ともに前作「ゲット・アウト」比で130%増を記録。パンフレットも増刷が決定するなど、じわじわと支持を広げています。(出典「CinemaCafe」)これは、日本でも現実の恐ろしさに気づく人が増えている証拠ではないでしょうか。

地下トンネルで暮らす人々が都市伝説になるほどの格差は、日本には無いように思います。しかし私達=Usと、奴ら=Themの心の隔たりは、どんどん大きくなっています。

象徴的だと僕が思うのは、ソーシャルメディアにうずまく、弱者への異常なまでの敵意です。冷笑系のインフルエンサーが経済的弱者を嘲笑し、デモなどささやかな抗議をしただけで口汚く罵倒する。それに対して何千もいいね! がつく。

これは攻撃ではなく、防衛行動だと思うのです。自分(Us)と奴ら(Them)を明確に区別することで、自分の強者としての立場を明確にしているのではないでしょうか。

アメリカでは都市の最下層を構成する貧困層を「アンダークラス=underclass」(縮めるとUsになりますね)と呼ぶそうです。社会学者の橋本健二氏は、日本でも、アンダークラスが誕生していると警鐘を鳴らしています。

いま日本の社会は、大きな転換点を迎えている。格差拡大が進むとともに、巨大な下層階級が姿を現わしたからである。その数はおよそ930万人で、就業人口の約15%を占め、急速に拡大しつつある。それは、次のような人々である。

平均年収はわずか186万円で、貧困率は38.7%と高く、とくに女性では、貧困率がほぼ5割に達している。

アンダークラスはこれまで、とくに米国で、都市の最下層を構成する貧困層を指す言葉として使われてきた。しかし格差が拡大するなか、日本にも正規労働者たちとは明らかに区別できるアンダークラスが誕生し、階級構造の重要な要素となるに至ったのである。
(出典「現代新書」平均年収186万円……日本に現れた新たな「下層階級」の実情)

ジョーダン・ピール監督が世界で広がる格差をどう捉えているかは、作品中に暗号のように表現されています。劇中で繰り返し登場する「11:11」という数字に注目しましょう。

テレビで中継されている野球大会の得点は11対11。

時計の時刻は11時11分。

救急車のナンバーが1111。

テザードの4人家族のシルエットも、1111を連想させます。



出典:THE RIVER

決定的なのは、ある男がかかげるプラカードに書かれた「JEREMIA 11:11」(聖書のエレミア書11章11節)の文字です。



出典:Buzfeed

次が、その内容です。

それゆえ主はこう言われる、見よ、わたしは災を彼らの上に下す。彼らはそれを免れることはできない。彼らがわたしを呼んでも、わたしは聞かない。
(出典「Wikisource」)

UsとThemに分断された世界で何が起きるかは、本稿冒頭のナチス高官に聞くまでもなく、容易に想像がつくと思います。

最後に、オープニングとエンディングの関係について。

映画は「ハンズ・アクロス・アメリカ」のテレビCMが放送されている場面からスタートします。
映像はこちらでご確認ください。

そして下の映像は、地上に侵攻したテザーズ達が、地上人が成し得なかった「ハンズ・アクロス・アメリカ」を完成させる衝撃的なエンディングで流れる曲です。よく聴くと、オープニングのテレビCMでも同じメロディが使われていることが分かります。

歌うのはミニー・リパートン。才能に恵まれ商業的にも成功しながら、31歳の若さで乳がんが原因で亡くなった、悲劇のシンガーです。曲は「Les Fleur」で、デビューアルバム「Come To My Garden」に収録されています。

世界の終わりにも見える神話のようなシーンで、ミニーは、こう歌っています。

Ring all the bells sing and tell the people everywhere that the flower has come.
Light up the sky with your prayers of gladness and rejoice for the darkness is gone.
Throw off your fears let your heart beat freely at the sign that a new time is born.

鐘を鳴らそう。歌をうたおう。そして人々に告げよう。すべての場所で花は咲いたと。

喜びの祈りで空を照らそう。暗闇が去ったことを喜ぼう。

恐怖から逃れよう。胸を高鳴らせよう。これは新しい時代がはじまる兆しだから。

人によって解釈が分かれるエンディングです。

私は「ハッピーエンド」だと思っています。


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[イラスト]ダニエル

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