「あのシーンって必要だった?」というあなたのために。
「空母いぶき」鑑賞後、あなたは誰かに話したくなるだろう。「空母いぶき」はテーマ、現代日本を投影した物語の設定、映像作品と問題作であろう。
ぜひ観終えたあとに、このコラムを読んでいただきたい。今回はネタバレはないので見ていなくても大丈夫である。
問題作であるを「空母いぶき」見るかどうかを決める判断材料にもしなったら光栄だ。
気になるところだけでもピックアップして読んでいただければ。
・・目次・・
1.映画版あらすじ
2.原作あらすじ
3.「空母いぶき」の見どころ
4.本田翼は必要だったのか問題
5.中国を敵国にしなかった問題
6.捕虜のシーンは必要だったのか問題
7.斉藤由貴とかは必要だったのか問題
8.中井貴一は必要だったのか問題
9.感想まとめ
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1.日本の運命を決める24時間│映画あらすじ
航空機搭載型護衛艦《いぶき》といぶきの護衛にあたる4隻の護衛艦。堂々たる姿で太平洋をゆく姿が鳥瞰で映し出され、テロップで紹介される艦と船員たち。
そして、突如現れるミサイル。
状況の説明はない。「戦争が始まった……」と観客達は息を呑む。
戦争をしない日本。他国から先制攻撃を受けたときどうするか
出典:YouTube
そう遠くない未来。20XX年12月23日未明。
沖ノ鳥島の西方450キロ、波留間群島初島に国籍不明の武装集団が上陸、日本の領土が占領されてしまう。
この一報で、首相官邸に慌ただしく集合する内閣総理大臣 垂水慶一郎(佐藤浩市)ら、主要閣僚。
海上自衛隊は直ちに第5護衛隊群、航空機搭載型護衛艦《いぶき》であった。
艦長は、航空自衛隊出身の秋津竜太一佐(西島秀俊)。それを補佐する副長は、海上自衛隊生え抜きの新波歳也二佐(佐々木蔵之介)
敵潜水艦からのミサイル攻撃。さらに針路上には敵の空母艦隊が出現。想定を越えた戦闘状態に突入する。
そして戦後初めての「防衛出動」が発令される。迫り来る敵戦闘機に向け、迎撃ミサイルが放たれる……。
・
監督は若松節朗。脚本は長谷川康夫。
若松はテレビドラマを中心に活動しており、映画製作にも精力的だ。
「ホワイトアウト(2000)」
「沈まぬ太陽(2009)」
「夜明けの街で(2011)」
「柘榴坂の仇討(2014)」
脚本長谷川とは「ホワイトアウト」で共作している。社会問題を投影した設定、重厚な人間ドラマといった骨太な作品を輩出している。
2.原作は中国と尖閣諸島をめぐる領有権問題│原作あらすじ
原作は『沈黙の艦隊』『太陽の黙示録』で知られるかわぐちかいじ原作のベストセラーコミック。
2014年12月にブックコミックにて連載を開始。2015年秋に単行本1巻・2巻が同時発売。
発売当日に重版がかかるという異例作品で、現在は500万部を突破している。2019年4月26日に最新刊12巻が発売され、次巻で完結する予定である。
中国による領土侵犯が発生!
