街角の某カフェにて
さて、坂道を駆け下りた琉花は、小さな川が海へと注ぐ場所にある橋の下で佇んでいた。
「小さな川」には「初潮」、その先の「海」には「生命の連鎖」が投影されているわね。生命を育む海は、巨大な遺伝子プールよ。
その通り。
そして父・正明の勤務する「新江の倉水族館」へ向かう。そこで海クンと出会うんだ。
ちょっと待って。
この橋の下シーンまでは、さっき読んだ原作とほぼ同じだったけど、ここから全然違うわよね。
そう。五十嵐大介の原作だと、ここから琉花は東京へ行って、そこで海クンと出合う。
あの東京シーン、意味不明すぎるからカットしたのかな?
二人が東京で出会う意味が全然わかんないもんね。
しかも神奈川県に住む普通の女子中学生がディズニーシーは千葉県にあるってことを知らないなんてありえる?
小学生でも知ってるでしょ。やっぱりカットして正解。
意味なくはないんだよね。
原作の東京シーンは、この「海獣の子供」という作品が「どんな物語なのか?」ということを示している重要なパートなんだ。
だからディズニーシーも必要だった。
映画ではそれを別の形で描いたので必要なくなっただけの話。
え? ディズニーシーも必要? どういうこと?
琉花に投影されている人物を想起させるためなんだよね、ディズニーは。
その人物はまるでミッキーの耳を付けてるみたいに見えるから……
なるほど、確かにミッキーの耳ね(笑)
だけどミヤズヒメって誰?
美夜受比売(ミヤズヒメ)は英雄ヤマトタケルと恋に落ちて結婚した女性だよ。
じゃあ海クンがヤマトタケルなの?
その通り。海クンには倭建命(ヤマトタケルノミコト)が投影されている。
ちなみにヤマトタケルは東征の際に、相模(神奈川県)から上総(千葉県)へ渡った。
鎌倉在住の琉花がディズニーシーへ行こうと思ったのは、この故事がもとになっている。
でも実際に行ったのは東京じゃん。
なんで東京? 別に千葉でもいいのに。
琉花と海クンが出合う場所は東京でなきゃいけなかったんだよ。
東京23区だから……
は?
そしてその場所が汐留であることにも深い意味がある。23区内の汐留という場所でなければならなかったんだ。
思い出してほしい。映画冒頭で琉花は卵子を演じていたよね?
となると、琉花のパートナーである海クンが演じるのは精子ということになる。
卵子や精子には23にまつわるものが入っているよね?
あっ!染色体!
琉花と海クンが東京23区内で出会うということは、男女の23本の染色体が出会って一つになる様子を暗示している。
汐留という場所が選ばれたのも潮が留まる場所、つまり子宮を想起させるためだ。
だから海クンは欄干の奥へ突き進んで琉花をドキドキさせたんだね。欄干とは卵管の駄洒落だから。
あ、そっか!
ちなみに海クンが東京湾に飛び込むのは、ヤマトタケルの別の妻弟橘媛(オトタチバナノヒメ)のパロディ―だ。東京湾をディスるのもね。
細かいわね、五十嵐大介は。岡江クンみたい。
そしてこの作品において23という数字が意味するものは染色体だけではない。
日本に古来から伝わる文化と、西洋からもたらされた文化をつなぐ、鍵となる数字が23なんだよ。
つまり「海獣の子供」とは23をめぐる物語なんだ……
なにそれ?
そのへんは後でゆっくり話すよ。まず映画での二人の出会いを見ていこう。
と、その前に。
琉花が水族館のバックヤードに入って海クンと出会う前に、非常に重要な描写があったよね。
そんなのあったっけ?
琉花は太い鉄パイプに頭を思いっきりぶつけてしまう。
ああ、派手にゴツンとやってたわね。すっごく痛そうだった。
でも別に要らないよね、あれ。なんの伏線にもなってなかった。
そんなことないよ。
あそこを境にして、映画が琉花の夢の中の話になっているんだ。
これまでも現実と妄想が入り混じった描写が続いていたけど、あのゴツンから完全に夢の世界なんだよね。
じゃあ本当は、あそこで気を失っていたとか?
たぶんそうだろう。原作では海クンも空クンも実在したことになってるけど、映画では全て琉花の夢なんだ。
かなり大胆なアレンジだよね。
夢オチってやつ? マジで?
でなきゃあんな描写は要らないでしょ? わざわざ豪快に頭ぶつける必要ある?
じゃあ映画「海獣の子供」は、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』とかルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』と同様に、子供が見てる夢の中の物語ってことなのね。
まさにその通り。
そして面白いことに『銀河鉄道の夜』の主人公ジョバンニも琉花も、病気がちの母と二人暮らしで、父が家を出たまま帰って来ない。
ジョバンニのお母さんが飲んでいたのはビールじゃなくてミルクだったけどね(笑)
だけど実際に病気になったのは母ではなく賢治のほうだった。そして賢治は薬の代わりに、牛乳ではなくビール酵母を飲んでいた…
え?
「海獣の子供」は『鏡の国のアリス』とも共通点が多い。
どちらも初潮を迎える少女の物語になっている。アリスを地獄めぐりのようなゲームに誘う赤の女王とは女性の生理・月経のことに他ならない。
ちなみに『鏡の国のアリス』では世界がチェス盤になっていた。「海獣の子供」は人体地図だ。
なんか面白い!
