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「天気の子」未来へ晴れを祈るか、雨を走るか

ハマダヒデユキ ハマダヒデユキ


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前作は劇場で5回泣きました。

そして今回も同じように泣くつもりでした。

日本中が感動した「君の名は。」から3年、新海誠待望の新作「天気の子」が2019年7月19日公開となりました。今年は梅雨の季節の終わりが遅かったのですが、初回終了後は爽やかに晴れ渡り、ツイッターでも作品と関連して大きな話題となった本作。

自分も初日の午前中に劇場へ足を運び、ボロボロ泣くつもりでたくさんの観客と席に座りまして。案の定、涙腺にガンガンきまして。それから数日の後、再び劇場に足を運び。そして、上映後の晴れ渡った青空を見て思ったわけです。

「ふ、胃が痛くなる、いい映画だったぜ……」


出典:映画.com


今作もがっつり泣ける映画なのですが、同時に胃にズシンと来る内容でした。「誰が見ても最高傑作の夏休み映画!」と大絶賛の感想を書くつもりが、それだけではすまなかった。ただ面白かったと賞賛するだけの映画でなく、画面の向こうから投げかけられたテーマを、真剣に考察しなければいけないと感じる作品だったのです。

 

若い役者たちの演技、音楽ともに胸を打つ。だからこそ目立つ結末の衝撃

家出少年が東京に出て、晴れ女の少女と出逢い、その力で雨が降り続ける東京に「晴れ」を届けるビジネスを開始。多くの人々に彼女の存在は受け入れられていたが、実は逃れられない運命が待っており、自らも追われている少年は彼女とその弟を連れて逃避行を始める……というのが本作の大まかなあらすじです。

出典:映画.com


そんな主人公・森嶋帆高を演じたのが18歳の新鋭・醍醐虎汰朗。監督自身が声を入れたビデオコンテを見て、相当なプレッシャーを感じアフレコに臨んだそうですが、もう、叫ぶ演技が見てるこっちまで泣きそうになる素晴らしさ。特に後半の激走シーンで叫ぶ演技は、ずっとグサグサくる鳥肌ものでした。


出典:映画.com


続いて、晴れ女こと天野陽菜を演じた同じく17歳の新人・森七菜。帆高に対し年上女子として、表面上余裕ある振る舞いをしていますが、後半からは徐々に心に秘めた感情を表に出すように。雲の上で泣き崩れるシーンは、設定のエグさもあって観客の心にガンガン響きます。いやはや、本当に逸材を二人も大抜擢したものです。

出典:映画.com


主役を支えるキャラクターの演技も、本業の声優さんを思わせる安定感あるもの。例えば夏美を演じた本田翼。予告編の演技で正直不安があったのですが、実際に見ると違和感は全くありませんでした。キャラクターと見事にマッチし、後半のカーチェイスは「あんた本当に本田翼!?」と思える熱演でした。


出典:映画.com


須賀圭介を演じた小栗旬。今回は「アベンジャーズ」のトニー・スタークの吹き替えを担当した藤原啓治さんのような大人の低音ボイスを披露。最後まで「あんたも本当に小栗旬?!」と思える渋い演技を見せてくれました。

本業の声優さんも負けていません、今回悪役である警官役を演じた梶裕貴。「進撃の巨人」のエレン役など10代の優しく熱い若者役が印象的な声優さんですが、本作では「普段の印象を全く感じさせない、冷徹なヒール」を終始好演。いずれの役者さんも普段の役柄を連想させない、新境地が見れるのが本作の大きな見どころになっています。

そして彼らも、作品を盛り上げてくれた名優と言えるでしょう。前作に引き続き、音楽を担当したRADWIMPS。「愛にできることはまだあるかい」や「祝祭」、「グランドエスケープ」といった前作以上の名曲でそれぞれのシーンを盛り上げ、さらに新鋭・三浦透子の歌声も加わり、セリフでは描けないキャラクターたちの声を届けてくれました。


出典:映画.com


出典:映画.com


さてここまでは手放しで絶賛できる箇所なのですが……。ここから先はネタバレ。未見の方はご注意ください。

 

本作で最も意見の分かれたのは、ズバリその結末。なんと「帆高が雨模様を終わらせるべく人柱になった陽菜を救出することで、逆に雨が365日降り続ける事態になり、東京の1/3が水没してしまう」のです。

構造的には「君の名は。」と同じボーイ・ミーツ・ガールを描いているのですが、主人公とヒロインが結ばれることで多くの人々が救済された前作とは真逆の「二人が結ばれることで、世界が崩壊する」が本作の結末だったのです。最初に「胃が痛くなる、いい映画」と感想を漏らした理由はまさにこれが理由。鑑賞後にインターネットを開くと案の定、賛否は分かれ、

帆高が行ったのは、身勝手な犯罪行為でしかない。彼の反社会的な行動に共感できない

・それを支援する須賀たち大人の行動も、理解しがたい

・帆高が引き起こした結末に対し、周囲があまりに非難をしなさすぎる。非現実的だ

など他の部分も含んだ批判も目の当たりにし、今回執筆する上で深く悩みました。本作を肯定したい思いがある一方で、彼らの意見が間違っているとは言えない。新海監督がなぜこんな結末を描いたのか・伝えたかったメッセージはなんだったか。各メディアでのインタビューや、劇中の舞台から探りたいと考えるようになったのです。