出典:YouTube
2010年。尖閣諸島付近で日本の巡視船と中国漁船が衝突する事件があったことをあなたは覚えているだろうか。
「空母いぶき」は、この事件を元に描かれたと言っても過言ではない。
原作が人気の理由は〈現日本の政治性・軍事・外交関係を投影したリアルな設定〉である。
原作では、中国が尖閣諸島に上陸し「我が国の領土である」と主張する〈尖閣諸島 中国人上陸事件〉から物語が始まる。
中国との戦争に一触即発の状況で最適な判断を求められる自衛隊、日本で戦争を起こさない選択をするために交渉する政府、政府の国民への説明義務。
登場する人物全員が「日本が戦争を絶対に起こさぬよう」すべてをかけて未来を守る様子が描かれている。
この物語は決してファンタジーではなく、日本が今後迎えうる可能性のある未来なのだ。
原作と映画版の2つの設定変更
全13巻から成る大作、しかも社会情勢や自衛隊に関する知識を要する物語を2時間に納めるため、映画版では大きな設定変更があった。
・占拠から24時間(⇔原作は数日間)
・攻撃国は「東亜連邦」という架空(⇔原作は中国)
「東亜連邦」とは国家民族主義により誕生した過激な思想国家である。さすがに中国を名指しのまま映像化することはできなかったようだ。
しかし映画版の設定も「日本が今後迎える可能性のある未来の話」であることは原作も映画も変わらない。
3.平和と戦う男達の横顔は美しい│「空母いぶき」の見どころ①
西島秀俊、佐々木蔵之介、藤竜也、本田翼、小倉久寛、高嶋政宏、玉木宏、戸次重幸、市原隼人……。見どころの1つは、実力派俳優陣だ。
近未来設定の艦のCIC室で、青白い光に映し出される平和のための戦闘を覚悟する男たちの横顔は美しい。
やらなければ、やられる
何を考えているかわからない上司役を演じさせたら、西島秀俊に右に出る者がいないんじゃないかと思う。秋津竜太は、はまり役だと思う。
いぶき艦長に抜擢された秋津竜太は、航空自衛隊のパイロットとしての実績を買われた。
パイロットは闘うときも死ぬときも一人。
好戦的に見られるが、それは彼の思念が「やらなければやられる」からだ。その感覚はパイロットにしかわからないものだ、と秋津は言う。
艦に乗ることはお互いの命を預けているということだ
佐々木蔵之介は、海上自衛隊の生え抜きながら、秋津が艦長のために副長に甘んじる新波歳也を演じる。
海上自衛隊では、常に艦の仲間たちと生死をともにし、飯をともにくらう。船を降りるとき彼らは「でかける」と言うそうだ。
艦が彼らの帰る家なのだ。
だから物語中盤で、護衛艦はつゆきで戦死者が出たとき、新波は「ええっ!!!」と威厳などどこにもない、すっとんきょんな素の声を上げる。
彼にとって船乗りはすべて家族だ。家族をもつ新波は一人も死なせたくない。当たり前の感情である。
しかし彼ら自衛隊の責務は国民を守ることであり、そのためには戦闘することもある。
そんな葛藤と戦う姿が丁寧に映し出されている。
実は、この二人、防衛大学時代の同期である。
空と海、一匹狼と仲間想い、好戦派と守防衛遵守、冷静なる男と情熱なる男、と対峙した関係を見せながらも、日本を戦争から守るという目的のために運命を共にしながら、任務を遂行していく。
ぃてまえーーーっ!!!!
出典:YouTube
第5護衛郡は、航空機搭載型護衛艦いぶきと4つの護衛艦で成る。護衛艦の艦長たちは、まるでそと艦の機能と特性を表しているようだ。
護衛艦はつゆき:艦長瀬戸(玉木宏)
CMでお馴染みの「護衛艦、はつゆきが、燃えています……」のはつゆき艦長。ええ、イケメンっす。
声が良すぎる。実は「空母いぶき」には歌手ユニットCHEMISTRYの堂珍嘉邦が出演しているので、ぜひ二人で歌っていただきたい。
護衛艦いそかぜ:浮船艦長(山内和哉)
普段は標準語を話しているが、本気を出すと素の関西弁が出る愛されキャラ役。
でも船員もそれを理解しており、艦長と多くの時間を共有していたであろう、ことが緊迫した戦闘シーンからも伝わってくる。
潜水艦はやしお:滝艦長(髙嶋政宏)
潜水艦、登場シーン多め。潜水艦は1発でもまともに魚雷をくらうと、乗組員全員が海に沈むことになり助かる見込みはない。
そのため攻撃してしまえば戦争が起きかねない。その駆け引きを表す潜水艦は非常にわかりすいアイテムだったと思う。
あと滝艦長の眼力、やばいっす。なにはともあれあの眼力はやばい。
護衛艦あしたか:浦田艦長(工藤俊作)
護衛艦しらゆき:清家艦長(横田栄司)
