すべてのジャンルはマニアが潰す。
という言葉があります。
あらゆるジャンル・コンテンツでマニアックなファンと新しいファンには差がうまれます。
マニアは「○○も知らないの? これだから…」と、なりがちです。
新しいファンは萎縮、はなれて増えなくなる。
そして、ジャンルそのものが縮小してしまう。
怪獣・特撮はその傾向がつよいジャンルだと思います。
知らない人にはハードルが高い。
先に言いますとゴジラについて、僕はニワカです。
ゴジラとは? 怪獣とは? 考えたこともありませんでした。
だから調べました。勉強しました。
過去作を見て、田中泰延さん、町山智浩さん、宇多丸さんのゴジラ評をくりかえし読み・聞きました。
結論です。
「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(以下、ゴジラKOM)」は
ニワカが心から楽しめるゴジラ映画です!
マイケル・ドハティ監督は超絶ゴジラオタクです。
「分かってねぇな~」と飲み屋で絡んでくるオタクではありません。
「ゴジラを愛さないなんて、ナンセンスだよ! ゴジラがいればきみもハッピーさ!」
くらいまで突き抜けています。
インタビューで
何にだって、どんな映画にだって、ゴジラを加えればより良くなると僕は思っている。想像してごらんよ、「スター・ウォーズ」にゴジラを足したら、やばいだろ? 「七人の侍」だってさらに良くなる。54年版の「ゴジラ」にゴジラを足したら、ゴジラがダブルで登場してさらにやばい。
映画.com
と、かたる人です。
怪獣同士の超絶バトルを心の底から楽しめます。最高の興奮が得られます。なるべく大きなスクリーンをおススメします。
ドハティ監督のゴジラ愛が映画にあたえた影響、過去作との関連。
ネタバレ爆発でいきます。過去作、特に1954年・初代「ゴジラ」は結末に触れるので気になる方は鑑賞後に読んでください。
それでは、どうぞ。
オタクがつくったレジェンダリー・ピクチャーズ
本編の前に制作会社「レジェンダリー・ピクチャーズ」について。
2005年に誕生しました。創設者はトーマス・タル。アメフトの奨学生として大学に進学したのち、コイン・ランドリーのチェーン展開で大成功。会計事務所を買収し投資会社をつくりこれも成功。事業で稼いだお金をつぎこんでレジェンダリーを設立しました。
出典:IMDb 左の男性がトーマス・タル
彼はスピルバーグの映画やアメコミ、日本の特撮を愛してきた「オタク」です。インタビューで「子どものころからずっと好きだったものの映画をつくっている。バットマン、スーパーマン、ウォッチメン、ゴジラ。見たいものをつくるんだ」という趣旨をかたっています。
東宝と提携して「ゴジラ」「キングコング」が登場する作品シリーズ「モンスター・ユニバース」を立ちあげ。2014年「GODZILLA ゴジラ」、2017年「キングコング:髑髏島の巨神」につづいて「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」が3作目。2020年には4作目「Godzilla vs. Kong」がひかえています。
2016年、中国の企業に買収されたあと、2017年にトーマス・タルはCEOを辞職していますが設立からの精神は根づいています。
オタクのための制作会社がオタクな監督にゴジラを託しのが「ゴジラKOM」です。
マイケル・ドハティ監督は、おしおきしたい人
出典:IMDb ミリー・ボビー・ブラウンに演技指導をするドハティ監督
マイケル・ドハティ監督は、レジェンダリー制作の「ブライアン・シンガーのトリック・オア・トリート」「Krampus」を手がけました。
出典:IMDb ブライアン・シンガーはプロデューサーなのに…
