都内某所 映画館ロビーにて
お待たせ。ごめんね。女子トイレすっごく混んでてさ……
……
岡江クン、どうしたの? さっきからずっと面白くなさそうな顔して。
もしかして映画が予想と違ってたとか?
いや……そういうわけじゃないけど……
わかった。米津玄師の歌が最後のオマケみたいでショックだったんでしょ?
予告編みたいに、デカい魚がグワーッと来たとこで米津がババーンって流れるのを期待してたのね(笑)
まあそれは、ちょっと期待してたけど……
「君の名は。」の RADWIMPS みたいに米津祭りになるのかなって……
でも劇中で歌が流れなくて正解だった。久石譲のミニマムで幻想的なBGMが素晴らしかったから。
じゃあ何でつまんなそうにしてるの?
深代ママはどうだった?「海獣の子供」を観て、どう思った?
え? あたし?
まあ、映像きれいだったし、いろいろ面白かったけど……
ちょっと……モヤモヤしたな……
よくわかんなかったかも。
どこが?
生命の起源とか宇宙とか不思議な能力をもった子供たちのこととか……
よくわからない人たちがいきなり説明セリフ始めて「えっ?」って思ってるうちに話がどんどん進んじゃうのよね……
原作を読んでから観ればよかったのかな……
その必要はない。説明セリフはわからなくて当然なんだ。大切じゃないから。
え?
「大切なことは言葉にならない」。それがこの映画のルール。
ルール? どういうこと?
この映画は「大切なことは言葉にならない」という大原則に則って作られている。
つまり、言葉にされているものは、そこまで大切なことではないんだ。
だから米津玄師もそう歌ったんだよね。
じゃあ……
本当に大切なことは……
いっさい言葉になっていないってこと?
そう。本当に大切なことは徹底的に隠され、そうでないものは言葉にされている。
だから琉花と海クン以外の登場人物は、セリフが棒読みで何だか浮世離れした感じなんだよね。
この映画にとって重要なのは、主人公の琉花と、琉花の理想の存在である海クンだけ。
え!? じゃあ空クンは? 空クンは海クンとセットでしょ?
しかも登場人物のセリフ棒読みは意図的だったの?
映画全体に漂うあの違和感、あたしの気のせいじゃなかったってこと?
あえて違和感を演出しているんだよ。
みんなプロの役者さんなんだから、普通あんなふうになるわけないでしょ?
言われてみれば確かにそうだけど……
ちょっと岡江クン、詳しく教えてよ。
いったいどういうことなの?
じゃあ、カフェにでも入ってゆっくり話そうか。
このビルを出てすぐの街角に、いい店があるから……
あたしピスタチオシェイクにしよっと。お腹も空いたから何か食べよっかな……
ん?見てよ岡江クン! あの黒板のお薦めメニュー!
「ハミチツたっぷりパンケーキ」だって!
「ハチミツ」を「ハミチツ」って書き間違えてる! ちょーヤバい(笑)
声が大きいよ、深代ママ。
あ、ごめん。
ここで仕事してるノマドのクリエーターたちの迷惑になっちゃうから、あまり騒がないようにね。
うん、わかった。
じゃあ始めようか。映画「海獣の子供」で、言葉にされなかった「大切なこと」の話を。
と、その前に……
まず五十嵐大介による原作マンガを見てもらおうかな。
Amazonで第1巻だけ無料キャンペーンやってたから、昨日スマホにダウンロードしておいたんだ。
流し読みでいいから目を通してもらえる?
なんで原作漫画もってるなら映画を観る前に言ってくれなかったのよ。
まったく人が悪いんだから……
~ 15分後 ~
どうだった?
なんか全然違う……別物ね……
映画のほうは、琉花ちゃんの物語になってる……
そう。映画「海獣の子供」は、琉花という14歳の少女の主観目線による物語なんだ。
他の登場人物や風景も、彼女の脳内補正が施された姿で描かれている。
だから観る人は、それが現実の描写なのか、琉花の心象風景や妄想なのか区別がつかない。
これが深代ママの感じたモヤモヤの正体だね。
心象風景? 妄想?
それがセリフ棒読みの理由なの?
