突然ですが、あなたはウソをついたことはありますか?
もし返事がYESなのであれば「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」は、あなたのための映画です。アメコミやスパイダーマンに興味があってもなくても、ぜひ、劇場に出かけてください。
今回スパイダーマンは「ウソ」という、サノスをも超える最大最強の敵とたたかうのです。
本作はマーベル・シネマティック・ユニバース(以下MCU)における、2作目のスパイダーマン単独映画。前作は「スパイダーマン:ホームカミング」という、「ファー・フロム・ホーム」とは正反対のタイトルでした。実際、この2作はコインの表裏のような映画として、緻密に作り込まれています。
まず「ホームカミング」の内容をおさらいしましょう。
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そもそもスパイダーマンの映画化権はマーベルではなくソニー・ピクチャーズが持っていました。サム・ライミ監督やマーク・ウェブ監督がソニーでスパイダーマン映画を撮っているのは、このためです。その後、ソニーとマーベル間で「大人の取り決め」があり、スパイダーマンのMCU映画出演が可能になりました。「ホームカミング」というタイトルには、スパイダーマンがマーベルに里帰りしたという意味が込められています。ストーリーでも、スパイダーマンことピーター・パーカーが自分の居場所を見つけるまでが描かれていました。ピーター・パーカーはメイおばさんと2人暮らしで、父親がいません。コミックスや他の映像化作品でも同じ設定です。ピーター・パーカーの物語は、つねに父の不在が大きなテーマになるのです。
「ホームカミング」「ファー・フロム・ホーム」両作とも、エリック・ソマーズとクリス・マッケナが脚本を担当しました。
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彼らは他にも「レゴバットマン ザ・ムービー」というヒーロー映画を手がけています。バットマンもスパイダーマン同様、親の死がきっかけでヒーローになりました。親の不在は、この脚本家コンビの得意テーマなのでしょうね。ちなみに「レゴバットマン」はバットマンが両親の死を乗り越え、新しい家族をつくるまでを感動的に描ききった大傑作です。未見なら今すぐこの文章を離脱してAmazonでポチりましょう。
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閑話休題。「ホームカミング」における父は、他でもないトニー・スタークその人です。新米ヒーローのスパイダーマンが父に認められ、アベンジャーズの一員になるために四苦八苦する姿が描かれます。
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一方、「ファー・フロム・ホーム」は「父殺し」の物語です。
ピーターは大人に裏切られ、傷つき、絶望することで、大人への第一歩をふみ出します。
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ここから先の文章は「ファー・フロム・ホーム」および「アベンジャーズ/エンドゲーム」のネタバレを含むので注意してください。
「ファー・フロム・ホーム」の舞台は「アベンジャーズ/エンドゲーム」の8ヶ月後です。本作を監督したジョン・ワッツは、トニー・スタークの死を事前に知らされていたことを認めています。
劇中のアイアンマンの壁画などは、撮影シーンのリークからネタバレすることを避けるために、後から合成されたそうです。ピーターはやっと手に入れた父を失い、失意の中にあります。そこにあらわれたのがクエンティン・ベックことミステリオ。その正体は、トニー・スタークの元部下です。トニーの栄光の下、自分は日陰者であったことからヴィラン化します。
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この設定は前作「ホームカミング」のヴィランとまったく同じです。エイドリアン・トゥームスはアベンジャーズの戦いで破壊された街を再建して生計を立てていましたが、仕事をトニー・スタークの関連会社に奪われます。このことがきっかけでバルチャーとなり、スパイダーマンと対決したのです。
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大企業の横暴に苦しむ中小企業。カリスマ経営者の下で日陰者にされた部下。生々しく、リアルな設定です。トニー・スタークがピーターの表の父だとすると、ヴィラン達は裏の父だと言えます。
話をミステリオに戻します。彼の武器は「ウソ」です。ピーターがトニーから受け継いだ人工知能イーディスをだまし取るために、トニーに代わる「新しい父」を演じます。
ここでのミステリオは、ジェイク・ギレンホールの名演もあって、ほとんど理想の父親のように見えます。
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形見のサングラスをつけると、トニーそっくりになるミステリオ。それを見て目に涙を浮かべるピーター。本作でもっとも胸を打つシーンのひとつです。CGを駆使した一大アクション以上に、こうした小さなシーンを印象に残すのがマーベルの凄いところですね。ミステリオ自ら種明かしをするシーンとの対比も見事だと思います。ちなみにジョン・ワッツ監督はミステリオのウソが明らかになるまでを「きっちり60分に収めた」とコメントしています。(『GIZMODO』より引用)
その後ピーターは、ミステリオとのたたかいで心身ともに傷だらけになります。ホログラムという「ウソを見せる技術」の前では、スパイダーマンの超能力は何の役にも立ちません。
どうすればウソに勝てるのか?