あしたかとしらゆきの艦長の個の宣材写真は見つけられず……。すみません……。
3.フルCGによる航空戦│空母いぶきの見どころ②
出典:YouTube
2つ目の見どころは、フルCGで描かれる航空機同士の戦闘シーン。
紙媒体では決して表現出来ない航空自衛隊パイロットが海の上を舞うフルCGの映像は、ぜひ映画館の大画面で見てほしい。
余談だが、YouTubeにある予告映像はほぼ序盤に出てくる。「え、もう?」「あ、これももう?」となるが、
2時間を通して迫力のあるシーンが多かったとも言えるだろう。
映画化するからには、漫画では得られない体験が必要だが、その点、「空母いぶき」は最大に活かせていたのではないだろうか。
3.戦後初の「緊急出動」を発令した想定の物語│「空母いぶき」の見どころ③
公開前から、とあるメディアに掲載されていた一部だけを取り上げて「揶揄だ」と言われていた垂水総理大臣役の佐藤浩市。
正直、まず見てからそのようなことは言っていただきたい。
あれだけの重責を負う総理であれば、お腹も痛くなるだろう。その設定にリアリティを出せたのも佐藤浩市でこその演技だった。
理解していただきたいのは、いぶきは自国を守るためであり戦争のための兵器ではありません
1954年に設立した自衛隊は、他国を侵略・攻撃する「戦力」ではない。しかし「警察」でもない。
その中間にある国を防衛するための「必要最小限の実力」であるというもの。
「絶対に戦争はしない。けれど、攻めてきた勢力は戦闘をもって確実に排除して日本を守る。」というのが自衛隊なのだ。
総理!! 防衛出動を!
日本を守る自衛隊には深刻度に応じて2つの段階がある。それが映画でもキーになっている「海上警備行動」と「防衛出動」。
これらは、国民を守るために
・海上警備行動…領海内外の治安を維持する
・防衛出動…相手国兵力の殺傷や破壊の武力を許可する
の2段階だ。つまり、防衛出動が発令されると海の上は戦場になるのだ。
秋津のセリフ「ここはすでに戦場だ」は防衛出動が発令されたことを意図している。
出典:YouTube
一方で敵潜水艦が現れ、自衛隊が先手を打つか否かを秋津と新波が言い争うシーンでは、涌井群司令が「敵が撃つまで撃ってはならん」と命じる。
これは「海上警備行動」を忠実に守ろうとしているからである。
簡単に戦(いくさ)だなんて言わないでください
内閣陣は2時間という制約のある映像の中で、日本情勢を伝えるため、やたらと説明セリフが多いのが少し残念だった。
「シン・ゴジラ」を彷彿させる「決断できない内閣」という絵は、現日本に対する暗喩なのかもしれないが、
「日本は戦争を何がなんでもしない」という原作のテーマを遵守しているとも見ることができる。
現日本では、未だかつてこの「防衛出動」が発動したことがない。本作では「防衛出動」が発動したとき、日本がどのように対処していくかが物語の醍醐味である。
・
では! ここから本題です。
原作を知っている者として映画版について、主観マックスでいきます。ネタバレは回避していますので、読んでから観ても楽しめると思います。
4.本田翼は必要だったのか問題
5.中国を敵国にしなかった問題
6.捕虜のシーンは必要だったのか問題
7.斉藤由貴とかは必要だったのか問題
8.中井貴一は必要だったのか問題
9.感想まとめ
4.ジャーナリズムを失った取材記者│本田翼は必要だったのか
映画版オリジナルのキャラクターである本多優子(本田翼)と田中俊一郎(小倉久寛)。2人はいぶきの特別公開演習の取材中に、事件に巻き込まれてしまいます。
2人の登場も賛否が分かれているようです。
個人的にはもう少しキャラクターとしての活かし方はあったと思うのですが、彼女たちなしでは物語は進まなかったので必要だったと思います。
彼女たちの役割は以下の2点でしょう。
・設定を観客に説明する
・作品内の事件を世間に伝える
艦長さんってよくわからないんですよね……
1つ目の役割〈観客への現状説明〉
これは冒頭の田中との会話にあたります。漫画でいうナレーション部分を担っていました。
本:「艦長さんってよくわからないんですよね……。副艦長さんは良くしてくださるんですが」
田:「あの二人、実は防衛大学の同期でさ。どちらが艦長になるか競ってたらしいよ」
本:「私たち記者がこの空母取材するのって、平和を守るために空母が作られたってことを伝えたかったからですよね……」
田:「ん? まあな?」
