全国の書店員さんが「今、一番売りたい本」として本屋大賞を受賞した、瀬尾まいこさんの『そして、バトンは渡された』。
本作を一言で表すと「4回も苗字が変わった少女のお話」です。
そんな風に書くと、どこか辛いストーリーを想像するのでしょうが、逆です。
どこか明るい気持ちになれる物語であり、読後は「愛されるより 愛したい マジで」とKinKi Kidsのメロディーを口ずさんでしまいたくなります(KinKi Kids世代)
本当にこういうストーリー、困るんですよね。
主人公が不幸で、困難極まりない過酷な状況で生きているというストーリーであれば、「これはヤバイね。社会問題に切り込んだね」と知的さを醸し出しながら書けるんですけど。
主人公が幸せ。
周りの親たち、みんないい人。
登場人物すべて、最高にいい人。
お前ら最高だYO!
なんです。どこか「中盤あたりから、とんでもない親が出てくるんじゃないの?」と思いながら読んでいた私が、一番ゲスい奴なのかも知れない。
主人公の苗字が4回も変わったというあらすじを私が書いてしまうと、どこか真面目な問題として書いてしまいそうなのですが、軽い感じで書いた方が、この物語においてはしっくりくるような気がします。
例えば高田純次のノリで
「主人公の優子ちゃんね、 4回も苗字が変わっちゃったんだよね。辛いでしょ? え? 辛くないの? じゃあ楽しかったんだね。けどね、苗字が4回も変わるって見方によっちゃ楽しいよね。俺は変わったことないけど。やっぱり人間は少しくらい難しい問題に立ち向かった方がいいよ。俺は嫌だけど。座右の銘は「ギブミーチョコレート」だからね。って、聞いてないか!」
と語ったり、ローラのノリで
「ハロー! ローラだよー! 主人公の優子ちゃん、苗字が4回も変わったなんてすごいよね〜いい感じ〜。けど戸惑っちゃうよね〜? まぁいっかぁ〜って感じ? なんでもオッケーだよね〜! うふふ〜」
くらいの語りで、伝える方が合っています。
それ程、この物語はテーマに反して「そっか。そういう家族の形態があって、家族とは形だけでは語れないものなんだな。それもいいね。」と、今まで自分が持ち合わせていた価値観をナチュラルに変えてくれるものでした。
そして、主人公の優子のあっけらかんとした感じと、出てくる親たちの愛情の深さに心が温まります。
人である前に、男である前に、父親だからね
「私は、母親である前に、女よ!」そんな言葉をドラマか何かで見たのか、聞いたのか。ニュアンスは多少違えど、記憶にあります。
〇〇ちゃんのママ
〇〇ちゃんの保護者
そういう呼ばれ方の「母親」という肩書きに重さを感じ、「母親だけど、その前に女であり、一人の人間だ!」と子育て中は感じてしまうのでしょうか。
私自身は割とフワッと生きている方なので、そんな風に強く思ったことはありませんが、それでも「あ〜確かに、親になると母親としての自分になってしまうのだろうな」という思いはあったように感じます。
血の繋がりのない娘を持つ”森宮さん”は、優子に「大事なのは優子ちゃんだ。俺は、人である前に、男である前に、父親だからね」と言えてしまう人でした。
2番目の母親、梨花さんも「私は優子ちゃんの母親だからね」と、誇らしげにまっすぐ語れる人でした。
文中にあった何気ない言葉ですが、ウェットに富んだ掛け合いの中から感じる愛情に、透き通るような綺麗な空気が自然と流れます。
血の繋がりはなくても、娘を思い「ただ、親であると感じること」を大切にしている登場人物たち。
そんな登場人物たちを見ていると、今まで自分が成長する毎に携わったくれた人たちが、なんだか愛おしくなる感覚に包まれました。
「親になること」って何だろう? 「明日が2つになること」
私には3人の娘がいますが、親になることの醍醐味というか、一番報われる言葉って何だろう? って思っていました。
そして、それは言葉では言い表すのが難しく、それが娘を思う気持ちなのだろうな。とも思っていました。しかし、文中に出てきた、
「母親になってから、明日が2つになった。親になるって、未来が2倍以上になること。自分の明日と、自分よりたくさんの可能性と未来を含んだ明日がやってくる」
という言葉。
感じていた言葉が言語化されるってこんな気持ちなんだなって、思わずジーン。
私の場合は子供が3人いるので明日は4つですが、自分じゃない誰かのために毎日を費やすことが愛おしくなり、親であることが誇らしくなる素敵な言葉に出会えました。
「本当に幸せなのは、誰かと共に喜びを紡いでいる時じゃない。自分の知らない大きな未来へバトンを渡す時だ。」
血の繋がらない親、4回も苗字が変わった優子は、その度に親の間をリレーされてきました。
最後は、新郎へとバトンを繋いだ森宮さん。
本作を読んでいると「血の繋がりって何なのか、もしかすると、自分が思っているより重要なことではないのかもしれないな」と感じます。
血の繋がった子でも、虐待のなくならない世の中。殺伐としたニュースは後を絶ちません。
誰かに愛情を注ぐということは、相手の未来を作るということ。
反対に、愛情を注ぐことを怠ってしまえば、相手の未来をも変えてしまうことになります。
親になるということは覚悟のいることです。その覚悟が未来を作り、またバトンを繋いでいく。自分の渡すバトンの先を想像し、相手を想い今を大切に生きることを本作は教えてくれます。
こんな時代だからこそ、皆の心を動かし胸を打ち、染み込んでくるような作品でした。納得の本屋大賞受賞です。
瀬尾まいこさんとは?