「君の名は。」で得た巨大すぎる声を通し、現代の東京を伝えたのが「天気の子」

「君の名は。」は全世界で4000万人が見た映画となり、自作はこれまで宮崎駿監督が向き合ってきたような「この時代にどういうメッセージをエンタテイメントで伝えるか」を考えなくてはならなくなった。

そのなかで監督から出てきたキーワードが、「正義ではないことを選ぶ若者の物語」と「ある種の狂った世界でどう生きるのか」だったんです。
(出典:日経エンタテイメント8月号より、プロデューサー・川村元気インタビュー)

「君の名は。」以前の新海誠作品は、「秒速5センチメートル」のような疎遠になる男女の物語、「言の葉の庭」のような立場の異なる二人といった、個人間での物語が中心になっていました。

その個人間での物語が他作品にはないハイレベルな作画とともに、長年支持してきたファンたちに評価されてきました。故に、それまでの作品は「新海誠」の描くそんな世界観を愛する人に向けたテーマ・メッセージを作れば成立していたのです。

出典:映画.com


出典:映画.com

しかし前作の「君の名は。」が空前絶後の大ヒットを記録。次回作となったこの「天気の子」では、新しい客層どころか「世界中の人々」に向けて、メッセージを提供しなくてはいけなくなったのです。

出典:映画.com
言うまでもなく、新海監督にとって前作が多くの人に受け入れられたのは、過去に類を見ない成功体験。それゆえ、連日報道される声には過敏になっており、「まるで東日本大震災をなかったかのように描いている」などの批判には相当神経をすり減らしていたそうです。

(前作の「君の名は。」は)もともと道徳的に正しい教科書のようなものを作ったつもりはなかったんですけど、それでもこんなに叱られるなら……と、今回はもっとあまのじゃくになってみようと思いました。

(出典:月刊ニュータイプ8月号より、新海誠インタビュー)

ここで小ネタ。今回用意されたサプライズとして、前作の「君の名は。」のキャラが各所に登場しています。そこから「天気の子」と「君の名は。」は同一世界だったと話題になりましたが、その説は成立しないと私は思っています。

理由を挙げると、

●リーゼントが所持する帆高の高校入学式の写真から、本作の時間軸が令和3年(2021年)である事が判明。「君の名は。」本編の2021年は瀧の就職活動時期だったが、晴れたり雪の描写がされており、雨が降り続ける異常気象が発生していない。

●「君の名は。」で滝たちが再会する2022年春は、すでに365日雨世界に突入してから半年以上が経過した時期。「天気の子」エンディング後の世界である場合、ラストシーンは晴れている可能性は低く、さらに再会する階段のある四ツ谷・須賀神社周辺が一部水没し始めている可能性がある。よって、クライマックスのあのシーンは実現不可能になってしまう。

などがあります。よって「登場人物は共通だが、「君の名は。」のハッピーエンドが成立しない平行世界」が「天気の子の世界」と言えるかもしれません。


出典:映画.com


では、そんな監督の成功作である「君の名は。」と相反する、この世界の正体は何なのでしょうか? 制作をスタートした当時、3年後の日本がどうなっているかを想定し、「雨の降り続ける東京」を考えたという新海監督。確かに異常気象は多いものの、3年前の2016年と今の雨量はそんなに違うだろうか? とこの話を読んだ時は疑問だったのですが、インタビューで以下の記述を読みピンときました。

帆高も陽菜も貧しいというのは、実は「君の名は。」と大きく違う要素かもしれませんね。社会自体があの頃とは違っていて、日本は明確に貧しくなっている。

(出典:映画パンフレットより、新海誠インタビュー)

歌舞伎町の路地裏をさまよう帆高、身分を偽り生活費を稼ごうとする陽菜……美しいだけの東京ではなく、影の部分も描写した本作で降り続ける雨は、貧困による不安の比喩表現ではないのか。暗い絵が続く東京は、画面の向こうの架空世界ではなく、現実そのものではないかと思えたのです。

バブル崩壊から先行きが見えないまま、「平成」の31年間を終えた東京のリアルな姿を、止まない雨として表現。そして降り続けた結果の水没した姿は、目に見えない不安に飲み込まれ、気づけばそれが当たり前になってしまった、遠くない未来を示唆しているのだと……。

そう考えると終盤の「世界はもともと狂っている」の意味も、人々があの結末を引き起こした帆高たちを糾弾しない描写も理解できます。見えない不安で世界が水没しても、私達は簡単に適応し受け入れてしまう。かつての悲劇を回避した幻想の世界を舞台にした「君の名は。」への批判に対し、雨という描写で現実の世界を描き応えたのが「天気の子」だったとは考えられないでしょうか。

代々木会館と田端駅。最後の舞台から読み取る新しい時代の選択肢

「天気の子」の雨が、東京の現実を描いていたと解釈したところで、本作のクライマックスの舞台から、監督が伝えたかったメッセージを考察しようと思います。陽菜と再会したいという思いで警察を抜け出し、廃墟の鳥居へ走り、そして雲の向こうに飛んだ帆高……実際どのくらいの距離を移動したのでしょうか?

