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「サバハ」私は今からあなたを勧誘する。「すっげぇ面白いから観てよ」と

加藤広大 加藤広大


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韓国映画を観ない人に「すっげぇ面白いから観てよ」と言っても無駄なのだが何度でも言う。「すっげぇ面白いから観てよ」

「あなた、最近何か面白い映画を観ましたか?」と訊かれて「これこれこういう話の作品がありましてな」とあらすじを解説していると、多くの人は「ほうほうそれで」と興味をもってくれる。

だが、最終的に「っていう韓国映画なんですけどね」と結んだとき、高確率で先方の顔が曇る。言葉にしなくてもわかる。相手が言いたいことは「なんだ、韓国映画か」である。毎回思うのだが、いったい何なんだあの反応は。

このような人々は「映画は好きなのだけれども、韓国映画に興味をもたない」という不断の努力を続けている点で、むしろ私より韓国映画が好きなのではツンデレじゃんそれってと思ってしまうが、何はともあれ観ない人は観ない。

念のために書くが「韓国映画を観ないなんて、映画好きとしてどうなの」と言うつもりは一切ないし、興味がなければ観なくてもいい。しかし、私は韓国映画が好きだ。そして、以前は「なんだ、韓国映画か」の一派に属していた。だからこそ、観ないのはもったいないし「今からあの傑作が初体験できるなんて、羨ましすぎる」と思ってしまい、まるで信者を勧誘するように、ネット上で、飲み屋で、布教活動を続けている。「余計なお世話だ」との声が聞こえてきそうだが、布教活動なんてそんなもんだ。

ただ、どれだけ興味をもってもらったとしても、人に行動させるのは難しい。映画館であれば通常1,800円を払い、飲み物を買ったら軽く2,000円を超える出費だ。ポップコーンなんて買った日には飲み屋に一回行ける。この出銭を韓国映画未体験の人が使えるかといったら、正直キツいだろう。

そこで今回は、行動のハードルを下げるべく、現在劇場で公開されている作品ではなく、Netflixで鑑賞できる作品を取り上げる。もう入会している人であれば数クリックで視聴を開始できるし、未入会の人は無料期間を利用して観れる。実質無料だ。そして何より、すっげぇ面白い。

すべてが怪しすぎるサスペンス・ホラー映画「サバハ」


サバハ1
出典:IMDb

「サバハ」は2019年の韓国映画で、監督・脚本はチャン・ジェヒョン。本作が2本目の監督作品であり(脚本のみを含めると3作)、今作も前作「プリースト 悪魔を葬る者」も、ホラー・オカルト・宗教要素の強い作品である。

韓国映画に加え、ホラー・オカルト・宗教と更に興味がない人が増えるような気がしないでもないが、ちょっと待って欲しい。といっても待ってくれる人はいないのでさらっと書くが、本作は、ホラー・オカルト・宗教に詳しくなくても楽しめるし、今あなたが想像している作品像とは大きく異なる。つまり「裏切られる」面白さがある。

物語は、どこからどう見ても不吉な黒山羊のアップからはじまり、続けてどこからどう見ても生気のない少女が映し出される。彼女は回想する。

「私が生まれた日も、山羊がしきりに鳴いていた。メーメー、メーメーと。その日、私と共に悪鬼が生まれた。母の胎内で私の脚を食べて生きてきた”それ”は、私より10分早く生まれた」

カメラは室内に切り替わり、出産する女を親族たちが見守っている。医者は脚に傷を負った赤子を取り上げるが、その傍らには血まみれになり、ぞんざいに新聞紙をかけられた“それ”が蠢く。医者は「”それ”はすぐに死ぬだろう」と断言するが、産み落とされた異形は出生届も出されず、言葉も教えられずに生き続けていた。


サバハ2
出典:IMDb

黒い山羊も生気のない少女も、台詞の内容も、舞台となる韓国北東部にある江原道の風景も、スクリーン全体を満たす不穏なカラーグレーディングも、当然ながら”それ”も、開始3分にも満たないというのに、すべてが怪しすぎる。というか本作には