スパイダーマンに限らず、誰もが人生で対峙するであろう難問に、「ファー・フロム・ホーム」は答えを出しています。
それは「自分の頭で考えて、行動すること」です。
スパイダーマンには「スパイダー・センス」という危険を事前に察知する能力があります。たとえば敵が後ろから襲ってきても、スパイダー・センスで察知できるのです。「スパイダーバース」やPS4のゲームでも登場したお馴染みの能力なのですが、「ホームカミング」では描かれませんでした。ジョン・ワッツ監督は前作公開時のインタビューで
「サム・ライミ版やマーク・ウェブ版で登場したから、繰り返したくなかったんです。続編では登場させるかもしれないけど、やり方は変えます。たとえば、時間をかけて成長する能力にするとか」
(『GIZMODO』より引用)
と、コメントしています。
監督の予言どおり、「ファー・フロム・ホーム」にスパイダー・センスが異なる名前で登場しました。日本語字幕だと「ムズムズ」、原文だとPeter Tingleです。(ムズムズは名訳ですねw)
メイおばさんに「ムズムズするんでしょ?」とからかい気味に言われ、ピーターはバツが悪そうにします。しかし、ミステリオとの最後のたたかいの決め手になったのが「ムズムズ」です。ピーターは目を閉じ、自分の直感を信じて行動することで、ミステリオのウソを見破ります。
自分の頭で考えて行動するのは恥ずかしいし、カッコ悪く見えることもある。
でも人は、そうすることだけでウソに対峙できるのです。
ミステリオを倒したピーターに笑顔はありません。どこか虚しい、冷めた表情が印象に残ります。大人のウソを見破ることで、ピーターもまた大人になったのです。
ミステリオのウソの世界は、ピーターにとって居心地の悪いものではありません。そこにいれば辛く報われないヒーロー稼業を続ける必要はない。友だちやガールフレンドと青春を謳歌できる。考えてみれば、これは実際の親子関係とまったく同じです。親は現実の厳しさから、ウソで子どもを守ります。愛にあふれ、優しく、子を想う理想の親を演じます。しかし、親もただの人間。子はいつしかそのことに気づき、大人になってゆくのです。
僕自身、2人の子を持つ父親です。ミステリオに自分の姿を見出さずにはいられませんでした。
一方、ピーターと微笑ましい疑似父子関係を育むのがハッピー・ホーガンです。
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演じるのは、ご存知ジョン・ファブロー。監督としてMCU第1作「アイアンマン」のメガホンを取った人物でもあります。言わばMCUのうみの親です。そんなハッピーが、トニー・スタークの遺した3Dプリンターでスーツをつくるピーターの姿に、目を細める。シリーズを長く観続けてきたファンにとって号泣必至の名シーンです。
「ファー・フロム・ホーム」の監督、ジョン・ワッツのキャリアは意外と浅く、スパイダーマン以前に撮った長編映画は2作のみです。長編第1作「クラウン」はホラー映画。子どもの誕生パーティで、呪われたピエロのコスチュームを着たお父さんがモンスターになってしまう……という物語でした(プロデュースは、あのイーライ・ロス)。小規模ながら手堅いつくりで、楽しく観れます。
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長編第2作が「コップ・カー」。日本でも話題になったので観た方も多いと思います。ケビン・ベーコン演じる悪徳警官と子ども達のたたかいをスリリングかつ、どこかオフビートに描いた傑作です。この作品の成功がきっかけで、ワッツ監督はスパイダーマンに抜擢されました。
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「クラウン」は父親の物語であり、「コップ・カー」は大人と子どもがたたかう物語です。監督の作家性がスパイダーマンに活かされているのが分かります。(「コップ・カー」の最後には「父に捧ぐ」というクレジットも出ます)
とはいえ、この2作を観てワッツ監督が数年後にスパイダーマンを世界中で大ヒットさせると予想した人は皆無でしょう。マーベルは本当に思い切った人選をします。
ここまで、父と子というテーマについて書いてきました。しかし、もうひとつの大きなテーマが存在します。「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」は映画についての映画でもあるのです。
