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「アナと世界の終わり」微妙なものを手軽に食える幸福

加藤広大 加藤広大


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茹で上げたササミに叩いた梅を乗せると美味いように、フリーズドライの卵スープにラー油を2滴垂らすと美味いように、「A×B」はプラスにせよマイナスにせよ、何らかの効果を生み出すことがある。

この「A×B(あるいは×C×Dと続く)」は、ゾンビ映画にも代入できる。2010年代だけでも、「ゴール・オブ・ザ・デッド(2014)」「インド・オブ・ザ・デッド(2013)」「フリークス・シティ(2015)」「バーニング・デッド(2015)」ちょっと変化球だが「高慢と偏見とゾンビ(2016)」「ウォーキング・ゾンビランド(2015)」など、ゾンビ映画というジャンルに「別の何か」をプラスした作品がある。

ちなみに「ゴール・オブ・ザ・デッド」はサッカー×ゾンビとして大爆死した。私は2回観たのに記憶がない。

「インド・オブ・ザ・デッド」はインド×ゾンビで、踊りこそしないがインド謹製の強烈な楽曲群と、ゾンビ映画なのに青い海、白い砂浜、抜けの良すぎる空といった健康的な景観がジャンルムービーとして斬新だった。

「フリークス・シティ」は、人間とゾンビとヴァンパイアが同じ街で過ごしている設定のもと、ゾンビ×ヴァンパイア×エイリアンと、さらにSF要素をぶち込んでいる。傑作とは言わずともダラダラと観れるポップコーンムービーとして、比較的成功した部類だろう。

そして、挙げた作品のなかで最も駄作で、最も観ていただきたいのが「バーニング・デッド」である。火山×ゾンビのディザスターゾンビ映画であり、脚本がクソ、プリセットのようなCGもクソ、演技もクソ、何もかもがクソというクソっぷりでとにかく凄い。知らない街でいい雰囲気の蕎麦屋に入店し山菜そばを頼んだら、サービスエリアで出てくる立って食うより不味い山菜そばの1億倍不味い品が提供されたときを想像して欲しい。あんな感じだ。

「高慢と偏見とゾンビ」は、ジェーン・オースティンの『高慢と偏見(1813)』を下敷きにして、セス・グレアム=スミスの『高慢と偏見とゾンビ(2009)』を原作として制作された。タイトルどおり高慢と偏見×ゾンビで、リリー・ジェームズ演じるエリザベス・ベネットを筆頭とした美しい5人姉妹がゾンビを殺戮する甘美なシーンは必見。リリー・ジェームズが「ベイビー・ドライバー(2017)」で見せた「バールのようなものを手にとったときの、妙に手慣れた感」は、確実に本作のアクションによって培われたものであると見積もる。

「ウォーキング・ゾンビランド」は「ウォーキング・デッド」をメインに、数々のゾンビ映画をパロディし、マッシュアップして、なんならパクった挙げ句、笑えるには笑えるんだがとにかく「雑」な凄まじきB級映画だった。

と、良作・佳作・駄作とさまざまであるが「A×B(あるいは×C×Dと続く)」の組み合わせは、ゾンビ映画というジャンルムービーにはとても使いやすい。恋愛×ゾンビなら「ウォーム・ボディーズ(2013)」ができるし、ボーイスカウト×ゾンビなら「ゾンビーワールドへようこそ(2015)」ができる。

本作は「ゾンビ×ハイスクール×ミュージカル」の組み合わせである


アナと世界の終わり
出典:IMDb

今回取り上げる作品「アナと世界の終わり」にもまた「A×B」があてはまる。本作の組み合わせは「ゾンビ×ハイスクール×ミュージカル」であり、そこにクリスマス直前というスパイスが振りかけられる。

物語は車内のシーンからはじまる。フィル・スペクタークローンな「Christmas Means Nothing Without You」がラジオで流れるなか、チャンネルを変えると「全世界で感染が拡大……」と不穏なニュースをキャスターが伝えている。しかし、イギリスの田舎町であるリトル・ヘブンはまだ平和そのもの。車中の主人公、アナ(エラ・ハント)は、父親であるトニー(マーク・ベントン)と卒業後の進路について揉めている。ハイスクールもののはじまりとしてベタで、これからゾンビとミュージカルが加わったなら、どう展開していくのだろうと期待をさせてくれる幕開けだ。

最初の1日は、完全なるハイスクールものとして進んでいく。幼馴染のジョン(マルコム・カミング)やアナの友人でエロネタばかり話すリサ(マルリ・シウ)、アナの元彼であるニック(ベン・ウィギンズ)などなど、学内の面々が次々と登場し、関係性が明かされていく。