賢治とかキャロルの話を始めると長くなるから、このへんにしておこう。僕はあの二人が、たまらなく好きだから。
あたしにジュリーと永ちゃんの話をさせるようなものね。
では、海クンの登場シーンを解説しよう。
大人用のウェットスーツの中に身を隠して動き回ってたわよね。
そして最後は小さな水槽の中に飛び込んで、琉花の前に顔を出すの。
ウェットスーツには2つの意味がある。
まずは避妊具、つまりコンドームだ。ウェットスーツはゴム製だから。
そっか。海クンは精子なんだもんね。
そしてもう一つが、ヤマトタケル少年時代の変装のパロディ。
九州での熊襲(クマソ)征伐の際、ヤマトタケルは大人の女性の着物を着て、好色な相手を油断させた。
そして海クンが小さな水槽に入ったのは、ヤマトタケルの元々の名前小碓(オウス)を表現している。
小碓とは中がくり抜かれた小さな容器という意味だから。
すごい。完璧。
そして海クンは琉花に質問をする。
「夏休みって、夏のお休み?」
当たり前よね(笑)
海クンって、バカっぽくて可愛い。
なぜなつのお休みを夏のお休みと決めつけるかな?
は?
字幕でそう表示された?
あれも琉花の妄想だからね。性のことで頭がいっぱいだから、夢の中であんなセリフが飛び出したんだよ。
何言ってるの?
あれは「ナツ休みって、ナツのお休み?」と言っていたんだ。
やっぱり夏のお休みじゃん。
違うってば。
ナツはサマーの夏じゃなくてN・U・T・S のナツなんだよ。
英語の「nuts」には金玉という意味がある。つまり「nuts休みって、金玉のお休み?」という意味なんだ。
まあ!
そしてもう1つ、ヤマトタケルとしてのネタも。
少年時代のヤマトタケルも、言葉の読解力に難のある子だった。
彼にはオオウスという双子の兄がいて、おませで生意気盛りのオオウスは、家族の食卓に顔を出さなくなっていた。
そんなオオウスを父・景行天皇は問題視し、ヤマトタケルにこう言って呼びに行かせた。
「ねぎし教えさとせ」
(心を込めて教え諭すのだ)
でもヤマトタケルは、その言葉をこう勘違いした。
「徹底的に体で教えてやれ」
そしてヤマトタケルは兄オオウスを水辺で待ち伏せし、徹底的に痛めつけて殺した挙句、死体をむしろに包んでしまう。
ちょっとシャレにならないわよ。夏とnutsみたく笑えない。
昔の神様たちは何をやるにしても極端だからね。
とにかく「海クン=ヤマトタケル=精子」というのがわかってもらえればいい。
その後、海クンは大水槽へ飛び込む。琉花は下へ降りて大水槽全体を眺めながら呆然としていた。
すると後ろから父・正明が静かに現れ、海クンの解説を始める。
絶妙過ぎるタイミング。さすが琉花の夢ね。
でもさ、なんで正明の声は吾郎ちゃんなんだろ?
あたしなら絶対に草彅君にオファーするな。だってヤマトタケルといえば 草薙の剣だから。
いや、安海正明の声は稲垣吾郎でなきゃいけない。
おそらく原作者 五十嵐大介が望んだんじゃないかな。
どういうこと?
琉花の父・安海正明のモデルになっているのは大物主(オオモノヌシ)だからね。
おおものぬし? 誰? なんで吾郎ちゃんと関係あるの?
大物主は、大国主(オオクニヌシ)の国造りを助けた異国の神だ。
出雲で国造りという壮大な事業を行っていた大国主は、相棒の少彦名(スクナビコナ)を失ったことで計画が頓挫してしまい、海辺で途方に暮れていた。
すると遥か沖の方で海面が光り出し、その光が大国主のいる浜へと近付いて来たんだ。
光の中には見たことのない神(大物主)がいて、呆然とする大国主に「私を丁重に祀れば、国造りは無事に終わるだろう」と告げる。
大国主が祀り方について尋ねると、大物主はこう言って消えた。
吾をば倭の青垣の東の山の上に拝き奉れ
(私を大和の東にある山の上に奉れ)
あっ! 吾と垣!
だから稲垣吾郎だったというわけ。
そして大国主は言われた通り、大物主を大和の東の山、つまり奈良盆地の東にある三輪山に祀った。
これによって大国主の国造りは完成するんだけど、その後国譲りが行われる。歴史の中心が出雲から大和に移るんだよね。
つまり大物主の言葉は、その伏線になっていたわけだ。
ちなみに大物主が遠い海からやって来た光る神として描かれる際は、亀に乗った姿であることが多い。
そして三輪山に祀られてからの大物主は三輪明神と呼ばれるようになり、水神の象徴蛇として描かれる。
たぶんこれって中国の神玄武から来ているんじゃないかな。玄武は亀と蛇が合わさった姿をしているから。
カメとヘビ?
それって男性器のことでもあるんじゃない?
たぶんね。
だから水族館から家に帰った琉花は、図鑑でジュゴンを調べた後、表紙の匂いを嗅いで「お父さんの匂いがする」と呟いたんだよ。
は?
琉花が鼻をつけて匂いを嗅いだ表紙には、亀の頭が描かれていたんだ。
ああ! だから表紙がカメが頭を突き出した絵だったのね!
変だと思ったのよ! 普通「海の生き物図鑑」なら魚とかクジラでしょ!?
笑えるよね。
琉花のパパ正明が三輪明神こと大物主なら、ママの加奈子は何者なの?
お待たせしました。本日のフルーツ「気分はピーチいっぱい」でございます。
は? また? そんなの頼んでないわよ。
しかし伝票には……
せっかくだから頂いておこうよ。ジューシーで美味しそうだし。
では、ごゆっくり……
だけど、ほんとに変な店。なんかいろいろタイミング良過ぎない?