出典:IMDb このビジュアルがラストにつながるしかけもおもしろい
ドハティ監督は怪物・クリーチャーが大好きで、「おしおき」したい人です。
「ブライアン・シンガーのトリック・オア・トリート」はオムニバス形式で、ハロウィン本来の風習や気持ちをわすれた人に悲劇が…、という内容。
「Krampus」はそのクリスマスバージョンのような映画で、サンタクロースを信じなくなった子どもの家にクランプスという怪物が…というホラーコメディ。クランプスは「ROMA/ローマ」評でもふれましたがヨーロッパに古くから伝わる風習。なまはげのヨーロッパ版といったかんじです。
昔からの慣習に対するきもちや敬意をなくした人に悲劇がおとずれるのが共通点。
「ゴジラKOM」では神をも抹殺できるとおもいこむ傲慢な人間に怪獣が破壊をもたらします。
監督にとっては「怪獣>人間」なんですね。
人間の居場所なんてない神の戦い
ゴジラをどんな存在にするか。シリーズ共通のテーマであるわけです。1954年「ゴジラ」では原水爆・太平洋戦争の恐怖・記憶として。「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃」では太平洋戦争の怨念の集合体として。「シン・ゴジラ」では東日本大震災・原発事故のメタとして描かれました。
出典:IMDb 「大怪獣総攻撃」ではキングギドラが人間を守る存在
「ゴジラKOM」では「タイタン(巨神)」という呼称からもわかるように「神」です。はるか昔から地球に君臨し、バランスを保っていた存在。世界各地の神話に登場しています。モナークの司令船「アルゴ」はギリシャ神話で英雄たちが乗船したとされる「アルゴー船」からとられています。神話世界とのつながりを意識させる設定。
出典:Wikipedia ポーランドの天文学者ヨハネス・ヘヴェリウスの星図に描かれたアルゴー船
巨神たちの覇権をかけた戦いに手に汗握りまくり。ギドラの首を熱線で焼き尽くすクライマックスには思わずうおーーーー!!! すんげーーーーー!!!
出典:IMDb 画像・コンセプトアートが抜群にカッコイイ! 宗教画のようです。
ギドラの羽から電撃がほとばしる、ラドンが回転しながら戦闘機を撃墜するシーンなどなど、興奮しっぱなし。地味に好きなのはギドラがビルを背にしたところで、窓にうつるゴジラの姿で突っこんできているのがわかるんです。これはCGだからこそできるなあと感心しました。ビルごとぶっ倒れてまたすぐに興奮するんですが。
出典:IMDb 世界の終わりを感じる絶望感なのにうつくしい
この感覚、漫画「BASTARD!! -暗黒の破壊神-」の「背徳の掟編」以降に描かれる天使と悪魔の戦い、「ベルセルク」の新生鷹の団と使徒との闘いに近いなあとかんじましたね。スケールがちがいすぎて人間は震えるのみ。圧倒的な絶望感と神々しさ。
怪獣の戦闘シーンが暗く、ロケーションがわかりづらいという批評があり、それもよくわかります。しかし監督にとって神の闘いのまえで人間の日常など…という感覚なんでしょうね。
神を称える奏楽
- ゴジラの足音、咆哮でスタートする
- ギドラが氷漬けになっている
- ギドラのモナークの呼称が「モンスター(怪物)・ゼロ」
などなど。
シリーズ過去作へのオマージュがつまった「ゴジラKOM」ですが、分かりやすいのはベアー・マクレアリーが手がけた劇伴でしょう。
「ドシラ、ドシラ、ドシラソラシドシ」文字だけでメロディがうかぶ伊福部昭作曲「ゴジラのテーマ」、「モスラ~や モスラ~」の歌詞が印象的な古関裕而作曲「モスラの歌」がアレンジされて随所にくみこまれました。
モスラついでにいうとチャン・ツィイー演じたチェン博士が双子なのはインファント島の小美人を意識した設定ですね。怪獣のことばを人間に翻訳できて、初代はザ・ピーナッツが演じました。