そして、突如(というかミュージカルなので突然歌い出すのは当たり前なのだが)、登場人物たちの心象を表した歌とダンスが開始される。これがなかなか良い動きで、ぎこちない点もあるのだが、学生が精一杯歌い踊っていると思うと悪くない。楽曲は「ゴジラ対メカゴジラ(1974)」の名曲「ミヤラビの祈り」のようにフルコーラスで歌われる。

で、アナとご学友の関係性が明らかになり、一発ミュージカル要素をカマして、土台を固めたところでシーンは翌日へと移り変わり、ついにゾンビたちが登場する。

アナはジョンと合流するために、イヤホンをつけてお気に入りの曲を流して家を出る。彼女は音に夢中で自分の世界に入ってしまっているため、視界外の異変に気づかない。周囲にはゾンビが溢れ、逃げ惑う人々を襲い、パニックになった車も暴走している。その只中で彼女は陽気に歌い、軽やかな足取りで進んでいく。このシークエンスは素晴らしく「ショーン・オブ・ザ・デッド(2004)」の冒頭部よろしくな立ち上がりだし、何なら「エラ・ハントの可愛さと動きだけで2時間もつなこの映画」と思わせるくらいにはよくできている。そして実際、本作はエラ・ハントの美貌と体幹だけで最後までもたせてみせる。

だが本作は、三題噺のテーマがそれぞれ不全を引き起こしている

本作は、巷間「ショーン・オブ・ザ・デッド」×「ラ・ラ・ランド」と言われているが「アナと世界の終わり」のクオリティは、残念ながら両作のそれに届いていない。確かに前述したシーンや物語の語り口などは「ショーン・オブ・ザ・デッド」の出来に迫っているとも言えなくはないが、最も高いレベルで表現できているのは空の色だというのは英国流の皮肉だろうか。

また「ラ・ラ・ランド」と比較した場合、ミュージカルパートのレベルは遠く及ばない。私はデミアン・チャゼルは割と「お悪いですなぁ」と考えている側の人間だが、「ラ・ラ・ランド」のミュージカルパート、とくに「Another day of sun」ではなく、「Someone In The Crowd」なんて何度も観てしまうほど好きだし、楽曲のレベルは本当に高いと感じる。だがこれは、正直比べるほうが悪い。というか、両作と比べるには筋が悪すぎるとしか言えない。とくに最近は、歌うだけで「○○版ラ・ラ・ランド」と言われてしまうご時世でもあり、作品に罪はない。

だが、比べるまでもなく本作の「ゾンビ×ハイスクール×ミュージカル」という三題噺にはいたるところで不全が引き起こされている。「ゾンビ映画なんだからそんな細かいこと気にするこたぁないでしょ」と言われればそれまでだし、正直、私もそれでいいと思う。が、看過できないとするよりはソフトな感じで「でも、でもぉ、もうちょっと、なんとかならなかったのかな♡」といった部分が多々あるのも事実である。


アナと世界の終わり2
出典:IMDb

個人的に気になってしまったポイントとして、もっともクリティカルなのが「ゾンビ×ハイスクール×ミュージカル」の各要素が独立してしまっており、三題噺としての体を成していないことで、組み合わせの妙が感じられない。

要は「ゾンビ+ハイスクール+ミュージカル」となってしまっているので、掛け算したときのような大きな効果がない。なんなら「ゾンビ・ハイスクール・ミュージカル」と並列に並べてもいいくらいだ。

たとえば、ミュージカルパートにおいて、人間は踊るがゾンビは踊らず、背景か大道具程度の扱いである。いや、別にゾンビが踊らなくても何ら問題はないのだが、歌曲への絡みもそこまでなく「歌って踊っている人達の周りにゾンビが立っていて、たまによくわからないタイミングでぶっ倒される」感じなので、掛け算として成立しない。「ショーン・オブ・ザ・デッド」ではゾンビが「Don’t Stop Me Now」にあわせて楽器として鳴らされた。これが掛け算であるが、本作は「茹で上げたササミに乗せる梅」というよりも「茹で上げたササミとハイボール」のごとく、並列して置かれてしまっている。

また、ゾンビ×ミュージカルがさして驚きの組み合わせでもないことも「こんなもんですか」度を加速させる。本作のコレオグラファーはステフ役であるサラ・スワイヤーが兼任しているが、おそらく彼女はゾンビの振り付けは行っていないはずだ。やっていたとしても、簡単な動きの指導くらいであると思われる。それほどまでに、ゾンビは楽曲にタッチしない。