このへんがクリエイティブってことなの?
そうかもね。
さて加奈子の話に戻ろう。彼女のモデルは、三輪山へ祀られた大物主の妻になった母母曽毘売(モモソヒメ)だ。
ももそひめ? だから桃を切って夫・正明に出したの?
だね。
モモソヒメはシャーマン、つまり巫女だった。『日本書紀』には、こんな逸話が書かれている。
ある時、天皇の重臣が旅の途中で不思議な少女に出会う。少女はこんなソングを歌っていた。
「ミマキイリビコはや おのが命を死せんと ぬすまく知らぬに 姫遊びすも」
気になった重臣は歌の意味を少女に尋ねた。少女はこう答えると、もう一度ソングを歌って姿を消した。
「物言はず、ただ歌うのみ」
(大切なことは言葉にならない。ただ歌うだけ)
まさにこの映画のテーマじゃん!
胸騒ぎがした重臣は、少女と歌のことを天皇に報告した。
天皇は早速モモソヒメに解読をさせる。するとモモソヒメに大物主が降りて来て、この歌の意味は謀反の前兆であると告げたんだ。
そして皇族内の不満分子が摘発され、クーデターは未然に防がれたというわけ。
そういえば琉花も不思議なソングを歌っていて、それについて加奈子に尋ねていたわね……
その後モモソヒメは大物主の妻となった。
だけど大物主はモモソヒメの住む家に、昼間はまったく寄り付こうとしない。夜になるとやって来て、暗闇の中で夫婦の営みを行い、朝になる前には消えて居なくなっているんだね。
これを淋しく思ったモモソヒメは、せめて灯りをつけて、その姿だけでも見せてくださいと願い出た。
切なる妻の願いに応え、大物主は蛇の姿をモモソヒメに見せる。
モモソヒメは思わず大きな悲鳴を上げてしまった。
大物主は己の姿を恥じ、それ以降は三輪山に籠り、夫婦は完全別居状態になったという。
なにこれ。加奈子と正明みたいじゃん。
ちなみに原作では、加奈子と正明の出会いから別居に至る物語が描かれているそうだ。
映画版ではそこが完全に省かれているから、ちょっと残念だよね。琉花が知らないことだから、琉花の夢の中にも出て来ないというわけだ。
ちょー気になる! ていうか、そこが一番知りたい!
でも今ここで原作漫画を全部読むのも大変よね。
このソングを聴いたらいい。加奈子の人間像が見えてくるはずだ。
『桃色吐息』?
でも確かに、この気怠い歌の中に、加奈子の人生が垣間見えたような気がする……
なぜ? 不思議。
ちなみに加奈子の奈という漢字は唐梨(からなし)を意味する。
そして『桃色吐息』は高橋真梨子の代表曲……
しかも「あなたに抱かれて、こぼれる華になる」って歌詞がさ……
「あなたに抱かれて、こぼれ、琉花になる」とも読めるんだけど……
マジ鳥肌。
そして夫・正明の人間像を表すのが、このソング……
二十三夜? ちょっと待って。これって……
深代ママが言いたいことは、わかっている。
まず、この2つのソングは非常によく似ている。まるで対になった男女の染色体のようだ。
それもそのはず。ほぼ同時期に、同じ人物によって作曲されたソングだからね。
やっぱり……
次に歌詞の内容。
「男女の愛がやがて石化する」とか「女は海に、男は空に乱れる」とか、「海獣の子供」のコンセプトそのものだ。
さらには、これが堺正章の持ち歌であること。
きっと正明という名は、堺正章と三輪明神から来ているんだと思う。
もう、そうとしか考えられない……
そして極めつけが、二十三夜という言葉……
どうなってるの? なんで卵子と精子の染色体の数23が出て来るのよ?
そもそも二十三夜というのは月待信仰から来たもの。
満月が欠けていって新月になるまでの中間地点弦月(半月)を祝ったものだ。
この月は特別に二十三夜さまと呼ばれ、普段は休めない仕事もこの日だけは休み、大切な人と過ごすのが習わしとなっていたらしい。
二十三夜さまにまつわる言い伝えは日本各地にいくつも残っている。「まんが日本昔ばなし」でも3つの二十三夜さまの昔話が取り上げられているくらいだ。『海獣の子供』的にも非常に興味深いものがあるから、あとで調べてみるといいよ。
そんな日があったんだ。なんか感謝祭とかクリスマスイブみたいね。
でもさ、なぜ五十嵐大介はこの『二十三夜』なんて歌に目を付けたわけ? 正直そこまで有名じゃないでしょ?
その答えは、彼の故郷埼玉県にある。
は?
その話をする前に、もう少し映画の筋を追っていこう。
図鑑でジュゴンを調べた後、琉花は学校へ向かった。そしてハンドボール部の練習をこっそり覗き、13番の少女が活躍している様子を恨めしそうに見つめる。
13は排卵の投影だったわね。
それだけじゃない。
琉花のモデルミヤズヒメにとって、13とは恨めしい数字なんだ。
実はミヤズヒメの夫ヤマトタケルは、第13代の天皇になるはずだった。
え?