ミステリオはCGキャラ用のモーションキャプチャー・スーツを着ています。彼の下では脚本家や衣装係など大勢のスタッフがチームとして働いています。これらが象徴するものは、ただひとつ。
マーベル・スタジオです。
ミステリオはマーベルがウソを生産する存在であることを、メタ的視点から描いたキャラクターです。彼自身、自分のことを「荒唐無稽」と言っています。クモ男や魔術師が活躍するMCUの世界観は荒唐無稽そのものです。それを映画の観客の前で、劇中のキャラが指摘することに驚かされます。
原作でのミステリオは映画のスタントマン兼特殊効果担当という設定でした。
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正直、映画のヴィランとしては地味なのでは? と観る前は思っていました。ミステリオの起用について、監督はこう語っています。
「原作のミステリオは、映画のセットを使ってスパイダーマンを騙します。時代遅れに思える設定だけど、現代にも通じるものがあります。現代にはARやホログラフ、ディープフェイクといった技術がありますからね」
(『ENTERTAINMENT WEEKLY』より引用)
ディープフェイクとはAIによって作られた本物そっくりの合成映像のことです。よく知られたものに、映画監督のジョーダン・ピールがつくったオバマのフェイク動画があります。
ちょっと見ただけでは本物と間違いかねないクオリティで、驚かされますよね。今後、技術の進化に比例して、どんどん精度が高まっていきます。政敵を攻撃するためにウソの動画をでっち上げる人も出てくるでしょう。ミステリオのウソは荒唐無稽でも、その存在はリアルであり、痛烈な社会風刺になっています。
脚本家のエリック・ソマーズは、こう語っています。
「人々は「アベンジャーズ/エンドゲーム」で起きた事件の余波で不安になっている。ピーターはトニーの死で不安になっている。ミステリオは自分の望みをかなえるために、不安や混乱、疑いや恐怖を利用するんです」
(『POP DUST』より引用)
不安と混乱、疑いと恐怖。こうした感情を利用して拡散するのがフェイクニュースです。マーベルの狙いは、デイリービューグルのジョナ・ジェイムソンの登場によって明らかになります。サム・ライミ版スパイダーマンにも登場していたお馴染みのキャラですね。演じるのもライミ版と同じJKシモンズです。
出典:IMDb
スパイダーマンを敵視するジャーナリストとしてお馴染みの人物で、今回はフェイクニュースサイトの運営者として登場します。彼には現実のモデルが存在します。「インフォウォーズ」を運営するアレックス・ジョーンズです。
出典:Wikipedia
英語版Wikipediaには、「インフォウォーズはアメリカの極右・陰謀論・フェイクニュースサイト」と記載されています。TwitterやFacebookでは悪質なアカウントとして永久凍結されました。BBCによると、その主張は下記のようなものです。
「民主党は米独立記念日の7月4日に内戦を開始する計画だった」
「オバマ大統領はアルカイダの世界的指導者」
「トランスジェンダー主義はCIAの人類減少計画」
…などなど、ミステリオ顔負けですね。脚本家のエリック・ソマーズは、こう語っています。
「デイリービューグルとジェイムソンを復活させるのであれば、これまでとは変えるべきだと考えていました。(インフォウォーズをモデルにするのは)完ぺきなやり方に思えたんです。誰のアイデアかは忘れましたが、思いついた瞬間、みんな飛びつきましたよ」
(『POP DUST』より引用)
ジェイムソンがスパイダーマンの正体をバラすという衝撃的な展開で、物語は幕を閉じます。ジョン・ワッツ監督はこう語っています。
「映画のテーマは真実とフェイクです。だからピーターには、スパイダーマンの正体という、彼の人生最大のウソと対峙させたんです。たくさんのウソを見てきたピーターは、心のどこかで正体を明かそうと思っていたはず。でも機会を奪われてしまった。つまり、ミステリオが勝ったんです」
(『ENTERTAINMENT WEEKLY』より引用)
監督が「ミステリオが勝った」とまで言う背景には、マーベルの社内事情があります。マーベル・エンターテイメントの会長は、アイザック・パールムッターという人物です。
