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「ライオン・キング」を楽しむ2つの道

あづま あづま


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えっ!! 「ライオン・キング」が、実写化!? どうやって!?


https://www.disney.co.jp/content/dam/disney/characters/disney_d_pixar/lionking2019/9007_mufasa_main.jpg
出典:disney.co.jp

……そう見間違うほどの、リアルなフルCGリメイク。ほぼ本物。この映像を見て育つ小さな子供は、さも当たり前に動物は喋るものだと勘違いしてもおかしくないぞ、これは。

まさに実写版のごとく映像を携えて、名作ライオン・キングが帰ってきた。アニメーションは非現実的だが、リメイク版ではまさに現実に起きているかのような想像を駆り立てられる。そんなリアルな映像を眺めながら、「ライオン・キング」における2つの人生観、“王道”“邪道”についてみていきたい。その前にまず、「ライオン・キング」を3つの場面に分け、あらすじを辿っていこう。

「ライオン・キング」の3つの場面

「ライオン・キング」は、大きく分けると3つの場面に分けられる。

  1. 幼少期
  2. ハクナ・マタタ期
  3. ライオン・キング期

小さなシンバが、真のライオン・キングになるまでの物語。まずは、それぞれの場面を辿っていく。(ネタバレ注意)

幼少期

主人公シンバは、王様ムファサの子。シンバの誕生を多くの動物たちが讃える場面から「ライオン・キング」は始まる。赤ちゃんライオンは映像のリアルさも相まって、ものっすごく可愛い。いきなり見どころだ。


https://eiga.k-img.com/images/movie/88654/photo/9eb132afec16ba5a/640.jpg?1555999853
出典:映画.com

シンバは次期王であり、ムファサはシンバに王としての心構えを教えていく。そんな中、ムファサの弟であるスカーは王になれず、さらにシンバの誕生によって次期王の権利も失ってしまう。そのことでムファサとシンバを恨んでいたスカーはハイエナと手を組み、ムファサとシンバを亡き者にしようと企む。


https://www.disney.co.jp/content/dam/disney/characters/disney_d_pixar/lionking2019/9006_scar_main.jpg
出典:disney.co.jp

スカーはシンバに象の墓場と呼ばれる危険な場所のことを“うっかり”伝え、シンバは幼馴染みで許嫁のナラを連れて象の墓場へ行ってしまう。そこに潜んでいたハイエナに襲われるが、間一髪ムファサに助けられる。

事なきを得たシンバだったが、スカーに連れられて荒野を訪れたシンバはヌーの暴走に巻き込まれてしまう。またしてもスカーの企みである。ムファサは、急いでシンバを助けに向かう。シンバを助けることには成功したが、ヌーの暴走から逃れるために崖へと逃げ込み、落下しそうになる。そこに現れたのはスカー。ムファサは助けを求めるが、スカーはムファサを崖から振り落とし、ムファサは命を落としてしまう。

ヌーが去り、何も知らないシンバは落下したムファサに近寄るが、ムファサはすでに死んでいた。裏で糸を引いていたスカーはムファサの死の原因をシンバになすりつけ、王国から追放してしまう。逃げるように、シンバは故郷を後にすることになってしまった。

ハクナ・マタタ期

父親を失い、故郷を追われ、行き場もなくさまよっていたシンバは砂漠で行き倒れになり、ハゲワシに食べられかけていた。そこにミーアキャットのティモンとイボイノシシのプンバァが現れ、偶然にも助けられる。


https://www.disney.co.jp/content/dam/disney/characters/disney_d_pixar/lionking2019/9004_timon_main.jpg
出典:disney.co.jp

生きる気力を失っていたシンバに、ティモンとプンバァは「ハクナ・マタタ(スワヒリ語で『くよくよするな』の意味)」をモットーにした生き方を教え、仲間にする。そこでシンバはハクナ・マタタに生き、大人のライオンへと成長していった。

ハクナ・マタタな暮らしを続けていたシンバの元に、ある日幼な馴染みのナラが偶然やってくる。スカーの横暴な治世によって故郷はひどく荒廃しており、助けを求めにきたのだが、シンバはまだ過去を引きずっており、一度は戻ることを拒絶する。しかし、王国に仕えていたヒヒのラフィキに導かれ、父・ムファサの天からの声を聞く。王国をスカーから取り戻すという天命を受けたシンバはナラとともに王国へ戻り、スカーとの戦いに向かう。

ライオン・キング期

王国に戻ったシンバは、スカーと対峙する。まだムファサの死因は自分だと負い目を感じていたシンバはスカーにその心理を利用され、崖から落とされそうになる。その時、油断したスカーは冥土の土産にと「俺がムファサを殺した」とシンバに告げる。真実を知ったシンバは激昂、崖から飛び出し、スカーに飛びかかる。