出典:IMDb 「三大怪獣 地球最大の決戦」での小美人
ゴジラのテーマは「ソイヤ! ソイヤ! ソレソレソレ!」とお祭り感満載。サブちゃんの「まつり」状態。大晦日のみこしに乗るのはサブちゃんですが、スクリーンではゴジラです。
個人的に「おお!」なのがエンドロールで流れる主題歌「Godzilla feat. Serj Tankian」。1970年代ハードロック好きにはたまらない選曲。もとは「ブルー・オイスター・カルト」というアメリカのロックバンドが1977年に発表した「Godzilla」。
ゴジラの足音を思わせるバスドラ、鳴きごえのようにつんざくリードギターをバックに「Go Go Godzilla!!」と歌いあげる一風変わっていながらブルージーでハードな70年代らしい名曲です。松井秀喜のヤンキースでの登場曲としても有名です。松井は愛称が「ゴジラ」でしたからね。
間奏で「リンジニュースヲモウシアゲマス リンジニュースヲモウシアゲマス」とセリフが入るのもおもしろいので動画をご覧ください。
出典:YouTube
1998年のローランド・エメリッヒ版「GODZILLA」でこの曲がつかわれなかったことに怒ったメンバーが「Nozilla」というパロディ・ソングを作ったなんてエピソードも。
使われなくてよかったで、ホンマしかし。
ゴジラ信仰が支配するいびつな人間ドラマ
音楽も相まって怪獣アクションはやりすぎにやりすぎで最高なんですが、人間ドラマは気になるところだらけ。
メインはカイル・チャンドラー演じるマーク博士と、その家族の再生におかれました。
出典:IMDb
ヴェラ・ファーミガ演じる「サノスおばさん」ことエマ博士。地球に有害な人類を怪獣をつかって大幅にへらそうとオルカを使います。増えすぎた人口により資源が枯渇し世界は破滅にむかっている。だから調和を。アベンジャーズシリーズにおけるサノスを彷彿とさせます。
出典:IMDb 語るサノスおばさん
そこに至ったのはゴジラによる息子の死がきっかけですが、つながらないんじゃないかと…。
最大の悪役ともいえる彼女の動機がいまひとつはっきりしないのはどうなのかと。
元軍人の環境テロリストたちも確固たる意志があって人類をへらしたいのかどうか…。オルカを放置して部屋をあける間抜けっぷりもちょっと…。
出典:IMDb 次作ではきっちり悪役してくるのか…?
エマ博士をヴィランに、マーク博士をヒーローに描きたいという意図はわかります。南極のギドラを中央において対峙したあと、エマとマディソンはエレベーターで地上へ。マーク博士も後を追ってのぼりますが、引きかえします。戦闘部隊員をたすけるために。
ヴィランは大いなる目的のために犠牲は必要だときりすてますが、ヒーローはそうではない。目のまえの人間の命を決してみすてないのです。
ギドラを中央にという構造はラストのボストンでもつかわれて、夫と娘をたすけるため自らを犠牲に。という選択につながります。
それでもエマ博士のせいで出た犠牲の大きさ(具体的にしめされないですが相当数の死者がでてますよね、かくじつに…)をかんがえると、葛藤から心がわりの納得性がよわいので、どうにも感情移入できない。
マーク博士も「怪獣は抹殺!」と息巻いていたのに、いつのまにか「ゴジラさん、さすがっす!」になっちゃいまして…。
主要キャラクターに監督の「ゴジラを愛さないなんて、ナンセンスだよ! ゴジラがいれば君もハッピーさ!」という「ゴジラ信仰」が反映されているかのようです。
オキシジェン・デストロイヤーをつかうウィリアム大将にしても「芹沢博士の友人」ですからどうかんがえても怪獣側です。彼がでた瞬間「ああ、この作戦は失敗だ…」とおもいましたし、実際そうなりました。
出典:IMDb この人が指揮をとると失敗します!