ちなみに、ゾンビのコレオグラフにおいて近年でもっとも素晴らしい仕事は「新感染 ファイナル・エクスプレス(2017)」のパク・ジェインである。パクは作中に登場する重要なゾンビを年齢・性別・動きの速さで分け、さらに列車の外なのか中なのか、はたまた線路の上なのかなど、演じる場所ごとにも分類するなどして、詳細に振り付けをしている。「パク・ジェインくらいきっちりやるべき」とは言わないが、神は細部に宿るなんてクリシェを使わなくとも、細かい仕事は画面に滲み出るものだし、手を抜いてしまえば違和感としてスクリーンに表出する。

が、別に「アナと世界の終わり」が手を抜いているといっているわけではない。パク・ジェインはあのハードコアな現場で知られるナ・ホンジンの「哭声/コクソン」でもコレオグラフを担当している。なので、おそらくパクがやりすぎなだけである。ただ、「でも、もうちょっと、ゾンビの動き、なんとかならなかったのかな♡」とは感じる。


アナと世界の終わり3
出典:IMDb

次にミュージカルパートであるが、演技と歌・ダンスが連動しきれていない。比べるのは野暮と言いつつ比べるが、「ラ・ラ・ランド」のミュージカルパートは、演技と歌・ダンスが連動し、ひとつの運動になっている。これは楽曲が歌曲というよりは劇伴に寄せられていることも大いに影響しているが、本作はバックトゥー・シンディ・ローパー的な楽曲や、00年代直球の、ある世代にしか直撃しない可能性のあるポップスを使用してしまったことで、突如として知らないアーティストのPVがはじまったような印象を受けてしまい、話が分断されてしまう。

また整音も楽曲の音量が大きく、ボリュームも上下しないことがより「PV感」を加速させる。さらに、好みの問題にはなるだろうが「弱い」楽曲が多すぎる。今、好みの問題と書いたが1行で撤回する。本作の劇中曲は12曲あるが、だいたいの曲がフルコーラスで歌われる。だいたい外タレアーティストの1ステージ分あるわけなので、トータルすると結構長い。観る側は歌にハマれないとかなりキツいだろう。

もちろん、楽曲がよければ何を差し引いても100点満点である。音楽の力はそれほど強い。だからこそ、楽曲が弱いこと、そして演技と歌・ダンスが連動しきれていないことによる不全が生じ「歌は別にいいけど、セリフ入れるとか、ショートバージョンにはできなかったのかな♡」と感じてしまう。

そして、ハイスクールものとしての不全であるが、登場人物は主人公含め、ほぼ全員リア充である。多少のイジメや差別みたいなモンはあれども、カリカチュアライズされすぎた教師含め「夢のなかのような、大人が過去を思い出して作り上げたような学校」である。ただ、これはゾンビ・ミュージカルと融合することで、素晴らしい結果になった可能性がある。それだけに惜しい。また、ハイスクール×ゾンビも前例があり、良作も多いので比較対象にされやすい弱点もある。この点に関しては、何がというよりも単純に「もうちょっと、何とかならなかったのかな♡」と三度感じる。

でもぉ、いいところもあるんですよ

なんだか散々ディスってきた感じになってしまったが、あくまで「映画」としてであり、別にゾンビ映画として考えれば悪くないし、中の上くらいの出来だと思う。なによりエラ・ハントが可愛い一点だけでも本作は鑑賞するに値する。その点では「カジノ・ゾンビ(2011)」のトーリー(エヴァレナ・マリー)に通ずるものがある。

ほかにも「コイツは死ぬと思った奴が死なない」「絶対生き残ると思った奴が死ぬ」ことで、生き死にの予想を覆してくるフレッシュさは正直に驚いた。驚いたのだが「べつに、そんな変化球投げなくてもよかったんじゃないかな♡」と感じる自分もいる。

また、意識的にか無意識的にかはわからないが「ゾンビ映画なら絶対ここ入れるでしょ」的なお約束が排除されていたり、逆に「そこは入れるんですね」といった好事家にしかわからないであろうお約束・オマージュが取り入れられたりするので意外と気が抜けない。

なので、三題噺は不全を起こしながらも、ある意味でフレッシュな点では「意欲的な失敗作」とも言えるし、そもそも親和性の高いテーマを三題噺にしているため、ゾンビ映画としては意外とストレートで、ポップコーン片手にツッコミを入れながら楽しめる作品であるとも言える。あと、誰かと一緒に観たら感想戦も面白いだろう。

ゾンビ映画はレベルの高い作品も面白いが、本作のように「うーん、でも、まぁいいんじゃないの!」と思える作品もまた味わい深い。人間美味いものばっかり食ってるとバカになるので、たまには微妙なものを食うべきだ。とくに日本では、今やどこへ行っても美味いものしか食えない苦悩があるが、映画は未だ不味いもの、微妙なものを手軽に食える幸福がある。


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[イラスト]ダニエル

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