出典:Forbes
リベラルな印象の強いマーベルにあって、パールムッターは右派の大物として知られています。トランプ大統領に巨額の寄付をし、選挙時にはアドバイザーも務めました。インフォウォーズ側の人物と言ってしまっていいでしょう。
「多様性をまったく理解せず、金儲けしか頭にない人物」
マーベル・スタジオのクリエイティブ面のトップ、ケヴィン・ファイギのパールムッター評は辛辣です。(『マーベル映画究極批評』(てらさわホーク著)より引用)
現在、パールムッターはMCUには関与していません。ケビン・ファイギとの対立を重く見たディズニーにより排除されたようです。しかし、会長であることに変わりありません。マーベルが成功すればするほど、マーベルの理想とは正反対の人物が財を成すという皮肉な構図があるのです。そう。監督の言う通り、ミステリオは勝っていたのです。
マーベルの内情にふれたところで、その制作体制について説明します。ミステリオのチームにはCG担当や脚本担当、マントにアイロンをかける衣装担当までいました。同じように、実際の映画づくりでも極めて効率的な分業制を敷いているようです。
たとえば、監督が演出するのは俳優達のドラマ部分で、アクション部分を演出する専門チームが別にいる、という話があります。マーベルがしばしばアクションを撮った経験がない監督を起用することを考えると、腑に落ちる体制ですよね。ワッツ監督はこう証言しています。
「自分でやることも、人に任せることもできます。でも僕は、アクションも含めて全部自分でやるのが好きだし、実際そうしていますよ。僕の責任でたくさんのものを爆破しました。気持ちよかったですね!アクションチームのリーダーはヴィクトリア・アロンソです。彼女とは毎日顔をあわせていました。素晴らしいですよ」(『comingsoon.net』より引用)
出典:Hollywood Reporter</span>
ヴィクトリア・アロンソは公式パンフレットでは「フィジカル・プロダクションのエグゼクティブ・バイス・プレジデントであり、ポスト・プロダクションと視覚効果も監修」と記載されています。MCU作品の素晴らしい3Dアクションを支える人物として要チェックですね。
映画それぞれを単体作品として完成させつつ、MCU全体の物語をつむぐ方法については、脚本家のエリック・ソマーズがこう語っています。
「TVドラマの制作に似ています。コラボレーション環境が整っているんです。TVドラマではショウランナー(現場責任者)のビジョンを形にするために、複数のライターがともに働きます。ひとつのエピソードを、他のエピソードと雰囲気が変わらないようにまとめるんです。MCUのやり方は、これに近いんですよ。僕たち脚本家は、アイデアをたくさんプレゼンします。OKのものもあれば、却下されるものもある。フィードバックを受けて、数え切れないくらい修正します。全員が納得するまで、これを繰り返すんです」
(『creativescreenwriting.com』より引用)
ジョン・ワッツ監督も、長編映画を撮る前はTVドラマの演出を手がけています。「アベンジャーズ」第1作を担当したジョス・ウィードンもTVドラマ出身でした。MCUの創作にTVドラマづくりのノウハウが活かされているのは間違いなさそうです。ピクサー等と比べて、組織としてのマーベル・スタジオは未知の部分が多いと思います。研究本の出版を期待したいですね。
映画というウソで、全世界を魅了し続けるマーベル。脚本家のクリス・マッケナはこう語っています。
「誰もがストーリーを欲しています。
バカげていればいるほどいい。みんな日常から逃避したいんですよ」(『www.syfy.com』より引用)
一方、ミステリオは命を落とす前に、こう言い残しました。
「いいかい、ピーター。人には信じるものが必要なんだ。
今の世の中、みんな、どんなことだって信じるさ」
この世界には、無数のミステリオがいます。
TVで、新聞で、タイムラインで、僕たちにウソを見せてきます。
心地の良いウソに守られて生きるか。
「ムズムズ」を信じ、現実の世界に踏み出すか。
自分の頭で考えて、行動する時。
人はみなヒーローであり、
スパイダーマンなのだと思います。
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[イラスト]ダニエル