この会話のおかげで、急展開する物語の序盤も、初見の人にもわかりやすくなっていたはずです。
役割の2つ目は〈海上で起こっている緊急事態を世の中に伝えるため〉。これは映画版は物語設定を24時間としたため、すでに艦に乗っている必要があったのでしょう。
そのため原作のテーマのひとつであった「事実を伝えるジャーナリズム」は完全に排除されていました。
報道に関するテーマ性を低くしたため、本田自身の「ネット記者」というキャラクター性の必要性も低くなり、かつ、本多が物語後半に伝えた事実による「人々の変化」というものが作品内描かれなかったことも大きな一因だと思います。
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彼女は、公式パンフレットに以下のように書いてあります。
本多裕子は特に強いわけではない普通の女性。そんな彼女が戦争が起きるかもしれないという緊迫感の中で、いろいろな状況を目にし、成長していきます。(本田翼)
それゆえ本多は「今どきの一般人」というアイコンである必要があったため、「本田翼は必要だったのか問題」が勃発したのでしょう。
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一方では、ジャーナリズムの問題を削ぐことで、映画としてのテーマが散らかることなく「平和であり続ける」ことに終始できたのではないでしょうか。
そう考えると、今回の本田翼の2つの役割は必要十分だったと、少し寛大にとらえてもいいのではないでしょうか。
5.「平和」だけにテーマを絞った│中国を敵国にしなかった問題
映画版「空母いぶき」では、仮想敵「東亜連邦」による武力攻撃に設定が変更されました。
2時間にまとめるために変更せざるおえなかったと前述しましたが、別の効果も見込んでいたと思います。
それは、本映画の主題「平和」であることの強調です。
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原作では中国という具体的な敵と内閣による外交、しかり、隊員たちは相手国の戦略を想定しながら各々の命を賭して任務を遂行します。
しかし、映画版は捕虜を捕まえるシーンまでは、全く戦っている相手の顔が出てきません。
迎撃戦、魚雷戦、空隙線どれも相手を見ずに戦い続けます。それにより観客達は彼らの原動力である使命「国民を守る」という想いだけを作品から感じ取ることができるのです。
・
たしかに「誰と戦っているかわからず、感情移入ができない」という意見もありますが、この映画はの最大のテーマは「平和とはどうなりたっているか」を考えさせる契機付けることだったのではないでしょうか。
またここまで私がテーマだと確認できたのは、エンドロールで流れた「サイレントナイト(清しこの夜)」が示しているはずです。通常はアーティストの曲が入ります。
しかし「空母いぶき」では歌っている人はいません。CHEMISTRYの堂珍嘉邦を役者として起用するなら、彼らでも良かったはず。
そこをあえて、クリスマスの象徴である普遍的な曲にすることで、平和について感じさせているのではないでしょうか。
・
戦う相手を見せないことで「平和」という概念を浮き立たせることを映画版では成功させており、原作の面白さとはまた別軸で楽しめたのではないでしょうか。
6.憎しみを生み出した理由は演説への布石のためだろうか│捕虜のシーンは必要だったのか問題
はい。例のシーンです。私は、断固不要派です。
物語が進むと戦闘で撃墜した敵パイロットを救出します。つまり捕虜です。
実は捕虜の拘束のシーンは原作にもあります。原作では中国人捕虜と秋津が1対1で話します。秋津は一飛行機乗りとして、敵パイロットと対峙します。
言語は違えど、価値観は違えど「やらなければやられる状況」で命を賭すもの同士の対話でした。
・
しかし、映画では原作にはない捕虜による事件が起きます。
あの捕虜の行動は「個に対する憎しみ」を生み出してしまいました。私は、それまでこの作品の本質は、戦争映画ではなく「平和を伝えるため」だと思っていたので面食らってしまいました。
私は、東亜連邦という見えない敵と戦っていることに意味があると思っていたのです。
もしかしたら、見えない敵そのものが社会風刺で、不透明な政治家やメディアの不気味さを揶揄しているのかとも勘ぐっていたほどです。
しかし、どうやら私の考えは違ったようです。
なぜあえてあの事件を起こしたのか。