そもそも、私は瀬尾まいこさんの作品を読むのが初めてなのです。
緩やかなストーリーがどうも苦手で、小説ではつい、伏線ドーン! どんでん返しデデーン! みたいな疾走感のあるものを選んでしまうのです。ただの欲求不満な奴みたいですが、本作は読む前から苦手意識バンバンで読み始めました。
読んでいる最中も、「むむ!? この部分は伏線か?!」と無駄に勘ぐっていたくらいです。
しかし、読んでいるうちに瀬尾まいこの世界観、物語の世界観に引き込まれ、気づけば爽やかな空気の中で完読したように感じます。
瀬尾まいこさんの作品をもっと読んでみたい! そして、瀬尾まいこさんとはどのような方なのでしょうか?
ー瀬尾まいこー
大阪府大阪市出身
中学校国語講師を9年務めた後、2005年に教員採用試験に合格。2011年に退職するまでは中学校で国語教諭として勤務する傍ら執筆活動を行なっていた。本名は瀬尾 麻衣子。自身の中学校勤務を元にしたエッセイも執筆している。
wikipedia
本作でも、食卓のシーンがとても印象的でしたが、瀬尾まいこさんの他の作品を見ていると、食をテーマにしているものが目立ちました。
出典:Amazon
出典:Amazon
出典:Amazon
どうしても伊坂幸太郎や東野圭吾、湊かなえのハラハラドキドキを求めてしまう私ですが、読後幸せを噛み締められるような作者・瀬尾まいこさんに出会えた本屋大賞には、感謝しかありません…!
第2章で視点が変わる! 涙腺崩壊のラスト
本作は、第1章が長い長い…! そのくせ、第2章あっという間に終わります!(ディスってる訳ではなく)
第1章は、主人公の優子目点で終始語られます。
第2章は、最後の親である森宮さん目線で語られます。
第1章では、泣きポイントっていうんですか? 涙腺崩壊ポイントは、私はありませんでした。
終始、和やか、温か、ほっこり、爽快、ゆったり進められます。第1章を読んでいる時の私は終始穏やかな気持ちでしたので、うっかり悟りでも開いてしまえるような顔つきだったと思います。
後半は、最初から「書籍が私を泣かせにきているな」と思わせるほど、気を緩めると涙が出てしまいそうな第2章開始でした。
ちょうどこの時わたしは、娘のピアノレッスンで、付き添いをしていたのです。
別に聞いたところで、誰得にもならないかと思いますが…
一気に第2章を読んでしまおうと思っていたのに、第2章開始5ページ目くらいのところで、習い事へ送って行く時間になりまして。
どうしても続きの気になる私は、娘のレッスン中、後ろで小説読んで待っていようと思っていたんです。
選択をミスりましたね。
もう、温かい気持ちもここまで来ると、人を泣かせる事が出来るのか…と思うほど、涙腺が「マジ、ヤベーっす。パネーっす」と訴えかけてきます。
でも、人前で泣くのは恥ずかしいじゃないですか? なので必死に堪えていたので、無駄に鼻を膨らませて、マキバオーみたいな顔になっていたかもしれません。
冒頭でも書きましたが、本作はテーマに反して重くはないんです。軽やかに爽やかに、どこか気の抜けた感じのストーリーなんです。
それが余計、最後にスパイスのように効いてくるんです。
読後、「愛されることも幸せ、だけど、愛する対象が目の前にいることはもっと幸せなこと」と、自然と娘たちの顔を思い浮かべていました。
本屋大賞受賞、納得の作品。
平成最後に読んだ作品が、『そして、バトンは渡された』で本当に良かった! 心が洗われるような、親であることを誇りに思えるような、素晴らしい一冊でした。
おっしまーい!