彼女にとって「理解できないこと・理解したくないこと」は、観客にもそういうふうに聞こえるようになっているんだよ。観客が琉花の気分で映画を観れるようにね。
それがよくわかるのは映画冒頭、琉花の14歳の夏休み初日シーン。
渡辺歩監督をはじめ制作チームは、原作にはない描写を数多く加え、琉花が迎えた「初めての日」の心理状態を見事に描いて見せた……
お待たせしました。
こちら「本日のランチお赤飯プレート」になります。
え? 頼んでないですよ。
でも伝票には確かに……
じゃあ、あたしがいただくわ。せっかく作ってくれて悪いから。
それにあたし、何だか今日は無性にお腹がすくの……
どうもありがとうございます。それではごゆっくりと……
お赤飯か……
奇遇だな……
(モグモグ)ほえ?
この映画はね……
琉花の初めての月経……
つまり初潮を迎えた14歳の夏の物語なんだ。
(ブブッ)ふぁっ!?
ご飯粒を飛ばさないでよ。汚いなあ。
だって、岡江クンが急に変なこと言うから……
この映画は、それまで月経を穢れたものとして考え、オトナの体になること、つまり「自分が新たな生命を宿す準備が出来たこと」に恐怖を感じていた琉花が、ついに14歳の夏休みの初日に初潮を迎えてしまい、不安や葛藤と闘いながら何とか向き合い、最後は受け入れるという作品になっているんだ。
だからそれに合わせてストーリーも大胆に書き換えられたんだよ。出だしの15分で「琉花の不安・葛藤」が完璧に表現されている。
映画やお芝居の導入部分って、その作品のテーマが「別の形」で描かれたり、物語全体のダイジェストになってることが多いんだけど、この映画はそのお手本みたいなものだね。
確か最初のシーンは……
幼い頃の琉花が見た「水族館の幽霊」だったわよね……
さっき見た原作では「エイ」だったのに、映画では「ジンベエザメ」に変わってた……
エイは英語で「RAY」だからね。「RAY」は「放射された光線」という意味でもある。
だから空クンは「ガンダム」のセリフを引用するんだ。人型を動かす「アムロ・レイ」だから。
空クンが動かすのは船でしょ。いきなり「これ、動くぞ」って変だと思ったのよね。
空クンが動かすのは、船であり人型なんだけどな。
は?
まあとにかく、映画版の「海の幽霊」は「琉花の主観」で描かれるから「ジンベエザメ」になったわけだ。
どうして琉花の主観だと「ジンベエザメ」なの?
あの光景は、14歳の琉花が夢の中で見ているものだ。
彼女が幼い頃、大好きだった父は突如、自分と母を捨てて家を出て行った。もちろんその頃の琉花は、何が何だか全くわからなかっただろう。まだ世界のことを何も知らなかったから。
でも14歳の今は違う。父が自分を捨てた理由はまだよくわからなくても、少なくとも自分がどうやって生まれてきたかは知っている。
なぜ父は「やることだけ」やっといて、最後まで自分と母に対して責任を持たなかったのかと「不信感」や「嫌悪感」を抱いているんだね。
それが「水槽の中のジンベエザメ」というイメージになって夢に出て来るんだよ。
先端が丸みを帯びた不気味な影がヌボーっと下から現れ……
琉花の目の前を棒状の巨大な影となって立ち上っていく……
そして、無数の小さくて白い光の粒が放射されるんだ……
まさか、それって……
そう。そそり立つ男性器と射精のイメージだね。
14歳の琉花は「自分の半分」がそこから来ているという事実を、どう受け止めていいのかわからないんだ。
まるで自分を捨てた父のように、後先のことを考えず無責任に放出されるだけの存在「精子」が理解できないんだよ。
だから次の夢想では「ソング」に憑りつかれたオトナたちが登場する。
海洋学者のジム、その助手アングラード、そして謎の女デデだ。
あの3人も琉花の妄想の産物なの?
完全に架空の人物とはいえないだろう。琉花が知っていた誰かに、別のイメージが重なり合ってるんだと思う。
別のイメージって?
たぶん、琉花が読んだ『古事記』の登場人物のイメージが……
古事記?なんで?