父である第12代 景行天皇から与えられた最後の試練東征を終えたヤマトタケルは、尾張の国でミヤズヒメと結婚し、あとは山を越えて大和へ帰り皇位を継ぐだけだった。
しかし山の神の怒りに触れ、祟りによって衰弱死してしまう。
第13代天皇になるために数々の試練を乗り越えてきた英雄ヤマトタケルは、あと一歩のところでそれを逃してしまったんだね。
結局、第13代天皇の座は、「誰それ?」みたいな別の皇族に棚ぼた式に転がり込んだ。
それは恨めしいわね。天皇夫人の座を逃したんだから。
しかもミヤズヒメはヤマトタケルを送り出す際に草薙の剣を預かっていた。なぜか最愛の人を丸腰で行かせてしまったんだよね。
え? それは尾を引くわ。あたしなら自分を責めちゃうかも。
だから次の教室シーンで琉花は「ごめんなさい。だけど私は悪くない」と自分に何度も言い聞かせるんだよ。
生理の罪悪感プラス愛する人の死の罪悪感ってことか。
教室の机を円形状にどかして真ん中に寝そべる姿は、大きく成長した卵子の姿であると同時に、草原で火に囲まれたヤマトタケルが草薙の剣で周囲の草を薙ぎ払う様子の再現でもある。
有名な「火攻め」の場面は相模国、つまり琉花の住む神奈川県での出来事だからね。
そして精子兼ヤマトタケル役の海クンが現れる……
あそこで突然現れた意味がやっとわかったわ。琉花の卵子が受け入れ準備OKになったことと火攻めを再現したからなんだ。
だから海クンは水飲み場で体を濡らして冷やした。
精子は乾燥に弱いし、ヤマトタケルとしては体をクールダウンする必要がある。
それから二人は散歩に出かけた。海クンは頭から毛布を被り、まるで男根のような姿になっていたよね。
そして赤い鳥居が無数に並ぶ稲荷神社を見て「あれは何?」と琉花に尋ねる。
あれは胎内めぐりよね。膣と子宮を表しているの。
次に尋ねたお地蔵さんは、きっと男性器を表す道祖神のことね。
そして海クンは駄菓子屋さんのソフトクリームを見て「これ知ってる!」と大興奮しながら店に入って行った。
琉花は「なんであたしが御馳走しなきゃいけないの?」ってプリプリするんだけど、のんきな海クンは口の周りを真っ白にしながら「おいしい、おいしい」って笑ってるの。
あのシーンちょっと可愛かった。
あれはヤマトタケルとミヤズヒメの初夜を完璧に再現したものなんだよ。
しょ、初夜!?
東征出発前に尾張でミヤズヒメと婚約したヤマトタケルは、その帰路に約束通り彼女のもとへ向かった。
そしてミヤズヒメは、次期天皇の座をほぼ手中に収めたことを祝って、最高級の御馳走でもてなす。
まずそれが「琉花が海にソフトクリームを御馳走する」で再現された。
なるほど。
しかし、初夜を楽しみにしていたヤマトタケルは、ミヤズヒメの着物の裾に赤い円形の染みを発見してしまう。
ミヤズヒメは生理中だったんだ。そして、やるせない想いをソングにした。
ひさかたの 天の香具山 鋭喧(トカマ)に さ渡る鵠(クビ) 弱細(ヒハボソ) 撓(タワ)や腕(ガヒナ)を 枕かむとは 吾(アレ)はすれど さ寝むとは 吾(アレ)は思へど 何が著(ケ)せる 襲(オスヒ)の裾(スソ)に 月立ちにけり
(天の香具山を、はち切れんばかりの声をあげて飛ぶ白鳥よ。その細い首のような、か弱い腕を枕にしてアレがしたい、つまり一緒に寝たいと私は思うのだが、艶めかしい山裾からお月様が昇ってしまったよ。悠久の天の流れには逆らえないな)
アレのことしか頭になかったヤマトタケルのがっかり感が、よく伝わるソングだわ。
でも、こんな時にも歌がすらっと出て来るなんて、さすが皇族ね。並みの男だったらテンパってる。
並みの人間でないのはミヤズヒメも同じ。
普通なら恥ずかしがったり「ごめんね」って謝るところだけど、逆にこんなソングで切り返したんだ。
高光る 日の御子 やすみしし 我が大君 あらたまの 年が来経れば あらたまの 月は来経行く 諾(ウベ)な諾(ウベ)な 君待ちがたに 吾が著せる 襲(オスヒ)の裾に 月立たなむよ
(私が月なら、あなたは日の御子。世界の隅々まで照らす私の大君よ。雄々しいあなたがやって来ると聞けば、月もじっとしてはいられないでしょう。そうよ。そうなの。あなたを待ちきれなくて、私の衣の裾に月が鮮やかに現れました)
こんなこと言われたら、グッと来るよね。
こうしてヤマトタケルとミヤズヒメは無事に結ばれた。
凄いわねミヤズヒメ。歌好きのあたしでも咄嗟にこんなアンサーソングは歌えないわ。
でもさ、琉花&海クンとこの2つのソングは、どう関係があるの?
海クンは琉花の服にお月様を見つけたわけじゃないでしょ?
もちろん。琉花が生理中であることはビジュアル面で巧妙に隠されている。
だから男女の役を入れ替えたんだ。
は?
琉花に赤い満月を付けるんじゃなくて、海クンに白い満月を付けたんだよ。ソフトクリームで。
あ!
五十嵐大介は、ヤマトタケルの歌を琉花の歌にした。
琉花は海クンと再会できてドキドキしていた。まさにヤマトタケルのようにね。そして琉花は海クンの口元に白い満月を見る。さらにこの後の場面で白い鳥にも遭遇しているよね。
ちなみに琉花の住む鎌倉の「カマ」も、近所の鵠沼の「鵠」も歌に入っている。まさに琉花のソングだ。
確かに。
かたやミヤズヒメの歌は海クンの歌になった。
だから海クンは人魂(流れ星)を見に行こうと言ったんだ。歌の中の「高光る、あらたま」だね。
そして「おいしい、おいしい」というセリフは「うべな、うべな」の駄洒落になってるんだ。
やられた。
そして二人は長く突き出た埠頭の先端で人魂を待つ。そして2つの人魂が現れた。
琉花ったら、男性器の夢を見てる!