立場が逆転し、劣勢になったスカーは逃げ惑うが、ついに追い詰められる。そこでスカーはハイエナに罪を被せようとするが見破られ、幼い頃のシンバと同じように王国から永久追放を告げられる。出て行くフリをしてシンバに襲いかかるが反撃にあい、崖から落ちてしまう。スカーは崖から落ちたときは生きていたが、罪をハイエナに被せようとしたことを聞かれており、ハイエナに食べられてしまう。勝利したシンバは雄叫びをあげ、次期ライオン・キングとなる。そして、冒頭シーンを思い出させるクライマックスのシーンへと繋がっていく。

邪道「ハクナ・マタタ」

3つの大きな場面の中で異色なのは、ハクナ・マタタ期だろう。シンバは王族に生まれ、最後には王になる。まさしく“王道”に生きる存在だが、ハクナ・マタタ期は明らかに王道から外れている。そういう意味で、ハクナ・マタタ期は“邪道”といえる。しかし中々どうして、邪道であるハクナ・マタタにおける刹那的・享楽的な生き方は、王道に負けず劣らず魅力的に見えてしまう。またここで考えたいことは、この邪道に外れた経験が、シンバを「本物の王」に変えたのではないだろうか、ということだ。「ライオン・キング」の物語において、ハクナ・マタタが果たした役割はどういうものだったのだろう。

ハクナ・マタタ! 「くよくよするな!」

絶望し、死の淵にいた幼いシンバを救ったティモンとプンバァ。彼らの持っていた哲学こそ、ハクナ・マタタだった。スワヒリ語で「くよくよするな!」の意味を持つこの言葉は、今を楽しむという哲学であり、刹那的・享楽的な生き方を推奨する。ハクナ・マタタの底抜けに明るい雰囲気は、彼らの歌を聞いてみればよく伝わってくる。

♪悩まずに生きることさ 俺たちの合言葉 ハクナマタタ……

まさに死ぬほど悩んでいたシンバには、この哲学は大きな救いとなっただろう。スカーによって過去も未来も失ったシンバは、今を生きるしかなかったのだ。シンバはハクナ・マタタによって生きる気力を取り戻し、自由気ままに生きていく。


https://eiga.k-img.com/images/movie/88654/photo/54a221eeda40546d/640.jpg?1565073424
出典:映画.com

ハクナ・マタタの人生観と王の人生観

ハクナ・マタタの哲学では、人生は直線であるという。まっすぐに進み、誰にも邪魔されることはない。個人の幸せを追求する個人主義的生き方である。一方、ムファサがシンバに伝えた王の人生観はサークル・オブ・ライフである。すべての生き物は1つの輪で繋がっており、その輪を守ることが王の役目であるという。ハクナ・マタタとは真逆の、全体主義的生き方である。ハクナ・マタタの人生観と王の人生観は、極めて対照的に表現されている。

ハクナ・マタタの役割

ここで、簡単な思考実験をしてみたい。

「もしスカーが何も起こさずにシンバが王道をまっすぐ進み、そのまま王になったとしたら、シンバは作品で描かれるような立派な王になれただろうか?」

シンバは物語の中で、「まだまだ王の器ではありませんな」と言われている。これは単に幼かったからというのもあるだろうが、実際ムファサにサークル・オブ・ライフの考え方を教わった場面でも、心から理解しているわけではなさそうだ。また、シンバは自分が王になると知ったとき、「王国はすべて僕のものになる」「みんなに指図できる」といった発言をしており、やはり全体主義的なサークル・オブ・ライフの哲学を理解していないようである。ムファサの教育によって変わる可能性はあるにしても、最後のシーンに見られるようなすべての動物に尊敬される立派な王になることはできなかったのではないか。少なくとも幼少期の段階では、まだ王の器は完成していなかった。

では、シンバの王の器が完成したのはなぜか? その答えこそ、ハクナ・マタタである。ハクナ・マタタは今を生きる個人主義。一度サークル・オブ・ライフと真逆のライフスタイルで暮らし、そこから使命を取り戻して王道へ帰ったからこそ、シンバの王としての器は完成したのだろう。スカーによってボロボロに荒廃した王国は、シンバによって一気に豊かさを取り戻す。シンバがサークル・オブ・ライフを体得していた証拠である。シンバはハクナ・マタタという邪道を一度歩んだことによって、真の意味でサークル・オブ・ライフを理解し、王道を歩み、ライオン・キングになっていたのである。

今作で重要な役目を果たしていたハクナ・マタタは邪道とはいえ、実は僕個人、すごく惹かれる人生観である。「責任はない、目的もない。あるのは今だけ。今が楽しかったら、それでいい!」。物語では王道へと帰っていくが、邪道も悪くないと思わされるような自由気ままさで溢れている。一度、ハクナ・マタタに生きてみるのもいいかもしれないなー、と考えたりもする。シンバがスカーから王国を取り戻す王道の興奮、絶望の淵から生きる気力を取り戻す邪道の気ままさ、両方楽しみながら見ることができた。

王になるという巨大な使命ではなくても、目的に向かって走り続け、疲れ果ててしまうこともある。僕もたまに、しんどいなーと思うこともある。そんなときは、この合言葉を思い出して、邪道を歩くのもまた、人生には必要なのかもしれない。

ハクナ・マタタ!


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[イラスト]ダニエル

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