  • 怪しい人
  • 怪しいが実は怪しくない人
  • 怪しいと思ったら本当に怪しい人
  • 怪しいと思ったら怪しくなかったのだがやっぱり怪しい人

しか登場しない。この怪しい/怪しくないはジェットコースターのように上下し、善悪は反転し、観客の予想は次々と裏切られ、鉄壁のサスペンスを駆動させていく。

で、冒頭では「ああ、なるほど。“それ”が呪いをかけたりなんかして、ヤバいことになる映画なのね」と誘導されるのだが、まったく違う。

本作の主人公は、冒頭に登場した少女ではない。牧師でありながらも韓国仏教会と癒着し、他宗教の問題点やスキャンダルを指摘して金を儲けるビジネスモデルを採用した「極東宗教問題研究所」を営む、パク・ウンジェである。主人公ですら怪しい、というか胡散臭い。

彼は現在、江原道の「鹿野苑」なる新興宗教団体を調査している。時を同じくして、近所では女子中学生の遺体がコンクリートの中から発見される。遺体の喉には小豆と御札がねじ込まれており、同じ手口の死体があったことから警察は連続殺人事件と断定。

さらに「広目様」と呼ばれる怪しい金髪が「持国様」と呼ばれるこれまた怪しい男と「増長様も多聞様に続き入滅されました」との会話を交わす。

このように、足に傷を負った少女グムファ、“それ”、「極東宗教問題研究所」のパク、「鹿野苑」の面々、喉に小豆と御札をねじ込まれた死体の皆様、広目様と持国様など、さまざまな人間や死体、モノが入り乱れ、目まぐるしく展開していく。

本作はホラー・オカルト・宗教だけでなく、社会派ドラマや殺人事件の謎を追うサスペンスものとしての属性も追加される。「割と似たもの」がいくつものレイヤーとなり、重なっていく。

本作の凄みは怖さではない。「わかりやすさ」である

レイヤーは更に重なる。本作は、巷間言われているように「ヘロデ王の大虐殺」をベースにしている。説明するとビックリするくらいのネタバレになるので詳細は省くが、下地に加えて仏教・キリスト教・イスラム教・密教・土着信仰に「ハン」の文化が絡み合い、韓国特有の雰囲気、というよりは監督が手持ちのカードからオリジナルデッキを構築したような世界感が作られている。

このような重層的な映画は、得てして風呂敷を広げすぎてしまい、結果として伏線が回収できない場合が多い。また「結局何がいいたかったのかわからない」となってしまう作品も少なくない。しかし、本作は見事に完結する。そして、上述した宗教などの要素に詳しくなくとも「わかりやすく」作られている。


サバハ3
出典:IMDb

まるで韓国料理店のオモニがいきなり出してくる大量の小鉢のごとく、宗教や怪しい人物が次々と供され混乱してしまいそうになるが、テーブルの中心には白米という名の脚本が鎮座し、全体を強烈に律する。

白菜キムチを食い、カクテキを食い、オイキムチを食って「よく考えたらキムチばっかり食ってるけどそもそもキムチとは」と混乱しても、白米を挟むことで落ち着きを取り戻すことができる。しかも、小鉢に盛られたおかずは、すべてが白米に合う。

つまり「おかずがいっぱい出てきて何を食ったらいいかわからない」「何を食っても同じ味がするような気がする」といった「わからなさ」を逆手にとり「でも、白飯には合うな」と意識を物語に引き戻すことで「わかりやすく」している。それほど本作の脚本は巧みで、演出をはじめとした総合的な画作りも「良く出来ている」としか言いようがない。

もちろん、各小鉢に盛られたおかずのことをよく知っていて、味の違いを感じられる人も楽しめる。ひとつひとつを味わい「やっぱり白飯に合うわな」と納得できるからだ。このバランス感覚の凄まじさ。監督は未だ38歳らしいが怪しい。実は600歳くらいなんじゃないのか。