だからあの時エッチな表情してたのね!
そういうこと。
さて、次のシーンでは、空クンが入院する病院にジム・キューザックが迎えに来る。
ちゃんと入口に「空くん」って書いてあったわね。さすが琉花の夢。
ジムは不思議な能力を持つ海獣の子供たちの父親みたいな存在だ。
モデルになっているのは、ヤマトタケルとオオウス兄弟の父、景行天皇だね。
ジムは世界を旅しながら、その土地固有の刺青を体に入れるという趣味がある。つまりジムの体は、これまで出会った人たちのソングの塊なんだ。
これはまさに『古事記』や『日本書紀』と同じだよね。
記紀に登場する古代の天皇は、各地の異民族や豪族を成敗すると、彼らのソングを自分のものにした。彼らの歌を取り込むことで、彼らの歴史も丸ごと吸収してしまうんだ。
記紀に多くの矛盾点があるのは、そのせいだね。
そして若き日の景行天皇は、息子ヤマトタケルに負けないほどソングを収集した。まさにジムみたいに。
つまりジムは歩く古事記ってことね。だからいつも上半身裸でウロウロしようとしてたんだわ。
そして『古事記』には片歌というものも数多く登場する。
本来は五七七・五七七という形のものを半分の五七七で詠うんだ。愛する人に向けてね。
片歌をもらった方は、残り半分の五七七を詠う。その時、相手の歌の中にある言葉を繰り返し使うことがマナーとされるんだ。
そして、対になった2つの片歌が合わさって施頭歌が出来上がる。
なんだか遺伝子みたいじゃん。男女が染色体を23本ずつ出し合って、新しい命が出来上がる。
同じ言葉が繰り返されるのもゲノムと一緒。
当然ながら昔の人はそんなこと知らなかったわけだけど、男女の間で同じようなことをやっていた。
なんだろう、この偶然は。考えるだけで胸が熱くなるね。
うん。
さて、次は琉花の自転車ずぶ濡れシーンだね。ここの描写も実に興味深い。
土砂降りの雨の中で自転車をこいでいたら、だんだん雨が粘性を帯びてきて、琉花はどろりとした水の塊に包み込まれてしまう。
そして魚の群れが現れて、琉花を飲み込もうとする。だけど一羽の白い鳥が現れて雨も魚も消えてしまうんだね。
あの時も琉花はエッチな表情してたわ。ドロッとした雨と魚の群れは精液ね。
そうだね。
それと魚の群れにはもう1つ意味があるかもしれない。FSHだ。
FSH?
FSHとは卵胞刺激ホルモンのこと。
脳の下垂体からの指示により分泌されたFSHは、卵巣内で発育途中にある卵胞に刺激を与える。
すると卵胞内の顆粒膜細胞がエストロゲンという物質に変換され、どんどん分泌されていく。そして卵子の発育を加速させ、排卵を促すんだ。
エストロゲンって発情ホルモンのことでしょ?
そう。これが大量に分泌される排卵時などは、女性は体が紅潮したりムラムラしてくる。
だから魚の群れに囲まれていた時、琉花は顔を紅潮させ、色っぽく喘いでいたんだ。
FSHとFISHの駄洒落だね。
ほんと細かいわよね、この映画。人間の生理をここまで描写するなんて。そして駄洒落も多い。
画もセリフも「ここまでやるか?」というくらい細部まで作りこまれている。驚くべき映画だ。
さて、琉花はジムからザトウクジラのソングを聴かされ、その後ひとりで海に向かう。
空クンとの出会いのシーンだ。
空クンは何者? 海クンのお兄ちゃんだからオオウスってこと?
空クンは、ヤマトタケルとオオウス両方の役割を担っている。
海クンと一心同体であり、兄弟的側面も持っているから。
あの場面で空クンは、大きな岩に腰かけていたの覚えてる?
長さ180cm、幅90cm、高さ45cmくらいの。
うん。明らかに意味有り気な岩だった。でも何で大きさ知ってるの?
あれは踏石という名の岩なんだ。
景行天皇が土蜘蛛という部族に苦しめられていた時、あの岩の前で神に誓約を立てた。
「土蜘蛛を討ち果たせるのであれば、この石は柏の葉のように飛ぶだろう」とね。
そして実際に蹴飛ばしてみると、大きな岩が空高く飛んで行ったという。
この踏石の誓約によって、景行天皇は土蜘蛛に勝利することが出来た。
大きな石が空高く飛ぶって隕石じゃん。
そして柏の葉って。だからあの岩は両端が葉っぱみたいになっていたのね。
そういうこと。
そして空クンは琉花に「キミは予想通りでつまらない」と言う。
これは精子から見た卵子のことだね。
好きな時に飛び出して自由に泳ぎ回る精子と違って、卵子は決まったサイクルを繰り返す。
うまい。空クンに座布団あげたいわ。
てことは空クンも精子なの? 海クンと同じ役割?