そしてオキシジェン・デストロイヤーのあつかい!! ニワカにも分かる軽さ…。3km圏内の生物が死滅する理由が説明されないし、3km以内って都合よすぎる…。名前をつかえばオマージュなのか…。
オキシジェン・デストロイヤーがでたところで「ゴジラKOM」最大の懸案事項、芹沢猪四郎問題になだれこみます。
芹沢猪四郎と芹沢大助
渡辺謙が演じた芹沢猪四郎博士。前作では日本語で「ゴジラ」と言ったきり何をやっているのかわかりませんでした。今作では最大のキーパーソンです。広島の原爆の影響で父親を亡くし、原爆投下時刻8時15分でとまった形見の時計をもちつづけています。
出典:映画.com サリー・ホーキンス演じるグラハム博士があっさり死んでしまうのも解せないぞ!
「芹沢猪四郎」という名前は1954年「ゴジラ」の重要人物から。
芹沢は「オキシジェン・デストロイヤー」を作った芹沢大助博士。
出典:IMDb
1954年版の「オキシジェン・デストロイヤー」は水中の酸素を破壊し、生物を死滅。さいごは溶かしてしまうというもの。太平洋戦争後、酸素の研究をしていた芹沢博士が偶然うみだしたものです。
口外しないと心にきめて研究をつづけていました。しかし、かつての婚約者・恵美子に秘密をあかしてしまう。ゴジラによる東京破壊に心をいためた恵美子が、あらたな恋人・尾形とオキシジェン・デストロイヤーの使用を進言。ギリギリまで拒んだものの、決断します。海中でゴジラに使用したあと、引きあげ用ロープを切断しゴジラと共に芹沢博士自身も太平洋に溶けていきました。
出典:IMDb
猪四郎は1954年「ゴジラ」の監督「本多猪四郎」から。
つまり「芹沢猪四郎」は1954年「ゴジラ」とつよく結びついたキャラクターといえます。
そのうえで、芹沢猪四郎博士の行動をかんがえます。
出典:IMDb 防護服、「2001年宇宙の旅」っぽいですね
傷ついたゴジラを核爆弾で復活させる。恍惚の表情でゴジラにふれ「さらば 友よ」とつぶやき、爆発。
核爆弾を手に海底遺跡をのぼるシーン。十字架を手にゴルゴダの丘をのぼるキリストになぞらえたと捉えられます。人類がうんだ罪、父をくるしめた核兵器で自らの命をたって神であるゴジラに贖罪をもとめるかのように。
しかし、僕には王様に貢物を献上しているようにみえました。「ソイヤ!ソイヤ!」と盛りあげていたお祭りムード。
「祭り」は、「祀り」「奉り」なのです。
【祭る・祀る】
①供物・奏楽などをして神霊を慰め、祈願する。
②神としてあがめ、一定の場所に鎮め奉る。【奉る】
①さしあげる、たてまつる。
神であるゴジラに人間がひれふす儀式。
それを望んだのは、ドハティ監督自身でしょう。
だからといって芹沢博士に核をつかわせるのは…。と思いましたけど日米の価値感のちがいでしょう。とくにドハティ監督にとってはゴジラのためなら正当化できてしまうのかもしれません。
ゴジラにふれたい、ひとつになりたい。
その願いをかなえることができたのです。良かったね、マイケル・ドハティ。
と は い え で す ! ! !
「芹沢猪四郎」の描きかたには「否」といいたい!