あの3人には『古事記』に出て来る有名な人物が投影されているんだよね。
いや、あの3人だけじゃない。海クンと空クンもそうだ。
モデルになった『古事記』の登場人物たちの物語に沿って、この映画のストーリーは構成されている。
きっと琉花は一学期に『古事記』を読んで、いろいろモヤモヤしていたんだと思う。
なんで『古事記』でモヤモヤするの? 全然意味わかんない。
まあそのへんは後でゆっくり話す。まずは「ソング」について。
この映画における「ソング」とは、遺伝子である染色体を構成するDNA、つまり「ゲノム」のことなんだ。
ねじれた螺旋状のゲノムには、生物を形作るすべての情報が塩基配列によって書き込まれている。
だから米津玄師も主題歌『海の幽霊』でこう歌ったんだね。
「いくつかの歌をつぶやく 花を散らして」
「ねじれた道を進んだら その瞼がひらく」
「大切なことは言葉にならない」
大切なことは言葉じゃなくて、塩基配列で……
そして、この広い世界で出会うはずのない男女が出会い、完全な他者である相手を受け入れて愛し合うということも、言葉にならない大切なことだよね。
うん……
じゃあ夢の最後に出て来る「ニューヨークのクジラ」は?
あのザトウクジラの腹部には、豊満な女性の裸身が描かれていた。
つまりあれは、命を作る「ソング」のもう片方のほう……
「成熟した女性」の象徴であり、女性の卵細胞の中に入っている生命の歌「ゲノム」だ。
だから「ニューヨーク」だったんだね。
は?「だから」って、どういう意味?
琉花の夢の中の「ニューヨーク」とは「入浴」のことなんだよ。
あとで琉花の入浴シーンがあったでしょ?
あれが「NYのザトウクジラ」の元々の姿なんだ。
ええ!?
あれは渡辺歩監督が自身の出世作「ドラえもん」をオマージュしたものじゃなかったの?
そんな私物化をするわけないでしょ。
しかも原作の入浴シーンと違い、アングルを真後ろからに変え、琉花が自身のデリケートゾーンを覗き込んで気にしてるように見せたんだ。
僕はあそこで思わず「うまい!」って声を上げてしまいそうだったね。
上げてたらあたし、絶対にドン引きしてた。
琉花はね、最近「自分の体の変化」に悩んでいたんだ。
お風呂に入った時、自分の体に「オトナの女」への兆候が出始めていて、動揺していたんだね。
琉花は家を出た父同様に、同居する母へも複雑な想いがあった。いつも家で不機嫌そうにしてる母に近付いていく自分の体が怖かったんだよ。
つまり単刀直入に言うと「入浴中に見える、生えそろってきた陰毛」が夢の中で「NYのザトウクジラ」というイメージになったわけだ。
なんで陰毛がザトウクジラなのよ?
ザトウクジラは「ヒゲクジラ亜目」だから。
まっ!
思い出してほしい。この映画の一番最初の画を……
琉花が瞼を開けるこんな画だったよね?
ああ……
あの時、やけに睫毛がゴワゴワしてるなって思ったのは、気のせいじゃなかったんだ……
そして「星と海と生命」のことが字幕で言葉にされ、映画のタイトルが映し出される。
そこから始まるのは、琉花の「夏休み初日」のシーン。つまり「初潮」を迎える重要なシーンだね。
ここでも映画版ならではの描写がある。まずは家の玄関に山積みされた「大量のビールの空き缶」だ。
あれに何か感じなかった?
何か? そうね……
あんなところにビールの空き缶を放置してると大変なことになるわ。
ゴキブリの集合住宅になっちゃう。袋を持ち上げたらゴキブリが一斉に缶から出て来てホラー映画状態よ。
琉花の家って緑に囲まれてるし、間違いなくゴキブリいっぱい出るわよね。しかもおっきいヤツ。
そうじゃなくて「ビールの空き缶」の描き方で何か感じなかった?
描き方?
そういえば、あの空き缶……やたらと丁寧に描き込まれていたような……
光の当たる角度でキラッて光ったり……
あれって意味ある?アニメーターの自己満じゃない?
明らかに周りの画から浮いていたわ。力の入れ所、間違ってない?
さらに、あの空き缶は全部「350ml」のものだった。それも変じゃない?
確かに。琉花のママ加奈子はアルコール依存症で、真昼間から缶ビールを飲んでいた……
それなら普通500ml缶よね。そっちのほうが量も多くて経済的だし。
その通り。あれも琉花の心象風景なんだ。
実際には、加奈子は「缶ビール」なんて飲んでいなかった。
「別のもの」を飲んでいたんだよ。
ええっ?別のもの?