同じ精子でも部位が違うんだ。
海クンは精子の核DNA、つまり染色体だね。
そして空クンは染色体を運ぶ舟の役割。精子の頭部分と、尻尾の鞭毛だ。
うつ伏せの海クンの背中に空クンが乗って嬉しそうにするシーンがあったけど、あれは二人で一つの精子になっていることを表していたんだよ。
そして琉花とキスをするのが空クンなのも、ここから来ている。
精子の先っぽにあるアクロソームという物質が、卵子を包むバリアを分解するんだね。それによって精子は核の中の染色体を卵子の内部に注入できる。
ちなみに卵子との結合を維持するために精子から出されるタンパク質をIZUMO(イズモ)という。縁結びの神である出雲からつけられた名前なんだよ。
面白い。海クンじゃなくて空クンが琉花とキスした時は「なんで!?」って思ったけど、ちゃんと意味があったのね。
それに二人の髪型もそれっぽくて笑える。
でもミトコンドリアに対応するものがないじゃん。
だから二人の命は残りあと僅かだったんだ。エネルギー源のミトコンドリアに対応するものがなかったから。
空クンが操縦する船が止まっちゃった時、エンジンルームを眺めて「わからん」って言ったでしょ?
あれは船を精子に喩えてミトコンドリアの不在を表現していたんだ。
無駄な描写は一切ないのね。
さて、台風のシーンに移ろう。
港には巨大な深海魚メガマウスが打ち上げられていた。そして浜辺には無数のリュウグウノツカイが横たわっていたね。
あれも意味有り気だった。
メガマウスは子宮で、リュウグウノツカイは精子を表している。
なんで?
ネズミザメ目メガマウスザメ科だからね。ネズミやマウスは漢字で子と書く。だから子宮。
気圧によって大きな口から内臓が少し見えててグロかったでしょ?
失礼ね。
さて、琉花と海クンは、姿を消した空クンを探して、台風の中、伊豆半島へ向かう。
ここで伊豆半島が何を意味しているかは説明するまでもないだろう。半島の形を思い浮かべれば、わかるはずだ。
英語でペニンシュラっていうくらいだからね。
半島の先端にある町に着くと、海クンは臭いを嗅ぎながら海辺へと向かう。
そこは深い森になってて、海クンは細いトンネルみたいなところを勢いよく走り抜けて行くんだ。そしてトンネルを抜けて、その勢いのまま海に放出される。
疑似射精ね。
精子は「胤」ともいう。
この漢字って細い通路を精子が進んでいる姿にも見えるんだよね。肉という意味を持つ月に糸が付いているから。
ホントだ。面白い。
さて、海クンが発射された浜にはアングラードが待っていた。ジムの助手を務める不思議な青年だ。
彼にはオオウスと、景行天皇の料理人イワカムツカリが投影されている。
アングラードもオオウスなの?
アングラードという名前は「un-glad」の駄洒落になってるんだ。喜ばしくないという意味だね。
オオウスとオウス(ヤマトタケル)の双子が生まれた時、父・景行天皇は心から喜ぶことが出来なかった。昔は双子って不吉だと考えられていたんだ。
そして景行天皇の不安は的中する。
景行天皇は美濃に美しい娘がいると聞き、オオウスに連れて来るよう指示した。しかし現地に向かったオオウスは、その娘を自分のものにし、偽物の娘を父のもとへ送った。そしてそのまま帰って来なかったんだ。
なるほど。景行天皇に偽者を送って本物の娘と過ごしていたオオウスが、ジムに偽の情報を送っていたアングラードってわけね。
そして料理もしてた。伊勢エビを大きな葉っぱで包んで蒸すの。すっごくジューシーで美味しそうだった。
あれは弟ヤマトタケルに簀巻きにされた兄オオウスの姿でもある。
そしてエビを食べるシーンでは、エビがフルーツのようにジューシーに描かれていた。まるで加奈子が切った桃のようだったよね。
確かにエビというよりモモっぽかったわ。
あれは二十三夜さまの昔話が元ネタになっている。
海で行方不明になった子供たちの安否を心配した母が神様にお供えをしたところ、目の前で皿からお供えが一瞬にして消えてしまった。そして小さな島に漂着してた子供たちの目の前に、母のお供えが時空を超えて現れるんだ。
おそるべし二十三夜さま。
だけど五十嵐大介は、なぜ二十三夜や古事記に着目したのかしら?
さっき岡江クンは埼玉県に答えがあるって言ってたけど、どういうこと?
熊谷市で生まれ育った五十嵐大介は、美大を目指すため高校・予備校時代をさいたま市で過ごした。
その頃、学校の近所にあったとある神社で、授業の合間によく昼寝をしていたそうだ。
とある神社?
その神社の名は調(つき)神社。
調とは昔の年貢租庸調の調のこと。みつぎもののつきだ。
調神社は、ヤマトタケルの叔母倭比売命(ヤマトヒメノミコト)によって、最初は倉庫として作られたらしい。関東地方の年貢を大和へ運ぶための集積地としてね。
だけど後年その機能が失われ、神社になったという。
そしてつき神社という名前から、いつしか月待信仰の中心地となり、別名二十三夜の宮と呼ばれるようになった。
だから調神社には狛犬ではなく狛ウサギが置かれている。
なにそれ、かわいい。
ちなみに謎の女デデのモデルは、この調神社を作ったとされているヤマトヒメだ。
元々ヤマトヒメは伊勢神宮内宮を創建した人物として知られている。斎宮の元祖だ。
ちなみに東征に向かう甥っ子ヤマトタケルに草薙の剣と火打石を与えたのも彼女なんだ。
だからシャーマンみたいだったのね。そういえば何だか不思議な楽器も演奏してた。
あれはジューズハープ(口琴)だ。デデが処女であることを示し、あの後に琉花の子宮から泉が湧くことを暗示している。
あの楽器はイングマール・ベルイマンの『処女の泉』という映画で有名になったものだから。
確かに琉花は『処女の泉』状態だったわね。
さて、五十嵐大介はこの調神社で時間をつぶしている時に、2つの23に想いを巡らせていたに違いない。
「大切な人と過ごす半分の月二十三夜」と「大切な相手と一緒になるために半分になった23本の染色体」についてだ。
いくら偶然とはいえ、あまりにも出来過ぎているからね。
確かに。どうぞ妄想を膨らませて下さいって言われてるようなものね。
それだけじゃない。さらに五十嵐大介は妄想を展開させた。
ある意味、染色体の数以上に世界的には有名かもしれない23に思いを巡らせたんだ。
その23が表すものとは神…
マイケル・ジョーダン?