- 芹沢大助
- 芹沢猪四郎
オキシジェン・デストロイヤーをつかい核兵器の象徴であるゴジラと共に、破壊兵器の秘密をかかえて消滅。
オキシジェン・デストロイヤーで傷ついたゴジラに核兵器を献上して、ゴジラにふれながら消滅。
裏返しにしながらのオマージュといえばオマージュです。でも芹沢大助の「想い」をかんがえると納得できない。
ゴジラの描きかたは時代によって変化しますが、芹沢大助はそうじゃない。
1954年「ゴジラ」のあの世界だけの存在なんです。戦争で心に傷をかかえ、おそらくそれが原因で婚約者と離れてしまった。研究に没頭し恐ろしい兵器をうみだしてしまう。人類を滅ぼしかねない。しかし、研究をやめることはできない。
それだけが彼の支えだから。
復興にむかう東京と、前にすすめない自分に鬱々としていた。その想いがゴジラとなって東京を破壊している。芹沢大助はゴジラにじぶんを投影していたのです。だから、ゴジラとともに海に溶けた。恐ろしい想いにとりつかれた自分を消しさりたかった。
だからこそ、芹沢博士は太平洋に眠らせておいてあげたかった。人間の代表としてゴジラを奉る。ゴジラを復活させてギドラから人間をすくうというヒロイックな描きかたをしてほしくなかった。せめて「芹沢」という名前じゃないキャラクターにしてほしかった。
そう思います。
僕の芹沢大助像は、町山智浩さんと切通理作さんが「ゴジラ」について解説するYoutubeの動画からおおきく影響をうけています。2度・3度と1954年「ゴジラ」を見るとやはりそうだと思えてくるんです。
芹沢大助には「自分大好き」と「自分大嫌い」が共存していたんだと思います。恵美子にオキシジェン・デストロイヤーをあかしたのも「俺はすごいんだ!」という自尊心からではないでしょうか。
そして、僕のなかにも芹沢大助がいるからここまで共感してしまうんです。
「サブカル」「こじらせ」呼びかたはいろいろありますが、鬱々とした感情をうまく処理できずまわりに迷惑をかけたことなんて一度や二度じゃありません。
そんな人間に芹沢猪四郎はまぶしすぎます。そうできたらいいと分かっていながらそれでもできないんです。
好きなもの、憧れているものをまっすぐ信じて迷いもなく命まで捧げる。その感覚は「ゴジラKOM」全体を覆っています。芹沢猪四郎はドハティ監督そのものなんですから。
好きで好きで好きで。その感情を一切曲げることなくまっすぐに詰めこんだ。
「ぼくのかんがえるさいきょうのゴジラえいが」を具現化したんです。
すごくて、うらやましくて、まぶしいんです。
「ゴジラ対ヘドラ」に怪獣大好き少年がでてきます。ソフビ人形のゴジラと怪獣を戦わせる。「ゴジラは好きかい?」ときかれて「うん!」とこたえる。ドハティ監督はあの少年です。
出典:IMDb ドハティ監督は「ゴジラ対ヘドラ」の研少年だ
「ゴジラKOM」にはいびつなところは多々あります。それ以上に「ゴジラが好きだ!!!」というパワーが爆裂しています。ニワカでも心からたのしめる、手に汗にぎる戦いを見せてくれます。付け焼刃で知った気になった頭でっかちな自分をなぎ倒し、純粋に怪獣をたのしむ子どもにかえしてくれます。
よくできた映画ではないですが、とてつもなく魅力的な映画です。
冒頭の言葉にもどるならば、
ジャンルを潰すようなマニアはゴジラが潰す。
です。
アメリカではいまひとつなようですが、日本では大ヒット。
怪獣映画もまだまだ新しいファンがふえるはずです。
ふんだんにちりばめられたオマージュを確認しながら過去作を見ていってもおもしろい。ゴジラ入門にもピッタリです。
エンドロールの最後、2人の日本人がクレジットされます。
ひとりは、坂野義光。「ゴジラ対ヘドラ」の監督でモンスターユニバースではエグゼクティブ・プロデューサーをつとめましたが2017年に亡くなりました。
もうひとりは、中島春雄。1954年「ゴジラ」から長くゴジラのスーツアクターをつとめました。彼も2017年に亡くなっています。
出典:Wikipedia 1955年の中島春雄
先人たちへの敬意です。そのきもちも日本人として純粋にうれしいじゃないですか。
日本でうまれたゴジラを、怪獣をとことん愛した人がつくった映画なんです。
そして、この世界にはつづきがあります。2020年公開予定の「Godzilla vs. Kong」。王座についたゴジラにキングコングはどのように挑むのか。ドハティ監督は脚本として参加します。
新たな監督のもと、ゴジラ愛はどんな着地をみせてくれるのか。
未見の過去作を見ながらたのしみに待つことにします。
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[イラスト]ダニエル