琉花の母・加奈子が飲んでいたのは「低用量ピル」だ。
それが琉花の頭の中で「低容量ビール」に置き換わっていたんだよ。響きが似てるから。
低用量ピル!?
つまり加奈子は生理が不安定で生理痛も酷かったってこと?
だからいつも、けだるそうで不機嫌だったの?
さすがよく知ってるね。その通りだ。
だから琉花は母親のことを「めんどくさい人」と言っていたんだよ。
自分も同じ血を引いてるから「生理が始まったら、こうなるんじゃないか」と不安に思っていたんだ。
ちなみに日本では残念なことに、まだピルに「遊び好きの女性が飲むもの」というイメージが根強くある。
日本で低用量ピルが認可されたのは1999年のこと。この映画の時代設定は00年代前半ってとこだろうから、ピルへの偏見が今よりも強かった時代だ。
そういう時代背景もあったから、琉花の中での母・加奈子は、あんな自堕落女風のイメージになっていたんだろう。
やだ、あたし……
なんで気付いてあげられなかったんだろ……
加奈子のあの憂鬱そうな感じはアルコールのせいじゃなかったんだ……
あんなにお酒に依存してたのに、突然ピタッとやめれたのも、いま思えば不自然だった……
飲んでいたのはビールじゃなくてピルだったのね……
そういうこと。すべてが琉花の妄想が入り混じった光景だとわかれば、この映画はスッと入って来る。
つづく琉花の登校風景でも、興味深い描写があったよね。
まず最初に、琉花は防波堤の壁の上を走っていた。すると壁が途切れて、琉花は地面に降りて歩き始める。
そりゃ港なんだから壁が無い部分だってあるでしょ。ずっと高い壁だったら逆に不都合よ。どこが興味深いの?
琉花が走っていた防波堤をひとまとめに描くと、こんなふうになる。
この描写で琉花の何を表現しようとしていたのか、わかるかな?
なんだか見覚えのある形だわ……
あ!わかった!
これ基礎体温表ね!
次に壁が現れる場所は「排卵日」よ!
その通り。
防波堤を走るシーンは、このあと琉花に「初潮」が起こることの予兆になっていたんだ。
じゃあ、もしかして部活の練習シーンが……
あの「足の出血」が、まさか……
他にどう考えられる?
だから「ハンドボール部」だったんだよ。
女性の生理を描くためには、バスケットボール部でもなくソフトボール部でもなく、「ハンドボール部」でなくちゃいけない。
え?どうして?別に何部でもよくない?
ハンドボール部じゃなきゃいけない理由なんて無いでしょ。
ボールを掴んだ琉花がジャンプしてシュートするシーンがあるよね?
予告編でも使われた印象的なシーンだ。あれが全てを物語っているんだよ。
ほら、見てごらん…
ああっ!
卵巣内で一定の大きさまで育った卵胞は、破裂して卵子を飛び出させ、それをまるで手のひらのような形をした卵管采がキャッチする。
それから卵管の中をグルっと回って子宮に入り、子宮内膜に付着するんだよね。
この一連の流れが「ハンドボールのシュート」に喩えられていたんだ。
なにこれ……信じられない……
しかも中学女子のハンドボールの直径は「18cm」で、女性の排卵時の卵胞の大きさは「18~20mm」なんだよ。
原作者の五十嵐大介の着眼点には驚かされるばかりだ。
そしてそれを原作以上に物語の中で活かしきった渡辺歩監督にも……
それに気付くあなたも十分すごい。
ところでハンドボール部には「13番」のビブスをつけたチームメイトがいたよね?
彼女は背が高くて、小さな琉花のことを馬鹿にしてた。そして足をかけて琉花に怪我をさせる。
怒った琉花は、仕返しに彼女の鼻へ肘打ちを食らわし、ノックアウトしてしまう。
彼女も琉花の夢想の産物なんだけど、いったい何者かわかる?
え? 「13」だから不吉ってことよね……
あの時は「目の前から消えて欲しい」とまで嫌っていた「13」を、琉花は最後に笑顔で受け入れるんだ。
いろんなことがあった「夏休み」を経て、ね。
あ、わかった!