救世主、イエス・キリストだよ。
西洋キリスト教文化圏で23といえば、旧約聖書の詩篇第23番のことを指す。
そもそもクリスチャンというのは「ヘブライ聖書で預言者たちが詠ったソングは、イエス・キリストによって成就された」と信じる人たちのこと。
そして数ある旧約のソングの中で最も重要視されるソングが詩篇23なんだ。
いったいどんなソングなの?
これだよ。聞いたことあるんじゃないかな?
詩篇23
1 ダビデの賛歌。主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの泉のほとりに伴われます。
3 主は私の魂を生き返らせ、御名のゆえに、私を正しき道に導かれます。
4 たとえ死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
あなたが私と共におられますから。あなたの鞭とあなたの杖、それが私の慰めです。5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
これ知ってる。お祈りや儀式でよく使われるやつね。
でも何だかさ、「海獣の子供」を観た今では、意味が違って聞こえるような……
実はこの詩篇23ダビデの賛歌はね、卵子の歌にも読めるんだ。子宮を舞台にした卵子のソングに。
あ! そういえば羊って子宮のシンボルだもんね!
羊水とか羊膜とか、それに形もそっくり!
それだけじゃない。冒頭フレーズに注目してほしい。
1 ダビデの賛歌。主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。
この羊飼いという言葉は英語では「shepherd」なんだけど、これって「she-phered」つまり「球体の彼女」とも読めるんだ。
そして「私は乏しいことがありません」は、卵子に新しい命を作り出す栄養がたっぷり詰まっていることを言ってるように聞こえる。
なにこれ、面白い!
そして次のフレーズ。
2 主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの泉のほとりに伴われます。
私が導かれて伏せる「緑の牧場(まきば)」とは、ふかふかの場所、つまり子宮内膜だ。柔らかい子宮内膜は受精卵のベッドだからね。
そして子宮内は「いこいの泉」に他ならない。
ちなみにこの部分が映画で完璧に再現されていたことには気づいた?
え? 緑の牧場なんて出て来なかったでしょ?
あったよ。海の中に。
あ! ジュゴン!?
そう。ジュゴンは海底の緑の牧場で食事をしていた。
じゃあ、あのジュゴンは主、つまり神様なの?
そうだよ。神が姿を変えて琉花の前に現れたんだ。
ちなみにあのジュゴンは『古事記』に登場する牛ほどの大きさがある白猪の投影でもある。
ミヤズヒメと結ばれた後、ヤマトタケルは山の神を成敗するために伊吹山に向かった。そこで牛ほどの大きさの白猪と出会うんだけど、ヤマトタケルは「こんな雑魚は後回しだ」とバカにする。でも実はその大白猪は、山の神の化身だったんだね。激怒した山の神はヤマトタケルに死の呪いをかける。ヤマトタケルは次第に衰弱していき、第13代天皇の座を目の前にして息絶えてしまうんだ。
映画でも言ってたね。あのジュゴンは僕たちを迎えに来たんじゃないかって。
では次のフレーズを見てみよう。
3 主は私の魂を生き返らせ、御名のゆえに、私を正しき道に導かれます。
「魂を生き返らせる」は英語だと「restore」なんだけど、これは復元するという意味だ。
元々は46本あった染色体が卵子では半分の23本になって、それが子宮内で精子側の染色体23本と合わさって46本となり、再び命として復元されるという意味にも聞こえるよね。
じゃあ精子が「主」ってこと?
だから「御名によって正しき道に導かれる」なんだよ。
精子とは空クン海クンのこと。つまり空海だ。
空海?
四国巡礼のお遍路さんでは同行二人と書かれた笠を被る。
たとえそれが孤独な旅でも、常に空海上人は傍にいてくれる、という意味だ。
卵子はたった一人で卵巣から出発して、暗い卵管の中を子宮に向かって進んでゆく。まだ見ぬ精子の存在を信じて。まさに孤独な旅だよね。
孤独だった琉花は、いつも傍にいてくれる空海上人みたいな存在を夢見ていたってわけか。
たぶん同行二人という言葉につられて、夢の中で空海が二人に分裂してしまったんだろう。
そして第4のフレーズ。
4 たとえ死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私と共におられますから。あなたの鞭とあなたの杖、それが私の慰めです。
ここも卵子の孤独な旅と同行二人についてだね。
面白いのは「あなたの鞭とあなたの杖」だ。英語では「Your rod and Your staff」という。
どこが面白いの?
この部分って「Your rod and Your stuff」とも聞こえるんだよね。
これだと男性器や精子を連想させるんだ。それを「私の慰めです」って言われると、クスッとしちゃうでしょ?
確かに(笑)
そして第5のフレーズ。
5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
ここも英語での文章を見ないと分かりづらい。
5 You set a table before me in the presence of my adversaries; You anointed my head with oil; my cup overflows.
この第5のフレーズは、精子が卵子と結合する瞬間のことに聞こえるんだ。
どうして?