納得いかないなかで、1つだけ理由を上げるとしたら秋津の本心をセリフとして引き出すためというのが一番筋が通る気がします。
海は冷たかっただろう
事件の後、秋津は捕虜に対して話しかけます。
このメッセージは後に全世界の人に伝わることとなるのですが、それまで好戦的な性格だった、秋津の本心でした。
・・・
しかし、このテーマを引き出すためだけにこの事件は起こすべきではなかったと、私は思います。3つだけ話させてください。
・
まず、1つ目。捕虜は「やらなければやられる状況」ではなかったはずです。それは敵国といえ、パイロットとしてどうなのか。
わざわざ秋津にこのセリフを言わせているにも関わらず、です。
あれでは個に対しする憎しみしか残りません。民族主義の過激な国という説明だけでは、彼があそこまでの執念を出す理由としては少し乱暴な設定な気がします。
・
2つ目は、全世界に平和を願う「世界はひとつ。みんな友だちなんだよ。」のメッセージカードの伏線回収だとしたら、雑すぎます。
例えば、本田による動画配信がなければ、国民が動かなかった。国連による協議はなかった。
のであれば必要な事件ではありましたが、残念ながらそうではありませんでした。だから、より本多の立ち位置が危うくなっているのでしょう
・
3つ目は、秋津の本心の引き出し方として、あの事件は稚拙だと思いました。
原作では捕虜との会話が戦闘そのものを考えさせられる「対話」でしたが、映画版では一方的な演説になっていたのが非常に残念でした。
彼のメッセージが、人々をどう動かしたのか。
そこまで描ききらないと世界への動画配信の意味はなく、あのセリフは私たち観客への監督から「秋津ってこういう人だからね」というの説明として解釈にしかなりません。
・・・
以上3点より、憎しみの上にたつ平和ではなく、国家の上に成り立つ「平和」に終始していた方が、より個の幸せについて考える余地を生み出せたのではないかと思ってしまいました。
もし国家的な平和にフォーカスしきっていたら、コンビニのシーンを差し込むことにより誰しもが持つべき平和な日常についてより意味を見出せたのではないだしょうか。
どんなに考えても捕虜の事件だけは本当に残念。
7.きっと大人の事情があったに違いない│斉藤由貴たちは必要だったのか
完全に蛇足感しか感じないネット報道陣組。
本田裕子の上司晒谷(斉藤由貴)と同期藤堂(片桐仁)のおにぎりのくだり、実はなにかの暗喩(奪っても許している片桐が日本の象徴なのだろうか……)と考えていたが、
どうやらアドリブらしい。そうですか。
最後に片桐仁に「子供が待ってるので」と言わせたかっただけか、大人の都合での登場だったのかもしれないです。
彼女たちが報道したネットニュースにSNSに投稿された文字が画面上に出す演出も、どことなく嘘っぽく感じてしまいました。
自衛隊や政府のパートがよかっただけに、あえてオリジナルで折り込んだ国民の生活や感情に対する演出の詰めが甘いような気がしてしまいました。
せっかく報道チームを出すのであれば、「日常の平和」を社会へ審議させる方法はもう少しあったのではないかと思いました。
予算と時間が足りなかったのかもしれない、と少し残念でした。
8.いてもいなくてもいい。けれど、尊い人│中井貴一は必要だったのか
では本命。コンビニの店長とゆいちゃんは必要だったのか。
クリスマスイブ前夜。嬉しい悲鳴をあげながら、忙しそうに働くコンビニの店長(中井貴一)と、バイトのゆいちゃん(深川麻衣)。
政府が戦後初の防衛出動が発令。緊張の走る海上。激しい航空戦。緊迫した状況で、なぜか時折差し込まれるクリスマスムードのコンビニ。
私は、彼は私たち国民の平和の象徴であり、かつ私たち世間への皮肉のきいた監督のメッセージなのだと思うのです。
世界はひとつ。みんな友だちなんだよ。
監督は彼を登場させることで、この小さな平和だけは絶対に奪ってはならないというメタファーを込めたのではないかと思うのです。
店長がバックヤードで子どもにメッセージを書きながら寝落ちてしまうシーン。
その間に、いぶきからの情報に「戦争が勃発する」と慌てた人々がコンビニに殺到します。てんてこまいのゆいちゃん。
明け方、事態が収束した頃、売り場に現れる店長。ちょっと抜けていて幸せな人。
何者でもないけど、尊い人。店長は世の中すべての人を象徴なのでしょう。
・・・
ところで、店長は私たちに守るべき平和を伝えるために登場したのでしょうか?