彼女は「排卵日」よ!排卵が始まるのは、だいたい月経の13日目!
その通り。だから最後に彼女とハンドボールの受け渡しをしたんだね。あれは卵子の投影だから。
すごい……よく出来てる……
さて、部活シーンの続きに戻ろう。
琉花は職員室に呼び出され、先生とのやりとりが描かれる。
先生は一方的に琉花をトラブルメーカーだと決めつけ、琉花は「自分は悪くない」と反論しようとする。
だけど先生は琉花の言い分を認めず、まるで琉花を「汚れた人間」のように言い、もう来なくていいと告げた。
琉花、可哀想……
でもあれも半分は琉花の妄想ね。「自宅謹慎処分」とは「生理休暇」のこと。
琉花には両親のトラウマがあったから、生殖の準備段階である「生理」を汚いものだと思っていた。だから、あんなふうに非難される重苦しい雰囲気になったんだわ。
「自分は悪くない」って気持ち、よくわかる。生理って自分ではコントロールできないことだもん。
その点、男の方は牧歌的だよね。
そういうドラスティックな変化というか、背負うものが全くないから、深刻さがない……
ところで、あのシーンで気付いたことは他にもなかった?
あのシーンで?
そういえば「扇風機」が気になったな。
なんだか気持ち悪いくらいの存在感だったかも。琉花の家の「ビールの空き缶」みたいに。
さっき見た原作では、職員室に扇風機なんて無かったのに……
そう。あの説教シーンでは「扇風機」が異常なまでに描き込まれていた。
明らかに周りの画から浮いていたよね。
つまりあれも琉花が抱いている「負のイメージ」が増幅したものってわけね。
この部活シーンは「排卵」を描いているから、それに関係したもの……
あれは、そのものズバリ「卵細胞」だ。
排卵されたヒトの卵子には、周囲に放射状のコロナラジアタというものがある。子宮内膜に付着するためについている無数のギザギザで、まるで太陽の周りから放射してる光みたいに見える。きっとそれが「扇風機」のイメージと重なったんだろう。
海の中で琉花が髪の毛をキレイに放射状にさせるのも、コロナラジアタを表現したものだね。
なるほどね。そういえば琉花だけやけに鼻や頬が紅潮してたのも、いま思えば、なんかそれっぽいわ。
生理が不安定な時って、鼻が充血したりすることがあるのよね。
そして部活からの帰り道で「坂道疾走シーン」が描かれる。
あのシーン、どう思った? かなり違和感あったでしょ?
うん。確かに違和感あった。
なんで渡辺歩監督は、琉花にあそこまで長い距離を走らせたんだろ?
途中で琉花の周りの空気が粘性を帯びるのも、ちょっと気持ち悪かった。まるでドロッとした液体の中を走ってるみたいで。
しかも最後は琉花に豪快にコケさせて……
意味不明すぎる。何がしたかったわけ?
お待たせしました。 「ハチミツたっぷりパンケーキ」でございます。
え? また?
頼んでないわよ。
しかし伝票には……
だから頼んでないってば、あたしたち。
そうですか……
そういえば、あの黒板のメニュー。書き間違えてるから直した方がいいと思う。
ハ、チ、ミ、ツにね(笑)
は?
ほら、あそこの黒板……
あれ? おかしいな。
確かにさっきは「ハミチツたっぷり」だったはずなのに……
岡江クンも見たよね?
う、うん……
ほら。あたしたち同じものを見たんです。
はっはっは。まさかそのような。お客様の見間違いか何かでしょう。
人は己が見たいものを見てしまうと言いますから。
は?
せっかくだから僕がいただきます、そのパンケーキ。すごく美味しそうだから。
美味しいどころの騒ぎじゃありませんよ。ひとくち食べれば、とろ~り、そこはもう極楽の入口……
では、ごゆっくりと……
おかしいなあ。絶対「ハミチツたっぷり」って書いてあったはずなのに。
あたしたちの声を聞いて、スタッフが慌てて書き直したのかしら?
なんだろう、これ……
は?
ただの偶然とは思えない……
最初に赤飯……今度はハチミツたっぷりパンケーキ……
まるで何か不思議な力に導かれているようだ……
なに言ってるの?