「adversaries(敵)」という言葉を、よく似た「anniversary(記念日)」に置き換える。
「table」という言葉には表面という意味があるから、第5フレーズはこんなふうに読めるんだ。
あなた(精子)は私(卵子)の誕生祭のために表面を準備してくれる。私の頭に油膜を張り、私の杯は満たされる。
さっきも話した通り、精子は卵子に到達すると、先端からアクロソームという物質を出し、卵子の表面にある外壁を分解して卵子本体へと進んで行く。
そして精子がIZUMOで卵子と結合すると、卵子にスイッチが入り、卵子の表面は特殊な受精膜で覆われる。すると他の精子はもう、この受精膜から先へは進めなくなるんだ。
そして卵子の23本の染色体と精子から出された23本の染色体が合わさって、新しい命が誕生する。
凄い。何なのコレ……
そして最後のフレーズは妊娠期間のことに聞こえるよね。受精卵が胚になって、それが胎児となって子宮内で育まれる期間の歌。
英文だとこうなってる。
6 May only goodness and kindness pursue me all the days of my life, and I will dwell in the house of the Lord for length of days.
ホントだ……
どうして? 昔の人は受精の仕組みなんか知らなかったわけでしょ?
古事記の片歌といい二十三夜さまといい、どうしてこんな奇妙な一致が生まれるの?
そこは僕にもわからないな。
だけど、これだけ科学が進んでも人が神を信じることをやめないのは、こういうところからも来ているのかもしれない。
すべてを偶然とか深読みという言葉で片付けてしまうには、あまりにも不思議過ぎるんだ。
この作品における「かいじゅうのこども」という言葉みたいにね。
え?
かつて、大和の国の三輪山周辺の土地には戒重(かいじゅう)藩という藩があったんだ。
三輪山の麓にある戒重という場所に陣屋(小藩における城)があったから、そう名付けられた。
現在の奈良県桜井市を中心とした地域だね。
なにこれ!?
三輪山には大物主が祀られていたよね。「海獣の子供」では安海正明だ。
そして景行天皇もこの地で政治を行っていた。三輪山のすぐ近くにある渋谷向山古墳は景行天皇陵だとされている。
景行天皇はジムだったね。
つまり「かいじゅうのこども」とは「戒重の子供」、つまり「正明やジムの子供たち」という意味にもとれるんだ……
ちょっと待ってよ、また駄洒落?
さすがにこれは偶然でしょ?
そもそもなんで五十嵐大介が戒重藩なんてマイナーな藩のこと知ってたのよ?
その答えは埼玉県にある。
高校・予備校時代、五十嵐大介はさいたま市にある調神社周辺で時間を過ごしていた。
そして同じくさいたま市には遷喬館(せんきょうかん)という歴史的建造物がある。かつての岩槻藩の藩校だ。
若き日の五十嵐大介は、この遷喬館に親近感を抱いたはずだ。
なんで? 五十嵐大介は埼玉県北部の熊谷出身でしょ? 南部の岩槻とは何の関係もないじゃん。
遷喬館という名前に惹かれたんだよ。
「遷喬」というのは、中国最古のソング集『詩経』の中の一文「出自幽谷遷干喬木」からとられた言葉。
意味は「暗くて寂しい谷から飛び立ち、日の当たる高い木で華やかに歌う」というもの。つまり立身出世のソングだ。
きっと若き日の五十嵐大介は、この「谷」に故郷熊谷を重ねたに違いない。名門美大に入るため、熊谷を出たわけだからね。
それがどう「海獣の子供」と関係するの?
実は、遷喬館という名の藩校は、日本にもう一つあった。
作られたのはそっちが先だろうから元祖だといえる。
その元祖遷喬館があった場所が……
戒重藩……
ええ!?
僕にはこれがすべて偶然だとは思えない……
お誕生日おめでとうございます。
は? お誕生日?
何よこれ?
伊勢海老の葉包み蒸し焼きでございます。
じゃなくてさ、誕生日って誰の?
あなた様以外に誰が?
ちょっと意味わかんない!
あたしの誕生日は、まだまだ先よ!
なんでこの店は次から次へと頼んでないものが運ばれてくるわけ?
当店からのバースデーサプライズでございます。
こちらのライ麦パンもどうぞ。
ハァ? 伊勢海老の蒸し焼きには白い饅頭みたいなパンでしょ?
あんた「海獣の子供」観てないの?
ちょっと岡江クン、この変なスタッフに何か言ってやってよ!
う、うん……
あの、彼女は誕生日じゃないし、こんな高価な料理いただけませんよ……
それではバースデーソングを歌いましょう! 皆さんもぜひ御一緒に!
私のオルゴールにあわせてどうぞ!
なんで『誰かさんと誰かさんが麦畑』なのよ。ふざけてるの?
ふふふふふ。それではごゆっくり……
やっぱりこの店、わけわかんない。
……
ねえ、別の店に行いこうよ。何だかここ気味が悪い。
そうか……そうだったのか……
どうしたの?
『キャッチャー・イン・ザ・ライ』だよ。
は? 『ライ麦畑でつかまえて』のこと?
そう。J・D・サリンジャーの『THE CATCHER IN THE RYE』。
今、大変なことに気付いてしまった……
大変なこと? 何それ?
主人公のHolden Caulfield(ホールデン・コールフィールド)の名前は「睾丸・子宮」という意味になっていたんだ……
ハァ?
英語話者が「holden」を発音すると、ドイツ語話者には「hoden」と聴こえる……
ドイツ語で睾丸という意味なんだよね……
マジで!?
そして「caul-field」は羊膜のある広い場所という意味。つまり子宮だ……
どういうこと?
僕はまだ「海獣の子供」という作品の中で、大きなことを見落としているのかもしれない…
何なの? 教えてよ岡江クン!
僕が思うに……
こうして二人の深読みは
朝まで続きましたとさ
終
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[イラスト]ダニエル