私たちが普段している生活を、改めて「平和な日常」として映像にする必要はあったのでしょうか。
え?! ゆいちゃん! なにがあったの? 教えてよ!?!
(なんだろう……この写真何度もでてくると少し胸がざわつきますね……)
わざわざコンビニの店長を出した理由は「なにがあったの?」というこの皮肉に尽きるのではないかと私は思います。
夢と希望を願いながら、何が起きたか知らなくても生きていけることの揶揄とも取れるセリフ。
何も見ないし聞かない状況に自らこもってしまう店長。彼は平和ボケした日本人の象徴なのかもしれません。
中井貴一は、彼は意図してかネタなのかわからないですが、最後にこんなことを言っています。
私は、コンビニの店長が、もし皮肉を言う役としての登場であれば、必要なキャラクターだったと思うのです。
9.人は物語の虚は許せるが、小さな嘘は見逃すことができない│感想まとめ
人は、たとえ海から未確認生命体がやってこようとも、日本が沈没してしまおうとも、架空国家に攻撃されても、それらは簡単に容認できます。
けれど、たとえば普通の女の子の眼の前で人が殺されたとき、その子があまりに普通な対応をしていたら違和感を感じないでしょうか。
今まで述べてきた「必要だったのか」という問題提議は、どうにもその小さな嘘が積み重なってしまったように感じます。
語らない方が多く感じることもある
後半は私自身が違和感を感じて5つの視点を問題提議をしましたが、それらは「必要性のある設定変更」と「蛇足なシーン」と分類できます。
見えない敵により、平和によりフォーカスを当てることに成功したように、物語には語らないほうが雄弁なこともあります。
店長の平和ボケのシーンしかり、艦長が本心を語るシーンも、藤堂の子供が待ってるというセリフも、秋津と新波の「新波さん」から始まる会話も、
映画としては、どうにも語らせ過ぎの節があるように感じました。
もう少し観客を信じてくれたら、映像作品としての冗長感は拭えたかもしれないと。「あのシーンは、必要だったのだろうか」なんてならなかった気がします。
・
とはいえ、遠くない未来の物語は、今ある平和について「なぜあるのか」「もしかしたらなくなるかもしれない」というメッセージを私たちにしっかり届いています。
Filmarksに書かれている「今まで戦争が日本で起きることを考えたことがなかった」というのは、まさにその象徴です。
どんな作品にも、作り手から鑑賞者へのメッセージがあり、見る側の気持ちを少しでも動かすことができたら、それだけで作品としての生命を全うしているのではないでしょうか。
・
「空母いぶき」は映画作品としては、問題児であり賛否両論わかれる作品ではありますが、
平成という戦争のない時代を終え、新しい時代令和に、平和を心から願う「空母いぶき」は、
今この時代だからこそ見るべき作品であることには違いありません。
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[イラスト]ダニエル