「地味」と言えるほどに効いている抑制は、幼稚さを払拭する

本作の強みは脚本の凄まじさだけではない。演出には徹底して抑制が効いている。要は大袈裟にならず、何ならホラー表現すらも最小限に抑えられている。一瞬クリティカルなネタバレになるので避けたい人は3行くらい飛ばして欲しいのだが、「人知を超えた力」をもつ人物は出てくるも、その能力により殺傷される人間はいない(蛇に噛まれた祈祷師の件もあるが、思い込みでも人は死ぬ)。いったい、誰が本作の設定や冒頭部を観て、この結果を予想できるであろうか。

そういった点では、韓国映画だと「殺人の追憶」に似ているともいえるし、よく言及されているが「哭声/コクソン」っぽいともいえる。ただ、両作品は最後まで解決されることはない。

抑制の話に戻るが、本作は「地味」と言えるほどに派手さはない。狂ったように演説をする新興宗教教祖も、妙なヘッドギアを装着した狂信者も、韓国お得意のカーチェイスも、擬闘も、爆破もない。「爆破はないでしょさすがに」と言われそうだが、この手の映画は気を抜くとすぐに目からビームを出して超能力対決がはじまったり、追い詰められた教祖が巨大化するも最後は派手に爆散したりするものなのである。それはそれで面白いのだが。


サバハ4
出典:IMDb

だが「地味」とは、つまらないという意味ではない。目からビームを出さなくとも、少しでも大袈裟にしてしまえば、この手のジャンルは安っぽくなりがちだし、幼稚さすら出てしまう危険性を孕む。この幼稚さ/学芸会感こそ「つまらなさ」の元凶である。なかでも、既存宗教と作者が創作した宗教を入れ込んだ本作のような作品は、幼稚さが出やすい。

しかし、「サバハ」は上辺だけの宗教観を掬い取ってわざとらしく加工することを排除し(各宗教をうっすらと引用し、薄い膜を何層にも重ねることで厚みのある世界観を作っている、とも言えるが、同じことである)「(自分の受けている圧迫や苦しみが不当なものであるので)強い力に頼りたい」という幼児的で原初的な願望というカードを切り、最終的にはそれらの幻想は乗り越えなければいけないものとして提示してみせる。「信仰すること」に内包されている、ある意味での幼稚さを敢えて提示することで、幼稚さを払拭する。ここが凄い。

「これでいいのか、これは正しいのか」「この行動は善なのか、悪なのか」「そもそも、私の信仰は正しいのか」といった、ともすれば「抱いてはいけないが、抱かずにはいられない。それによって、自らを罰したくもなる」心情は、国民の50%以上が何らかの宗教を信仰している韓国が構造的に抱え続けている問題でもある。

この問題は韓国映画で繰り返されているテーマなのだが、アンビバレンツな感情が巧みなストーリーテリングを生み出す原動力でもあるし、重厚で、骨太な作品が生まれる理由のひとつである。要は「明るくない」のだ。明るい作品はもちろんあるが、明るさの裏には”それ”のような暗さが蠢いている。だからこそ、幸か不幸かはさておき、韓国映画(の傑作)は骨太で、実質的な重みすらある。

大昔から抱え続けている問題は、いつかは解決されるだろう。問題の先に到達もするだろう。ラインを越えた後には、まったく新しい作品が産み落とされる。韓国映画ファンとしては、それを楽しみにしつつも、ある意味での幼稚さが消え骨太さが失われてしまうことが不安だが、杞憂に終わるはずだ。映画だけに限定するならば、脚本も役者も監督も、現時点で準備運動はすでに終わっている。

「サバハ」は「娑婆訶」と書く。真言や陀羅尼の最後に添えられる言葉だが、良い供物の意味でもある。韓国映画は本作を供物として、次のディケイドに向けて助走をはじめている。


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[イラスト]ダニエル

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