山手線を使い、廃墟のある代々木駅へ到着するには、代々木←新宿←新大久保←高田馬場←目白←池袋のルートを通る必要があります。池袋で合流した夏美のカブは目白・高田馬場間で止まってしまい、そこから帆高の山手線を移動した距離は、目白・高田馬場間から代々木までの、4.3kmにもなるそうです。

何度も肩をたたかれて、「何してるの?」と問われる。そのたびに、彼は大人が指したものとは違う方向に進んでいくわけですが、それを描いていて僕はとても気持ちよかったし、応援したくなった。

(出典:映画パンフレットより、新海誠インタビュー)

そんな監督の眼差しを受けつつ、代々木駅のホームを越えた帆高は、駅から80mほど離れた廃墟へ。

出典:映画.com


廃墟のモデルになったのは、かつて萩原健一が主演した「傷だらけの天使」の舞台にもなった、代々木会館ビル。ドラマの舞台になった70年代、そしてこのビルが建てられた53年前は高度経済成長の時代でした。いわば日本が「晴れ」だった時代の名残が「天気の巫女」と空を繋いでいたわけです。そう考えると陽菜が起こし人々に賞賛された奇跡は、「かつて存在していた、何の不安もない東京の再現」だったのかもしれません。

ちなみに劇中登場するのは、この代々木会館がモデルである実在しない建物。なぜなら2019年8月現在、解体工事が進み、本作の舞台である2021年にはその作業が終了しているから。この事情を知って、新海監督が劇中で存在しえないこの場所を祭壇に選んだのは、「例え一瞬、晴れ間が見えても、かつての東京には戻れない」ことを伝えたかったのかもしれません。そう考えると陽菜が犠牲になるにもかかわらず、晴れが続く空を望む一般人は「もう存在しない幻の東京」をどこかで求める存在とも考えられます。

さて、この場所で警官たちと対峙したのち、須賀や凪の支援を受けて螺旋階段へと帆高は躍り出ます。ビルの正確な全長に関する情報を得ることはできなかったのですが、周囲のビルの高さなどから推測するとおよそ40mを地上から屋上まで走ったことになるでしょうか。

そして今度は陽菜を見つけ出すために、はるか空中からの自由落下が始まります。


出典:映画.com

「怖くないわけない でも止まんない ピンチの先回りしたって僕らじゃしょうがない 僕らの恋が言う 声が言う 『行け』と言う」

帆高と陽菜の心の叫びを描写した「グランドエスケープ」が流れるシーンでは、本作に批判的な人々も心奪われたようです。この陽菜と再会するこの場所は「かなとこ雲」と呼ばれ、本作を監修した雲研究者・荒木健太郎氏によれば、1万m以上の高さに発生するのだとか。

4.3km近い夏の日差しで熱くなった線路を走り、周囲の大人に否定されつつ代々木駅から屋上への120mを登り、そして地上1万mの中からたった一人の少女を見つけた少年。約14420mという距離を駆け抜けた少年の愛は、正義でなくても、反社会的であっても、「勇気」と呼んでいいと言えるのではないでしょうか。

そんな勇気の対価の、変わり果てた世界の最後の舞台が、JR田端駅南口。陽菜と弟・凪の家もあるこの場所は、山手線内でも知名度の低いこじんまりとした駅で、劇中登場する新宿・池袋といったメジャーなスポットより地味な印象の場所です。

しかし実はJR東日本東京支社が隣接し、JR各線、常磐線の一部区間を管轄している重要地点であり、京浜東北線・山手線、湘南新宿ラインといった何本もの線路が入り組んだ、いわば「電車の分かれ道」と言える場所。

さらに芥川龍之介や二葉亭四迷と言った、小説家が数多く住んでいた「物語の地」でもあり、そんな2つの意味のある場所でこれから強く生きていくことを誓った二人が抱き合い、「大丈夫」「愛にできることはまだあるかい」の2曲をバックに映画は幕を閉じます。

「君の『大丈夫』になりたい 『大丈夫』になりたい 君を大丈夫にしたいんじゃない 君にとっての 『大丈夫』になりたい」

晴れを祈る廃墟と、雨が降りつつ日差し刺す分かれ道。この二か所を最後の舞台に描き、老若男女問わず見る人に「これからの未来をどう生きるか」を問う。同じ純愛物語であった「君の名は。」のもう一つのメッセージが「過去をどう乗り越えるか」だったのに対し、3年後の本作で新海監督が世界へ伝えたかったのは、そんなメッセージだったのではないでしょうか。

晴れ空が戻ることを祈り、正義を主張してもいい。雨が降る道を走り、個人の意思を貫いてもいい。この映画を賞賛する声・否定する声、いずれも正しくその二つがぶつかることが「天気の子」を作った狙いだったのかもしれません。その愛のある議論の末に生まれる、次の新海作品がどんな映画になるか、今からとても楽しみです。


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[イラスト]ダニエル

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