あの坂道疾走シーンのことだよ。
まず琉花は、脇道から飛び出して、細い坂道にある「この先 車両の通りぬけできません」という看板の横を通った。
そこからどんどん加速していき、大きくカーブして大きめの道に入る。そのあたりで周囲の空気がドロッとしたゼリー状になるんだね。
琉花はそのまま坂道を下りきり、最後は開けた場所に出て、両サイドが赤く塗られた橋の真ん中で転ぶ。
そして標識には「極楽町一丁目」の文字が……
ちょっと待って、やだ、なんかヤバい感じがする……
これってまさか女性の……
そう。坂道疾走シーンの舞台「極楽町」は「女体地図」になっているんだよ。
琉花の通う中学は、小高い丘の頂上にある。ハンドボール部が練習をしてたグラウンドは「卵巣と卵管采」だ。
「この先 車両の通り抜けできません」の場所は「卵管」の一番奥だね。「車両」というのは卵巣から出た「卵子」のこと。一度卵巣から出た卵子はもう戻れない。
そして琉花が大きくカーブしたところは、卵管から子宮に出るところ。ここから周囲の空気が粘性を帯びる。あれは子宮内部で分泌される「おりもの」のイメージだ。
おりものは排卵後に粘性を増しゼリー状になる。膣から上って来る精子が泳ぎやすくなるようにね。
その後、琉花は一直線に坂道を下る。あそこは「膣」。
そして「両端が赤く塗られた橋」の真ん中で転ぶ。そこには「極楽町一丁目」の文字。つまり女性器の入口部分のことだ。
女性器は古来から「極楽浄土」や「観音様」に喩えられる。つまり琉花は、卵巣から外性器まで、走り抜けたというわけだ。
なんてこと……
原作漫画には「人体を世界に見立てた地図」が登場するんだけど、映画版には出て来ない。
だからその代わりに、琉花の学校周辺の世界を「人体」にしたんだね。
この映画すごい、すごすぎる……
もう学校の保健体育の時間に見せなきゃいけないレベル……
副音声に岡江クンの解説をつけて……
さすがにそれは産婦人科の偉い先生がやった方がいいと思うな。
「深読み名探偵」なんて肩書の僕が能書き垂れても説得力がない。
まあ確かにそうね。
ところでさ、なんで琉花の頭の中では「生理の出血」が「足の出血」に置き換えられたの?
『古事記』のせいだよ。
ヤマトタケルは死んで白い鳥になり空へ飛んで行った。タケルの妻は夫の死を受け入れることが出来ず、白い鳥を追いかけて、低い灌木が生い茂る藪の中を走り抜け、足に擦り傷を負って血を流したんだ。
なんでいきなりヤマトタケル? 意味わかんない。
ねえ、深代ママ……
なに?
肩にカミキリムシがとまってる……
え? キャ———!
岡江クン、取って!取って!
うん、ジッとしてて……
よし、いい子だ。
もう! なんでこんなところにカミキリムシがいるのよ?
まるであたし琉花みたいじゃん!
このへんは意外と緑が多いからね。
ところで深代ママ、なぜ琉花の肩にカミキリムシがとまったのかわかる?
え? 理由なんてあるの?
ほら、カミキリムシの形をよく見てごらん。
頭から左右に大きなカーブを描いて伸びる触覚が何かに似てない?
左右にカーブしてる触角が?
あ! 卵管みたいじゃん!
そしてカミキリムシは「髪切虫」とも呼ばれる。髪の毛を切るほどの強い顎を持っているから名付けられたと言われてるんだ。
そして昔は、生理中に髪を切ってはいけないとされていた……
あ、それ、おばあちゃんから聞いたことある。
だから琉花は肩にとまったカミキリムシに威嚇したのね。髪を切ってはいけない期間に入ったから……
そういうこと。
じゃあそろそろ海クンと空クンのことについて話そうか。
あの二人の正体についてを……
うん……ゴクリ……
後篇につづく
—
このコラムについてみんなで語り合えるオンラインコミュニティ「街クリ映画部」会員募集中です。また、コラムの新着情報をオリジナルの編集後記とともにLINE@で無料配信中です。こちらから「友だち追加」をお願い致します。
[イラスト]ダニエル(メインビジュアル)/おかえもん(本文中)